-その他の東南アジアの情勢-

 

第8節 その他の東南アジアの情勢

 

インドシナ半島を除く他の東南アジア諸国は,ニクソン大統領訪中にはじまる米中接近,日中国交正常化,ヴィエトナム停戦成立といつた激しい国際情勢の変化にそれぞれ対応することを余儀なくされた。中でもヴィエトナム停戦の成立は,東南アジア地域における大国間のバランスを崩し,これら諸国の内政,外交にも影響を与える可能性が大であるとみられる。

 (1) ヴィエトナム停戦後の情勢に対する諸国の態度

インドシナ半島を除く東南アジア諸国は,米国がニクソン・ドクトリンにもとづいて東南アジア地域における米国の軍事的プレゼンスを縮少する方針であることに対し,自国ならびに東南アジア地域における今後の安全保障のあり方についてかなり大きな懸念を抱いている。加えてこれら諸国は中国との間の国交樹立など,中国との意思疎通のための正式のパイプができていない。そして多かれ少なかれ,共産ゲリラの活動に悩まされている。ヴィエトナム和平実現によつてこれらのゲリラ活動が活発化する恐れがあると危惧しながらも,これに効果的に対処する方途を探しあぐねている。他方,ソ連は,72年3月のブレジネフ演説以降,アジア集団安全保障構想に関する観測気球を上げ,これを通じて東南アジア諸国に対する関心の表明を行なつている。

こうした情勢から東南アジア地域が中ソ対立や大国の勢力関係の変化の影響を強く受けるのではないかという共通の認識がある。さらに72年末,豪州,ニュー・ジーランド両国に労働党政権が誕生し,72年12月の中国承認など,両国は新たな外交政策を相次いで打ちだしてきている。この結果,両国が主要な加盟国となつているSEAT0,あるいは五ヵ国防衛取極等東南アジア地域をおもな対象とする軍事的取極の性格が変容していく徴候もみられる。東南アジア諸国としては,これらの要因を考慮に入れつつ,自国の安全保障を再検討することを迫られている。

 (2) ASEAN諸国の動き

フィリピンの戒厳令布告(72年9月)ならびに新憲法の発効(73年1月),マレイシアのラザク政権強化のこころみ,あるいはタイにおける暫定憲法の発布,民政移管などは,国内体制を強化することにより,流動する国際情勢に対応していこうとする狙いが,少くとも副次的には,あつたものといえよう。

72年4月に第5回ASEAN閣僚会議が開かれたのをはじめ,この年各レベルのASEAN諸国の会合が行なわれた。さらに73年2月には,ヴィエトナム和平の成立にともない,臨時にASEAN外相会議が開かれた。同会議はヴィエトナム和平後の東南アジア情勢につき討議を行なうとともに,ASEAN諸国,インドシナ諸国,ビルマを包含する10ヵ国会議開催の呼びかけを行なつた。

この呼びかけに先立ち,ビルマがヴィエトナム停戦に際して政府声明を発表(73年1月)し,東南アジアの地域協力に必ずしも後向きでない姿勢を示したことも注目された。

 (3) 中国との交流も盛んに

北京で行なわれた第1回アジア卓球選手権大会(72年9月)に,タイ,マレイシア,シンガポール,フィリピン,ビルマが参加し,またタイ,マレイシアは政府要人を中国に派遣するなど,インドネシアを除く各国は中国との間に活発な交流を行なつた。

他方ラザク・マレイシア首相のソ連訪問(72年9月),マレイシアと北越との国交樹立(73年3月)にみられるように,域内諸国の中国以外の社会主義国との接触も活発になりつつある。

 

目次へ