-世界経済の流れ-

 

第14節 世界経済の流れ

 

1971年は戦後の世界経済の歴史において重要な転機を画する年となつた。すなわち,ニクソン大統領が8月15日に発表した金・ドル交換停止措置及び輸入課徴金の賦課は,それぞれIMF体制及びGATT体制に打撃を与えたが,この結果,戦後の世界経済の発展を支えてきたブレトン・ウッズ体制は,大きく動揺することとなつた。かかる事態を惹起せしめた直接の原因は,自国の国際収支の悪化に対処するためアメリカが自力救済に乗出して,従来の政策の一大転換をはかつたことに求められよう。そしてその背景としてアメリカ経済の相対的な地位の低下を指摘しうることはいうまでもない。言い換えれば1971年は,アメリカの相対的な経済力の低下,ECの拡大・強化への動き,わが国の経済的地位の上昇により,前者と後二者の経済主体間の経済力の較差が縮少しつつある事実を如実に露呈せしめた年であつたといえよう。

かくてブレトン・ウッズ体制の下においてアメリカを主たる牽引力として発展してきた戦後の世界経済はここにおいて重大な試練を迎えることとなつた。今後の世界経済の動向は,現在模索中の新たな通貨・貿易体制の確立によつて定まることとなろう。

以上のような転機は,1970年後半来の先進資本主義諸国における全般的なスタグフレーションの進行という状況の中で訪れた。加えて金・ドル交換停止の結果主要国において変動相場制が採用されたことにより,国際取引は不安定化し,若干の国を除いて各国の景気回復が大幅に遅れる結果となつた。年末の多国間通貨調整の1つの重要な目的が,当面の通貨不安を解消しもつて国際取引を安定的に遂行しうる条件を整備することにあつたことはいうまでもない。

1970年はまた発展途上国にとつても試練の年であつた。発展途上国はアメリカの新経済政策のうち,輸入課徴金の賦課,対外援助の削減によつて直接的な打撃を受けた上,右新経済政策によつてもたらされた通貨・貿易体制の動揺は,世界経済の中で極めて脆弱な地位を占める発展途上国に重大な被害を与えた。1972年4月に開かれる第3回UNCTADを皮切りに,これら発展途上にある諸国は自らの利益を確保しうるような世界経済秩序の樹立に努めるものと考えられる。

他方共産圏諸国については,ソ連,中華人民共和国とも1970年を通じ順調に推移した。しかし同年後半の資本主義諸国の経済体制の動揺は東西貿易の伸長と相俟つて共産国に対しでもかなりの影響を与えており,今後も東西間の緊張緩和の一層の進展に伴ない,両陣営の経済体制間の相互作用関係は深まるものと予想される。

 

1. 景 気 動 向

 

1971年,先進国を中心に世界経済は景気停滞とインフレに悩み,また先進国の景気が低迷していたため,発展途上国の輸出の伸びは思わしくなく,成長のテンポも鈍つた。共産圏諸国ではソ連,中華人民共和国ともほぼ順調な上昇を続けた。

 (イ) 先 進 諸 国

 (a) 景 気 停 滞

OECD加盟諸国の1971年の実質成長率は3.5%と見込まれ70年の2.7%を上回つているが,これはもつぱら米国の成長率が前年のマイナス0.7%からやや回復して3%程度になつたことによるものであり,その他の主要国の多くではすべて70年度の成長率を下回つている。

アメリカは主要先進国にさきがけて1970年初頭からいち早く引締め緩和策をとつたにもかかわらず景気回復力は弱く,71年に入り,景気はゼネラル・モーターのストライキが回避されたことや8月に予想されていた鉄鋼ストに備えての備蓄買いなどもあり,ようやく拡大基調に向つた。しかし失業率は一向に改善されず製造業稼動率も71年上半期を通じて75%前後の低水準にあつたため民間の設備投資意欲は一向に盛りあがらなかつた。71年の景気回復を支えたのは特に個人消費と民間住宅投資であつたと思われる。カナダ経済は70年6月変動相場制に移行すると同時に積極的拡大策を展開した結果,70年末から景気回復のきざしをみせたが,米国経済の影響をうけ,失業率は依然6%を上回つている。

北米においては1971年に入り回復力は弱いにせよ景気は上向いているのに対し,同年欧州諸国および日本では景気は停滞しフランスを除く他の主要国の成長率は60年代の趨勢の半分ないしそれ以下と大幅におちこんだ。一般に国際通貨不安の影響をうける企業は心理的不安感から新規投資をさしひかえ,また,1960年代の長期繁栄の期間に累積された設備投資によりかなり過剰設備の傾向も目立つていることもあり投資意欲が不調であつた。国別に見ると,西独でも1971年度の成長率は3.5%と低く5月に変動相場制へ移行した後は受注が伸び悩み,労働需給が緩和し,更に操業率も低下した。フランスでは70年末から景気が回復し,71年前半期には個人消費,住宅建設,輸出需要の増大をてことして年間国内総生産成長率は5.5%と順調な拡大を示した。イタリアにおいては70年以来の労働争議の激化による社会不安がおさまらず,71年も全面的な景気停滞が続き,同年国内総生産成長率は0.5%におわつた。英国では70年後半から失業の増大が著しく,71年4月に減税措置等大規模な財政刺戟措置がとられたものの71年末には失業率は4%と戦後最悪の事態をまねき年成長率も1.5%に止まつた。

 (b) インフレ存続

OECD諸国一般に経済成長率が低かつたにもかかわらず,1968年以来の物価上昇の傾向は71年に入つても依然おとろえなかつた。71年米国において各種の物価抑制措置がとられたこともあり,OECD全体のGNPデフレーターは約5%と前年の6%に比べればやや事態は好転しているが,これは概して原材料価格の低下によるものである。

68年から70年前半にかけての世界的インフレの特徴は卸売物価の大幅な上昇であるが,70年後半からは上昇が鈍化しつつある。

アメリカでは,過剰需要に原因を発した68年以降の物価上昇が,労使双方にインフレ心理を定着させ,賃金決定にあたつても物価上昇を見越して決定するパターンが出来たことや,非生産的政府購入が長らく高水準にあることもあり生産性上昇率が低いことがインフレを根強いものにしている。

米国のインフレは貿易や,短資の移動を通じ,他の先進国のインフレにも重大な影響を及ぼし,またインフレ局面にある主要国が相互に影響し合つているとみられる。

英国においても賃金と物価の悪循環は依然として根強く,デフレーターの上昇率は70年の7.3%から71年の第1・4半期には10.4%に達した。日本についてはデフレーターの上昇率はやや鈍化したが,消費者物価は依然として顕著である。

 (ロ) 共  産  圏

自由経済圏においては景気が一般に停滞局面にあつたのに対し,共産圏諸国においては生産が概ね順調に伸長した。

70年のソ連経済は69年の天候不順による影響から脱し,また,同年がレーニン生誕100年にあたることもあり,鉱工業生産にも力が入れられ,国民所得は8.5%と計画を上回つた。71年に入つても,工業生産は比較的順調に拡大しその伸び率は上半期に前年同期比8.5%であつた。特に機械工業,化学工業部門では大幅な生産伸長がみられた。農業生産が気象条件の不良のため70年度の実績には及ばないといわれるが穀物,棉花については作柄は良好であつた。

中華人民共和国においては,文革による混乱も治まり,また,政策は経済優位の方向に進められた結果,工業生産においては1969年にほぼ文革前の水準を回復,70年には工業生産のみならず各部門別にみても文革前の水準を回復したものとみられる。また71年には第4次5ヵ年計画を発足させ,工業生産部門で対前年比10ないし15%程度の増産があったものとみられる。とりわけ鉄鋼,機械,化学肥料,綿糸布等の好調が伝えられている。農業も連続10年の豊作で,食糧のみならず棉花等工業原材料の生産も好調であつたといわれる。

東欧諸国では,70年の工業生産は概して順調であつたが,農業は天候不順のため不振であつた。これに対し71年には東ドイツなど一部の国で工業生産の伸び率が鈍化し年間の生産計画を達成できなかったと思われる一方,チェコスロヴァキア,ハンガリーでは農業が好調であつた。

  (ハ) 発 展 途 上 国

1960年代の後半「緑の革命」と呼ばれる農業生産の成長率の増大および工業化の進捗から比較的順調な発展をとげていた発展途上国の経済は,1970年先進国の景気停滞の影響を受け,輸出が伸び悩んだため経済成長は鈍化したが,71年に入つても先進国の景気回復が思わしくなく,先進国からの需要の減少を反映して,発展途上国が依存するところの大きな一次産品たるココア,コーヒー,銅,ゴム,すずなどが値下りし,発展途上国では一般に生産拡大の鈍化傾向がつづいている。

 

2. 世界貿易の動向

 

世界貿易(共産圏を除く)は1968年以来大幅な伸びをみせたが,主要国の景気停滞のために70年末から増勢が鈍化した。1970年には米国の消費の堅調を中心に主要国の輸入の増加がめざましく,自由世界貿易は名目14%を越える高い増加率を示したが,71年第1・4半期には12.5%,同第2・4半期にに10.3%と次第に増勢が鈍化した。

輸出価格は69年以後,69年2.9%,70年5.7%と急速に上昇しており,(実質での世界貿易はブームといわれた1968年からの3年間にも対前年伸び率が68年13.2%,69年9.4%,70年8.6%と減少している),71年においても世界貿易は金額的には10%を越える伸び率を示しても,これは輸出入価格の上昇によるところが大であるとみられ,1971年上半期の実質輸出入増加率は約7.5%と前年増加率を更に下回つたものであるとみられる。71年には北米の景気がやや上昇過程に入つたと思われるものの,ヨーロッパおよび日本は依然として景気が停滞局面にあり,71年後半には米国の新経済政策,国際通貨不安もあり,更に世界貿易は後退したものと思われる。ちなみに71年のOECD諸国の貿易量の増加率は前年比実質6%と見込まれ1970年の9%を大幅に下回るものと見られる。地域別にみると,アメリカについては71年に入り景気が回復するにつれ輸入が伸長し,特に第2・4半期には鉄鋼ストを考慮した備蓄買いや,港湾ストの影響で輸入が急増した。一方ヨーロッパでは70年の後半から71年に入っては景気停滞の影響により輸入の伸びは鈍化した。日本の輸入については71年に入り輸入の伸びが急速に鈍化しはじめた。

東西貿易についてみると,OECD諸国とソ連,東欧との取引は69年に顕著な伸び(輸出12.2%輸入9.9%)を示した後,70年には一段と拡大した。71年に入りOECD諸国の景気停滞による東側諸国からの輸入減退。東側諸国の5ヵ年計画の終了による西側諸国の輸出急減,中華人民共和国の入超是正の努力等のため貿易の伸びには一時鈍化したが,71年全体としては東側諸国の新5ヵ年計画の実施もあり,東西間の緊張緩和を背景に,東西貿易は回復に向つたと思われる。

 

3. 国際通貨情勢 

 

戦後の世界経済の発展を通貨面で支えてきたIMF体制は,1971年に至り大きな転機を迎えることとなつた。即ち8月15日にニクソン米大統領が発表した金・ドル交換停止措置は,IMF体制の根幹をなしてきた金・ドル本位制の基礎を覆えし,その結果為替市場に介入する根拠を失なつた各国は一斉に変動相場制に移行するに至つた。戦後の国際通貨史においてIMFの通貨調整面での原則である「固定平価主義」から離脱し変動相場制を採用した例としては,1950年~1962年および1970年6月以後のカナダならびに1970年5月10日に変動相場制に移行したドイツおよびオランダがあるが,今回のように主要各国通貨が一斉にフロートしたことはなく,こうして通貨体制を支える3要素である「信認」,「調整」,「流動性」のうち前2者が,その脆弱性,ないし破綻を露呈することとなつた。

このようにアメリカが国家威信を省みず思い切つた措置に出た背景には,同国の国際収支の趨勢的な悪化,特に金準備の減少があり,アメリカはその後の数次に渉る主要国間通貨交渉において一貫して国際収支の改善に対する他国の協力を要求し続けた。

主要国の大部分の通貨のフロートという「変則的な事態」に終止符をうつための多国間通貨調整は,紆余曲折を経たのち12月18日のワシントンにおける10ヵ国蔵相会議において実現された。しかし右の合意は各国通貨間の為替レートを決めたのみであつて,今後の国際通貨体制の基本的な諸点についてはその解決を後日に譲つている。すなわち多国間通貨調整によつて,当面の国際通貨不安は解消され,国際取引が新たな基礎の上で発展しうる条件が一応整備されたとはいうものの,各国の国際収支の趨勢的不均衡を解消する抜本的な改革がなされない限り通貨不安は根本的には除去されないであろう。

なおこのアメリカの金・ドル交換停止措置に端を発する国際通貨危機は当然のことながら突発的なものではなく,前年来のアメリカの国際収支の悪化による5月の欧州特に西独をめぐる国際通貨不安の延長線上に起つたものであり,更に遡れば,1967年のポンド危機以来の国際通貨不安が,集約的な形で現れたものといえよう。

 

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