-その他の東南アジアと大洋州-

 

第9節 その他の東南アジアと大洋州

 

1. その他の東南アジア

(1) 概    況

(イ) 近年,東南アジアをとりまく諸大国の東南アジア諸国に対する政策には,国際関係の多極化への現象にも影響され,重要な変化がみられ,東南アジアをとりまく国際環境も大きく変つてきた。この間,米国は69年ニクソン大統領の就任以来いわゆるニクソン・ドクトリンに基づく新アジア政策を実行に移す一方,ニクソン大統領の訪中の実現など米中関係改善に画期的な成果を上げた。中華人民共和国は,文革が終り外交機能が回復した70年春以降アジア共産諸国との反米統一戦線結成の動きを示したが,71年春以降は東南アジア諸国との間でも交流を活発化しており,国連加盟実現もあつて同国の国際的地位の向上は著しい。ソ連は69年以来提唱してきているアジア集団安保構想に関し,72年3月のコスイギン首相,ブレジネフ書記長の両演説において,(あ)武力不行使,(い)主権の尊重及び国境不可侵,(う)内政不干渉,(え)平等互恵に基づく協力関係発展の4原則を打出し,同構想の内容をはじめて具体的に示した。ソ連は引続き東南アジア諸国との政治的,経済的,文化的交流の活発化に努めている。

(ロ) このような状況にあつて,アジア諸国は自助への指向を強めつつある一方,東南アジア開発閣僚会議,ECAFE,ASEANなど相互の地域的連帯の気運も着実に盛りあげてきている。

70年9月,マレイシアのラザク首相の提唱した東南アジア中立化構想が,71年11月のASEAN外相会議における東南アジア中立化宣言として一応の結実をみたほか,インドネシア,マレイシア,シンガポールの三国が「マラッカ海峡に関する共同声明」を発表し(71年11月),同海峡の国際管理に反対する態度を明らかにした。これらの動きは,特定の大国の影響下に入ることを欲しないアジア諸国の気持を反映したものとも解することができよう。セイロンのインド洋平和ゾーン構想もかかるアジア諸国の動向の一環として考えられよう。

(ハ) タイでは71年11月に政変が起きたが,これは憲法停止,議会解散を伴う法的,制度的には大きな変革であつたが,政治権力構造には全く変化が見られず,タイの内外政策路線に基本的な変更は今のところ見当らない。

 

2. 大  洋  州

 

(1) 豪州においては,1971年3月マクマーン首相(自由党)が,ゴートン前首相より首相および自由党党首の座を譲り受け(自由・地方両党連立政権であることは不変),同年8月にはベリー外相,ゴートン国防相(前首相)の更迭を含む一連の内閣改造を行ない,外相にはボーウェン前法相を,また,国防相にはフェアバーン前教育科学相を任命した。その際,ゴートン前首相辞任の直接の原因となつたフレーザー元国防相は教育科学相として内閣に返り咲いた。

マクマーン内閣の内政,外交政策はゴートン前内閣のそれと較べて基本的な変化はみられない。

1972年11月までの間には総選挙が行なわれることになつているが,今回の総選挙においては,失業者,物価対策を含む経済政策,都市問題,安全保障などの内政,外交政策を中心に争われるものと予想されるが,その帰趨は予断を許さないといわれている。

なお,1972年2月から3月にかけて,パプア・ニューギニア住民議会選挙が行なわれ,100名の新議員が選出された。

他方,ニュー・ジーランドにおいては,1972年2月,1960年以来政権の座にあつたホリオーク首相が首相の地位を退き,マーシャル副首相が首相に,またマルドゥーン蔵相が副首相に就任し,新しい顔ぶれで72年末の総選挙をむかえることになつた。なお,ホリオーク前首相は外相のポストに留まつた。

(2) 外交面においては豪州,ニュー・ジーランドとも従来からANZUS条約を軸とする対米強調,日本を含むアジア諸国との地域協力の促進,英連邦諸国との連帯維持を基本路線としている。対米関係については,ニクソン・ドクトリンの実施などアジア,大洋州の安全保障に新たな要素が生じていたところへ,ニクソン大統領の訪中発表が行なわれ,豪州としても米国との意思疎通,政策調整が一層緊要であるとの認識から,10月にマクマーン首相自ら訪米して対米協議を行なつた。

最近の両国外交にみられる主要な傾向としては,両国外交に占める英連邦の重要性が大幅に低下しつつある反面,日本及び東南アジア諸国の占める重要性が急速に増しつつあることである。両国が東南アジア地域の政治的・経済的安定を強く望んでおり,両国のおかれた地理的な位置,政治・経済的な環境,安全保障面での考慮などを勘案すれば,両国の対東南アジア諸国外交の重要性が理解されよう。かかる意味において1971年11月に発足した5ヶ国防衛取極において,豪州が中核的役割を果すことになつたことが注目されよう。

中国問題に関しては,豪州では野党労働党のウィットラム党首が1971年6月末に訪中しているほか,マクマーン首相も72年2月の声明で,豪州が中華人民共和国との国交正常化交渉の開始を希望すると述べた。ニュー・ジーランドについては未だ具体的な動きはみられない。

 

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