-インド亜大陸の情勢-

 

第9節 インド亜大陸の情勢

 

1972年のインド亜大陸の情勢は,1971年末の印パ戦争の残した戦後処理問題をめくる動きを中心に推移した。この過程において印パ戦争後生じたインド亜大陸における新しい力の均衡はシムラにおける印パ両国首脳会談,バングラデシュの国際的地位の確保等を経て,一応定着化の方向に向った。他面インド亜大陸諸国おしなべての国内経済情勢の悪化が目立った。

 

1. 戦後処理問題

 

 (1) 戦後処理問題の内容

バングラデシュの独立をめぐる今次の印パ戦争(1971年12月17日停戦)は関係諸国に,(i)印パ軍隊の撤退,(ii)捕虜の送還,(iii)印パ関係の正常化,(iv)パキスタンによるバングラデシュ承認などの戦後処理問題を残した。

これら4つの問題は相互に密接に関連し合うものであるが,過去1年を通じて印パ両国軍隊の撤退問題を除いては,いずれも解決に向っての大きな進展はみられなかった。

 (2) シムラ協定締結

しかしながらこれら戦後処理問題の打開をはかるため,1972年6月末印パ両国間に開かれた首脳会談と,その結果に基づくいわゆるシムラ協定の締結(72年7月3日)は,やはり今後の両国関係の調整に一つの方向を与えた。シムラ協定では主として,(i)紛争の二国間交渉による平和的解決,(ii)両国間関係を正常化するため,通信,交通,貿易の再開等漸進的措置,(iii)両国軍隊の撤退,につき合意をみた。他方捕虜送還問題や両国間の長年の懸案であるカシミール問題は,今後の交渉に委ねられた。

その後両国軍隊の撤退問題は,カシミール地区における支配ライン確定という困難な交渉を経た後,72年12月20日両国軍隊の相互撤退を完了した。捕虜送還問題については,西部戦線で捕えられた両軍捕虜の相互送還が実現したことを除き,東部戦線で捕えられたパキスタン兵士・役人・家族等約9万人の送還問題は未解決のままで,印「パ」バングラデシュ間の大きな懸案として残った。また印パ両国関係正常化の措置についてもほとんど進展がみられなかった。

 

2. バングラデシュの国際的地位

 

インドは過去1年間を通じバングラデシュに多額の経済援助を供与するとともに,同国と友好協力平和条約を締結するなど,連携関係の強化に努めた。また国際舞台にあっても,各国によるバングラデシュの承認獲得に陰で尽力し,その国連加盟を強力に推進した。その結果,バングラデシュは今日までに98(73年3月末現在)という多数の諸国から承認を受け,また各国から総額13億ドルにのぼる経済援助も得て,その国際的地位を固めることに成功した。

これに対しパキスタンは,国民感情もあり,今日にいたるまで同国を承認することを拒んでいる。また国連においても,中国の応援を得てバングラデシュの加盟に反対し,そのため同国の国連加盟は実現しなかった。

パキスタンとしては,捕虜送還問題解決のこともあり,バングラデシュとの間に何らかの話し合いの糸口を持とうと努力もしているが,「話し合いの前に先ず承認を」と要求するバングラデシュの態度もあって,いまだに話し合いは実現するにいたっていない。

 

3. 各国の経済情勢の悪化

 

他方過去1年においてインド亜大陸諸国に共通した現象として,国内経済情勢の悪化が目立った。まず第一に東パキスタン動乱および対印戦争で巨額の戦費を使った上,東パキスタンというシュート工業の原料供給地および市場を失なったパキスタンは,多大の経済的困難に見舞われ,これを背景として,都市労働者のストライキ,カラチを中心とする言語騒動,北西辺境州およびバルチスタン州における自治獲得運動等の動きが発生した。他方インドにおいても戦費負担に加え,異常かんばつの影響を受け,農業,工業両分野での不振が目立ち,失業者の増加,物価騰貴,労働不安等により,都市情勢の悪化がみられた。またバングラデシュにおいても,戦乱の社会,経済に与えた傷跡が深い上,異常かんばつによる被害を受け,経済再建は容易でなく,総生産は戦前の水準をかなり下回った。このほかスリ・ランカおよびネパールにおいても,農業の不振を中心に経済情勢の悪化がみられた。

 

4. 米中ソ3国の動き

 

インド亜大陸情勢は,印パ戦争の過程を通じ米中ソ3大国の動きがからみ複雑だったが,その後の情勢においてもこれら3国の動きは注目された。

ソ連は,1971年夏に締結された印ソ平和友好協力条約を基礎に,引き続きインドとの関係強化に努めるとともに,バングラデシュに対してもかなりの額の経済援助を供与して影響力の拡大に腐心した。

中国は引き続きパキスタン支持の態度を堅持し,国連におけるバングラデシュの加盟申請審議の際にも拒否権を行使してその実現を阻止した。中国はまたスリ・ランカおよびネパールに対しても経済援助の強化等により関係強化に努めた。

一方米国はバングラデシュに対する経済援助にきわめて積極的な姿勢を示したが,インドおよびパキスタンに対しては1年を通じあまり積極的な動きはなかった。ただ1973年3月になって米国は,印パ両国に対する武器禁輸を緩和する措置を発表するとともに,インドに対して71年末一時差し止めた既コミットの経済援助の実施を再開するとの態度を示して注目された。

 

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