-国際共産主義運動-

 

第13節 国際共産主義運動

 

1. 概      況

 

1969年6月の世界共産党会議で,ソ連を中心とする国際共産主義勢力は,反帝勢力の連帯を強く訴えたものの,その後の活動は低調となつている。イデオロギーないし党関係における関係改善が予想されない中ソ対立,社会主義諸国におけるナショナリズムの高まり,自由圏諸国共産党の政権接近のための選挙重視などから,現時点では,国際共産主義運動においてイデオロギーの最大公約数を求めることすら困難な情勢にある。

 

2. 1971年における国際共産主義運動の特徴

 

 (1) 内 政 重 視

1971年の国際共産主義運動にみられる第一の特徴点は,国際共産主義陣営内部で,69年の世界共産党会議,70年のレーニン生誕100周年記念行事といつた国際的な行事が全く開かれなかつた点である。その反面,ソ連共産党第24回大会が3月末から4月にかけて開かれたのをはじめ,ブルガリア,チェコスロバキア,東独,アルバニア,ポーランドなど東欧諸国の党および若干の自由圏諸国の党大会が開催され,いわば,「大会の年」であつたことが指摘される。これら各党の大会は,執政党の場合,ソ連が第9次5ヶ年計画を決定し,また東欧諸国も新たな5ヶ年計画を討議,採択するなど内政重視の傾向が顕著にみられた反面,非執政党の場合は党内固めを図るとともに,選挙重視の観点から,国民に対するイメージ・アップを図ろうとする傾向がみられた。

 (2) 自主路線諸党の連帯強化

6月にルーマニアのチャウシェスク書記長が中華人民共和国,北鮮,北越,モンゴルを歴訪したのに引き続き,8月から9月にかけては日共の宮本委員長がルーマニア,イタリア,北越,ソ連を歴訪した。かかる自主独立路線諸党の交流は,相互の連帯を強化することにより,中,ソ二大党との均衡を保とうとする模索の表われとみられよう。

 (3) 米中接近の影響

4月のいわゆる「卓球外交」,7月のニクソン訪中発表などにみられる米中接近の動きは,国際情勢の変革をもたらすとともに,国際共産主義運動に対しても大きな影響を与えずにはおかなかつた。すなわち,年間を通じて国際共産主義運動における中ソ対立は厳しく,ことにソ連側からの対中攻撃には激しいものがあつたが,ニクソン訪中発表後は中共批判を一層激化する一方,北越,北鮮等中共周辺諸党の動揺に乗じて,これらの諸党に対する働らきかけを活発化した。

他方,ソ連以外の国際共産主義陣営に与えた衝撃も大きく,かなりの動揺がみられた。自主独立路線をとつてはいるものの,地理的な関係からも,どうしても中共寄りの姿勢に傾きがちな北越,北鮮などに中共に批判的な動きがみられるようになつたことがその例である。

 (4) 低調な国際前線組織

70年に引き続き,国際前線組織の活動は低調であつた。最近数年,中共系勢力は前線組織から駆逐され,各種団体の集会もソ連系勢力で固められている。71年も世界平和協議会総会(ブダペスト,5月中旬),世界労連総評議会第21回会議(東ベルリン,12月中旬),第2回世界民主法律家協会(アルジェ,11月下旬)などの会議が行われたが,これらの会議では「インドシナ人民支援決議」を採択し,暗に「米帝国主義と妥協した中共」を非難しようとする傾向がみられた。

 (5) 国益優先の動向

国際共産主義運動の相対立する極である中ソ双方ともイデオロギーよりも国益を優先させ,イデオロギーは党内ないし国内の引き締めに使う傾向がみられ,イデオロギーの混迷化の様相はますます深まつた。かかる国益優先とイデオロギーとの背馳は印パ紛争における中華人民共和国の立場に端的に表われている。中ソ両党のかかる傾向によって他の諸党も影響を受けており,これに対して批判的な立場を持している党もいくつかある。

 (6) 先進諸国の党の動向

イタリア,フランス,日本など先進諸国の党は,それぞれの国の条件に応じた新しい社会主義への道,政権接近への方策を模索している。ことに既存の議会民主制度の中で選挙活動に重点を置く傾向がみられ,これがある程度奏効して各種選挙毎に議席数が伸びている事実を指摘することができる。

 

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