-西欧地域-

 

第5節 西 欧 地 域

 

1.概    説

 

わが国と西欧諸国の関係は,永年にわたり培かわれてきた友好関係を基礎として近年相互の交流・協力が一段と活発化するに至つている。1971年秋,天皇・皇后両陛下がデンマーク,ベルギー,フランス,英国,オランダ,スイス,ドイツの西欧7カ国を御訪問になり,これら諸国との親善を深められた。御訪欧を契機として西欧諸国におけるわが国に対しての関心もまた大いに増大した。

西欧諸国は,戦後政治的安定の確保に努めるとともに,その経済力を着実に伸ばし,現在世界において再び大きな役割を果しつつある。特に欧州共同体を中心とする欧州統合の動きは,幾多の曲節を経ながらも地道に具体的成果を積みあげてきたが,1971年には数年来の懸案となつていた英国の加盟交渉が妥結したのをはじめ,71年から72年初めにかけて,アイルランド,ノールウェー,デンマークの加盟交渉も妥結し,1972年1月22日,これら4カ国の欧州共同体加盟条約の調印が行なわれた(同条約は1973年1月1日発効の予定)。この結果,西欧諸国の国際社会における比重は一層増大しつつある。

わが国と西欧諸国双方の国際的地位の向上にともない,双方の間には相互の協調,協力の必要性と可能性が一段と大きくなつてきているが,1971年にはわが国と西欧の双方においてこの協力の必要性があらためて認識され,その実現がより積極的に求められるに至つた。

わが国は,この観点から1971年度においても,大臣レベルの定期協議をはじめ,貿易,航空,租税等に関する交渉等により引き続き対西欧関係の基礎がためを行なうとともに,経済,科学,文化等あらゆる分野での協力関係の増進に努め,更に,欧州共同体との間でも交流を積極的に推進することに努力した。

1970年に続き,1971年にもわが国の対西欧貿易は一段と増大した。(わが国の西欧諸国への輸出は,33億9,513万ドル,輸入は,20億6,206万ドル,うちEECへの輸出は,16億3,535万ドル,輸入は,11億3,817万ドル,EFTAへの輸出は,13億O,477万ドル,輸入は,8億1,643万ドルであつた。)しかし一方このようなわが国の急速な輸出の増大に対して西欧諸国には警戒の念が強まりつつあり,今後の対西欧貿易上の大きな問題点となりつつある。

 

2. 天皇・皇后両陛下欧州諸国御訪問

 

天皇・皇后両陛下は,9月27日より10月14日まで18日間に亘り,前記のヨーロッパ7カ国を御訪問された。ベルギー,英国,ドイツの御訪問は公式の御訪問であつた。御訪問には首席随員として福田外務大臣が随行した。御日程は次のとおりであつた。

  9月27日 東京御出発

26日 米国・アンカレッジ御到着

              同御出発

27日 デンマーク・コペンハーゲン御到着

29日 同上御出発

      ベルギー・ブラッセル御到着

10月2日 同上御出発

      フランス・パリ御到着

5日 同上御出発

      英国・ロンドン御到着

8日 同上御出発

      オランダ.アムステルダム御到着

10日 同上御出発

      スイス・ジュネーヴ御到着

11日 同上御出発

      ドイツ・ボン御到着

13日 同上御出発

      米国・アンカレッジ御到着

      同上御出発

14日 東京御到着

 

3. 定 期 協 議

 

 (1) 第9回日英定期協議

第9回日英定期協議は,1971年6月10日および11日の両日,ロンドンにおいて,愛知外相とダグラス・ヒューム外務英連邦相との間で行なわれた。またその際,事務レベルの協議も行なわれた。

両大臣は,欧州,中東およびアジアにおける国際情勢,東南アジアにおける地域協力,英国の欧州共同体加盟問題,日英経済通商関係等について意見を交換した。

なお,愛知外相は,ヒース首相を訪問し,国際情勢および両国関係につき会談したほか,デービス通産相と両国の経済問題につき意見の交換を行なつた。

 (2) 第9回日仏定期協議

第9回日仏定期協議は,1972年1月17,18日の両日,東京において,福田外務大臣とモーリス・シューマン外相との間で行なわれた。また,その際事務レベルの協議も行なわれた。

両大臣は,アジア情勢,欧州情勢,国際経済問題を中心に活発な意見の交換を行なつた。

また,シューマン外相は,佐藤総理を訪問し,国際政治経済情勢について意見を交換した。

 

4. 貿 易 交 渉

 

 (1) 日・英貿易交渉

1969年以来ロンドンで行なわれている日英長期自由化交渉は諸般の事情で難航しているため,同交渉を継続しつつ,同時に,71年・72年の両国輸入割当増加を主内容とする年次協定を締結することを目標として72年1月より,ロンドンにおいて,折衝を行なつたが結論を得るに至つていない。

 (2) 日・ノールウェー貿易交渉

ノールウェーとの貿易関係については,1962年の両国間の書簡交換以後,毎年交渉が行なわれ,対日待遇は漸次改正されてきた。1971年においても,12月6日から11日まで,東京において交渉が行なわれ,その結果対日輸入自由化の促進および若干品目についての増枠が行なわれることになり,対日差別輸入制限品目は,38(綿製品取決めにかかわる対日制限品目を除く)に減少した。

 (3) 日・オーストリア貿易交渉

1970年12月23日に署名された日墺貿易取決めは,1971年末で失効することになつていたため,1972年以降の取扱いにつき1971年10月11日より12月17日までウィーンで交渉が行なわれた。その結果,1972年12月31日まで,両国間の貿易は引続き1966年11月4日付の取決めにより律せられることとなつた。

 (4) 日・スペイン貿易交渉

(あ)1971年7月7日から22日までマドリッドにおいて,スペインとの間に特恵供与に関する交渉を行ない,スペインの対日ガット35条援用撤回問題等につき満足すべき結果を得たので,わが国は,8月1日からスペインに対し一般特恵関税供与を行なつた。スペインは,12月26日わが国に対するガット35条援用を正式に撤回した。

(い)1966年2月に締結された日・スペイン貿易協定は,1970年まで毎年延長されてきたが,これに代る新らしい貿易協定を締結することとなり,1971年11月15日から20日まで東京において第1回交渉が行なわれた。第2回交渉は早期にマドリッドにおいて行なう。

 (5) 日・ポルトガル貿易交渉

1972年2月14日から22日まで,リスボンに於て,ポルトガルとの間に交渉を行なつた結果,ポルトガルは,3月31日までにわが国に対するガット35条援用撤回を行ない,他方わが国は4月1日から一般特恵をポルトガルに供与することに合意をみた。

ポルトガルは,3月31日わが国に対するガット35条援用を3月31日から撤回する旨ガット事務局長に通告した。

 

5.航空交渉

 

 (1) 日伊航空当局間協議

日伊航空当局間協議は,1971年12月20日から22日まで東京で開催され,シベリア路線開設問題が討議をされたが合意に至らず,次回協議に持越された。

次回協議は,1972年3月13日からローマで開始されたが,同じく合意を見るに至らず,3月17日終了した。

 (2) 日仏航空当局間協議

日仏航空当局間協議は,1972年2月21日からパリで開催,24日一旦中断の後3月6日から11日まで継続され,タヒチ,ニュー・カレドニアと東京を結ぶ南太平洋路線の開設等の問題が協議されたが,最終的合意を見るに至らず,結論は72年4月の次回協議に持越された。

 (3) 日蘭航空当局間協議

日蘭航空当局間協議は,1972年2月28日から3月1日までへーグで開催された。協議の結果,両国指定航空企業が現在運航している路線中,日本側は北廻り路線,オランダ側は南廻り路線にそれぞれジャンボ・ジェットを使用することが合意された。

 (4) 日独航空協定附表改訂

1971年中に日独両国航空当局で達した合意にもとづき,1972年3月21日福田外務大臣と駐日ドイツ連邦共和国大使の間で,日独航空協定附表改訂のための書簡交換が行なわれた。右改訂の結果,日本側北廻り路線の以遠地点にアムステルダムが追加された。

 (5) 日英航空当局間協議

日英航空当局間協議は,1971年9月6日から13日までロンドンにおいて,1972年1月18日から28日まで東京において,日本側寺井運輸省航空局審議官,英側ルゴイ通産省航空局長を代表として行なわれた。協議の結果,増便,日本側の地点として香港以遠オークランドを追加する問題,日本側の路線として1975年からナイロビ線を開設する問題,双方の地点として鹿児島を追加する問題等について合意を見た。

 (6) 日・スイス航空当局間協議

日本・スイス航空当局間協議は1972年3月22日から25日まで,日本側寺井運輸省航空局審議官,スイス側でグルディマン運輸通信省航空局長を代表として,東京で開催された。協議においては,両国間のシベリア経由路線開設の可能性その他の諸問題が討議された。

 

6.租税条約交渉

 

 (1) 日・スイス租税条約の批准書交換

わが国とスイスとの租税条約(「所得に対する租税に関する二重課税の回避のための日本国とスイスとの間の条約」)は,1971年1月19日に署名ずみであるが,同条約の批准書の交換が同年11月26日,スイスのベルンにおいて,日本側西山駐スイス大使,スイス側グラベール外務大臣との間で行われた。この結果,同条約は同日付で効力を生じ,71年1月1日に遡つて適用された。

 (2) 日・フィンランド租税条約交渉

二重課税の回避及び脱税の防止に関するわが国とフィンランドとの間の条約を締結するための交渉は,1970年9月にヘルシンキにおいて行なわれた第1回交渉のあとを受けて,1971年5月24日から29日まで,東京において行なわれ,その結果両国代表は,条約テキストに仮調印を行なつた。その後,1972年2月29日わが方飯村駐フィンランド臨時代理大使とフィンランド側テッテルマン外務次官との間で署名が行なわれた。同条約は,大要においてOECDモデル条約案に準拠したものである。

 

7. そ  の  他

 

ミュンヘン総領事館の開設

1971年度予算により在ミュンヘン総領事館の設置が認められ,1972年1月1日開館の運びとなつた。同総領事館の管轄地域は,バイエルン州およびバーデン・ヴュルッテンベルク州である。

 

8. 欧州共同体(EC)との関係

 

戦後世界経済の転換期にあたり,また,既存の秩序の見直し,再検討への作業がガット,OECD,IMF等において進められつつある現在,発言力を高めて来たECとわが国との関係強化はますます緊要の度を高めていると見られる。

EEC(欧州経済共同体)は,既に関税同盟を完成しまた主要農産品について共同市場を発足させ,経済総合の基礎を固めているが,71年2月には,経済通貨同盟の段階的実現計画が欧州共同体理事会により採択され,同年1月1日に遡ってその第一段階が開始された。同計画は,10年間に通貨統合と主要経済政策の共同体化を実現しようとする野心的なものであるが,5月以降国際通貨危機があつたため,現在のところ当初予定どおり進んでいない。しかし,域内通貨間の為替相場の変動幅縮少については,72年1月の独・仏首脳会談でも再確認されており,今後ECはこれまでの遅れを取り戻すべく,同計画を再び軌道に乗せるよう図るものと思われる。

また,70年から開始された英国の加盟交渉は5月のヒース・ポンピドゥー会談における政治的合意を契機に急速に進展し,6月23日には大筋における妥結をみた。アイルランド,ノールウェーおよびデンマークの加盟交渉も順調に進み,一時難航したノールウェーの漁業専管水域問題も72年1月には解決した。この結果,72年1月22日には,ブラッセルで英国,アイルランド,デンマークおよびノールウェーと原EC構成6カ国は,加盟条約に調印した。同条約は,今後72年中に各国の国内手続きを了した後発効することとなつているが,同条約の発効はまちがいないものと思われ,73年1月1日から10カ国,2億5,600万人からなる拡大ECが発足する予定である。

英国の加盟に伴い,英連邦特恵を失う英連邦諸国中,アフリカ,カリブ海,南太平洋所在の後発発展途上国20カ国は改めて拡大ECとの連合・特恵関係に入ることが予想される。その結果,拡大EC1Oカ国と連合・特恵関係を持つ国は54に増加するものと予想され,国連,ガット,OECD,UNCTAD等の国際機関におけるECの発言力はきわめて大きなものとなろう。因みに拡大ECの世界貿易に占める割合は40%となる。

(ECとは欧州共同体の略称であり,EEC,ECSCおよびユーラトムの3共同体の総称で,これら3共同体は67年7月1日に発効したブラッセル条約に基づき,執行機関たる理事会と委員会を統合した。)

わが国とECとの関係についてみると,その主要点は次のとおりであつた。

 (1) 日・EEC通商交渉

70年9月に開始されたわが国とEECとの通商交渉の第2ラウンドは,1971年7月6日から8日まで,ブラッセルで行なわれた。しかし第1次ラウンドから持ち越されたセーフガード問題について,現行の日・仏および日・ベネルックス貿易議定書に規定されているものと同様のセーフガード条項を共同体全域に適用することを主張するEECと,ガット規定以外にバイラテラルなセーフガードを認める必要はないと主張するわが方との間で歩み寄りが見られず,現在交渉は中休みの状態にある。

 (2) 日・EEC綿製品協定の締結

綿製品貿易に関するわが国とEC諸国との二国間協定はいづれも70年9月30日に失効したが,同年1月1日以降ECは,通商政策の統一化の見地から加盟国と第3国との間の二国間協定締結を認めないこととなつたため,同年秋,日・EEC間で交渉が行なわれた結果,70年10月1日から73年9月30日までの期間について綿糸を除く全ての綿製品を対象とする日・EEC綿製品協定案につき合意に達した。この協定は,72年2月7日,ブラッセルにおいてわが方安倍大使とEEC側エルンスト局長の間で署名され,また付属書簡の交換が行なわれた。なお,署名がこのように遅れたのは,本協定の基になつているLTA(綿製品の国際貿易に関する長期取極)の再延長議定書に対するわが方の署名が遅れ,71年10月1日になつてやつと行なわれたとの事情によるものである。

 (3) マルファッティ委員長の訪日

EC委員会のフランコ・マリア・マルファッティ委員長は72年2月中旬,日本政府の招待により公賓として訪日した。同委員長訪日の機会に発表された共同コミュニケは,世界経済の安定と発展にとつて両者の間の緊密な協力が不可欠であることを確認し,73年にガットの新国際ラウンドを開始し,これを積極的に支持することについて双方の立場が一致していることを強調した。また同コミュニケは,貿易および経済に関する共通の関心事項につき協議するため日本側閣僚とEC側委員会委員との間で随時,意見の交換を行なうこと,および日・EC通商交渉に関しては,ガットの原則に基いて解決を図ることに合意した旨,述べている。

 (4) EC駐日事務所の設置

EC委員会は,ワシントン,ロンドン等に代表部ないし事務所を設置しているが,東京にも近くEC広報事務所を設置したい意向でありすでに予算措置がとられた趣である。

西欧地域要人来訪一覧表

 

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