-米中関係- |
ニクソン訪中(1972年2月)以後両国間関係は徐々にではあるが着実な進展をみせた。両国は既存の関係を基礎として実務関係の積み上げを打っているが,1973年2月のキッシンジャー補佐官訪中の結果,相互に相手国首都に連絡事務所を設置することになった。
ニクソン訪中以後72年中の目立った動きとしては6月,キッシンジャー補佐官の訪中(19日から23日まで)があり,両国が共通に関心を持つ事項について話し合いを行なった。また1972年11月22日には,ニクソン大統領が米国航空機および船舶の対中航行制限を解除する旨発表した。他方,中国側も外交部内に米州担当局を設けた(8月に判明)もようである。しかし同年中の米中関係は,格別の変化もなく推移したといえる。
1972年中に両国間関係がとくに進展しなかった原因としては,台湾問題のほかにヴィエトナム戦争があげられる。8月には米機の爆撃により中国人船員5名が爆死するという事件も発生した。中国側の態度はヴィエトナム戦争解決までは両国間関係が進展することはあり得ないというものであった。
したがって73年1月末にヴィエトナム和平が実現するにおよび,73年以降の両国間関係の進展が大いに注目されるようになった。こうした中でキッシンジャー補佐官は2月15日から19日にかけて中国を訪問し,中国側指導者と数次にわたり協議を行ない,毛沢東主席とも会見した。
同補佐官の帰国後発表された米中共同声明では,(i)両国間関係の正常化を促進すべき時が到来していることを双方が確認した,(ii)相互に相手方の首都に連絡事務所を設置することに合意した,(iii)両国間債権債務関係の処理,ジャーナリスト交換等の問題が日程にのせられたことなどが明らかにされた。
その後3月15日,ニクソン大統領は在北京米側連絡事務所代表にブルース氏を任命すると発表,一方,中国側も同月30日黄鎮氏を在ワシントン中国側連絡事務所主任に任命した旨発表した。双方の連絡事務所員には外交特権が与えられ,また暗号使用が認められることになっている。
ニクソン訪中以後,両国間関係において第一に顕著なことは人的交流の増大である。米国からはマンスフィールドおよびスコット両上院議員をはじめ,学者,科学者,ジャーナリスト,各種団体等が相次いで訪中した。中でも注目されたのは,中国が在米華僑の訪中を迎え入れたことであった。他方中国側からの訪米はなお数少いが,1973年3月までに卓球代表団(72年4月),医学代表団(10月),科学代表団(11月),曲技団(12月)などが訪米している。
ニクソン訪中以後もう一つ顕著な事がらは貿易の増大である。当初は貿易が急速に発展することはないとみる向きが多かったが,中国が1972年中に自然災害に襲われたこともあり,中国の対米買い付け量は予想以上の伸びを示した。中でも小麦および棉花の買い付けが目立った。今後両国間の貿易が順調に伸びれば,米国は中国に対する主要供給国の一つとなろう。