-フロンティア外交の展開-

 

第18節 フロンティア外交の展開

 

国連などにおける国際協力の動きは,きわめて広範な分野に及んでいるが,その中で,ここ数年来急速な勢いでクローズアップされ,今後もますます重要性を増大すると予想されているのは,宇宙,海洋,人間環境などの分野における国際協力の動きである。これらの分野の活動は,未だ比較的歴史も浅いが最近の国連などにおける活動の実態をみると,変貌を続ける多国間外交の新領域(フロンティア)として,高く評価されるべきものと考えられる。

こうした観点から,昨年の「わが外交の近況」(第16号)では,原子力をはじめとする宇宙,海洋の平和利用問題や,ごく最近の人問環境問題の登場をとりまとめたが,これらの分野のうちで,昨年1年間にとくにめざましい展開をみせたのは, (i)人間環境問題と(ii)海洋問題である。(i)については,1972年6月の国連人問環境会議(いわゆるストックホルム会議)の開催,(ii)については近く開催される第3次海洋法会議の準備活動などをめぐって,現在の国連,ひいては国際社会全体の基本的な問題点のいくつかがきわめて鮮明な形で呈示されている。

 

1. 人間環境問題

 

 (1) 国連における環境問題

1972年6月5日から16日までスウェーデンの首都ストックホルムで開催された第1回国連人間環境会議は,その着想のユニークさと,それが世界に提起した問題点の複雑さという点で,国連史上特筆されるべき国際会議であった。

世界の113カ国から約1,200名の代表が参加して開かれたこの会議では,画期的な「人間環境宣言」,合計109項目の勧告からなる「国際行動計画」などのほかに,(i)国連環境計画管理理事会,(ii)環境事務局,(iii)環境基金の創設を定めた決議や,毎年6月5日を「世界環境デー」とすることを謳つた決議,さらに第2回環境会議の開催についての決議など,多数の合意文書が採択された。

これらの合意文書は,1972年末の第27回国連総会に送付され,あるものについては,若干の修正が加えられたが,おおむね原案どおり承認された。これにより,理事会,事務局等環境に関する一連の国連機構が正式に発足し,環境理事会(わが国を含む58カ国で構成されている)は,同年6月にジュネーヴでその第1回会合を開く。この会合では,「行動計画」についてさらに具体的な検討を行ない,その実施方法と優先順位を決定することになっている。

他方環境基金は,当初の計画どおり,向う5年間に1億ドル程度の規模のものとなることが期待されており,わが国も,ストックホルム会議で約束したように,目標額の10パーセントの拠出を行なうこととしている。なお環境事務局の所在地については,1972年末の国連総会で大いにもめたが,結局開発途上国側の希望が通って,ケニアのナイロビに設置されることになった。これに伴い,事務局は,1973年秋以降現在のジュネーヴからナイロビに移転することになっている。

国連を中心とする環境外交のレールはこうして一応敷かれたといえるが,問題は,これからこのレールの上でいかなる実体を持つた環境外交が走りはじめるかそしてわが国の立場からすれば,今後の環境外交にわが国がいかなる貢献をすべきかという点である。とくにわが国の場合,国内の特殊な事情から,環境問題といえば,すぐ公害問題を連想する通弊が根強く残っている。このためいわゆる公害問題以外の,広範多岐にわたる人間環境問題―たとえば,天然資源,人口,人間居住,開発と環境といった問題点についての認識が一般にはまだ十分とはいえない状態にあるので,今後の環境外交に対処するにあたっては,まずこの点の反省から始める必要があろう。

しかし問題は,人間環境問題という新しい概念の定義とか,その内容ではなく,むしろこの概念の背後にある大きな思想の流れ,時代の潮流といったものをいかに正確に把握するかである。ストックホルム会議は,“鯨からベトナム戦争まで"といわれるように,きわめて広範かつ雑多な問題点をカバーしていた。そして,それらは,“かけがえのない地球"という理想主義的な合言葉のもとで,どちらかといえば感覚的・情緒的に論ぜられる傾向が少なくなかった。だが,一見理想主義的な論議の裏に,先進国と開発途上国,海洋国と非海洋国,資源産出国と資源輸入国といったように,各国の地理上,経済上の差異にもとづく,現実的な考慮が重く横たわっていたことは否定できない。

“かけがえのない地球"は地球の傷つきやすさと地球上の資源の有限性を前提とした考え方であるが,有限な資源であるがゆえに,開発途上国は自国の領域内の,または自国の周辺の資源を先進国による“搾取",または汚染から守ろうとし,そのために管轄権の拡大を図ろうとする。さらに開発途上国側は,いずれの国の管轄権も及ばない地域,たとえば各国の大陸棚以遠の深海海底およびその資源(たとえば,鯨などの水産資源や海底油田など)については,これを「人類の共同財産」と規定し,国際管理の下におき,これらの地域や資源の開発から生ずる利益は全人類のため,とりわけ開発途上国のために用いられるべきであると主張する。そして,これら開発途上国は,このような観点から,新しい状況に即応した新しい国際的ルール,または秩序の確立を要求している。そこには,近代国家の成立以来数世紀にわたって世界を支配してきた国際法の原則が,つねに先進国に有利に作られたものであって,不公平であるという開発途上国側の不満が強く現われている。

これに対して先進国,とりわけわが国のように天然資源に恵まれない先進国は,こうした主張を開発途上国からの挑戦と感じがちである。しかしこれを,従来の「南北問題」の単なる変型として,先進国対開発途上国の対決という観点からだけ眺めるとすれば,重大な誤りといわねばならない。なぜならば,従来の南北問題には,地球の有限性という視点が欠如していたのに対し,科学技術の高度の発達と,生産活動の質的・量的拡大によってもたらされた今日の地球的規模の環境汚染は,このまま放置すれば,いずれの日にか,地球と人類の死滅という究極的事態にいたる可能性を含んでいると考えられるからである。そしてそこにこそ,従来の南北問題や伝統的国際法の原則を止揚して,新しい合理的なルール,秩序の建設を急ぐ必要性が存在するのである。また,こうした時代の要請に積極的に応えるところに,国連のフロンティア外交の使命が存在するといえよう。

 (2) OECD,その他の場における環境問題

こうした国連を中心とする動きと並んで,0ECD環境委員会が最近とくに注目を集めている。この委員会は,従来環境問題の技術的側面だけを取扱っていた0ECD研究協力委員会が,環境問題の経済的側面をも扱うとともに,先進工業国間の環境政策の調和もはかれるよう1970年に発展改組されたものである。先進工業諸国の環境保全措置の推進と調和,各国環境政策が経済や貿易に及ぼす影響についての研究など,幅広い検討を行なっているが,1972年5月には,「環境政策の国際経済面に関するガイディング・プリンシプル」が,0ECD理事会勧告として成立した。これにより加盟各国は,汚染者費用負担原則を遵守し,環境基準の国際的調和のために努力を払うこととなった。

またガットにおいては,環境保全措置とガット規約との関係をアド・ホックに検討するために,「環境措置と国際貿易に関するグループ」を設立することを1971年11月に決定したほか,0ECDのDACおよび世界銀行においても,開発援助との関連において環境問題が取り上げられている。このほか,わが国と米国との間には環境問題を検討する場として,「日米公害閣僚会議」および「天然資源の開発利用に関する日米会議」(UJNR)が設けられている。前者は,公害の判定条件の設定,人的交流,情報の交換,研究の共同企画と実施などについて,密接に協力することを目的として,1970年10月東京で第1回会議が,ついで1971年6月ワシントンで第2回会議が開かれた。また,後者の中には19の専門部会が設けられているが,このうち環境問題に関連した分野を担当する専門部会として,大気汚染,水質汚濁,森林,国立公園管理の専門部会がある。これによって技術専門家間の連絡と協力の拡大,情報,データおよび研究成果の交換を目的とした活動を続けている。

 

2. 第3次海洋法会議をめざして

 

1973年末から開始される第3次海洋法会議は,思想的には,1972年6月の国連人間環境会議の延長線上にある。地球の全表面積の70パーセントを占める海の利用の問題は,あらゆる意味で,地球的規模の問題であり,全人類かかわりのある問題である。であればこそ,この会議の開催をめぐる各国動きは,ストックホルム会議以上に真剣な様相を帯びたものとなっている。

この会議のための準備作業は,ここ数年来,国連の海底平和利用委員会(現在わが国を含む91カ国で構成されている)を中心にして進められてきた。とくに,1972年7,8月ジュネーヴで開かれた海底委会合では,前年来の激しい議論を受けて,海洋法会議で取り上げるべき問題点のリストについて,曲りなりにも合意が成立した。その結果,同年末の第27回国連総会では,海洋法会議のスケジュールにつき,(i)1973年11,12月にニュー・ヨークで会議の議長その他の役員の選出,議事規則の採択などの手続き事項を審議するための手続き的会議(オーガニセイショナル・セッション)を開く,(ii)その後1974年4,5月の約8週間チリのサンチャゴで実質的会議(サブスタンティブ・セッション)を開き,条約などの審議・採択をはかる,(iii)このため海底委は,1973年の春(ニュー・ヨーク)および夏(ジュネーヴ)の2度会合し,準備作業の一層の促進をはかる,との諸点が合意された。こうして第3次海洋法会議は,今やポイント・オブ・ノーリターンを過ぎたといえよう。

ところで,この会議が第3次国連海洋法会議といわれるように,海洋法に関する国連主催の会議は,これまでに2度開かれた。第1回は1958年にジュネーヴで開かれ,それまで国際慣習法として存在していた諸原則を法典化し,領海条約,公海条約,公海漁業条約および大陸棚条約の4つの条約を採択した。第2回目は第1回から2年後の1960年に同じくジュネーヴで開かれ,第1次海洋法会議で合意に達しなかった「領海の幅」の決定問題に焦点をしぼって審議を行なったが,ついに失敗に終った。その後1960年代の終り近くまで,海洋法問題は小康状態を保っていた。それが1960年代の後半になって科学技術の飛躍的な発達の結果,それまで開発不可能と考えられていた深海海底(一般に水深200メートルまでとされている大陸棚よりも深い海底)の資源開発が可能とみられるようになり,このまま放置すれば,早晩世界の深海海底は,技術先進国により“早いもの勝ち"に分割されてしまうという惧れがでてきた。そのため,1967年の国連総会におけるマルタ代表の発言をきっかけとして,国連に上記の海底平和利用委員会が設置された(同委のメンバ―は当初の42カ国であったが1970年に86カ国に拡大され,その後さらに91カ国に拡大された)。同委員会では,当初から先進国と開発途上国が激しく対立し,審議は難航を続けたが,1970年には同委員会の審議を基礎に,国連総会で,深海海底に関する諸原則宣言が採択され,その第1項において,「深海海底とその資源は全人類の共同財産である」旨が宣言された。この原則宣言では,さらに,当該海底とその資源開発は国際資源の下におかれるべきであり,その開発から生ずる利益は全人類の利益,とりわけ開発途上国の利益のために用いられなければならない旨をも宣言している。

このような背景の下に近く開かれる第3次海洋法会議が,前2回の会議と本質的に異なるものであることは容易に理解できよう。先進国を中心として多かれ少なかれ伝統的な海洋法制度の法典化をはかるというのが主要な任務であった前2回の会議に対し,第3次海洋法会議は,その参加国の約3分の2が開発途上国であるという事実に端的に現われているように,数において優勢な開発途上国と,少数派の先進国との間の激しい対立と,これを克服しようとする政治的な妥協の場となることは避けがたいとみられる。開発途上国の中には,沿岸から200カイリを領海としようとするグループ(ラテン・アメリカ諸国),同じ海域を「排他的経済水域」としてその資源の確保をはかろうとするグループ(ケニアを中心とするアフリカ諸国)などがあり,さらに先進国の中でも,同じ海域を「環境保護水域」として外国タンカーなどによる汚染から保護しようとするグループ(カナダ,オーストラリアなどの「沿岸国」)もある。これらのグループの主張は,いうまでもなく,自国周辺の海と資源(漁業資源・海底鉱物資源など)を先進海洋国の進出から守るために,自国管轄権の拡大をはかろうというところに,その真の狙いがある。他方これらのグループは,各国の管轄権の範囲を越えた海(海底を含む)と,その資源については,これを「人類の共同財産」として国際管理に服させるべきであると主張する。そして,この主張に対し最も有効な論拠を提供しているのが,ほかならぬ国連人間環境会議の“かけがえのない地球"的な思想であって,そこに,海洋法問題と環境問題の密接な結びつきが感ぜられる。たとえば,1972年10月から11月にかけて,ロンドンで開催された海洋投棄規制条約の作成会議は,ストックホルム会議の合意にもとづく最初の具体的成果であったが,同時にこれは,1年後に迫った第3次海洋法会議の前哨戦的性格を濃厚に帯び,いわば環境問題と海洋法問題の接点に立つ困難な会議であった。

とりわけわが国としては,ストックホルム会議やロンドン会議での経験が示すように,「公害先進国」として環境問題に人一倍強い関心を持ち,その解決のための国際協力にも積極的な姿勢を維持すべきであるという立場がある。また他方海洋国として,昔から漁業,海運その他の面で海にバイタルなインタレストを持ち,それゆえに,一般には「被害者」というよりむしろ「加害者」(資源略奪者,環境汚染者)の側に立つとみられる立場とがある。これらを,これからの厳しい国際環境の中でいかに調和させていくべきか―真剣な検討を迫られている。

 

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