-世界経済の流れ-

 

第15節 世界経済の流れ

 

1972年の世界経済の動向をみると,先進国においては,前年の停滞とはさま変りにほとんどの国が景気上昇過程に入り,おおむね順調な経済成長を示した。しかし,とくに欧州諸国では根強い物価上昇に対する悩みが深刻化した年でもあった。

発展途上国の経済も,先進国の景気回復の影響を受け,また一次産品市況の堅調もあって,全体として良好な環境の中に推移したといってよい。しかし共産圏経済はソ連,中国の農業不振もあり,計画に沿った順調な発展が達成できなかった。

 

1. 景 気 動 向

 

 (1) 先進諸国の動き

(イ) 景気の回復

1972年の先進国経済は,国際通貨情勢に不安定要因があったものの,ほぼ全年を通じて順調な景気回復過程にあつた。英国およびイタリアは出遅れたが,全体的にみて,景気上昇に足並みを揃えたといってよいであろう。0ECD経済見通しによれば,0ECD主要7カ国(米,英,仏,西独,伊,加,日本)全体の72年実質経済成長率は5.75%になるものと見積られているが,これは71年の3.3%を大幅に上回わるものである。

米国においては,すでに71年から景気回復の兆しをみせていたが,72年に入ると一段と力強さが加わり,72年全体として6.5%の実質成長を達成した。これは先進国中,日本に次いで第2位の高率であった。この力強い成長は,設備投資,個人消費支出の堅調および民間住宅建設が好調であったことなどがおもな要因であった。この景気回復の結果,71年末には6%であった失業率は73年1月には5%とかなりの改善を示した。

カナダ経済は,前年同様実質成長5.5%の堅実な成果を収めた。西欧主要国においては,フランスが71年来の好調を維持し,続いて西独も回復過程に入ったが,英国およびイタリアは出遅れた。英国では第2・四半期頃から回復に転じたものの,イタリアでは労働協約改定期にあたった昨秋,労働不安が再燃したこともあってはっきりした景気回復をみないままに年を終えた。

国別にみると,フランスでは,個人消費の伸びをおもな要因として71年に引き続き5%台の成長を維持した。金融政策は秋口から主としてインフレ政策の見地から引締めに転じ,財政政策は景気中立的な均衡予算の原則が維持されている。

西独については,71年が2.8%の成長に止ったのに比べ,72年は3%台の成長を回復した。しかし民間設備投資意欲が盛上がりを欠き,力強い上昇までには至らなかった。金融政策上は春先以来,主として景気浮揚および短資流入防止の見地から,金利引下げと過剰流動性吸収を組み合わせた政策が展開された。しかし6月のポンド危機に起因する通貨供給量の拡大を契機として,インフレ抑制のため,過剰流動性吸収策を強化するとともに,金利面でも秋に入ると,公定歩合の引上げ等引締め政策に転じた。

英国においては,景気回復にともない3月には約88万人であった失業者は年末には約73万人まで減少した。

なお73年1月には英,アイルランド,デンマークの3国がECに正式加盟して,いわゆる「拡大EC」が成立し,今後の世界経済の中で「EC圏」はさらに重みを増すこととなった。

また日本では,71年こそ6.7%と日本としては低い成長率に止ったが,72年はとくに後半の回復が著しく,9%台の成長を達成した。

(ロ) 物価の動向

1972年の物価動向は,高成長を達成した米国ではその上昇が鎮静化し,消費者物価上昇率は3.4%と諸先進国中最良の成果を収めた。これは71年夏以来の賃金・物価抑制政策が奏効したものとみられる。一方,西欧諸国では景気後退期のいわゆるスタグフレーションの状態が景気回復にともなって加速化された。これに対して各国は,72年秋から足並みを揃えて過剰流動性の吸収,公定歩合引上げなど金融引締め政策を採用し,さらに英国では賃金・物価の一時的凍結策が採用された。インフレ抑制はいまや欧州諸国にとって最重要の政策課題となっている。

日本では,円切上げ効果および72年初にはまだ景気が本格的回復過程になかったことから,72年の消費者物価上昇率は5%台と西欧諸国より低水準に止った。しかし72年秋から,米国および日本を中心に卸売物価の急騰がみられ,73年の物価動向が懸念されている。

 (2) 共産圏諸国における農業生産の不振

ソ連においては,酷寒と干魃の影響で穀物生産が不作であったため71年に比し4.6%減となり,大量の穀物輸入を余儀なくされた。また他のほとんどの農業生産も71年より減少した。一方,工業生産面でも6.9%の増産が計画されていたが,6.5%増に止った。72年の名目支出国民所得は約3,100億ルーブルとなり,実質6%の伸びが見込まれていたところ,4%の伸びに止った。

中国においては,干魃の影響で農業生産は71年に比べて減少した。工業生産については,伸び率は低下したものの,71年に比べて増加したものとみられる。

 (3) 発展途上国の経済

1972年の発展途上国の経済は,先進諸国の景気回復にともなう一次産品への需要拡大によって,好環境の中に推移した。それに加えて,錫,小麦,コーヒーなどの国際商品協定の締結および一部の国の不作による農産物不足が一次産品の価格押上げを通じて,発展途上国全体としてはプラスに働らいたものとみられる。

対発展途上国援助の停滞,天候不良による農業生産の停滞,先進国工業製品価格の上昇などのマイナス要因もみられたが,先進国の景気回復および一次産品価格の上昇によって,1970年以来発展途上国の景気拡大の鈍化をもたらしてきたおもな要因は解消されたものと考えられる。

1971年は,「第2次国連開発の10年」の実質経済成長率の目標値である6%を,発展途上国全体としてちょうど達成したが,1972年は,国によってバラツキはあるものの,全体としてこの目標値を越える成長を達成したものとみられる。

なお,この中で産油国経済は石油輸出の好調により,とくに高い成長を維持した。

 

2. 国際通貨情勢

 

 (1) スミソニアン体制下の1972年

1972年は,「スミソニアン体制」が曲りなりにも維持された年であった。すなわち同年6月末の英ポンドのフロートにより,「スミソニアン・レート体系」の一角は崩れた。しかし米国を含む主要国の,「ス体制」護持の強い意思に支えられ,投機攻勢による通貨危機の一触即発の状態は,辛うじて爆発にまではいたらなかった。

こうした関係各国の強い意思の背後には,米国については,秋の大統領選挙への配慮,EC諸国については,EC通貨統合計画の防衛と自国通貨の切上げ回避,わが国については円の再切上げの回避,といったそれぞれの思惑がみられた。しかし何よりも米国の意思が「スミソニアン体制」の維持に大きく与って力があったといえよう。

 (2) 変動相場制の長期化

しかるに年が替って間もなくの1月末,イタリアが二重相場制を採用したことがきっかけとなって,スイス・フランのフロート,激しいマルク投機を経て「スミソニアン体制」の脆弱性が一挙に露呈された。こうして発生した通貨危機は,2月12日のドルの10%切下げ,それに続く円,伊リラの変動相場制移行による為替レート体系の改訂にもかかわらず落着しなかった。投機の鉾先が,スイス・フラン,マルク,金を中心に循環的に向けられた結果,結局3月上・中旬にかけ,主要国の為替市場は再閉鎖を余儀なくされた。

この事態は,数次の国際的協議を経た上,英国,イタリア,アイルランドを除くEC6ヵ国の共同フロート,米国を含む主要国による市場介入など,投機対策上の協力に関する合意成立という形で結着がついた。しかし800億ドルに達するユーロ・ダラーや,それと同程度の額にまで膨張した米国の対外公的債務の存在を考えるとき,国際通貨情勢は,長期的通貨改革論議を通じて安定した通貨体制が確立されないかぎり,基本的には安定しないものとみられる。

いずれにせよ,ドルの信認回復は簡単には実現しないものと思われ,変動相場制の期間は相当長びくものと予想される。

 

目次へ