多極化した世界における諸国間の利害の複雑なからみ合いの中で,わが国が自らの方途をさぐり発展を期してゆくためには,先ずいずれの国とも十分対話をもてる関係に立つておくことが必要である。この意味においてわが国は,あらゆる国との間に友好親善関係を保ち,可能な限り相互理解と協調の関係を築きあげてゆかなくてはならない。
もとよりわが国は,政治・経済・社会体制を同じくする他の自由諸国との間に,同質の価値感と幅広い共通の利害を有しており,従つてこれら諸国との間に引き続き協力・協調の関係を維持・増進してゆくべきことは当然である。しかしこれとともに,政治・経済・社会の仕組みを異にするとは言え,同じ国際社会に生きる社会主義諸国との間にも,友好関係を築き相互の立場を尊重し,より良く理解してゆく努力をも怠つてはならない。このような多角的友好関係を築き上げてゆくことこそ,わが国が自らの選択を幅広く確保し,国益の伸長をめざして弾力的に行動することを可能にする所以なのである。以下わが国と各国との関係を個別に概観してみよう。
米国との関係はわが国にとつて他のいかなる国との関係にもまして重要なものである。
日米関係の重要性を先ず経済面についてみれば,わが国が今日の繁栄を達成し得たのは,自由無差別を理念とする国際貿易体制のもたらす利益を享受し得たからに他ならないが,この体制を今日まで支えるに当つて最も大きな力となつていたのは米国である。現在米国の経済力に若干のかげりがみえるとはいえ,その規模と影響力に照らして,世界経済の今後の進展はなお米国の動向にかかつているところ少なくない。
次に,わが国の平和と安全にとつて,米国との関係は極めて大きな意義をもつものである。わが国は自らの防衛のため,通常兵器面において国力と国情に相応する防衛力を漸進的に整備するとともに,米国の核抑止力を含む総合戦力に依存することを基本的構想としており,日米安保条約の維持はそのための不可欠の要件である。
世界政治面における米国の比重は相対的に減じつつあり,また,アジアでの軍事的役割は縮小の傾向を辿つているが,このような多極化時代においても,日米関係の重要性はなんら変わらないのみならず,ますますその必要性を増すとも考えられる。国際社会が多元化し複雑化すればするほど,各国はその影響力を行使し合うが,この中にあつてわが国がよくその立場を維持してゆくためには,わが国のよつて立つ生存の基盤を十分強固にかためる必要があり,日米関係は正にその基盤をなすものだからである。多極化時代の要請に応えて,わが外交の多面的展開を図るに当り,日米関係の絆は何ら障害をなすものでないばかりか,むしろ日米の友好協力の基礎の上に立つてこそ,真に実り多い多角的外交活動を推進し得るのである。両国のもつ世界的影響力と役割にもかんがみ,日米関係の帰趨いかんはひとりわが国にとつてのみならず,アジアひいては世界全体の動向に大きな影響を与えずにはおかないことにも留意すべきであろう。
1972年には,多年にわたる国民すべての宿願であつた沖縄返還の実現をみた年として,長く記念されるべき年であるが,これが可能となつたのは,上記のごとき日米関係の重要性についての日米両国政府の確信が存在したからに他ならない。
過去数年間にわたり,日米間には経済面において種々の摩擦が生じたほか,主として対中国政策について,十分な事前協議の欠如に由来する種々の誤解や不安の生じたことは,遺憾ながら事実である。しかしながらこれがため,日米両国の共通の利害や相互間の協力と信頼の関係に影がさすことがあつてはならない。経済面における摩擦は,日米間における経済交流の増進に伴つて不可避的に生ずるものであるが,今後共両国は,世界経済の維持・拡大に対する共通の責務を自覚し,互譲と互恵の精神によつて問題を解決するよう努力を傾けることが必要であろう。同様に政治問題についても,両国は互に幅広い共通の利害を見失うことなく,同時にまたそれぞれの立場の差異を正しく理解しつつ,最大限の協調をとげるよう努力しなくてはならない。これがためには,両国間における政治・経済・社会の各分野における交流を従来にも増して一層推進するとともに特に文化面における交流の増進を通じて,相互の理解を深めることが肝要である。
米国の側においても,わが国の能力と国民の志向するところを正しく見きわめ,徒らに単純ないわゆる勢力均衡の理論に走ることなく,多極化時代におけるその同盟諸国との関係を真に意義あらしめるような行動をとることが希望される。同時にわが国の側においても,甘えや反発という感情的要素を捨てて,真の協力者として矜持と責任をもつて米国に接する態度が不可欠である。それは決して容易なことではないが,かかる努力を積重ねてゆくことによつて初めて,真の意味でのパートナーシップに支えられた日米関係の成立が可能となるのである。
中華人民共和国はわが国最大の隣国の一つであり,日中両国の関係を正常化することは今後のわが外交にとつて最も重要な問題である。
戦後日中両国関係は種々の変遷を経たものの,今日両国関係にはすでに9億ドルにのぼる貿易と頻繁な人的交流がある。両者はともにアジアにおいて大きな影響力を有し,アジアの平和と安定および繁栄に大きな責任を有している。中華人民共和国は今や国連に参加し安全保障理事会の常任理事国の議席を占めており,ニクソン米大統領が北京を訪問するなど,中国をめぐる国際情勢にも大きな変化がみられて今日に至つている。
このような事情にも拘らず日中両国間に国交が今なお正常化していないことは,不自然なことといわざるを得ない。
このような観点から,わが国は日中関係正常化に真正面から取組む決意であり,中華人民共和国との間に相互理解の増進をはかるとともに,日中両国が共に加盟国として尊重すべき国連憲章の原則にのつとり,主権の平等,内政不干渉,紛争の平和的解決,武力の不行使,平和,進歩および繁栄のための相互協力等を基礎として,日中両国間に安定した関係を樹立するようくり返し呼びかけを行なつてきている。
もとより日中間には,過去における不幸な関係に由来する不信感やわだかまりもあり,相互に種々の言い分があることは率直にみとめねばならないが,これらの不信感やわだかまりを解き,また日中間に存在する種々の問題を解決するため,日中両国政府が直接に話し合い,相互の主張と言い分を述べ合うことが何よりも肝要である。
中華人民共和国がわが国のこのような立場を理解し,政府間交渉の開始に関するわが方の呼びかけに積極的に応ずることが期待される。
日ソ両国の善隣友好関係の進展は,ひとり日ソ両国にとつての利益となるのみならず,極東の平和と安定にも資するものである。わが国としては今後とも,通商,経済,文化,科学技術等の広い分野において,両国関係の発展をはかり相互の利益の増大に努めることが望ましい。
これとともに,国際政治においてソ連が大きな比重を占め,特にわが隣邦としてアジアに影響力をもつていることにかんがみ,従来以上に広く国際関係全般にわたり同国との間に意見の交換を行ない,意思の疎通をはかつてゆかねばならない。これは多極化時代におけるわが外交に課された要請に応える所以でもある。
しかしながら,わが国とソ連との間には北方領土問題が依然未解決のまま残され,これが両国関係を真に安定的に発展せしめる上に障害となつている。1972年1月グロムイコ・ソ連外相の来日を機に,両国間に平和条約締結の交渉を本年内に開始することにつき合意がみられたが,わが国としては今後とも,両国間のあらゆる分野における接触を拡大し,相互理解を深めるとともに,上記交渉を通じてわが国固有の領土である歯舞群島,色丹島,国後島,択捉島の返還実現をはかる方針である。
欧州においては西欧諸国の経済力が伸長し,また欧州共同体の拡大がほぼ達成されたこと等もありその発言力が高まりつつあるほか,東西緊張を緩和するための種々の努力が行なわれ,逐次その成果が現われつつある。このような事情の下に,国際政治における西欧諸国の発言力は近年とみに高まりを示している。わが国としては,このような西欧の現状に着目し,従来にもまして密接な関係を築いてゆくとともに日欧間に存在する伝統的な友好関係の復活と増進をはかつてゆく必要があろう。1971年秋に行なわれた天皇,皇后両陛下の西欧諸国御訪問は,わが国歴史上画期的な出来事であつたのみならず,日欧関係の増進という見地からも,大きな成果を収め得たと認められる。日本と西欧とはともに民主主義と自由主義の政治理念を同じうし,また,経済的にも先進国として類似の立場にあり,今後とも両者間の協調関係を維持増進してゆく余地は少なくないと思われる。
わが国は言うまでもなくアジアの一員であり,アジアの平和と安定はわが国の安全と繁栄に深いかかわり合いをもつている。しかしアジアにおいては,遺憾ながら今日に至るまで,厳しい緊張が持続して来たし,特にインドシナ半島においては,戦火はなおおさまることなく続いており,平和への動きは一進一退をくり返している。
アジア諸国の大多数は開発途上国であり,貧困の克服が最大の課題となつているが,主として資本・技術等の不足から,未だ必ずしも十分な成果をあげ得ない状態である。
わが国は,同じアジア人たるこれら諸国のおかれている現状に深く思いを致し,その改善のためにあらゆる努力を傾けて来たし,今後共,一層援助の増大をはかつて行く方針である。このためわが国としては何よりもまず各国と協力してこの地域における一般的緊張を緩和するよう努めると共に,これと平行して各国それぞれの民生の安定を図り,その経済的発展の基盤を強化するための施策を講じて来た。
最近アジアにおいて顕著なことは,近隣・関係国相互間に地域協力を促進し,諸国間の相互協力によつて,それぞれに共通の問題を解決してゆこうという機運が高まりつつあることである。特にフィリピン,タイ,マレイシア,シンガポール,インドネシアの5カ国が構成しているアセアンは,単に経済,社会,科学等の分野における協力のみにとどまらず,1971年11月の中立化宣言にも見られるごとく,政治的にも可能な限り共同の歩調をとつてゆく傾向を示している。わが国は,これら諸国の動きは,激動する世界情勢の中にあつて,自主,自立の立場を強化せんとの努力のあらわれとして高く評価し,今後ともその健全な発展を確保するため側面から寄与してゆきたい所存である。
なお,アジアにおける平和と発展のためには,域外関係諸国の協力を得ることが重要である。就中,豪州,ニュー・ジーランド等,大洋州諸国はアジア地域に対する利害と関心を深めつつあり,協力の素地は固まりつつある。また大洋州諸国はわが国にとつて不可欠の資源供給国であり,わが国としては今後一層これら諸国との関係を密接にし,ともにアジアの平和と発展を探究すべき立場にある。
1967年の中東戦争以来すでに5年近くの歳月が経過したにもかかわらず,関係地域の緊張は依然として緩和されることなく,平和的解決達成のための努力は,いまだなんら具体的成果を挙げるに至つていない。わが国は1967年11月の国連安保理決議に基づき,この地域に一目も早く公正かつ永続的な平和が確立されることを希望し,かつ,そのため国連等の場を通じて協力を惜しまないものである。また,中近東地域はわが国に対する石油の供給源として大きな意味を持つており,この地域の政治的安定と経済的発展はわが国にとつて大きな関心事である。政府としては,このような観点から,今後経済技術協力をより一層活発化することなどにより,この地域の国々と友好関係を維持増進すると共に,この地域の安定と発展に寄与しつつ石油資源の確保をはかりたいと考えている。
中南米,アフリカ地域においても,域内協力の促進等を通じて,経済的自立を求める動きが高まりつつあると看取され,また,ナショナリズム台頭の傾向も顕著である。これら地域はわが国の資源確保の見地からも重要な意義を有しており,わが国としては経済技術協力等の面でこれら諸国との関係緊密化に努め,その発展のためにできる限り積極的に寄与してゆく所存である。