専門機関とは経済・社会・文化・教育・保健その他の分野において国際協力を推進するために設立された国際機関で,国連憲章第57条,第63条にもとづき国連との間に連携協定を有し国連と緊密な連携を保つている国際機関をいう。わが国はすべての専門機関に加盟しており,かつ理事国としてその活動に積極的に協力している。
専門機関の活動の最近の傾向としては専門分野における情報の交換,国際世論の形成等の通常の活動の他に,UNDP資金,あるいは自己財源により開発途上国援助に力を注いでいること,各種の多数国間条約の作成に主導的な役割りを演じていること,ならびにハイ・ジャック,環境公害問題等の新らしい問題に積極的に取組んでいることなどがあげられる。しかし本年度において各専門機関で最も注目を浴びたものは何といつても中国代表権問題の取扱いてあろう。国連総会でアルバニア決議が採択された数日後,UNESCO執行委員会が中国代表権の変更決議を採択したのを口火に ILO.ICAOの各理事会もほぼ同様の決議を採択し,またWMOでは全加盟国に郵便投票を行ないその結果代表権の変更を決定した。他方WHO理事会では本件の最終決定を1972年5月に開催される総会に委ねる一方,右総会への招請状および関係文書は中華民国に送付することなく中華人民共和国のみに送付する趣旨の決議を採択したほか,中華民国が加盟後脱退しているFAOにおいては,中華人民共和国がFAOにおける地位を回復したいとの希望を表明する時は,事務局長に対しその実施のため適当な措置をとる権限を与える旨の総会決議が採択された。なお,その他の専門機関ではUPUが3月末現在,全加盟国に対する郵便投票を実施中であるほか本件に関し,具体的な動きはみられなかつた。
現在存在する専門機関は全部で13あるが,本節においては世銀,IMF等の金融関係専門機関を除く9つの専門機関に関し,主として事業面の活動について述べることとする。
わが国は1951年にILOに復帰し,1954年にILOの10大主要産業国の一員に選出されて以来理事会の常任理事国として重要な役割を果してきており,またILOの活動のうち重要な国際労働条約(いわゆるILO条約)については,1971年度には三つのILO条約の批准を行なつたことが特筆される。わが国は,1970年以前にILO総会が採択していた134の条約のうち1970年度までに26を批准していたが,1971年4月29日「最低賃金決定制度の創設に関する条約」(ILO第26号条約,1928年採択),「開発途上にある国を特に考慮した最低賃金の決定に関する条約」(ILO第131号条約,1970年採択)および「1961年の最終条項改正条約」(ILO第116号条約,1961年採択)の批准を行なつた。
ILOの国際労働条約採択の事業は1971年においては,6月2日から23日までジュネーヴにおいて開催されたILO総会は「企業における労働者代表に与えられる保護と便宜に関する条約」(ILO第135号条約)と「ベンゼンから生ずる危害に対する保護に関する条約」(ILO第136号条約)を採択した。
なお,ジェンクス(Wi1fred Jenks)ILO事務局長は外務省の招きにより,夫人を帯同して来日し,1971年9月30日から1週間わが国に滞在し,わが国政府関係者および労使代表との懇談と,産業の視察を行ない,わが国の労働産業事情に関する認識を深めた。
わが国は1951年にユネスコに加盟し,1952年以来,引続き執行委員会のメンバーに選出されており,教育・科学・文化のいづれにおいても積極的にユネスコ活動に協力している。本年度も活発なユネスコ活動が展開されたが,わが国が参加した主なものについて述べれば,次の通りである。
(イ) まず教育の面では第3回アジア文部大臣・経済企画担当大臣会議(5月31日~6月5日,シンガポール)が開催された。この会議は第1回(1962年4月,東京)および第2回(1965年11月,バンコック)会議の場合と同様ユネスコ総会決議にもとづきエカフェとの協力のもとにアジア各国の教育発展の現状を検討し,教育開発計画の将来について協議することを目的として開催されたものであるが,今回は特に第2次国連開発の10年における教育の国際協力の形態および優先領域の問題を審議し,具体的指針が作成された。
(ロ) 科学の面では,世界科学情報システム(UNISIST)設置のための政府間会議(10月4日~9日パリ),国際地質対比計画(IGCP)の準備のための政府間専門家会議(10月19日~29日,パリ),政府間海洋学委員会(IOC)第7回総会(10月26日~11月5日,パリ),人間と生物圏(MAB)計画調整理事会第1回会議(11月9日~19日,パリ)等の会議が開催された。
(ハ) 文化の面では,万国著作権条約およびベルヌ条約改正会議(7月5日~24日,パリ)およびレコード保護に関する国際会議(10月18日~29日,ジュネーブ)が開催されたが前者においては開発途上国が先進国の著作物をより容易に利用できるように条約改正が行なわれ,後者においては無断複製レコードの製作,輸入,頒布を防止し実演家およびレコード製作者を保護するための条約が採択された。また,文化遺産保存活動としてのヌビア遺跡救済事業は第2期計画としてフィレー神殿の移転作業を始めることになつているが本件救済事業に対するわが国政府の拠出金は1972年3月までに合計9万ドルに達した。
わが国は1951年FAOに加盟し,現在理事会,商品問題委員会,水産委員会,農業委員会および林業委員会等のFAOの主要機関のメンバーとして世界の農業,林業および水産の分野におけるFAOの諸活動に積極的に協力している。1971年もFAOは種々の会議を開催したがわが国が参加した主要会議としては,(イ)第6回水産委員会(4月),(ロ)第2回中東大西洋漁業委員会(5月),(ハ)米穀に関する第15回研究部会(5月),(ニ)第16回総会(11月)がある。
(イ),(ロ)はともにFA0の重大関心事である漁業資源の保存と合理的利用を追求するためのものであるが(イ)においてはFAOの72~73年度漁業関係事業計画の重点項目が決定され(ロ)においては中東大西洋海域における漁獲規制問題に関する審議決定がなされた。(ハ)の研究部会は一次産品の生産・貿易等の経済的諸問題を検討する商品問題委員会の下部機関のひとつであるが同部会においては,米国,ECとともにわが国の米穀政策の検討が行なわれたほか,米国の国内および国際措置に関するガイドラインの採択を行なつた。また,(ニ)の第16回総会ではFAO活動に関する種々の討議決定が行なわれたがその他,「国連第2次開発の10年」との関連で「世界農業開発予測研究」の検討が行われ,また国際的農業調整問題を産品別に検討することが効果的であるとの合意が得られた。
他方,1972年1月国連本部で開催された国連とFAO共同の「世界食糧計画(Wor1d Food Programme―略称,WFP)」の1973~74年目標額3億4千万ドルに対する拠出誓約会議でわが国は予算の成立を条件に300万ドルを拠出する旨,誓約した。(WFPは,開発途上国における経済社会開発と緊急食糧不足に対し食糧を利用して援助を行なう多数国間食糧援助計画である。)また1971年7月および10月にはわが国はインドヘ避難し東パキスタン難民に対しWFPを通じて総額500万ドルに上る食糧援助を行なつた。
開発途上国における保健衛生状態の改善,家族計画の実施,国際的な人口移動の増加に伴う検疫の問題,さらに産業化に伴う環境衛生,公害問題等,保健衛生面における国際協力の必要性はますます増大している。わが国は1951年WHOに加盟し現在,理事国となつている。またわが国は,食品添加物,製剤の標準化,殺虫剤,癩病,精神衛生等に関する専門家諮問部会,疾病媒介昆虫対策,薬品中毒,結核対策,病院の管理,母子衛生に関するセミナー等に参加し保健分野における国際協力に貢献しているほか技術援助の一環として,結核,痘そう,コレラ,マラリア等の伝染病対策専門家の派遣,WHOの派遣する研修員の受入れを行ない,保健衛生分野における開発途上国援助にも努力している。
他方わが国は1970年以降引続き,WHOより血清レファレンス銀行および胃ガンの診断に関するレファレンス・センターに指定されこの分野において協力しているほか,1971年12月WHO第7回国際精神医学的診断,分類および統計に関するセミナーを東京に招致し多大の成果を挙げた。なお,わが国は1971年8月,WHOの要請により東パキスタン難民用コレラ・ワクチン30万人分を送付しWHOの緊急伝染病対策にも協力した。
わが国は1953年ICAOに加盟して以来,国際協力の下でわが国民間航空の健全な発達に努めているがとくに1956年以降継続して理事国に選出される等ICAOの活動に積極的に参加している。
1971年6月15日より7月7日までウィーンで第18回総会が開かれ理事国の選挙および予算の決定等が行なわれ,わが国からは在オーストリア藤山大使以下12名が参加した。
航空機のハイ・ジャック等民間航空に対する不法妨害行為にいかに対処するかは近年ICAO活動の重要な課題となつている。わが国は1970年12月へーグで採択された「航空機の不法な奪取の防止に関する条約」(1971年10月14日発効)の批准書を他国に先がけ,1971年4月19日に寄託した。
また1971年9月8日より23日までモントリオールで航空機に関する国際会議が開かれ上記条約を補足し航空機の破壊等の不法妨害行為を行なつた者を処罰するための措置を講じた「民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約」が採択されたがわが国も代表を派遣し条約の作成に協力した。
近年の民間航空の急激な発展は航空機騒音問題を引き起こしている。これに関連し,ICAOは,航空機の騒音証明制度を基準化しこれを国際民間航空条約第16附属書として採択したがこれは1972年1月6日より発効した。わが国は航空公害の分野での対策の研究については国際的に高い水準にあるのでICAOにおけるこの問題の検討には大いに寄与している。
世界の海運および造船においてわが国が占めている地位からみて,IMCOの活動はわが国にとつてきわめて重要である。わが国は1958年IMCOに加盟以来理事会および海上安全委員会の有力なメンバーとなつているが本年度も第23回海上安全委員会(3月),第26回理事会(6月),第24回海上安全委員会(9月),第27回理事会(10月)および第7回総会(10月)等IMCOの重要な会議に参加し積極的な役割を果した。特に第7回総会ではタンカーのタンク・サイズ制限のための油濁防止条約(1954年の油による海水の汚濁の防止のための国際条約)の改正審議に際しわが国提案が満場一致で採択されたことは注目される。
またわが国は海事関係条約採択のためのIMCO主催特殊運送旅客船国際会議(11月)およびIMCOとIAEA等の共催の核物質の海上運送に関する国際法律会議(11月)等の各種国際会議に積極的に参加すると共に先に採択された「油濁防止条約の1969年改正」および「油による汚染を伴う事故の場合における公海上の措置に関する国際条約」(通称公法条約)を他国に先がけて1971年4月に受諾した。
わが国は1953年WMOに加盟したが1955年WMO第2回世界気象会議以来毎回同会議に代表団を派遣し,気象問題に関する国際協力に努めている。
1971年4月には第6回世界気象会議が開催されたが,右会議において,わが国気象庁長官が引続きWMO執行委員会委員に選出された。またわが国は,海洋国として海洋気象の分野における国際協力に果すべき役割を考慮し第6回海洋気象委員会を1972年10月11日から東京で開催するよう招請した。
わが国は1877年欧米以外の国として最初にUPUに加盟して以来,郵便物の相互交換の円滑化,郵便業務の組織化等のための国際協力の増進に積極的に寄与してきている。
1971年5月27日より6月3日までベルンで執行理事会が開かれたがわが国は議長国として円滑な議事運営に努めると同時に理事国として審議に積極的に参加した。
またわが国は1969年11月東京で採択されたUPUの条約類の批准書および承認書を6月8日にスイス政府に寄託した。更に1970年11月京都で署名,更改されたUPUの地域的連合であるアジア・オセアニア郵便連合の基本条約たる「アジア・オセアニア郵便条約」については,6月14日フィリピン政府にその受諾書を寄託した。
わが国は1879年ITUの前身である万国電信連合に加盟し,ITU創立後も国際電気通信の改善および合理的利用のため連合の活動に鋭意参加し,とくに1959年以降,管理理事会に選出されている。
本年度においては第26回会期管理理事会および宇宙通信に関する世界無線通信主管庁会議(6月7日~7月17日)がジュネーブで開催されたがわが国はそのいずれにも代表団を派遣しその審議に積極的に参加した。