-その他の重要外交文書等-

 

(4) ニクソン大統頒の外交教書(日本関係部分要約)

 

(昭和47年2月9日)

 

1. 日本は米国にとつてアジアにおけるもつとも重要な同盟国である。米国にとって日本は第2の貿易相手国である。安定した世界平和達成のためには,日本は欠くべからざる国である。米国の安全,繁栄,世界政策等は日米関係に不可分に密接にむすびついている。日米両国が,共通の目的を達成するためには,両国が協力し,責任を分かち合う必要がある。

2. 昨年は,両国の関係が非常に重要な時期を迎えた年であった(last year was critical for our relationship)。昨年は緊迫のあつた年ではあつたが,同時に前進のあつた年でもあつた。両国の間には,ある問題については意見の相違があることが明白に認識されたが,その結果両国はかかる意見の相違を賢明かつ公正に処理することの必要性をより一層理解するにいたつた。

米国の中国及び経済問題に関する新政策は日米関係にとつて波紋を投げかけた。これら両政策は,世界情勢の変化がもたらした新しい現実に起因しているわけである。まさしくかかる理由のために,戦後の時期に根源があり,かつ,二極構造に基礎をおく日米関係に慣れていた日本に対し,前述の米国の新政策は不安を残す結果となつた。しかしながら,かかる日米関係は,時間の経過と日本自身の急速な経済発展によってすでに変化していたのである。つまり,1971年のショック(複数)は,遅かれ早かれ迎えざるをえず,回避しえなかつた。また長期的には望ましい日米関係の変化を加速せしめたに過ぎなかつた。日米関係は不可避的に変化の過程をむかえているが,それは,これまでの日米両国の同盟関係が失敗したからではなく,成功したことによるものである。

3. アジアの安定は,共同の防衛上の問題につき協力するとの米国の約束によつて支持されていた。米国の国防政策は日本の安全保障を確保するとともに,日本に前進基地をおいたことはその地域の安全保障に貢献した。

アジアの発展は,日本の経済発展によつて象徴され,米国の経済的結びつきによつて力づけられた。日本が発展すればするほど米国の援助努力と相まつて同地域の発展は一層促進された。

アジアの政治的自由は,日本が民主主義国家として復興したことにより,さらに強化された。日米両国が互いに民主主義国家として健全な政治的結びつきを有していることは,アジア諸国にとって民主主義の良い見本となった。

この関係は,戦後の米国外交の大きな成功の1つとして抜きんでている。第2次世界大戦の悪夢から目本が経済的にも心理的にも復興するための支えを与えることが日米関係の目的であつたが,今やこの復興は完成した。

日本人は再び世界列国の中の第1級の国として確固たる地位を築きあげた。日米関係は,今や相互主義を必要とする。

4. 島国であることにもより、日本がより広い地域的ないし世界的な同盟関係を他国と結ぶことは,伝統的に限られた事例であり,また,永続的なものではなかつた。日本の復興が進めば進む程,日本が国際問題においてより自主的な役割を演じることは明らかであった。過去20年間は過渡的な期間とみられるべく,この間日本は米国の経済面における支援と軍事的な保護に依存しつつ,その社会的一体性を再確立し,日本自身のより独立した国家的役割を確立した。

5. 1969年までには日米関係に累積していた緊張は相当程度明白であつた。

日本が力をつけ,誇りを持ちはじめて来たという政治的かつ心理的な側面を米側としても十分認識する必要があつた。沖縄は25年以上米国の施政権下にあつた。沖縄問題は,日米間の新しい現実を反映するように解決されないならば,日米友好関係を阻害することとなろう。

6. 米国は,日本が世界第3位の経済大国となつている事実を反映すべく,日本との経済関係を調整する必要があつた。日本は米国にとつて海外における最も大きな市場となつたが,同時に米国の国内,国外における強力な競争相手となつた。日本は米国の自由貿易政策によつて大きな利益をうけた。しかし,日本は自からの市場の解放を制限し,それにより米国の貿易収支に不均衡をもたらした。かかるやり方は,時代錯誤的であり,日本の経済力からみても矛盾の多いものであり,経済的相互性に欠け,これは永続きし得ようはずがなかつた。

日米両国は,アジアの開発に貢献するために協力する必要があり,日本の政治的安定と経済力は,大きな貢献をすることを可能とした。さらにアジアにおける日本の貿易及び投資は,同地域が安定することが日本自身の利益になるということを明らかにした。

中国が他の諸国とより建設的な関係をもとうとすることにより,日米両国が中国政策についてより頻繁に協議し,ひいては日米それぞれの中国政策を調和するという問題に直面することとなろう。

日本は産業及び技術の進歩により通常兵器による防衛能力をもつに至つたが,戦略面における安全については,米国の核戦力に依存している。また,日本は憲法上,政治上また心理的諸要素と近隣アジア諸国との関係があるため,海外派兵はできない。安保条約は,日本の利益に合致するものであり,同時に米国の利益にもなるものであつた。しかし,日本が力と誇りを再び持つことに至つた後には,日米の防衛関係もまた変わつて来よう。

7. われわれは望んで変化を求めたのではなく,変化の力学に直面したのである。日米双方にとつて有益であるパートナーシップを今後とも引続き保持することはいうまでもないことである。問題は,いかにしてかかる日米関係に平等と相互性を導入するかという点にある。

まず日米双方は,沖縄問題の解決から始めた。1969年11月私は佐藤総理と会談し,沖縄返還の基本原則について合意した。復帰に係る問題は数多くあり,また,困難なものであった。沖縄の米軍施設は日本を含む東アジアの安全に貢献する中心的存在であつた。四半世紀にわたり米国の施政権下にあつたことにより,復帰前に解決を要する多くの政治的,経済的問題があつた。昨年日米間の交渉は妥結し,第2次世界大戦の最後の痕跡が除去された。米国は,沖縄における軍事施設は維持するが,これは本土と同じ条件の下に維持するものである。本年早々佐藤総理の要望により私は返還を早めることに合意した。日本が政治的に自已の主張をすることの必要性があるとの認識に基づき,日米両国の友好関係の障害となつていたこの問題の解決をみたわけである。

8. 日本はアジアにおける経済協力に大きく貢献しており,日本のかかる努力を米側は歓迎する。日本はGNPの1%を援助にあてる方針であり,この目標は達成されんとしている。米国は日本が無償及び低利の援助割合をふやすことを望んでいる。日本はアジア開発銀行や,インドネシアやフィリピン援助に関する国際協力においても重要な役割を果たしている。

9. 日本は,通常兵器による防衛能力増強を計画しており,これは,日本の自己依存と,より大きな責任の認識を反映するものである。かかる歓迎すべき動きは,日本及び沖縄における米軍の施設の整理・統合の動きと平行している。

ここ数年来,日本はその国力に一層応じた役割を世界において果たしつつある。しかし,もつと相互主義に基づいた日米間のバイラテラルな関係を築き上げる点についてはそれ程の進歩がみられない。今年に至るまで日本人は日本が米国に依存していることにより米国が政治的に独自の政策をとることはないと考えていたが,他方日本における政治的諸問題のために日本はある程度独自の政策をとるにいたつた。同様に経済関係においても,日本は米国のヨーロッパの同盟諸国と同様,米国の自由貿易制度を当然のものとして受取り,自らの立場をその見返りとして解放することを避ける傾向にあつた。

(政治,経済両面に関する)これらのやり方は理解できないものではないが,永続すべき日米協力関係をもたらすためには障害になるものであり,昨年はまさにこのことが証明されたわけである。

10. 私が北京を訪問するという昨年7月15目の発表が日本に対して大きな影響を与えるであろうことは知つていた。同発表後中国政策及びアジアにおける日本の役割という問題が,日米関係において最前線の問題となつた。日本にとつて中国問題は米国におけるより以上に大きな問題であり,地理的,文化的,歴史的,また,貿易の上からも中国問題は日本の内政及び外交上の重要問題である。かかる根本的重要問題に関し,日米間に意見の相違があることが示唆されるようなことがあつたとしたら,日本がそれにより動揺をうけたとしても不思議ではない。

他方,アジアにおける対立を終結せしめ,中国との関係を改善することが日米双方にとつて基本的利益となることは明白であつた。日本はすでに中国の最大の貿易相手国であり,経済上の関係のみならず,貿易事務所も中華人民共和国においている。

従つて,問題は中国との交流が望ましいか否かではなく,この問題に関し共通の目標を持ちつつも時折り生ずる異なつた展望と利害をいかにして調和するかという点にある。

米国に関してはすでに明らかにした通り,北京訪問の目的はそれぞれの政策の相互理解を深めることにあり,米国の同盟諸国の利益に悪影響をもたらすような2国間の取極を話し合うことはしない。永年米国と対峙してきた国との交流を改善するために古くからの同盟国との友好関係を犠牲にするようなことは米国の意図するところではない。

従つて,日米間に中国問題に関し,信頼の不足を感じさせるようなことはない。この教書の中国問題に関する部分において,大統領訪中発表に先立ち,同盟諸国と何故協議できなかつたかについて説明した。その後,米国は非常に広く協議してきた。米国は,就中日本に対し,アジアの緊張緩和と日米友好関係の維持との間にある基本的な調和につき保証するため特段の努力を払つてきた。

サン・クレメンテにおいて佐藤総理と会談し,日米間の政策,目的などについて十分話し合つた。この会談は私の北京訪問に関し欠くことのできない準備の一つであつた。

日米双方は異なつた道を歩んでいるのではなく,また,自主性のある政策をとつた、としても,両国がお互いの政策を密接にからみ合わせる必要性があることにつき認識している限り,日米両国関係に問題を引き起こすものでもない。

さらに調和と協調が日米双力にとつて本質的に重要な要素であり,平等と相互主義にもとづく日米間の新しい関係を築きあげる上において,日米双方は無用な競争をしてはならない。変化しつつある世界においては,日米双方共,過去の憎しみを除去することに関心をもつものである。

日米の同盟関係は今や安定したアジアの強固な基礎とならねばならず,その上に両国は自信をもつて反対者とのより一層均衡のとれたより建設的な関係を求めることができよう。

11. 昨年は日米関係に経済的ショックをもたらした年であつた。昨年の外交教書において私は,日本が輸入及び対外投資に対する規制を緩和する必要を認めたことに満足の意を表明したが,その進行ぶりは遅々としたものであつた。

その間にも米国の経済的相互主義の必要はかつてないほど緊要なものとなり,米国は広範な経済関係の調整を是非とも必要とするに至つた。

米国の同盟国が経済的力を回復した現在かつての貿易金融体制の改善は避けがたいものとなり,米国としては,貿易収支及び国際収支の問題を多国間で解決するための措置をとらざるを得なくなつていた。

71年中頃までで日本の対米貿易黒字はそれ以前の年の2倍にも達したが,このように時代錯誤的(anachronistic)になりつつある円レートの大幅な調整は米国にとつて必須のものと思えた。

米国は同盟国に対し辛棒強く貿易通貨体制改革の必要を説いたがうまくいかず,かくして米国は8月15日に一連の一方的措置を発表した。

米国はこうした措置が,主要貿易相手国特に米国との関係が深く,対外貿易に大きく依存している日本に重大な影響を与えるであろうということは知つていた。しかし,米国は,より公平な通貨貿易関係を打ちたてるためにはもはやこれ以上の遅延は許されなかつた。

過去6ヵ月間に,12月の通貨調整,一連の二国間交渉-特に9月の日米合同委-により,この目標に向かつてかなりの進展が見られた。

また10月には米国は,米国市場への日本の化合繊輸出の伸び率を抑制する-しかし依然輸出の伸びは許している-という協定によつて日米貿易関係における一つの里程標を越えることになつた。繊維問題は,両国において重大な政治的経済的側面を有しており,日米関係においてきわめて刺激的な(irritant)問題となつた。日米間の全般的関係にも明らかに悪影響を与えた数カ月間の困難な交渉を経て,10月15日の協定によりこの厄介な(vexing)問題はその解決を見るに至つた。

12. 従つて,両国関係が引き続き繁栄するために必要とされる2つの真実が昨年劇的にも表面化したのである。両国はその関係を調整する必要があり,また,両国の利益に合致する方法でその調整を行なう能力を有している。両国の将来の友好関係は,意見の相違を無視することによつては保持されず,また,お互に完全なる友情の雰囲気を保たんがためにその利益は二のつぎにされるであろうとの期待感をもつことは問題の解決にならない。

両国関係の継続は両国にとつて極めて重要なものであり,雰囲気にだけこだわつて実質的諸問題をさけてとおると云うことは許されないのである。

米国が昨年とつた諸措置の若干のものが日本政府を困難な立場におき,また米国のかかる措置の結果日本がより独立した政策をとる方向に動いたことも事実である。日本を困難な立場においたことは遺憾であるがそうせざるをえなかつた。日本がより独自に政策決定をするようになつたことは回避し得ざる,かつ,望ましいこととして歓迎する。1970年代の日本の現実の力を反映するものとして回避し得ない動きであり,また両国関係が1970年代に要請されるより成熟した相互的なパートナーシップヘと変質する過程における必要なステップとして望ましい動きなのである。

13. 日本が米国の最も重要なアジアの盟邦であり,両国間の相互依存関係は将来一層強くなるであろう。国際問題に関する日米間の友好協力関係は,両国の必要とする安定したアジアひいては両国の求める世界平和にとつては必要不可欠である。

かような信念に基づいて,私は,御在位中の天皇・皇后両陛下としては史上初めて海外旅行をされた天皇及び皇后両陛下を米国の領域に歓迎するためアラスカヘ赴いたのである。

また,かような信念に基づいて,日米両国政府間に広範かつ独得な折衝網をきづいてきたのである。例えば,9月には日米双方の7閣僚の出席をえてワシントンにおいて合同委員会を開き,両国関係につき広い視野からかつ権威ある検討を行なつた。

1月に佐藤総理と私がサン・クレメンテにおいて会談したのは,両国の政策を調和させるためであつた。総理と私は昨年の出来事のすべての側面を検討し両国の課題につき意見を交換した。

私は,日米両国関係において調整が求められているということは米国が日本の新しいステータスを認識していることを如実に物語るものであり,日米同盟関係の役割に疑問を持つているものでないことを強調した。私は佐藤総理及び出席閣僚と会談した結果,日本もまた日米間の健全な政治的関係が日本の利益及びアジア並びに世界における共通の目標にとり必要不可欠であると考えていることに自信を深めた。

14. 調整の過程は時には骨の折れることである。然し,1971年には,われわれの予定表にある最も重要な諸問題のいくつかにつき,調整を行なうことにより日米間の調整が可能なことであることがわかつた。最近の正当化されない自己満足は,今や解消し,両国は直面する課題が何であるかを十分認識するにいたつている。この事実こそ将来の日米協力関係が一層深い信頼関係におかれることとなることを示しており,しかして,かかる協力関係は両国民に恩恵をもたらすのみならず,平和と繁栄を求める世界の希望にも合致するものである。

 

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