-大洋州の情勢- |
豪州では,72年12月の総選挙でウィットラム党首の率いる労働党が,マクマーン前首相の率いる自由・地方両党からなる連立政権を破り,労働党内閣が誕生した。他方,同年11月のニュー・ジーランドの総選挙でもマーシャル首相の率いる国民党が破れたため,カーク労働党内閣が成立した。この結果,大洋州では豪州,ニュー・ジーランド両国とも,長年政権の座にあつた保守党にかわって,労働党が政権を握ることになった。
豪州で労働党が勝利を得た原因としては,指導力,党の結束等において労働党が優れていたなどの要因があげられるが,基本的には,(i)豪州の産業構造および貿易構造の変化,(ii)これにともない都市問題,住宅・交通・公害問題,社会福祉問題など,さまざまの社会・経済問題が発生してきたこと,(iii)豪州人の国民意識自体の変化等に対応した労働党の「ビジョン」が,「現状維持」的な自由・地方党の政策よりも,国民にアピールしたものと考えられる。
ニュー・ジーランドでも,主として,社会・経済問題に対する国民・労働両党の政策が,選挙の結果を左右したものと考えられ,豪州同様,ニュー・ジーランド国民が変化を求めたものといえよう。
連立保守政権下における豪州の外交は,新しい国際情勢の推移を見きわめて慎重に対処する姿勢をとり,同盟国との関係強化,近隣諸国との友好関係促進に重点をおいていた。ボーウェン外相のインド,パキスタン,バングラデシュ訪問(72年5月),マクマーン首相のインドネシア,シンガポール,マレイシア訪問(同6月)などは,アジア諸国との関係緊密化の努力の現われである。それと同時に,米,英,ニュー・ジーランドなどとの友好関係の保持,ANZUS,SEAT0,五ヵ国防衛取極等の維持にも引き続き努力を払った。他方,中国,ソ連との関係については大きな変化はみられなかった。
ニュー・ジーランドについても,豪州の外交政策と同様,対外関係における慎重な姿勢がみられた。マーシャル首相は,72年6月中旬に豪州を訪問したが,英国との関係の持つ比重が低下しつつある中で,ニュー・ジーランドが豪州との関係をより重視しつつあることを示したものとみられた。
これと対照的に労働党政権誕生後の豪州,ニュー・ジーランドはアジア,太平洋地域に対する関心を強め,一連の積極外交を展開している。ニュー・ジーランドはそれでも比較的慎重な動きを示しているが,とくに豪州新政権の外交は,理想主義的性格を強めている。中国,東独,北越の承認に続いて北朝鮮とも接触を開始しているほか,対英米関係も自主的な態度を強めている。また同国はASPACに代わるべきアジア・太平洋地域の新しい地域協力機構のあり方につき独自の模索を行なっている。
ただ豪州,ニュー・ジーランドとも,今後の外交を進めるにあたって,両国間の緊密な協議が必要だと考えており,このためウィットラム豪州首相は,首相就任後最初の外国訪問先にニュー・ジーランドを選び(73年1月),カーク首相と会談を行なつた。この首脳会談後発表された共同コミュニケによれば,両国が自らの安全と繁栄をアジア・太平洋に求めるという基本姿勢がうかがわれる。その後のウィットラム首相のインドネシア訪問(73年3月),ニュー・ジーランド国防相のアジア諸国歴訪等の動きは,このような基本的なワク組の中でとらえることができよう。