(昭和47年1月29日)
第68回国会の冒頭にあたり,わが国をめぐる現下の国際情勢を概観するとともに,わが外交の基調について所信を申し述べます。
(流動する世界情勢)顧りみまするに,過ぐる昭和46年を通じて,世界情勢には数々の大きな変化がみられました。アジアにつきましては,米中関係が対決から対話へ移行する傾向とあいまつて,ニクソン大統領の訪中計画が発表され,ついで中華人民共和国の国連参加が実現いたしました。朝鮮半島においては,依然緊迫した情勢が続いている反面,南北間の話し合いが開かれるなど,緊張緩和へ向かつての模索もうかがわれます。インドシナ半島の戦火は,不幸にしていまだ収まることなく続いておりますが,東南アジアにおきましては,四囲の情勢の新たな展開を背景として,地域内協力の推進など,自主,自立への道を探る動きが開始されております。東南アジアにおいては,インド,パキスタン両国の間に武力衝突が生じ,その後,幸いに停戦がもたらされたものの,なお解決すべき多くの問題が残されております。また中東においても,いまだ紛争解決の見通しが立たず,不安定な様相が続いております。他方欧州におきましては,東西関係に緊張緩和の趨勢がみられると同時に,英国等の欧州共同体への加入が決定され,統合の進展には誠に目ざましいものがあります。
ひるがえつて経済面につきましては,米国の新経済政策などにより,世界経済に大きな動揺と混乱が生じたのでありますが,幸いにして先進諸国間の国際協調により,現在一応の安定と均衡を回復しつつあるものと見受けられます。
(新しい国際連帯へ向つて)これら一連の変化を通じて明らかなことは,第1に,戦後の国際秩序が,今や一つの大きな転換期にさしかかつており,国際関係の基調は,かつての東西対立の時代から,今や多極化へ向かつての展開を示しつつあることであります。
第2に,かかる多極化の趨勢の中にあつて,諸国民,諸国家の間で,緊張緩和の方向へ向かつての努力が進められていることであります。近く行なわれるニクソン大統領の訪中,訪ソは,この潮流を端的に示すものであり,その成果が期待される次第であります。もちろん,地域によつては,情勢の流動化とともに,かえつて不安定が増大したり,あるいは不幸武力衝突の生じたりしている例も見受けられます。しかしながら,大きな流れとしましては,今や武力による対決ではなく,話し合いによつて問題の解決をはかり,かつ,そのための環境を作り上げようとする動きが,全世界を通じてうかがわれるのであります。
第3に,新たな秩序と安定が,国際的連帯感のもとで,徐々にではあるが,諸国間に形成されつつあることであります。貿易や通貨の面における国際協調は,戦後一貫して維持されてきた国際経済体制を,より一層現状に即応したものと改めようとする努力の現われであり,またその成果は,新たな秩序の形成のために,一つの礎石を築いたものにほかなりません。国際政治の面におきましても,安定と均衡を求める動きがあらわれており,東南アジアにおける地域内協力への動きや,欧州共同体の拡大と進展等もこのように見ることができましよう。
以上のごとき国際情勢の流れは,今後一層顕著となるものと予測され,多極化の現象の進行と相並んで,緊張緩和への模索と,新しい国際秩序と安定を求める動きは,ますます活発化してゆくものと思われます。このような変化と流動の時にあたり,わが外交に課せられた使命の重大なることは,言うをまちません。今やわが国は,多極化する世界の中で,新たな基礎の上に立つて,自らの方途を探り,国益を確保しつつ前進すべき時に,直面していると申せましよう。
以上わたくしは,現下の国際情勢の概観を試みましたが,次に,当面のわが外交の重要施策について,所信を申し述べます。
(日米関係)わが国にとりまして,米国との関係は,他のいかなる国との関係にもまして重要なものであります。日米両国間の緊密な友好協力関係を維持することは,引き続きわが外交の基本的政策であります。
わが国の戦後の歴史をふり返るに,今日の繁栄が達成されたのは,国民全体の英知と努力によるものであることは,申すまでもありません。しかしこれとともに,米国との協力関係が,わが国の平和と安全を確保し,わが国経済の繁栄を実現する上で,大きな役割を果たしたことは明らかであります。今後世界の情勢には種々の変遷が予想されますが,米国は,世界平和の維持と人類の福祉増進をはかる上において,なお引き続き大きな比重と役割を持ち続けるものと考えます。このような米国とわが国とが,緊密な協力関係に立たねばならないことは,言うまでもありません。国際社会が多元化し,複雑化すればするほど,またわが国の国力が充実すればするほど,日米両国の世界に対する責任と役割は重きを加え,日米両国の提携は,一層その必要性を増すと考えられるのであります。また,日米が確固たる協力関係に立つことは,単に日米両国にとつてのみならず,アジアひいては世界全体の平和と繁栄にとつても,すこぶる大きな意義をもつものであります。このように考えれば,わが国が多極化時代の要請にこたえて,外交の充実と強化をはかるにあたり,日米協力の基礎は,決してゆるがせにできないのみならず,むしろその上に立つてこそ,真に実り多い多面的外交の展開が,期待しうるのであります。
さる1月6,7の両日,米国サン・クレメンテで行なわれた日米首脳会談に,わたくしはこのような認識をもつて出席したのであります。この首脳会談においては,国民が長い間等しく念願していた沖縄返還の期日が,本年5月15目に確定いたしました。同時にその際,返還時において沖縄が核ぬきである旨を確認すること,返還後において,米軍の施設,区域をできる限り整理,縮小するよう十分の考慮が払われること,等の諸点もあわせて合意されました。
戦争によつて失われた領土が,平和的な話し合いによつて返還されるということは,歴史上ほとんどその前例を見ないところであります。話し合いによる沖縄の施政権の返還という,この歴史的な出来ごとが可能となつたのは,沖縄県民をはじめ,日本国民全体の営々たる努力の賜であるとともに,今日までの日米友好関係のもたらした偉大な成果にほかならないと考えるのであります。
わたくしは,このような成果をふまえ,日米両国の友好と協調の関係を,今後ますます発展,強化してゆくとともに,その基礎の上に立つてさらに広く,アジア地域全体の安定と発展のため,積極的に寄与してゆかなければならないと信ずるものであります。
(日中関係)中華人民共和国は,わが国にとつて最も重要な隣国の一つであり,同国との関係を正常化することは,わが外交の将来にとつて最も重要な問題であります。
日中両国は,アジアの平和と繁栄にとつて重大な責任を有するものであります。このような両国の間に,正常な国交がないことは,日中両国民にとり不幸であるのみならず,アジアおよび世界全体にとつても遺憾なことであります。中華人民共和国が昨年秋国連に参加し,国際社会の一員となつた現在,日中両国が一日も早く正常な関係を樹立することは,単に両国にとつて利益であるのみならず,国際社会全体の安定と秩序のためにも,大きな意義を有するものと考えます。
政府といたしましては,中華人民共和国との間に,相互理解の増進をはかるとともに,日中両国が共に加盟国として尊重すべき国連憲章の諸原則にのつとり,主権の平等,内政不干渉,紛争の平和的解決,武力の不行使,平和,進歩および繁栄のための相互協力,等の基礎の上に立つて,日中両国間に安定した関係を樹立したいと念願するものであります。
もとよりこのためには,日中両国政府が直接に話し合い,相互の主張と言い分を率直に述べあう機会をもつことが,必要不可欠と考えます。
わたくしは,中率人民共和国政府も,このようなわが国の誠意ある呼びかけにこたえて,両国関係の正常化に真正面から取り組むことを切望してやみません。
(日ソ関係)次に,日ソ両国の善隣友好関係の進展は,ひとり日ソ両国にとつて利益となるのみならず,極東の平和と安定にも資するものと考えます。政府といたしましては,今後とも,通商,経済,文化,科学技術,等の幅広い分野において,両国関係の発展をはかり,相互の利益の増大に努める所存であります。これとともに,国際政治においてソ連が大きな比重を占め,特にわが隣邦としてアジアの平和に少なからぬ影響力をもつていることにかんがみ,従来にもまして,広く国際関係全般にわたり,同国との間に率直な話し合いを進め,もつて両国間の意志の疎通をはかるべきものと考えます。これがまた,多極化時代におけるわが外交に課された要請にこたえるゆえんであります。わたくしは,このような観点から,グロムイコ外務大臣の訪日を迎え,2国間の諸懸案について討議し,また平和条約締結の交渉を本年中に開始することに合意するとともに,国際情勢全般について,意見の交換を行なつたのであります。
わが国を挙げての強い願望である北方領土の問題が,なお未解決のまま残されておりますことは,近く沖縄の本土復帰が実現することを考えるとき,はなはだ遺憾に存ずる次第であります。日ソ関係を真に安定的に発展させてゆくためには,この問題を解決することが不可欠であります。政府といたしましては,今後とも国民各位の強い支持のもとに,忍耐強くソ連との間に折衝を続け,わが国固有の北方領土の返還実現をはかり,もつて一日も早くソ連との間に平和条約を締結したいと考えるものであります。
(欧州との関係)ヨーロッパにおきましては,西欧諸国の経済力が伸長し,また欧州共同体が拡大するなど,注目すべき動きがあり,これにともなつてその国際的発言力も高まつております。また,いわゆる東西関係の面においても,ベルリン問題に関する交渉が妥結し,欧州安全保障協力会議の開催や,均衡的相互兵力削減が検討されるなど,緊張緩和へ向かつてのいくつかの重要な動きがうかがわれるのであります。
わが国といたしましては,これらの新たな動きに着目し,拡大欧州共同体を中心とする西欧諸国との関係を,従来以上に緊密化することにより,歴史的にわが国と西欧との間に存在してきた長い友愛と協調の絆を,改めて強化するとともに,わが外交の多面的展開をはかつてゆきたい所存であります。
わが国と西欧諸国とは,今や米国とともに世界に大きな責任を有するにいたつております。この時にあたり,日,米,西欧諸国が,相互の意志疎通を密にし,協調して歩むことは,世界の平和と発展のために,大きく寄与するゆえんであると考えます。
(アジアとの関係)申すまでもなく,アジアは,わが国にとつて最も重要な地域であります。この地域におきましては,緊張の持続と,その緩和の傾向が互いに交錯し,複雑な様相がみられます。その中にあつて,各国がそれぞれに,また,地域内協力を通じて,政治的,経済的に,自主,自立の方途を探求するという動きも顕著であります。わが国は,同じアジアの同胞であるこれら諸国の求めるところに,深い理解と共感をもつものであり,これら諸国の努力が実を結ぶよう,能う限りの支援と協力を惜しまないものであります。
インドシナ地域の情勢は,依然として流動的に推移しておりますが,わが国としては,何よりもまず和平の実現と緊張緩和に寄与し,各国が一日も早く平和と安定をとりもどすよう,今後とも積極的に努力する所存であります。これとともに,この地域の住民の民生安定と福祉の向上のため,引き続き援助の手をさしのべ,さらに平和回復の暁には,政治,社会体制の相違を超えて,当該地域の振興と建設のために,できる限りの寄与を行なう所存であります。
アジア地域の平和と発展のためには,域外関係諸国の協力が不可欠であります。特にこの地域に大きな利害を有する太平洋諸国の協力を得ることが,従来にもまして肝要であり,政府といたしましては,アジアの諸問題解決のため,これら諸国と緊密に協力してまいる所存であります。
(国連協力)わが国は,戦後一貫して,国連に対する協力を,外交政策の主要な柱として重視し,また国連の場を通じて,各国との国際協力を推進してまいりました。今後ともわが国は,国連の機能の強化のために力を尽すとともに,その事業に積極的に参画してゆかねばならないと信ずるものであります。
(自由貿易の維持と拡大のために)昨年末のワシントンにおける先進10カ国の蔵相会議により,円平価の切上げを含め,多角的な通貨調整が行なわれました。今後は,国際協力によつて打ち建てられたこの新らしい基礎の上に立つて,世界経済が調和ある発展と拡大を遂げることを念願してやみません。
しかしながら他面,最近世界の各地で,ややもすれば保護主義の台頭や,閉鎖的な地域主義への動きもうかがわれることは,憂慮すべき現象であります。世界経済が今日の発展をなしとげえたこと,またその中にあつてわが国が現在の繁栄を達成しえたことは,一にかかつて,自由貿易の原則によるものであることは,疑をいれません。政府といたしましては,このような認識に立脚し,わが国の貿易と資本の自由化をさらに推進するとともに,自由,無差別の原則に基づく世界経済の拡大と安定を目ざして,今後ともあらゆる努力を傾けてまいる所存であります。
(経済協力の強化充実へ)いわゆる南北問題につきましては,開発途上国が自立と発展への基礎を確立するため,一致して活動を行ないつつあり,今や国際関係において,いわゆる第3世界として無視しがたい力となつていることが注目されます。わが国としては,このような諸国の立場に深い理解を示し,その努力に寄与しなければなりません。また世界各国も,この分野におけるわが国の役割に大きく期待しております。
わが国は,年々開発途上国に対する経済協力の規模の拡大に努力してまいりました緒果,すでにその総量においては,米国に次ぐ地位に達し,GNP1%の国際的な目標の達成も,目前に迫るにいたりました。今後はこの実績の上に立ち,援助量の拡大をはかることはもとより,政府開発援助の拡充,技術協力の強化,借款条件の緩和等,その質の面における改善にも重点をおいて施策を進め,もつて国際的にも誇るに足る成果をあげるよう,努める所存であります。また今後は,アジア諸国はもとより,中近東,アフリカ,中南米の地域に対しても,それぞれの地域的特殊性に見合つた経済協力を,進めてゆきたいと考えております。わたくしは,このようにして質量ともに充実した経済協力を実現し,もって開発途上国との間に,真の友好信頼関係を築きあげることこそ,わが国の長期的国益に資するゆえんであると信ずるものであります。
(文化交流による心と心のつながりを)最後にわたくしは,人的,文化的交流の飛躍的拡大の必要についてふれたいと思います。
近年,海外諸国における対日関心は,とみに高まりつつありますが,同時に,諸方面に故なき警戒心や不当な誤解も,台頭しつつあるやにうかがわれます。わが国の対外活動が経済的利益の追求に偏するとする批判や,さらには,日本軍国主義の復活を懸念する声すら聞かれる状況であります。このような時にあたり,平和国家,文化国家を志向するわが国の正しい姿を海外に伝え,誤つた認識の払拭に努めることは,わが外交にとつての急務であります。特にわが国の場合,独特の文化的伝統と言語の障壁のため,外国との意志疎通が困難なことを考えれば,このことは,一層必要かつ緊急を要するのであります。わが国民が国際社会において縦横の活躍を行なうにいたつた現在,世界の中の日本人として,世界の実情をより深く理解することも,また必要となつております。政府といたしましては,このため,新たに国際交流基金を設立すべく,明年度予算案において,それに対する支出を要請しております。わたくしは,今後とも国民各位の幅広い支持と協力のもとに,この基金をさらに拡大発展させてゆきたい所存であります。このようにして,広く諸国民との間に,心と心がふれあう相互理解の増進に努めることこそ,わが外交に課された大きな課題の一つであると信じます。
(世界の中の日本)以上わたくしは,国際社会の現状を概観するとともに,わが外交の当面する重要問題につきいささか所信を申し述べました。
今後の世界は,いわゆる多極化の趨勢のもとに,国際的に影響力をもつ諸大国,諸地域相互間の提携と角逐,競争と共存を軸として動いてゆくものと予想されます。この間に伍して,わが国が自らの方途をさぐり将来の発展を期するためには,先ず,何ものにもとらわれない柔軟かつ現実的な態度を失わないことが必要であります。これとともに,変転する国際情勢の流れの中で,何がわが国にとつて基本的国益であるかを冷静に把握し,確固たる信念と長期的展望をもつて前進することが肝要であります。
わが国は,世界に誇るべき,平和で豊かな社会の建設を志向しております。人口稠密で資源に乏しく,海外諸国との交流と交易を必要とするわが国が,このような豊かな社会を建設するためには,何よりもまず平和の裡に繁栄する世界がなくてはなりません。
世界の平和なくしてわが国の平和なく,世界の繁栄なくしては,わが国の繁栄はありえないのであります。相手国の利益を増進することによつてわが国の利益を求め,他国を生かすことによつてまたわが身を生かすこと,これこそわが国の選ぶべき方途なのであります。今やわが国は,新たな連帯に向かつて前進しつつある世界の潮流を正しく把握し,世界の発展の中にこそ,目本の発展の可能性を探り求むべきだと信じます。
わが国は,諸国民の公正と信義に信頼してその安全と生存を確保しようとの理想をかかげ,経済上その力を持ちつつも,軍事大国への途は選ばないことを決意しております。これは史上類例をみない実験への挑戦であります。この実験のゆくてにはなお幾多の困難が横たわつております。しかしわたくしは,戦後の荒廃の中から立ち上り,今日のわが国を築き上げたわが日本国民の英知と努力をもつてすれば,このような困難は,必ずや克服しうると確信するものであります。わが国がこの難関をのりこえ,平和で豊かな文化国家として,世界の中で名誉ある地位を占めるよう,その道を切り開いてゆくことこそ,日本外交の使命であると信ずるものであります。
国民各位の支持と協力をお願いいたします。