最近の世界的な交通通信手段の飛躍的な発達に伴ない,諸外国及びその文化についての知識は,各国の国民生活における要素としての重要度を高めつつあり,また一方で現代文化は国境や人種を超えて共通の発展を示しているので,文化の国際交流もグローバル化への顕著な傾向を示し,国際社会発展の自然的傾向として,国際関係の基調を占める重要ファクターとなりつつある。
またわが国の経済力の充実および各般の国際活動の活発化が顕著となるに従い,対日理解の促進及び,国民間の相互理解,友好親善を促進する必要が強く認識され,そのための国際文化交流活動の強化を求める声が内外において高まつている。
更に,発展途上国においては,近代日本の形成や戦後の日本経済復興の事情を学はうとする傾向が強まりつつあり,いわゆる文化協力あるいは教育協力と呼ばれる新しいジャンルが現実の問題となつている。
またそれと同時に,特に欧米先進国においては,わが国伝統文化の洗練された異質性に対する根強い興味が持たれ,この面における文化の交流に対する要請もますます高まつている現状である。
外務省としては,こうした趨勢にこたえ,以下のとおり国際文化活動の拡大,強化に努力しているが,特に1971年度においては,国際文化交流活動の実施体制を抜本的に強化すべく,特殊法人「国際交流基金」の設立を準備している。
わが国の国際文化交流事業は飛躍的に拡大せねばならない時に来ているが,現在わが国の文化交流実施団体の組織及びその資金的規模はきわめて弱体であるので,これを抜本的に強化すべく,政府は1972年度予算政府原案において50億円の基金の出資を計上し,1972年10月1日より特殊法人「国際交流基金」を設立することとした。そのため政府は第68国会に「国際交流基金法案」を提出した。(1972年5月26日国会通過,6月1日公布)
国際交流基金は,外務大臣監督の下に前記50億円の政府出資の運用益,民間の出資及び国よりの補助金等をもつて,次の国際文化交流事業を行なうこととなる。
(あ) 国際文化交流の目的をもつて行なう人物の派遣及び招へい
(い) 海外における日本研究に対する援助及びあつせん並びに日本語の普及
(う) 国際文化交流を目的とする催しの実施,援助及びあつせん並びにこれへの援助
(え) 日本文化を海外に紹介するための資料その他国際文化交流に必要な資料の作成,収集,交換及び頒布
(お) 国際文化交流を行なうために必要な調査及び研究
なお,国際交流基金の設立にともない,財団法人「国際文化振興会」(KBS)は発展的解消を遂げ,国際交流基金に吸収されることになつている。
(あ) アフガニスタンとの文化協定の発効
日本とアフガニスタンとの文化協定は1969年4月9日アフガニスタン国王の来日の機会に,愛知外務大臣とタビビ在京アフガニスタン大使との間で署名が行なわれたが,同協定は両国国会の承認を得,1971年6月3日アフガニスタンの首都カブールにおいて,駐アフガニスタン中尾大使と,ファルハディ・アフガニスタン外務次官の間で批准書の交換が行われ,協定は同日より発効することになつた。
協定は,前文,末文の他本文11条より成り,文化,教育,学術,スポーツの各分野における両国間の交流を奨励し,その促進のため相互に便宜を供与することを規定している。
(い) 文化交流に関する日ソ交換公文
1972年1月のグロムイコ・ソ連外務大臣の訪日に際し,日ソ両国間の文化交流を一層促進するため,1月27日福田外務大臣とグロムイコ外務大臣の間で日ソ両国政府間の文化交流に関する書簡を交換した。
本交換公文は両国政府が,公の刊行物の交換,科学者等の交換,映画祭の実施,広報資料の配布等につき協力し,又,両国間の文化交流の諸問題に関し,両国政府が随時協議することを合意している。
(う) 日本メキシコ文化委員会の開催
日本メキシコ文化協定に基づく第5回文化委員会は,1971年7月16,17日の両日,メキシコ外務省において開かれ,協定成立以来の両国間の文化交流の実績を検討したのち,文化交流のメディアとしての書籍その他の刊行物の翻訳,映画,放送,教育テレビ,芸術及び学術の分野における両国の協力について討議を行なうとともに,日本の技術協力(食品加工,漁業,養殖,農業遺伝,大気汚染,電子工学,情報科学,港湾工学,造船,石油化学その他)についてメキシコ側の関心が示された。
(え) 日米文化教育協力合同委員会の開催
日本文化教育会議の常設機関として設けられた日米文化教育協力合同委員会の第2回会合は,1971年7月12日から14日までハワイ・ホノルル市で開催され,日米文化教育交流の実績が検討され,また,今後の交流拡大策,特に相互理解の増進のためのメディアとして何をとり上げるべきかが論議された結果,明年度に予定されている第6回日米文化教育会議への勧告が採択された。この勧告に基づき合同委員会にテレビ小委員会が設けられ,日米テレビ番組交流につき,審議を重ねている。
(お) 日英文化混合委員会の開催
日英文化協定に基づく第7回在ロンドン日英文化混合委員会が10月28日,ロンドンで開催され,過去1年間における両国間の文化交流実績と今後の交流計画について協議した。放送,公演,展示会,相手国研究,奨学金供与等の手段による交流が主要議題であつたが,とくに,過去1年間において英国諸大学での日本研究が急速に増強された事実が注目された。
(あ) 東南アジア文化使節団
経済をはじめとするわが国の国力の充実および発展途上国,とくに東南アジア諸国との経済関係の緊密化,ならびに同諸国よりのわが国に対する文化・教育協力の要請の増大は,わが国の発展途上国に対する文化交流政策ないしは文化・教育協力のあり方について根本的な再検討を迫つている。
このような認識と要請の下に,政府の文化使節団としては,わが国最初のこころみである「東南アジア文化使節団」(団長,田中栄一衆議院議員)が1971年7月25日より8月11日まで,フィリピン,タイ,マレイシア,シンガポール,インドネシアの5ヶ国を歴訪し,新しい文化・教育協力の可能性につき調査・研究を行なつた。使節団は帰国後作成した報告書「東南アジアとの文化交流をいかに進めるか」の中で,東南アジア諸国との文化交流,文化・教育協力を拡大すべきことを説き,その具体的方法・内容につき種々の提言を行なつた。
(い) アジア太平洋地域文化社会センター
本センターは,アジア太平洋協議会の共同事業の一環として,1968年8月の同協議会第3回閣僚会議において設立協定が採択され,同年10月ソウルに設置されたもので,加盟政府はわが国のほか,豪州,中華民国,韓国,マレイシア,ニュー・ジーランド,フィリピン,タイ,ヴィェトナムの計9政府である。同センターは現在第4事業年度に入つているが,1971年4月-1972年3月の間(第3~第4事業年度)に,域内理解増進のためのカリキュラム・ワークショップ(5月,於台北),文化財保護専門家会議(5-6月,於東京),アジア太平洋地域映画祭(10月,於サイゴン),視聴覚教育セミナー(72年2月,於東京)の開催,域内の学者,ジャーナリスト,美術研究家等に対する域内研究旅行用フェローシップの供与等の事業を行なつた。なお,前年度行なつた地内の都市開発問題に関する文献,研究者等のクリアリング・ハウス調査や,域内短篇文学翻訳出版等の計画も引き続き実施中である。
(う) 東南アジア文部大臣機構への協力
1965年11月にバンコックで開催された東南アジア文都大臣会議は,その後毎年会議を開き,1968年12月の会議において本機構設置のための憲章を採択,同機構が発足した。加盟国は,インドネシア,ラオス,マレイシア,フィリピン,シンガポール,タイ,ヴィエトナム(以上7ヵ国は原加盟国),クメール共和国(71年1月加盟)の8ヵ国で,事務局はバンコックに置かれている。同機構は域内の教育開発を主たる目的としており,そのための事業組織として,現在,理数教育センター(RECSAM,在マレイシア,ペナン),英語教育センター(RELC,在シンガポール),農業教育研究センター(SEARCA,在フィリピン,ロス・バニヨス),熱帯生物学センター(BIOTROP,在インドネシア,ボゴール),教育工学教育革新センター(INNOTECH,在シンガポール,いづれサイゴンに移転の見込み)の5センターと,熱帯医学公衆衛生計画(TROPMED,バンコックの中央調整理事会のほか,各国に国別センターが設けられている。)の1プロジェクトを有している。これらのセンター,プロジェクトは各分野での教育開発上の研究のほか,教育者ないし研究者の養成訓練を主たる業務としており,所要経費の半分を加盟国の負担とし残り半分は米国政府の援助に依拠しているが,そのほかの域外諸国も各種の援助を行なつている。わが国は,本機構の要請に応じ,1970年から専門家の派遣等の援助を行なつてきたが,1972年4月までの間に短期10名,長期2名の専門家を派遣した。
(え) 二国間文化・教育協力
わが国は1971年に,タンザミア政府の要請に基づいて文盲撲滅用の教科書2種(スワヒリ語)5万部の印刷を本邦において行ない無償供与した他,小学校用理科スライド等の教材を東南アジア諸国に無償供与した。このような開発途上国の文化・教育水準の向上をめざすための二国間協力は途についたばかりであるが今後一層進展すべき分野であると考えられる。
(1) 日本紹介のための公演,展示会,在外公館企画の催し物等
(あ) 御 物 展
1971年両陛下の御訪欧を記念し,公式訪問国英,独,ベルギーの3ヶ国において皇室所蔵の屏風,掛軸(絵画,宸翰)等御物を中心とした日本美術品を展覧し,非常な成果を挙げた。
(い) アジア日本文化週間
1971年11月25日より12月19日まで,タイ,マレイシア,シンガポール,インドネシアの東南アジア4ヶ国において,アジア日本文化週間が開催され,松竹歌劇団(SKD)の公演,学童生活児童画展(以上KBS補助事業)日本の教育展,人形展,現代目本カラー写真展,劇・文化映画会,箏・尺八の演奏会及び生花の実演が行なわれ大好評を博した。
(う) KBS補助事業
1971年度において外務省は財団法人国際文化振興会(KBS)補助事業として,前記松竹歌劇団の公演,学童生活・児童画展の展示の他,能・狂言の欧州公演,雅楽の北米公演,読売交響楽団の欧州公演,青年座・結城人形座のナンシー(フランス)演劇祭参加,第11回サンパウロ・ビエンナーレ展,第2回インド・トリエンナーレ展,第7回パリ青年ビエンナーレ及び第3回スペイン・スポーツ美術ビエンナーレ展への参加・出品等音楽や舞台芸術の海外公演や展示会の各地巡回開催を実施し,いずれもきわめて好評であつた。
(え) その他本省企画の巡回展示会
前年に引き続き,日本現代工芸展の豪州巡回,現代日本カラー写真展のインド巡回を実施した他,メキシコにおいて現代日木版画展を開催した。
(お) 在外公館主催の文化事業
各在外公館は前記文化事業の現地実施を行なうほか,自ら講演会,音楽会,展示会等の催し物を開いたり,各地における文化的行事に参加し,日本紹介に努力しているが,1971年度においては,各地域を通じて生け花(18回),講演会(17回),版画展(9回),日本週間(9回),音楽会(6回),カラー写真展(5回),図書展(2回)その他各種の展示会が行われ,また現地側の各種の催しに参加し,協力した。
(2) 映画による日本紹介
映画は直接,視聴覚にうつたえる芸術であり,その簡便性,娯楽性,大衆性をも考えれば,一国の文化を紹介する上において最も有効な手段の一つであり,開発途上国については特にその効果が大きい(文盲率の高い開発途上国においては映画が国情・文化の唯一の紹介手段である場合も多い。)。
外務省ではこのような映画の役割を高く評価し,従来より在外公館主催の劇・文化映画会を開催し,また各地で開かれる日本映画祭の実施,国際映画祭への参加及び参加への斡旋を行なつてきているが,1971年度においても448回の在外公館主催劇・文化映画会を行なつた。そのうち特に好評だつた映画は,「家族」「愛と死」「赤ひげ」「黒部の太陽」「わが恋わが歌」「古都」「折紙」「浮世絵」「札幌オリンピックヘの招待」であつた。
その他,ソ連においては恒例の日本映画祭が1971年モスクワ(9月10,11,12日),ドシャンベ(9月23,24日),ナホトカ(11月15,16日)の三都市で開催され非常に好評を博した。また,これと対応して東京,札幌,秋田の3都市でソ連映画祭が開催され,同じく好評を博した。
(3) 図書出版物による日本紹介
外務省は,東南アジア文化使節団が訪問したフィリピン,タイ,マレイシア,シンガポールおよびインドネシアの17の大学,文化団体および図書館に1,866冊の日本文化紹介ないし研究図書を寄贈したほか,諸外国の大学,文化団体等に対し3,372冊の同様図書を寄贈した。また,諸外国で開催された国際図書展(8回)への参加,日本図書展(3回)の開催に協力し,日本紹介図書資料(5件)の刊行の助成等の事業を行なつた。
(4) 日本文化会館の運営
(あ) 在ローマ日本文化会館の運営
1962年に開館した本文化会館は,日本語講座,講演会,座談会,映画会,音楽会,展覧会等の開催,図書館の運営及び出版等の文化活動を行なつている。
(い) 在ケルン日本文化会館の運営
本会館は,1969年に開館した後,在ローマ文化会館と同様の活動をドイツで行なつて来たが,1971年においては,両陛下御訪欧記念「御物を中心とした日本美術展」の開催等の事業を行なつた。
(1) 国際学友会による事業
財団法人国際学友会は,昭和10年創立され,外国人留学生に対し宿舎を提供するとともに,日本語学校を運営し,日本語等を指導するほか大学進学のあつせんを行なつている。
宿舎の収容能力は東京本部154名,関西支部(大阪)60名及び京都支部48名の合計262名であるが,1971年度における宿泊者数は延べ478名である。なお,1971年8月より仙台寮(収容能力50名)の建設工事が始められた。
日本語学校は,東京本部及び関西支部において運営されており,学生定員は前者200名,後者60名であるが,1971年度においては,これら日本語学校において396名の留学生に対し,日本語をはじめ,数学,理科,社会などの基礎学科を教授し,これら課程の修了者に対し進学をあつせんした。
(2) パリ大学都市日本館
バリ大学都市内の日本館は,フランス留学中の日本人学生に対する宿舎の提供を主たる任務とし,また,構内に日本関係の図書を収集して日本研究と便宜を与えている。
外務省は館長を推薦し派遣しているほか,同館建物の内部修理費及び若干の備品費などに対し,援助を行なつている。
(3) 外国人留学生等の来日
海外においてわが国に留学を希望する外国人は著しく増加しているところ,わが国の国費留学生制度(文部省主管)により採用した外国人留学生の実績は付表8のとおりであり,また科学技術庁が招へいした外国人研究者の実績は付表9のとおりである。
(4) 日米教育交換計画(フルブライト計画)
1971年度における本計画に基づく,両国間学生,教授,研究員の交換実績は付表10のとおりである。
(5) 日本人学生の海外留学
1971年度において,外国政府または準政府機関の奨学金を受けて,海外へ出発した者の数は付表11のとおりである。
(6) 日本研究講座寄贈
外務省は,東南アジア諸国における日本研究を助成するため,原則として教授1名及び講師2名よりなる日本研究講座を8大学に寄贈している。
これまで寄贈した8講座の現況は付表12のとおりである。
(7) 日本語普及事業
外務省が1971年度において海外の日本語普及のため実施した事業は次のとおりであり,またこれら事業の対象国(地)は夫々付表13のとおりであつた。
1. 日本語講師の派遣
2. 日本語講師の謝金援助
3. 現地日本語講師の招へい
4. 日本語教材の送付
(8) 日ソ学者・研究員の交流
1965年以降,わが国はソ連との間に,毎年政府間取決めにより,相互主義に基づく学者,研究員の交流を行なつているが,1971年度には夫々長期(10ヵ月)派遺研究員5名,短期(2ヵ月)派遣学者5名を交換する旨取決められた。
(9) 海外学術調査隊に対する便宜供与
1971年度の本件に関する実働幸付表14のとおりである。
(1) 文化人の海外派遣
わが国の芸術,学術,思想,スポーツ等を紹介し,国際親善を促進するため,引き続いて文化人,学者,生け花および柔剣道師範,体操コーチ等の派遣を行なつたが,1971年度において派遣した実績は,付表15のとおりである。
(2) 外国の文化人等の招へい
外国の文化人,学者をわが国に招へいして親しくわが国の事情を認識させ,わが国関係者と意見交換の機会を与えることを目的として,1971年度中に日本に招待した外国文化人の実績は付表16のとおりである。
(3) 青少年交流
外務省はアジアにおける日本語講座の成績優秀者を付表17のとおり招へいした。そのほかわが国と外国との間の国,地方自治体及び民間レベルの青少年交流に対し,便宜を供与しているが,1971年度におけるこれら実績は付表18のとおりである。
(4) スポーツ交流
1971年度に外務省が便宜供与をした海外へのスポーツ選手の派遣実績は付表20のとおりである。
(5) 海外への登山隊の派遣に対する便宜供与
1971年度に外務省が便宜供与をした海外への登山隊の派遣は,付表21のとおりである。