1971年中に国連アジア極東経済委員会(以下エカフェと略称する)の活動として注目されるのは,従来より推進されている地域協力プロジェクトのうち,特に貿易分野における協力スキームに具体的進展が見られたことである。
すなわち,1970年12月の第4回アジア経済協力閣僚理事会において,同年11月の貿易および金融協力に関する政府中央銀行間会議で検討されたアジア清算同盟(ACU),アジア準備銀行(ARB)及びアジア貿易拡大の各スキーム計画案を更に検討するための関心諸国による政府間委員会の設置が決定されたが,そのうち,アジア清算同盟スキームについては,1971年3月,15ヵ国の参加による準備委員会が開催され(わが国は不参加),同スキームの協定案が作成された。現在,本協定案は参加国政府に送付され,各国政府による最終的な検討がすすめられている。
アジア準備銀行スキームについては,1972年8月頃に関心諸国による政府間委員会の開催が予定されており,目下事務局による準備がすすめられている。わが国は,上記2スキームについては,従来より,それからえられうる利益が乏しいとして両制度導入の必要性を積極的には認めておらず,エカフェ域内の現状に十分配慮しつつ現実的な観点にたつて臨むことが必要であるとの基本的立場から,比較的各国の同意が得られやすいとみられる小地域を基礎とした清算同盟にはあえて異を唱えないが,より広域にわたる清算同盟および準備銀行は小地域を基礎とした清算同盟の結果をみた上でさらに検討すべきであるとの態度をとつてきているが,本年3月の第28回エカフェ総会においても同様の立場で臨み,アジア清算同盟についてわが方代表は当面従来の立場に変更はないが,エカフェ諸国による同スキームの検討の結果を関心をもつて見守る旨発言した。
貿易拡大スキームについては,1971年11月わが国を含め,16ヵ国参加による政府間委員会が開催され,今後関心諸国よりなる貿易交渉グルーブで実現可能なスキームを具体的に詰めていくこととなり,その第1回会合が1972年11月に予定されている。このスキームはエカフェ開発途上諸国の貿易拡大を目的としたものであり,わが国はこのスキームの直接の当事者ではないが,これら諸国の貿易拡大に資するため,貿易の自由化,自主的関税引下げ,特恵の拡大等により,側面的に協力するとの方針をとっている。
また,貿易分野では,上記3スキームのほか,輸出信用保険スキームが検討されている。これはエカフェ諸国の輸出及び輸出金融の円滑化を図るため,エカフェ諸国間に輸出信用保険制度を設立し,これに輸出に伴うリスクを負担せしめんとするものであり,1971年12月,専門家による特別作業部会が開催され,スキームの基本案がまとめられ,目下右案が関心を有する政府により検討されており,今後,これら政府の意見を考慮してスキームの憲章案が作成されることとなつている。本スキームに対し,わが国は,自国の輸出信用保険制度が円滑に機能しているので,参加する必要はないとの態度をとつているが,これら諸国からの要請があれば専門家の派遣を含めた技術援助を考慮することとしている。
その他,1971年中のエカフェの活動で注目されるものは,工業化の分野において,アジア工業開発理事会(AIDC)が,域内分業体制の確立に資するため,鉄鋼業,農業機械産業,石油化学産業に関するフィージビリティ調査等の活動を行つたほか,投資に関する情報交換のためのアジア投資センター構想を打出し,1972年1月,その必要性を調査するため各国にミッションを派遣することとなつた。
資源開発の分野においては,1966年設立以来,アジア沿海鉱物資源共同探査調整委員会(CCOP)が東アジア沿岸地域の大陸棚の探査を了し,今後は大陸棚以遠に調査を拡大すべく検討中である。類似の委員会を南太平洋地域(フィジー,トンガ,パプア・ニューギニア等)にも設立することが,1971年7月の南太平洋CCOP設立準備委員会で決定された。また,現在,エカフェ諸国における鉱物資源開発のためのセンター設立の構想が打出されており,1971年11月~12月,そのための専門家調査団が域内各国に派遣された。
その他,第4回台風委員会が1971年10月東京で開催されたが,本委員会は1968年設立以来台風による被害を軽減するための活動,特に被害地域における洪水予警報システムの設置を検討している。
経済開発プラニングの分野においては,域内加盟国の経済計画調整のための商品別アプローチとして,1971年4月胡椒共同体設置のための署名がインド,インドネシア,マレーシアの3国間で行われた。
(1) 1971年を通してUNCTADにおける最大の問題は,1972年4月13日より5週間サンチャゴで開催予定の第3回UNCTADのための準備であつた。とくに,1970年8月より9月にかけて開催された第11回貿易開発理事会では,第3回UNCTADの仮議題をまとめることが最重要課題であつた。同会合は,会期の延長をみながらも,とにかく仮議題を採択したがそれによれば一次産品,製品・半製品,開発融資,海運など従来より南北問題の主要項目として討議されてきた問題に加えて,国際金融問題,後発開発途上国のための特別措置,輸出促進,開発途上国間経済協力,技術移転,環境問題と開発など新たな諸問題にも重点が置かれることとなつた。
UNCTADは1964年の第1回会議以来1968年の第2回会議を経て南北問題討議の中心的な場として,資金の流れの総量のGNP1%目標,一般特恵制度および砂糖に関する国際商品協定を主たる成果として貿易と開発に関する諸問題を検討してきた。第3回UNCTADの議題がこのようにますます広汎化されつつある傾向は,新しい諸問題についてはなお一層の検討を要するので具体的な成果が得られにくくなるという一面もあるが,反面,南北問題全体に関する討議が進んできた結果,従来よりも実態に則した具体的な議論が展開されるようになり,南北間の対立を生みがちな抽象的議論を避けようとの雰囲気が,ある程度醸成されてきた結果であるとも評価されよう。
いずれにしても第11回貿易開発理事会における第3回UNCTAD仮議題採択の過程を通じて2つの大きな流れが看取された。その第1は,国際金融問題をめぐる現下の情勢に対する開発途上国側の深い憂慮であつた。このことは,会議冒頭における本件関係議題追加の要求から,第3回UNCTAD仮議題のなかで本件を独立の議題とすべしとの一貫した主張,さらには,開発途上国が今後の国際金融体制改革に関する協議に十分の発言権をもつべきことを主張する決議案の投票による採決に至るまで一貫して強くあらわれた。
第2の流れは開発途上国内におけるアフリカ・グループの発言権の強化であつた。この傾向はかねてより徐々に表面化しつつあるものではあったが,特に最近,UNCTADで進展をみた問題が特恵海運,技術移転等アフリカ諸国には比較的関係の少いものが主であることに対する焦燥感を背景として第11回理事会では,後発開発途上国問題および一次産品問題の審議等をめぐつて一層明確になつたといえよう。
(2) 貿易開発理事会(TDB)の下部機関である各種委員会あるいはグループの会合が相次いで開催されたが,いずれも第3回UNCTADの準備会合としての性格を帯びざるを得ず,ほとんどの問題は第3回UNCTADでの懸案事項として持ち越された。
一次産品関係では,開発途上国の一次産品生産を多様化することによつて国際収支の安定をはかる問題が重要視されたが,如何なる産品にどのように多様化することが合理的かを今後研究する旨合意された。製品関係では「第2次国連開発の10年のための国際開発戦略」中の合意に則り,7月にEEC8月にわが国,10月にノルウェー等の諸国が一般特恵スキームを実施したことが特筆される。貿易外取引,開発融資関係では前記の国際金融問題で開発途上国側より強い主張が出されたが,先進国は本件が本来IMFの場で検討されるべきであるとの立場を譲らず,第3回UNCTAD最大の懸案となつた。海運関係では海運同盟の行動を規制すべく政府間グループで同盟コードの検討が始められたが,規制の範囲,方法等の原則的問題で合意が成立せず,充分な検討を経ずして第3回UNCTADで更に検討されることとなつた。
(3) 以上の動きの他開発途上国側の動きとして特筆すべきことは,開発途上77ヵ国グループ諸国が1971年10月末から2週間リマにおいて会合したことがあげられる。右会議において開発途上国は第3回UNCTADのための統一歩調を協議し,議題全分野にわたる主張を網羅したリマ憲章を採択した。同憲章は第2回UNCTADのためのアルジェ憲章に相当する重要な文書である。
UNDPは,技術協力と投資前調査の分野における国連諸機関の中枢的機関で,1970年には100ヵ国以上の開発途上国に対し3億3千万ドル強の援助を供与した。
UNDPの政策決定およびプロジェクトないし後述する国別計画の審査・承認は管理理事会が行なつており,わが国は設立当初から引き続き理事国である。なお,従来管理理事会の議席は37であつたが,第26回国連総会における決議によつて48議席に拡大された。
UNDPの最近の活動において注目されるのは69年に発表されたUNDPの活動に関する「ジャクソン報告」(A Study of the Capacity of the United Nations Deve1opment System)に基づくUNDP援助活動方式の改革である。この改革の中心をなすのは国別計画の採用であり,それに伴いUNDP現地駐在代表(Resident Representative)の権限が強化され,地域局新設等の改革が実施に移された。
国別計画とは,UNDP資金が援助受入諸国の開発目標または開発重点に従いもつとも効率的に使用されることをねらいとするもので,3年乃至5年を一単位とする期間に援助受入国が必要とするUNDPの援助プロジェクトを一括して承認する方式である。
改革の実施にあたっては,まず,1970年6月第10回管理理事会の「合意文書」が全会一致で採択された。次いで71年1月の第11回管理理事会は,UNDP事務局長提案の具体的改革案を承認し,71年中に改革が実施に移された。さらに72年1月の第13回管理理事会は,19ヵ国の国別計画をはじめて承認し,この2,3年中には,すべての被援助国の国別計画が出そろう予定となつている。
UNIDOの事業計画,活動方針の決定は,45ヵ国で構成される工業開発理事会(IDB)が行なつており,わが国は,1974年末までIDBのメンバー国である。
UNIDOの活動は,技術援助のほか,専門分野のセミナー,研究会の開催,企業内集団研修,工業投資促進サーヴィスの実施,工業情報の収集・配布等広範囲にわたつている。わが国はUNIDOに協力して1971年10月11日から10週間にわたり,アジア諸国からの研修生13名に対し,機械工業における生産管理に関する第4回企業内集団研修を実施し,また,1971年10月12日から同23日まで,アジア諸国からの研修生12名に対し度量衡訓練に関するワークショップを開催した。