-沖縄返還協定及び関係資料-
7. 復帰後の沖縄における外国人及び外国企業の取扱いに関する愛知外務大臣発マイヤー駐日アメリカ合衆国大使あて書簡
拝啓
本大臣は,1969年11月21日に発表された佐藤総理大臣とニクソン大統領との間の共同声明第9項並びに復帰後の沖縄における外国人企業の取扱いに関する両国政府の代表者の間の最近の会談に言及し,日本国政府がこの問題を同情的に取り扱うことを希望して次の方針を決定したことを貴大使に通報いたします。
I 事業活動
1 各企業は,日本国の外資に関する法得に基づく認可及びある種の事業活動については,日本国のその他の法得に基づく免許又は許可を受けるため,沖縄の復帰の後妥当な期間内に申請を行なう必要がある。ただし,個人営業者は,外資に関する法律に基づく認可を受ける必要がない。
2 日本国政府は,本日現在沖縄において適法に事業を営んでいる外国の企業及び個人営業者が現に有効な琉球政府の免許又はその他の許可によつて行なつている事業の継続を確保するため,1の手続に従い,それらの企業及び個人業者に対しすみやかに1の認可,免許又は許可を与える。ただし,
(a) 当該認可,免許又は許可については,新たに事業所を開設し又は現在の事業所を沖縄外の日本国の地域に移転することは含まず,そのような開設又は移転のためには別途申請を行なう必要がある。
(b) ある種の企業は,日本国の関係当局との間の了解に従い日本国政府の要請した調整を行なう必要がある。
3 1及び2の手続が完了するまでの間,関係企業が事業の継続を許されるため,必要な経過措置がとられる。
4 前記の企業及び個人営業者は,2の条件に従う限り,沖縄の復帰の後,日本国の関係法令に従い,日本全国において取引を行なうことができる。
II 私有財産
1 復帰後の沖縄における外国人及び外国企業の私有財産は,適法に取得された私有地及び家屋の所有権及び賃借権を含め,本土における外国人及び外国企業の私有財産の場合と同様に,日本国の法令の下で尊重される。
2 技術援助契約,受益証券,社債,貸付金債権及び経営に影響を及ぼすことがない株式取得に係る元本及び利潤について外貨支払の保証を得ることを希望する外国投資家は沖縄の復帰の後,そのような契約又は権利について外資に関する法律に基づく認可の申請を行なう必要がある。その認可は,すみやかに与えられる。
III 国有地及び県有地の賃貸借
沖縄における国有地及び県有地の賃貸借については沖縄の復帰の後1年間現在と同様の条件でこれを継続することができるよう必要な措置がとられる。その後の賃貸借については,その1年の期間中に関係当事者の間で取りきめることとする。
復帰後の沖縄における国有地及び県有地の賃貸借は,日本国の法令に基づいて行なわれ,また,合衆国の賃借人は,外国人であることを理由として差別されることはない。
IV 外貨送金
1 外資に関する法律に基づく認可を受けた投資に係る元本及び利潤については,交換性のある外貨に交換し及び自由に外国へ送金することが同法によつて保証される。個人営業者の場合には,利潤及び清算代金の送金は,確認を経たうえ自動的に認められる。
2 沖縄の復帰の時点において沖縄の銀行にドル預金を保有している外国人居住者は,復帰の後,引き続き当該ドル勘定を保有し又はこれを円勘定に交換することができる。
それらの勘定の外国への送金は,外国為替及び外国貿易管理法に定めるところによる。
V 自由職業者
復帰後の沖縄における外国人自由職業者の取扱いは,次のとおりとする。
1 弁護士
1971年1月1日前から沖縄において継続して業務に従事している外国人弁護士は,日本国の最高裁判所の承認を受けること及び沖縄に法律事務所を保有することを条件として,沖縄の復帰の後,外国法に関する弁護士業務を従前どおり行なうことを認められる。
2 医師及び歯科医師
(a) 沖縄の復帰の日現在沖縄の関係法令に基づく医師又は歯科医師の免許を受けている外国人の医師及び歯科医師は,沖縄の復帰の後相当の期間沖縄において従前どおりその業務を行なうことを許され,また,その期間中日本国の法令に基づき医師又は歯科医師の国家試験又は国家試験予備試験を受ける資格を認められる。 それらの試験は必要に応じ英語で行なうものとし,英語で試験に合格した者は,沖縄においてその業務を行なうことを許される。
(b) 那覇市のアドヴェンティスト・メディカル・センターにおいて医務活動を行なうため復帰後の沖縄に来る医師及び歯科医的については,同センターの業務を継続する必要性を考慮し,日本国の法令に基づき医師又は歯科医師の国家試験又は国家試験予備試験を受ける資格を認める。それらの試験は,必要に応じ英語で行なうものとし,英語で試験に合格した者は,同センターにおいて医務活動を行なうことを許される。
3 獣医師
沖縄の関係法令に基づく免許を受けている獣医師は,復帰後の沖縄においてその業務を行なうことを認められる。
4 公認会計士
沖縄において適法にその業務を行なつている公認会計士で,合衆国その他の外国において日本国の公認会計士の場合に相当する要件を満たす者として資格を与えられており,かつ,会計に関する日本国の法令について十分な知識を有するものは,日本国の大蔵大臣による資格の承認及び日本公認会計士協会への登録を経たうえ,その業務を行なうことを認められる。その承認は沖縄の復帰の後すみやかに与えられる。
VI 課税
1 日本国政府は,復帰前の沖縄における活動及び財産につき,沖縄の復帰の後新たに日本国の税法に基づき遡及して課税する意図を有しないことを確認する。このことは,日本国政府が,外国企業の活動及び財産であつて復帰前の沖縄において沖縄の税法(民政府布令を含む。)に基づいて課税されるべきであつたものにつき,当該税法によつて適正に課税されていない場合には沖縄の復帰の後,日本国の法律としての効力を認められることとなろう沖縄の税法(民政府布令を含む。)に基づいて課税する権利を放棄することを意味するものではない。
2 (a) 日本国政府は,青色申告に係る欠損金で沖縄の法人税法により繰越控除の対象となりうるが実際にはその適用を受けていないものにつき,原則として沖縄の復帰の後,日本国の法人税法による繰越控除を認める。青色申告に係る純損失で沖縄の所得税法による繰越控除の対象となりうるものについても,同様とする。
(b) 地方公共団体が課する事業税及び住民税についても,(a)と同様とする。
VII 輸入割当て
日本国政府は,1970年11月20日の閣議決定に示すとおり,日本国の関係法令の適用が沖縄における民生及び事業活動に及ぼすことのある影響を緩和するため,必要に応じ,沖縄への物資の輸入につき品目ごとに特別の配慮をする。
数量制限物資の輸入については,日本国政府は,前記の閣議決定を照らして,各企業に対し沖縄へのその輸入の実績に基づいて割当てを行ない,また,需給関係特に照らして合理的な輸入増加の必要性をも考慮する。
日本国政府は,前記の閣議決定に示す政策の実施及び輸入割当てにあたり,外国企業に対して差別的取扱いをしない。
VIII 放送事業
極東放送会社の運営に関し,日本国政府は,沖縄の復帰の後,同社に対する無線局の免許につき次のとおり必要な措置をとる。
1 日本国政府は,日本国の関係法令に従い,財団法人極東放送による日本語の放送を許す。
2 極東放送会社が現在行なつている英語の放送については,沖縄の復帰の後5年間この放送を継続することが認められる。この放送は,目本国の関係法令の定める条件に従つて行なう。
敬 具
1971年6月17日に東京で
日本国外務大臣 愛 知 揆 一
アメリカ合衆国大使
アーミン・H・マイヤー殿
琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定署名にあたつての佐藤総理大臣談話 |
昭和46年6月17日
本日,国民多年の念願であった沖縄返還協定が署名されたことは,まことに喜びにたえません。私は沖縄県民の心情に思いをいたすときまことに感慨無量なものがあります。この偉業を可能ならしめた日米両国民の英知に深く敬意を表するものであります。
日米間における多年の懸案であつた沖縄返還問題は,昭和44年秋の日米共同声明によつて核抜き,本土並み,1972年返還の基本的合意をみて以来,両国政府間でその具体化に全力をあげて取り組んでまいりました。その結果,協定の発効をまつて祖国復帰が実現する運びとなつたのであります。
返還協定は新しい沖縄県への出発点となるものであります。政府は沖縄経済の振興をはかり,県民の福祉を達成するため,多くの国内施策の準備を着々と進めております。協定の批准手続きとともに,国会の審議をへてこれらをすみやかに実施に移し,豊かな沖縄県建設に最善をつくす所存であります。また沖縄県民の米国に対する請求の問題については復帰後国内的にも適切な措置を講ずる方針であります。
私はかつて「沖縄の祖国復帰が実現しない限りわが国にとつて戦後は終らない」と述べましたが,いまや返還協定署名によつて日本が真の意味で戦後を脱し,1970年代の新しい世界,とくに太平洋新時代に向って進むべき時がきたことを確信するものであります。
私はこのような新しい時代に向つて進むわが国の前途に思いをいたし,ここに決意を新たにして,内外にわたる国民的課題解決のため最善をつくす所存であります。国民各位のいつそうのご協力を念願してやみません。
署名式における佐藤総理大臣挨拶
昭和46年6月17日
ロジャーズ国務長官閣下,マイヤー大使閣下,ご参列の皆様
この歴史的な沖縄返還協定の調印にさいして,慶祝の言葉を申し述べることは私にとつて何よりも大きな喜びであります。
ニクソン大統領は1969年11月の日米共同声明に明記された数々の決定を下すにあたって,最高度のステーツマン・シップを発揮されました。爾来,両国政府は鋭意交渉を進め,ここに相互に満足すべき合意に到達したのであります。私は両国の立法府によつてこの協定が承認され,明1972年のなるべく早い時機に沖縄の祖国復帰が実現することを心から願うものであります。
今回の沖縄返還協定は,日米両国間の信頼と友好関係をいままでのいかなる時期にもまして緊密にして強固なものとするものであります。同時に,日米両国が協力してアジア・太平洋地域ひいては全世界の平和と繁栄に貢献して行く新時代の誕生を意味するものであり,この協定の歴史的意義はまさにここにあるものと確信いたします。
近年における日米両国の経済交流は史上空前の規模に達し,このためときには調整を要する問題が発生しておりますが,これはむしろ,両国関係のダイナミズムを象徴するものであると考えます。互譲の精神をもつてすれば現在直面している問題で解決し得ないものはなく,将来に予見される諸問題においても全く同様であると確信いたします。
私は,沖縄返還において示されたニクソン大統領ならびに米国民の広い雅量と豊かな人間性に心から敬意を表するとともに,アメリカ合衆国のいつそうのご発展を祈つてやみません。
沖縄の皆様,本当に永い間ご苦労さまでした。皆様を本土に迎え入れる日がいよいよ迫つてまいりました。こんごは円滑な復帰の実現と明日の明るい沖縄県づくりを目指して,本土の同胞と協力一致,まい進しようではありませんか。ありがとうございました。
署名式における愛知外務大臣挨拶
昭和46年6月17日
本日,琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定の署名に当り,ひとこと御挨拶申し上げます。思えば1969年11月の,佐藤総理大臣とニクソン大統領との間の歴史的な日米共同声明発出以来1年有半にわたつて本協定作成のため日米両政府間でたゆみない努力が続けられました。さる6月9日パリでロジャーズ長官と私との間で最終的合意に達しましたが,その際ロジャーズ長官とはテレビを通じてまたお会いすることをお約束し合いました。いま史上はじめての宇宙中継を通じて同時署名が行なわれることとなり,喜びこれにすぎるものはございません。
この協定は,沖縄100万の同胞をはじめ日本全国民の悲願にこたえつつ,今後永きにわたる日米両国の友好親善関係を確固不動の基礎にのせるものであることを確信いたします。そして,本協定が一日も早く効力を発生し,すみやかに沖縄の祖国復帰が実現することを強く期待します。
1971年6月17日沖縄返還協定署名に際してのニクソン米大統領のあいさつ(仮訳) |
佐藤総理大臣が1969年11月にワシントンを訪問された際,同総理と私は,1972年における日本への沖縄返還のための取決めについて日米両国政府が協議することに意見が一致しました。本日署名された協定は,そうした交渉の終了を示すものであります。本協定は,その重要性のゆえに,助言と同意を求めるため上院に提出されることになつています。私は,上院に対し,かかる助言と同意を与えるよう要請するつもりであります。
両国の交渉当事者が多くの困難な問題を解決することを可能にした友情と相互尊敬の念は,日米両国ひいては全世界の引続いての進展のために,平和のうちに協力して事に当ることを可能にするものであると私は確信します。
日本国民のみなさま,ならびに指導者の方々のご多幸を祈念致します。私達はともに,今日のこの日を強く誇りとするものであります。
STATEMENT BY PRESIDENT RICHARD M.
NIXON ON THE OCCASION OF THE OKINAWA REVERSION
AGREEMENT SIGNlNG, JUNE 17, 1971
When Prime Minister Sato visited Washington in November 1969, he and I agreed that our governments would consult together on arrangements leading to the reversion of Okinawa to Japan in 1972. The Agreement signed today marks the conclusion of those negotiations. Because of the importance of this Agreement, it will be submitted to the Senate for its advice and consent. I will urge the Senate to give its advice and consent.
The friendship and mutual respect which enabled our negotiations to resolve the many difficult issues will, I am sure, enable us to work together in peace for the continued progress of our own two countries, and for that of the entire world.
My best wishes to the people of Japan, and to their leaders. We both have much to be proud of this day.
1971年6月17日,沖縄返還協定署名に際してのロジャーズ米国務長官のあいさつ(仮訳) |
総理大臣閣下,外務大臣閣下
本日,両閣下ならびに日本の国民のみな様にお話しすることは私の光栄とするところであります。われわれは,外交史上誇るべき瞬間をともにわかち合うために,太平洋上のインテルサット通信衛星によつて地球の反対側にそれぞれ結ばれているのであります。われわれはまもなく,わが両国の英知と優れたステーツマンシップとを立証する文書に調印するのであります。現代の宇宙技術によつて,われわれが代表する3億人の両国民の目の前で調印を行なうのであります。これはまさしく歴史的なことであり,その行ない方というよりは,何が行なわれようとしているか,という点において,前例のないことであります。米国は,これから行なおうとする行為によつて,日本に対して沖縄の完全な施政権の返還を協定するのであります。
きようの調印は,もちろんまだ道程の終わりではありません。両国の交渉者が作り出したこの取決めは,ニクソン大統領と佐藤総理大臣が1969年11月に留意した通り,それぞれの立法府の承認を必要とします。しかし,アメリカの国民は,その選出した代表者を通じて,この取決めが賢明であることに同意すると確信しています。
ここで二つの個人的なユメントをしたいと思います。一つは,総理大臣や大統領は大きな決定は行なえるが,これら決定の成否は,彼等の代表がその決定に形式と実質的内容を与える能力にかかつています。ここで,わが両国それぞれの国家的利益のために大いに役立つこの協力を作り上げるために長い間懸命に努力された交渉当事者に対して,日本国民もアメリカ国民も厚く感謝すべきであると思います。彼らの成果は,知性と善意と勇気によつて日本と米国が当面する共通の問題に対して健全な解決を作り出すことが可能であり,太平洋地域の平和と繁栄の維持のために両国は今後も続けて貢献することを実証しているのであります。
米国にとっては,きようの調印は実際の返還より以上の意義をもつものであります。われわれアメリカ人は,この4分の1世紀にわたつて,この島じまとその住民のために誠意をもつて建設的に諸事とりしきるよう努めてきましたが,これを誇りに思うものであります。しかし,それ以上に,沖縄の住民と日本国国に対して約束したことばを実行することを,一層の誇りに思うのであります。
ここに,沖縄の方々に一言申し述べさせていただきたいと思います。きようの調印は,みなさまの日本への復帰を達成する一歩手前まできたことを示すものであります。われわれも,みなさまとともにその復帰の日を期待しています。この26年間の関係にしるされている友情と協力をわれわれは感謝し,今後もそれが続くことを切に願うものであります。
終わりにアメリカ国民に代つて日本国民に一言申し上げたいと思います。日本のみなさまに敬意を表し,この歴史的な日,それはみなさまにとつて大きな喜びであり,われわれにとつては大きな満足であるこの日に,ご幸福をお祈りします。
STATEMENT BY AMBASSADOR ARMlN H. MEYER
ON THE OCCASION OF THE OKINAWA REVERSION
AGREEMENT SIGNlNG,JUNE 17, 1971
1. Today is a major landmark in U. S.-Japan relations. President Nixon and Prime Minister Sato in their Joint Communique of November 1969 agreed that consultations would begin, designed to effect the smooth transfer to Japan of administrative rights over Okinawa. The Joint Communique provided that negotiations would be carried out with a view to accomplishing reversion during 1972 subject to the conclusion of specific arrangements and with the necessary legislative support. With the signing of the Reversion Agreement today, understandings on specific arrangements have now been concluded, and we enter the period of legislative consideration with every expectation that the reversion will occur in 1972.
2. Our two governments have agreed through peaceful negotiations to return Okinawa which was acquired as a result of hostilities and administered by the U.S. for a quarter of a century. This is an historic act.
3. During the period of U.S. administration, the United States has devoted significant efforts to promote the welfare of the people of Okinawa. Much progress was made. Throughout the negotiations just concluded, the wishes of the people of Okinawa have been taken into account.
4. The Joint Communique and this Agreement make clear that the U.S. fully recognizes the Japanese Government's policy and the sentiments of the Japanese people with regard to nuclear weapons. The return of Okinawa will be on a completely homeland level. U.S.-Japan Security Treaty, and the Status of Forces Agreement with related arrangements will apply to Okinawa exactly as in Japan after reversion.
5. The United States has decided that some U.S. military facilities in Okinawa can be released very soon, and others as of the date of reversion or shortly thereafter. As has been true in Japan, the United States will keep under continual review its needs for facilities and areas used by the U.S. Armed Forces in Okinawa after reversion, and will return to Japan those no longer needed for the purposes of U.S.-Japan Security Treaty.
6. Consonant with the application of the Status of Forces Agreement to Okinawa upon reversion and the absence therein of any provision that would authorize the training of third country nationals in Japan, the U.S. Government will remove the U.S. Army Pacific Intelligence School from Okinawa. U.S. Forces in Okinawa will operate in full accordance with the terms of the SOFA as applied to Japan.
7. The purpose of maintaining an effective U.S. military mission in Okinawa is to assist in assuring the security of the Far East, including Japan. Thus, the U.S. base structure in Okinawa will be kept at a level appropriate to fulfill commitments envisaged in U.S.-Japan Security Treaty. Japan, of course, will assume responsibility for the defenses of Okinawa itself.
8. Today the people of Okinawa, Japanese and Americans can all be proud.
Our common hope is for peace in this region and in the world. To this end, the step we have taken today is a significant contribution and we shall be able to progress toward that goal of peace in closer harmony.
1971年6月17日,沖縄返還協定署名に際してのマイヤー駐日米大使の声明(仮訳) |
1 本日は,日米関係の上できわめて意義深い日であります。ニクソン大統領と佐藤総理は,1969年11月の共同声明で,沖縄の施政権を円滑に日本に返還する目的のために協議を開始することに合意しました。共同声明は,具体的取決めが締結され,かつ,立法府の必要な支持をえることを条件に,1972年中に復帰を達成するよう,話合いが行なわれることを規定しました。本日の返還協定の署名によって,具体的取決めをつくるという了解がここに達成され,われわれは,返還が1972年に行なわれることを一心に期待し,立法府による審議の期待にはいるわけであります。
2 日米両国政府は,戦争の結果取得され4分の1世紀間米国の施政下にあつた沖縄を,平和的な話合いを通じて返還することに合意しました。これは,歴史的な壮挙であります。
3 米国の施政期間中,米国は,沖縄住民の福祉を増進するために大きな努力を払つてきました。そして,多大の進展がなしとげられました。いまや終了した交渉を通じて,終始,沖縄住民の願望に考慮が払われてきました。
4 共同声明と本協定は,核兵器に関する日本政府の政策と日本国民の感情を米国が十分に認めていることを明らかにしています。沖縄の返還は,完全に本土並みで行なわれます。日米安保条約,及び地位協定並びに関連の諸取決めは,復帰後,日本本土の場合と全く同様に沖縄に適用されます。
5 米国は,在沖縄米軍事施設の一部はごく近いうちに,また他の一部は復帰時もしくはその後間もなく返還できるという決定をいたしました。これまで日本本土においてそうであつたように,米国は,復帰後も,在沖縄米軍が使用する施設及び区域の必要性を引き続き検討し,日米安保条約の諸目的のためにもはや必要とされないものは日本に返還する意向であります。
6 地位協定が返還と同時に沖縄に適用され,同協定には日本における第3国人の軍事訓練を許可するいかなる規定もないことにかんがみ,米国政府は,米陸軍太平洋情報学校を沖縄から撤去します。在沖縄米軍の活動は,日本本土におけると同様,地位協定の定めるところに完全に従うことになります。
7 沖縄に効果的な米国軍隊を維持する目的は,日本を含む極東の安全に資することにあります。従つて,沖縄における米軍基地は,日米安保条約上の約束を履行するのに適切な水準に維持されます。沖縄自体の防衛の責務は,もちろん日本が負うことになります。
8 きようは,沖縄の皆様,日本本土の皆様,そして米国人のすべてにとつて誇り高い日であります。当該地域及び世界の平和がわれわれに共通の願望であります。この目標のために,本日の一歩は重要な貢献であり,われわれはなおいつそう緊密な調和を保ちつつ平和という目標に向つて進むものであります。
沖縄返還に関する米国と日本との協定調印に際してのランパート高等弁務官の声明(高等弁務官府訳) |
1971年6月17日
米国と日本との間の沖縄返還協定の調印は,歴史的に重要な出来事である。この協定は,米国の施政権の日本への返還を達成するために必要な基本的諸取決めを明確にしており,日米両国の立法府による必要な承認とその他の適切な手続きを経た上で,沖縄住民が長い間求めてきた復帰の目標を達成することがこれによつて可能となる。
この協定は,長期間にわたる交渉の最終的成果を意味するものであり,その間,沖縄住民の必要や願望に対して可能な限りあらゆる考慮が払われてきた。沖縄復帰準備委員会は,その審議を通じて,また屋良行政主席その他の沖縄代表の意見を日米両国政府に伝えることによつて重要な役割を果してきた。
復帰は,米国と沖縄住民との関係に新時代をもたらすこととなる。施政権が日本に返還されるほかに,日本と米国との間の相互協力及び安全保障条約並びにそれに関連した諸取決めがそのまま沖縄に適用され,在沖縄米軍は本土駐留米軍と同じ地位におかれることとなる。
返還協定の調印によつて,今や,日米両国間に存在している友好と協力のきずなを維持するとともに,沖縄住民の生活と福祉を増進するような形で復帰を実現するための基礎固めができた。
今から復帰までの期間になすべきことは多々ある。高等弁務官として,また準備委員会の米国代表として,私は,私たちすべてが残された復帰準備作業を推し進める上で在沖縄米国当局の全幅の支援と協力を約束するものである。
屋良琉球政府行政主席談話
昭和46年6月17日
私は,沖縄返還協定の調印式を県民の皆さんとともにテレビを通し厳粛な気持で見守りました。私は苦難にみちた戦後20数年の歩みを省み,さらに郷土沖縄の歴史に思いをはせ,まことに感深いものがあります。終戦以来祖国に帰る日のあることを固く信じ,あらゆる困難をのりこえてひたすらに祖国復帰を要求し続けてきた100万県民の悲願並びに1億国民の民族的宿願が遂に達成されるのであります。復帰までにはなお日米双方における国会の審議,さらに批准の手続などが残つていますが,国内的措置は別として,返還の内容はこの協定でほとんど決つたわけであります。私は返還交渉は相手のあることでもあり,県民並びにわが国の要求がかならずしも全部満たされるものではないことを理解し,また佐藤総理大臣,愛知外務大臣をはじめ関係者の皆さんの御苦心と御努力についてもこれを多とし,敬意を表するものであります。しかしながら,県民の立場からみた場合,私は協定の内容には満足するものではありません。平和条約第3条に基づき施政権が米国に委ねられたことにより,沖縄には米国の恣意のままに膨大,かつ,特殊な軍事基地が建設され,県民はたえずその不安にさらされてきました。私は沖縄が復帰するに当つては,この基地にまつわる不安が解消されることを念願し,直ちにそれが全面的にはかなえられないにしても,基地の態ようが変つて県民の不安を大幅に軽減することを強く求めて参りました。ところがこの協定は「沖縄にある米軍が重要な役割を果していることを認めた」1969年11月21日の日米共同声明を基礎に返還を実施することをうたつております。「本土並み」といっても,那覇航空基地,与儀ガソリン貯蔵地,フィールエリア,モトブ飛行場,その他一部が帰されるだけて,嘉手納空軍基地,海兵隊基地,ズケラン陸軍施設第二兵站部,那覇軍港,宜野湾・読谷飛行場等をはじめ主要基地はほとんどそのまま残り,さらにSR71や第7心理作戦部隊等本土にはない特殊部隊も撤去されず,暫定とはいえVOAも存在するなど県民の切実な要望が反映されておりません。私は基地の形式的な本土並みには不満を表明せざるを得ません。私は今後とも県民世論を背景にして基地の整理縮小を要求し続けます。核抜きについてはかなり明らかにはなつたものの間接的表現に止まり明確な保障はなく,不安を残しております。対米請求権についても,復元補償につき米国が恩恵的支払いをする等の他は?らかた放棄されてしまいました。これについては国が責任をもつて補償する旨明確にすることを要請します。資産引継ぎも有償となり,それらはもともと県民に帰属すべきもので無償であるべきものとする県民の要求には沿つておりません。復帰の日が未確定のまま残されたことも県民の心を不安定にし準備に支障をきたすものであり,早急に確定するよう要望します。以上申し上げましたように協定の内容に県民の切なる要望には程遠い面のあることは遺憾であります。しかし,いずれにしましても返還協定は調印されたのであります。正に歴史的瞬間であります。私は去る大戦において祖国の勝利を信じつつ散華された幾多の英霊に対しこのことをつつしんで御報告申し上げ,ここに至るまでの100万県民の御労苦を謝し,佐藤総理大臣,愛知外務大臣をはじめ関係者の皆さんの御努力に敬意を表し,国にこれまで沖縄についてたえず関心を寄せ,御支援・御配慮をたまわりました1億同胞の御厚情を深く感謝し今後共沖縄のためにお力をかしていただくようお願い申し上げる次第であります。いよいよ念願の復帰が目前に近づいたのであります。しかしながら,反面なお幾多の困難な問題もあり,県民には不安もあり心配もあります。これは新生沖縄の陣痛とも申すべきものであり,私は県民各位が決意を新たにし,苦難にも耐えて,必らずやそれを乗り切つていかれるものと確信しております。この歴史的大転換期にあたり私達はお互い,並びに子々孫々の歴史と運命を開拓してゆく決意を固め,思想・心清又は立場の相異を超越して,100万県民の英智と総力を結集し,真に平和で豊かな新生沖縄の建設に努力することを誓うものであります。
沖縄返還目米協定調印に際し県民の決意を表明する琉球政府立法院決議 |
昭和46年6月18日
1965年8月19日,戦後初めて沖縄を訪問した佐藤総理大臣は,「沖縄の祖国復帰が実現しない限り,わが国にとつて戦後が終わつていない」との所信を述べ,その後今日まで,沖縄の施政権返還を国の最高政策として強力に対米折衝を推進し,1971年6月17日,「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」の調印が行なわれ,ここに民族の悲願として訴え続けてきた願望が名実ともに達成されることになつた。このことは,日米両政府の相互理解と信類による平和外交の一大成果として,われわれは喜びと感謝の意を表するものである。われわれ100万県民は,ここに目本国民としての誇りと責任を持ち,わが国の崇高なる理想と目的達成に参加し,民族繁栄に寄与するとともに,新沖縄県建設のため,総力をあげて邁進する決意を新たにするものである。
右決議する。