中華人民共和国の国連参加,ニクソン米大統領の訪中等が示す如き中華人民共和国の国際的地位の向上は,米中ソ三大国の相互関係に大きな影響を与えつつあるが,米中,中ソ,米ソ関係のうち相対的に安定しているのは米ソ関係であろう。一年間の米ソ関係を通じて注目されることは,1972年5月後半に予定されるニクソン大統領のソ連訪問発表(1971年10月12日)のほか,SALT交渉の進展など軍縮面における米ソ関係の進展,ベルリン問題の落着,中東和平への動きなどにみられる米ソの協調的態度,スタンズ米商務長官の訪ソなど(1971年11月)にみられる二国間関係の進展である。これらのほかには,ユダヤ系米市民による国連のソ連代表部狙撃事件などがあつたが,米ソ関係そのものに悪影響を与えるような事件はなかつた。米ソ関係の基調である対立面と限定的協調面のうち,この一年間は協調面がより強く現象として現われ,対立面は表面化することがないまま推移したといえよう。
以下に米ソ関係においてこの一年間で特記されるべき出来事を記すことにする。
本件発表について注目される点は,訪問の時期がニクソン大統領の北京訪問後となること,および本件訪問の発表が訪問実施の8ヵ月も事前に,かつキッシンジャー補佐官の第2回目の訪中(10月20日~26日)の直前に行なわれたことである。かかる発表のタイミングは,米ソ双方ともにニクソン大統領訪中が決定された米中関係の新しい進展を念頭に置いたものといえよう。
米ソ首脳会談決定に関し,米国側としては,ニクソン大統領が就任以来強調してきた国際政治における米ソ関係の重要性を再確認するとの考慮があり,対決の時代より対話の時代への外交方針の実行の意味もあつたとみられるが,冷静で実務的な話し合いによる案件解決の見通しが立てうる米ソ関係の発展があつたとの米国側の認識がその背景となつているといえよう。
他方ソ連側としては,中華人民共和国に対し心理的に圧力を加えると同時に,国際政治において基本的な重要性を持つのは米ソ関係であることをあらためて示し,米中関係の進展が国際政治に与える効果を減殺することを意図したとみられる。いづれにしても本件訪問の決定は,米中関係の進展が米中ソ三国関係を一層相互牽制・均衡関係にしたことを示す一つの現象との評価が行なわれた。
本年2月のニクソン大統領訪中及び米中共同声明に関し,ソ連の米中非難の論調は主としてそのホコ先を中国に向けているのは,ソ連が5月のニクソン大統領訪ソを念頭に置いているためと見られる。ニクソン大統領訪中後の初のソ連の外交政策の宣明として注目された,全ソ労組大会におけるブレジネフ演説(3月20日)においても,「来るべき米ソ会談に対する我々のアプローチは実務的かつ現実的なものである」と述べて,米ソ関係に関する一貫した立場を再確認した。
米ソの核均衡バランスに関する交渉として米ソ関係の基調を示すSALT交渉は,ウイーンおよびヘルシンキを交互に開催地としつつ第4ラウンド(3月16日~5月20日),第5ラウンド(7月8日~9月24日),第6ラウンド(11月15日~72年2月4日),第7ラウンド(3月28日より)の交渉が引続き行なわれた。本交渉の成果として注目すべき点は,第4ラウンド終了に際し発表された共同声明において,米ソ双方が本年中はABM制限協定の成立と戦略攻撃兵器制限のための若干の措置に関する合意達成に努力することで意見が一致した事を明らかにした点であり,その後もこの合意に沿って真剣な討議が続けられた。9月30日には,偶発核戦争防止協定,ホットライン改善協定がワシントンにおいて,ロジャーズ米国務長官とグロムイコ・ソ連外相との間で調印された。この偶発核戦争防止協定は,米ソ双方が(あ)核兵器の偶発的あるいは許可のない使用を防ぐに必要な措置をとること,(い)核兵器の事故あるいは正体不明の物体が原因で核戦争の危険が起きた場合,速やかに通信し合うための取決め,(う)一定のミサイル打上げ計画の事前通告,などを内容としており,核戦争防止のための核二超大国間の協調の発展としてばかりではなく,中華人民共和国その他の核保有国との関係からも重要な意義を有するものといえよう。
この他,海上において米ソ両海軍の接触などの事故が相次いだことから,海上および空中における事故防止問題に関し10月12日よりモスクワにおいて,両国海軍の軍人が代表団長となつて両国間の第1回交渉が開催された。
最近の米ソ関係においては,経済面,科学技術面における交流の発展など,両国協調の分野が拡大しつつある傾向にある。
経済面に関しては,ソ連最高会議における演説中,コスイギン首相は「米国との経済交流の幅広い発展のための前提条件は存在している」と述べ(11月24日),ソ連側の積極的な姿勢を表明し,右に応えるかの如くスタンズ米商務長官がソ連を訪問し(11月20日~12月1日),米ソ両国間の経済関係進展のための協議を今後も引続き行なう合意が成立した。この合意に基づきソ連側よりマンジュロ貿易次官を団長とする代表団が訪米し(1972年1月6日~17日),1960年以来中断されていた対米戦時債務返済問題に関する交渉を再開したい旨申し入れた模様であり,本問題が米ソ貿易拡大のための懸案となつていたこともあり注目されている。
科学技術面においては,ソ連科学アカデミー一行が米国航空宇宙局との協議のため訪米し(6月末),有人宇宙船およびステーションの接近,ドッキングの方法などに関し合意が成立したことを始め,この分野における米ソ間の協議が続けられている。そのほか米国原子力委員長一行がソ連を訪問し(8月)ソ連各地の原子力研究所の視察を行なつた。