第 2 部 |
各 説 |
(1) わが国とアジア
わが国はアジアの一国として,アジア地域の平和と繁栄に対し深い関心を有している。
第2次大戦後きびしい東西間の対立によつてアジアはつねに世界における緊張の目の一つであつたが,1969年末頃よりニクソン・ドクトリンに基づく米国のアジア政策の転換を嚆矢として,いわゆる冷戦体制は変化をみせはじめてきた。すなわち,米中関係が対決から対話へ移行する傾向と相俟つて,1971年7月にはニクソン大統領の訪中計画が発表され,ついで中華人民共和国の国連参加が実現し,朝鮮半島においては,南北赤十字の予備会談が開かれる等,緊張緩和へ向つての模索もうかがわれ,また,東南アジアにおいては,1971年11月のASEAN諸国外相会議の例にもみられる如く,関係諸国が自主的イニシアティブにより,自らの政治的運命を切り拓いてゆこうとする動きも見えてきている。
しかし,アジア地域の平和と繁栄は,域内外の諸大国の動きに起因する緊張と並んで,アジア各国に特有な複雑な社会構造,経済的後進性などに由来する政治的不安定性により従来必ずしも確保されない傾向にあつた。この政治的不安定性が短期間で解決されることは困難であるうえ,アジアの分裂国家をめぐる対立と紛争も改善の方向にむかいつつも引き続き存続している状態であるので,アジア情勢は,1971年の印パ戦争の例にみられる如く,全般的には緊張緩和を指向しつつ依然として流動的に推移するものと考えられる。他方,近年多くのアジア諸国が経済開発に力を注ぎ,着実に国内基盤を強化するとともに,アジア諸国の間での地域協力を活発に推進していこうとする相互扶助の気運を高めていることは歓迎すべき傾向といえよう。
従つて,わが国としては,アジア諸国に対する各種経済協力の拡充を図るとともに,東南アジア開発閣僚会議,ASPAC(アジア・太平洋協議会),アジア開発銀行などアジアの各種地域協力を積極的に推し進め,アジア諸国の経済発展を支援しアジア全体の緊張を緩和して平和と安定を確保するよう努力している。
(2) アジア諸国との貿易経済関係
わが国の昨年の対アジア輸出は,対前年比17.7%増の57億7千万ドルであつたが,輸出全体の伸び24.7%を大きく下回つたため,輸出全体に占めるシェアは一昨年より1.4%低下し24.O%となつた。
対アジア輸出が伸び悩んだ原因は,国際通貨不安や世界的景気後退により世界貿易が停滞し,かつヴィエトナム特需の減少や一般的援助の頭打ちにより,多くのアジア諸国が国際収支上の困難に見舞われたことにあると考えられる。これは国際収支の困難が伝えられている韓国,タイ,フィリピン向け輸出が,それぞれ4.7%増,0.8%減,2.6%増と殆んど伸びを示していないことによつて明らかであろう。対中華人民共和国輸出も1.5%増にとどまつているが,これは前年の45.6%という急増の反動といつた要因が作用したことも考えられる。
品目的には化学製品(24.1%増),鉄鋼(24.7%増),テレビ(37.4%増),自動車(23.2%増),船舶(29.1%増)等の増加が著しく,反面繊維製品やラジオ等の軽工業製品の伸びが急速に落ち込んできているのが印象的である。
次にわが国の対アジア輸入をみると,総額では対前年比12.8%増の34.0億ドルであつた。これは輸入全体の伸び4.3%増を大きく上回つており,その結果輸入全体に占めるシェアは17・3%と前年比11.3%増大している。
一般的に昨年のわが国の輸入が低水準であつたのは,わが国の輸入が資源中心であるため,国内の景気後退による工業生活の低下がダイレクトに輸入の減少となつてはね返るという構造的要因によるものである。これはゴム,木材,銅鉱石,鉄鉱石等の輸入が大宗を占める,マレイシア,フィリピン,インド等からの輸入がいずれも前年の水準を下回つていることからも明らかであろう。但し,食料および価格引上げのあつた石油に関しては,それぞれ37.1%増,38.4%増と著しい伸びを示している。なお中華人民共和国よりの輸入は26.9%増と前年の低水準より著しく回復してきている。
(あ) 第6回閣僚会議
ASPAC第6回閣僚会議は,1971年7月14日から16日までの3日間フィリピンの首都マニラにおいて開催され,日本,韓国,中華民国,ヴィエトナム,タイ,マレイシア,フィリピン,豪州およびニュー・ジーランドの加盟9カ国の外相またはこれに代わる閣僚が出席したほか,ガンボディア,ラオスの両国はオブザーヴァーを派遣し,またインドネシアの代表は開会式および閉会式にフィリピン政府の特別ゲストとして出席した。
この会議では,アジア・太平洋をめぐる国際情勢およびASPAC地域に関係ある諸問題などについて討議が行なわれ,愛知日本政府代表は,「わが国はアジア・太平洋地域における緊張緩和を指向し,平和と建設のための戦いを進めて」おり,「1970年代を通じわれわれとしては2国間および多数国間の政策を通じこのような目標に向つて努力しなければならない」と強調した。
さらに,各国代表は,過去1年間マニラにおいて行なわれたASPAC常任委員会の報告書,ASPACプロジェクトに関する報告書・第7回閣僚会議までの作業計画などについて討議を行なつた。
この後会議は,「国際間の緊張を緩和する必要とかつそのために域内各国相互間および域外諸国と緊密に協力して行くことが必要である」旨の共同コミュニケを発表し,会議を終了した。
なお,次回第7回閣僚会議を1972年に韓国で開催することに決定した。
(い) ASPACプロジェクト
閣僚会議において参加各国は,ASPACのプロジェクトである科学技術サーヴィス登録機関,文化社会センター,食糧肥料技術センターおよび経済協力センターの報告を高く評価し,これらのプロジェクトの活動が,それぞれの分野において,ASPACの目的を推進する上に一層の効果があることについて同意した。
また第5回閣僚会議においてタイの提案による経済協力センター設立に関する協定が署名されたが,本センターは1971年4月バンコックにおいて業務を開始した。さらに科学技術サーヴィス登録機関のための協定が承認,署名された。このほか,わが国が提案した海洋協力計画に関しては,1971年11月東京において専門家会議が開かれ造船,船舶行政の協力関係などについて検討が行なわれた。
(あ) 第4回閣僚会議
ASEAN第4.回閣僚会議は,1971年3月12,13の両日マニラにおいて開催され,インドネシア,マレイシア,フィリピン,シンガポール,タイの加盟5カ国の代表が参加したほか,カンボディアおよびヴィエトナムの代表がゲストとして出席した。
この会議では,フィリピンのマルコス大統領が地域協力の面でのASEANの役割を高く評価するとともに,1970年代をASEAN開発の10年として長期的に経済共同体を形成する方向へと向うことを望む旨の歓迎の挨拶を述べた後,ロムロ比外相を議長に選出し,それに続いて各国代表が一般演説を行なつた。その後会議は秘密会に入り,3月13日第5回閣僚会議をシンガポールで開催するとの決定を含む供同コミュニケを採択して閉幕した。
(い) ASEAN諸国外相会議
1971年11月26,27日の両日マレイシアの首都クアラルンプールにおいて開催されたASEAN諸国外相会議は,ASEANの閣僚会議のような定期的会議ではなく,ニクソン米国大統領の訪中計画発表後のアジア情勢を検討するため,マレイシアのラザク首相が臨時に召集したものであつた。
この会議で採択された宣言は,従来よりマレイシアのラザク首相が提唱していた東南アジア中立化構想に言及し,
(イ) 東南アジアが平和,自由および中立の地域としてすべての大国によつて尊重されるべきこと
(ロ) 東南アジアがこの地域諸国の国内問題に対する域外大国からのあらゆる形態および方法による干渉から中立化されるべきこと
の2点を明らかにしている。
また同会議のコミュニケは,フィリピンの提唱したアジア首脳会議がマニラにおいて後日開催される旨述べている。
1 東南アジア開発閣僚会議は,東南アジア諸国の経済開発担当閣僚およびわが国の外務大臣が一堂に会し,経済開発の共通の諸問題につき卒直な意見を交換し,これら諸国間で経済開発のための地域協力を推進するためのフォーラムであり,わが国の提唱により1966年発足した。爾来第2回フィリピン,第3回シンガポール,第4回タイ,第5回インドネシアで毎年開催され第6回会議は1971年5月マレイシアで開催された。参加国は,インドネシア,ラオス,カンボディア(第5回までオブザーバー),マレイシア,フィリピン,シンガポール,タイ,ヴィエトナムおよび日本の9カ国である。
2 第6回会議における各国の経済開発の進展ぶりに関する報告において,各国とも個々の流動的情勢にもかかわらず,かなりの経済発展をとげていること,ならびにこの結果に安住することなく,ひきつづき開発と建設のために不断の努力が払われている点を強調した。一方愛知外務大臣は,わが国が1975年までにGNPの1パーセントの援助目標達成に努力するとの方針を昨年にひきつづき確認し,昨年9月のDAC上級会議の合意に基づき,国際機関拠出および二国間政府借款をアンタイイング化するとの原則的方針を説明した。またKRのくりあげ実施,一部関税の引下げ,残存0Rの撤廃などを通じ,更に対発展途上国一般特恵など貿易の分野において,東南アジア産品に対する急速に伸長する市場を提供するための体制を整えつつある旨発言した。次に70年代の開発戦略を支える柱として農業開発,工業の振興,およびマンパワー開発の諸分野において,アジア開発銀行の「1970年代の東南アジア経済の研究」に基づき参加国から提案されるであろう開発計画に対し,わが国は積極的に協力していく旨の決意を披瀝し,相互のパートナーシップを強化していくことを呼びかけた。
3 このほか会議では,従来の閣僚会議を母体として生れ既に活動している既存のプロジェクト,および新しい地域プロジェクトにつき検討が行なわれた。
4 閣僚会議でとりあげられている地域プロジェクトとしては,1970年代における東南アジア経済分析,東南アジア貿易投資観光促進センター,アジア医療機構(AMO),アジアの租税制度の研究および調査,東南アジア漁業開発センター,公衆衛生および殺虫剤規制に関する地域プロジェクト,経営教育の必要に関するフィージビリティ調査,東南アジア開発援助計画,東南アジア工科大学設置等の多きに達するがその主なものの進捗ぶりは,次のとおりである。
(イ) 1970年代の東南アジア経済分析
第4回閣僚会議でタイより提案され,アジア開発銀行が取りまとめにあたつていたこの調査は,1970年11月に完成した。
本報告書は「緑の革命」「工業化」「貿易」「民間投資」「人口問題」等につき分析を行ない,種々の示唆,提言を行なつており,今次会議ではその内容を高く評価し,さらにこの分析をフォローアップすることが決められた。このための地域会合は72年3月末タイで開催される。
(ロ) 東南アジア貿易投資観光促進センター
本センターの構想は,第3回閣僚会議におけるタイの提案に基づくものであり,地域協力により東南アジア諸国からわが国への輸出,わが国からの投資および観光促進を図るため種々の促進活動を行なうことを目的とする。センター事務局は東京におかれる。本センターは今次会議の決定を経て,1972年1月正式に成立し,活動を開始した。わが国は,センター経費の主要部分を負担する等,積極的に協力を行つている。加盟国は,タイ,ラオス,カンボディア,ヴィエトナム,マレイシア,シンガポール,インドネシア,フィリピンおよび日本の9カ国である。
(ハ) アジア医療機構構想
第5回閣僚会議において,わが方代表より,アジア地域の医学の進歩および医療水準の向上が経済社会開発の基礎的条件の一つであり,かつ,このためには,共通の課題に悩むアジア諸国の相互協力がきわめて重要であるとの観点から地域協力の推進を提唱した。
今次会議では,当初医師の卒後教育,看護要員の訓練および医療情報の交換を目的として提案されていた本構想に,公衆衛生の分野を含めるべきであるとの意見をもとり入れつつ,さらに作業をつめる旨申し合わせが行なわれ,これを受けて,72年2月東京で作業部会が開催された。各国ともかかる地域協力機関が有用であることを認めており,本構想がさらに具体化して行くことが期待されている。
(ニ) アジア租税行政及び調査
第5回閣僚会議において,比より地域協力を通じて域内各国の税制,税務行政の改善,強化を図るとともに,投資にインセンティブを与えるために地域の投資環境を整備することが重要であるとして,各国情報交換のためのスタディグループ開催を提案したが,右会合は,1971年2月マニラで開催された。
今次閣僚会議においては,この知識および経験の交換が有用であるとして,引き続き会合が行なわれることが合意され,第2回会合は1972年2月インドネシアで行なわれた。この会議では,各国の税制や租税行政の経験をもとにして活発な討論が行なわれ,わが国は第3回会合を東京で1973年に開催する用意がある旨表明した。
(ホ) 東南アジア運輸通信調整委員会
本件調整委員会はマレイシアに事務局があり,東南アジアにおける運輸通信プロジェクトの調査事業を推進している(わが国は,オブザーバー)。経済開発との関連における地域運輸間題全般に関する調査報告書がアジア開発銀行より提示され,そのフォローアップがつづけられている。
(ヘ) 東南アジア家族人口計画政府間調整委員会
第5回閣僚会議においてマレイシアは東南アジアの人口問題につき域内閣僚レヴェル意見交換を行なうための会合を提唱したが,1970年10月クアラルンプールにおいて東南アジア家族人口計画閣僚会議が開催された。この会議においては,家族・人口計画に関する意見および情報交換が行なわれ,今後も閣僚レヴェルで随時会合すること,また,そのため委員会をマレイシアに設置すること等が合意された。この合意に基づき第1回政府間調整委員会が1970年4月ジャカルタにおいて開催されたのに引続き,第2回政府間調整委員会は,1972年2月シンガポールで開催され,具体的事業の実施について討議が行なわれる予定である。
(ト) 東南アジア漁業開発センター
東南アジア漁業開発センターは,東南アジアにおける漁業開発の促進に寄与することを目的として1967年12月に設立された東南アジア開発閣僚会議が生み出した最初の地域協力プロジェクトである。現在センター加盟国は日本,マレイシア,フィリピン,シンガポール,タイおよびヴィエトナムの6カ国で,事務局はバンコックにある。センターには現在訓練部局(バンコック)および調査部局(シンガポール)があり,また加盟各国より訓練生を受け入れ,あるいは域内の漁業資源の調査を本格的に行なう等の事業を行なつている。
現在これら部局の他に養殖部局をフィリピンに設置することが検討されている。わが国は,センターに対し船舶,器材の調達資金を拠出したほか専門家の派遣,奨学金の拠出等により協力を行なつている。
アジア開発銀行は,1966年12月アジアと極東地域の経済成長を助長し,地域の開発途上国の経済開発を促進することを目的として設立された。71年12月,業務開始後満5年を経過したが,71年4月にパプア・ニューギニアをメンバーに加え加盟国は36カ国(域内22カ国,域外14カ国)となつた。また71年4月第4回年次総会に於いて渡辺現総裁が同年11月の任期満了をまたずに再選された。
アジア開銀の業務は順調に推移し,71年末現在,16カ国に対し84件632百万ドル(内特別基金による融資28件107百万ドル)の融資案件,また15カ国および地域調査等に対し約11.8百万ドルの技術援助案件を承認している。
68年末から開始された地域運輸調査は,71年7月にその報告書が完成をみた。この報告書は長期的見通しにたつて東南アジア7カ国の経済成長との関連で運輸問題の分析を試みるとともに具体的プロジェクトについても示唆を行なつたものである。
アジア開銀に対する旺盛な資金需要に応えるべく,71年11月に現行資本規模の1.5倍である16.5億ドルの増資が決議され,今後のアジア開銀活動の拡充に資することとなつた。
わが国は域内先進国として従来からアジア開銀に対し積極的な協力を行なつており,これまで最大の2億ドルの出資を行なつて来たが,今回の増資によりさらに3億ドルの応募を要請されている。また,特別基金に対しても,68年農業特別基金に対し20百万ドル,69年,70年および71年に多目的特別基金に対し各々20百万ドル,30百万ドル,30百万ドルの拠出を行ない,わが国が当初公約した1億ドル拠出を銀行発足後5年を経て達成した。1971年末現在のアジア開銀の特別基金の資金規模は,農業特別基金23百万ドル(内日本拠出分20百万ドル),多目的特別基金148百万ドル(内日本拠出分80百万ドル)となつている。
わが国は,また銀行が主として贈与べースにより行なつている技術援助に対しても,協力を続けており,68年以降71年末までに231万ドルの拠出を行ない,この分野でも大きな寄与をなしている。
また70年12月の60億円のアジア開銀の円貨債の本邦発行に引続き,71年11月には右第1回目を大幅に上回る100億円の円貨債の本邦発行がなされた。かかる円貨債の発行はアジア開銀の資金充実に資するところ大であつたと共に,わが国にとつては国内金融市場の国際的開放へのステップともなり,二重の意義があつたといえよう。(発行条件は,利率は前回同様年7.4%,発行価格は額面100円につき99円75銭,応募者利回り7.45%で償還期限は前回同様7年となつている。)
1 アジア生産性機構は,1961年5月,アジア諸国における生産性の向上を目的として設立された国際機関で,わが国をはじめアジア地域13カ国および香港が加盟しており,事務局は東京におかれている。この機構は,セミナー訓練コース等を開催するほか,視察団,専門家を派遣し,中小企業の経営改善,生産技術の向上などにつき,加盟国への協力,助言にあたつている。
2 アジア生産性機構は設立10周年にあたる1970年を「アジア生産性年」とし,加盟諸国における生産性運動を強力に展開するとともにそのハイライトとして,同年8月,東京でアジア,生産性大会を開催アジア生産性宣言を行ない,生産性意識の高揚につとめた。さらに1971年からは,加盟国分担金を25%引上げ財源の強化を図るとともに,引続き積極的に事業を推進している。わが国は,同機構に対して1971年21万6千ドルの分担金,16万2千ドルの特別拠出金を拠出し,またわが国で実施される同機構の事業費の一部として約27万5千ドルを支出した。また訓練コースなどの実施については,わが国の企業が協力している。
なお,現在,事務局長は,関 守三郎氏である。