国際文化交流の現状
既に述べたように,教育,科学,芸術,スポーツ等の広い文化の分野での国際交流は近年ますます拡大し,国際関係における比重も増大している。
このような趨勢の中で最近のわが国と諸外国との文化交流における大きな流れとして,(イ)芸術面の交流は米国西欧等の先進国との間で活潑に行なわれているが,近年特に豪州,ニュー・ジーランドとの交流が急速に拡大しており,またソ連を始めとする東欧諸国との交流もかなり行なわれるようになってきていること,(ロ)留学生招致,日本研究講座および日本語講座の設置による教育文化面での協力はアジア地域諸国との間で最も活潑に行なわれていること,(ハ)学術,科学面ではわが国の政府,民間の関係機関との協力関係を拡大しようとする諸国が増加していることをあげることができる。
次に日本文化の海外紹介ということにしぼって見てみると,まず芸術,文化の分野では近年ようやく民間レベルの努力が実り,かなりの成果をあげてきているが,例えば日本の伝統演劇の海外公演,国際美術展への参加等対する補助事業として始めて実現できる場合が多く,国際文化振興会は毎年諸外国の大きな催しに参加し,また自ら重要な日本文化紹介の公演および展覧会・展示会を催している。
また教育,学術等の分野では総論「わが外交の歩み」の中で既に述べたように政府の直轄事業として,アジア地域の日本研究の成果を高めるため現在インド,マレイシア,タイ,インドネシア,フィリピンおよび香港の大学に日本研究講座を継続事業として寄贈しており,このほか,各地に日本語講座を設置している。他方国際学友会が中心となり海外技術協力事業団もその事業の一部として,日本研究,日本語普及の専門家の海外派遣,来日する外国人研究生,留学生に対する日本語および大学入学準備の指導,宿舎提供等について援助,協力,便宜供与,斡旋を行なっており,これらはわが国の対外文化活動の中で大きな比重を占めるようになっている。
1967年,チトー大統領来日前に調印された日本・ユーゴースラヴィア文化協定は1969年4月国会の承認を得,5月16日ベルグラードにおいて批准書の交換が行なわれ発効したが,これにより,欧州において独自の民族文化を有するユーゴースラヴィアとわが国との間で催物,人物交流などの形で芸術,学術,スポーツ等の文化交流の活潑化が期待されている。
また歴史上東西世界の接触地で独自の豊かな民族文化を育ててきたアフガニスタンとわが国との間の文化協定が1969年4月9日東京で署名され,今後の両国の文化交流の拡大に道を開くこととなった。
なおこれまでにわが国が文化協定を締結している諸国は英国,フランス,ドイツ,イタリア,アラブ連合,イラン,パキスタン,インド,タイ,メキシコ,ブラジルの11ヵ国である。
1968年4月3日から8日までワシントンで開催された第4回日米文化教育会議では「教育と発展」のテーマの下に両国の代表的知識人が一堂に会し両国の経済的社会的発展に果たしてきた教育の役割,その他教育と社会の発展に関連した諸問題につき討議を行ない,両国の教育行政の専門家および大学相互間の情報交換を始めとする協力関係の強化を図ることになった。
また同会議では,この会議が従来2年に1回東京とワシントンで交互に開催されていたが両国間の文化教育面の交流は極めて多岐にわたるので,日米双方にパネルを設け,文化教育会議の開催されない年に,ハワイで会合を開くとともに,相互の連絡協力を密にすることを目的とした日米文化教育協力の委員会を設置することを決定した。
第1回のハワイ会議は近く開催の予定である。
1968年11月東京で開催された日伊文化協定に基づく第4回混合委員会においてイタリア側より相手国国語の普及,留学生奨学金,文化的催しの相互開催等,従来両国間で検討,実施されてきた問題のほか新たに,電気通信,耐震,合成化学,建築,船舶,海洋,原子力等科学技術の広範な分野にわたって,人的交流,会議,資料交換等の形で,わが国との協力,交流について要請があった。
毎年定期的に開催されている日印定期協議の第4回協議は1969年2月東京で開催され,政治経済関係の討議と並んで,日印間の文化交流についての討議が行なわれ,インド側より両国の古美術および近代美術の交流,教授の交換等のほか,新たに科学技術面で,通信衛星や原子力平和利用の分野での協力について要望が行なわれた。
既述のように,国際文化振興会は,有意義な国際文化交流事業であって,採算等の理由で営利的に実現し難いものを国の補助金を得て実施してきているが,同会が1968年度において実施した事業は別表1,またローマ日本文化会館における同会の事業は別表2の通りで美術,芸能,出版等多岐の分野で世界各地域に及んでいる。
このうち特筆すべきは,(イ)文楽の欧州公演,(ロ)能の米国,メキシコ公演,(ハ)日本民族舞踊の中近東および東欧公演である。
文楽の欧州公演は今回がはじめてで,1968年の4月~5月,パリではジャン・ルイ・バロー企画のオデオン座の国際演劇祭に,またロンドンでは界演劇祭に参加し,各々2週間の公演を行なったほか,ベルリン,ミラノでも公演し,各地で圧倒的な好評を博し,わが国古典演劇の評価を高からしめた。オデオン座における最終日にジャン・ポール・サルトルが紋十郎以下の演技に惜しみない拍手を送っていた。
能の米国,メキシコ派遣はメキシコ芸術院企画のプレ・オリンピック国際芸術祭への参加が契機となって実現したものであり,重要無形文化財保持者12名を含む豪華メンバーで,メキシコおよび米国の主要都市で公演し,各地で賞賛を受けたが,特に狂言が親しみをもって迎えられた。
日本民族舞踊団(国際芸術家センターが組織)の中近東派遣は,アフガニスタン独立50周年記念祭およびイランのシラス第2回国際芸術祭の招請を受けて実現したもので,カブール,シラスのほか,テヘラン,アンカラ,イスタンブールの各都市で公演し,好評を博し,特にアフガニスタンでは一行がモハメッド・ザーヒル・シャー国王の接見を受ける光栄に浴した。
東欧公演は1969年2月~3月,ソ連を皮切りに,ポーランド,チェッコスロヴァキア,ハンガリー,ユーゴースラヴィアおよびブルガリアの6ヵ国を巡回公演したもので,民族舞踊の本場ともいうべき各地において日本民族の伝統舞踊を大好評裡に伝えることができた。
国際文化振興会の出版活動の中で注目されたのは,月刊「国際文化」の第175号で川端康成特集を行ない,川端文学に対する世界各国の新聞雑誌等の論評を整理掲載したことと,同会が1968年度始めて出版した「A Tokyo Family」という小冊子が出色の出来栄えと各国で賞賛されたことである。
既述のように,外国人留学生に対する日本語指導,大学進学準備および私費留学生に対する宿舎提供を行なっている国際学友会は1968年度においても東京本部,関西支部および京都支部で日本語学校234名,進学指導160名,宿舎受入1,788名(延人数)の留学生に指導援助を行なった。
出版物の交流による日本と諸外国との相互理解を目的とする出版文化国際交流会は,1968年度において国際出版文化賞を設定し,外国向け出版の奨励をはかるとともに,海外においてはフランクフルト,ワルソー,ライプチッヒの国際図書展に参加したほか,在外公館の主催の図書展(チェッコスロヴァキア,シドニー,ニュー・ジーランド)に協力した。
国際文化交流のうち,美術工芸関係の展覧会は,もっともひんぱんに行なわれている。
(イ)わが国で開催される外国美術展は,既述のように,国および民間の主催で活潑に行なわれているが,外務省もその開催について積極的に協力している。
1968年度において開催された美術展は別表3の通りであるが,このうち,東京国立博物館の東洋館開設記念の「東洋古美術展」近代美術館の明治100年記念「東西美術交流展」および読売新聞,西洋美術館共催の「レンブラントとオランダ絵画巨匠展」は特に多大の反響を呼んだ。
(ロ)海外における日本美術展は各国で大きな反響を呼んでおり,1968年度に開催された日本関係の展覧会は別表4の通りであるが,特にメキシコにおける日本古美術展は,同国における美術展として最大の観覧者を集め,圧倒的好評を博した。
外務省は日本文化紹介に適当と認められる優秀な日本映画による映画会を在外公館主催で開催しており,1968年度の開催状況は別表5の通りである。このうちソ連における映画会は,ソ連の日本における映画会と相互主義の下に開催されているものであり,1968年モスクワ,オデッサ,ノボシビリスク,ナホトカの4都市で上映した「黒部の太陽」,「斬る」,「怒濤一万浬」はいずれも極めて好評であり,ソ連国民の対日理解増進に役立ったと認められる。
また外務省は権威ある国際映画祭に対する日本映画の参加,日本における国際映画祭の開催にも種々協力支援している。1968年度の参加状況は別表6および7の通りである。
外務省では日本文化紹介の有力な手段として,外国の大学,国書館,文化人等に日本の図書を寄贈している。1968年度の実績は別表8の通りであるが,特に川端康成氏のノーベル文学賞受賞を契機として,日本文学関係の図書が多かったことが注目される。
1968年において外務省が協力した音楽および演劇の国際交流は別表9の通りである。
(イ)わが国の文化人,知識人,学者等を海外に派遣し,わが国の芸術,学術,科学,教育,思想,スポーツ等を紹介することは,極めて有意義な事業であり,1968年度の実績は別表10の通りであるが,このうち,ソ連に派遣された勅使河原蒼風氏ほかの文化使節(生花)は,モスクワのプーシキン美術館,レニングラードのエルミタージュ美術館(黄金の間),キエフのウクライナ博覧会場およびソチの音楽院で生花芸術の真髄を紹介しフルツエワ文化大臣等の政府要人,バイバコフ副首相夫人,グロムイコ外相夫人,文化関係者から一般市民にいたるまで一行のソ連滞在中10万人を越える人々が生花作品の鑑賞を行ない,爆発的な人気を集めたこと,およびコンゴ,ナイジェリア,ガーナ等西部アフリカにはじめて派遣した柔道師範の一行のデモンストレーションが大変な反響を呼び,それら諸国で柔道クラブが始めて結成されるなど,大きな影響を与えたことが注目され,いずれもわが国の生活と密着した文化が諸外国においても理解され受け入れられてゆく顕著な事例といえる。
(ロ)外国の文化人,知識人,学者等をわが国に招へいし,親しくわが国の実情を認識せしめ,わが国の関係者と意見交換の機会を持たせることも,日本文化紹介の上で極めて有効な方法である。1968年度の実績は別表11の通りである。
(ハ)以上のほか民間で行なわれる文化人の交流について便宜供与等の形で協力している事例は極めて多い。
日ソ両国では,政府レベルで相互主義の下に学者,研究員の交流を行っているが,1968年度の実績は別表12の通りである。
わが国の青少年の国際交流はますます活潑になっており,外務省としてもその円滑な交流に必要な助言と指導を行なっているが,特に総理府派遣の青少年交流事業には,積極的に協力している。1968年度実績は別表13の通りである。
なお1967年度から創設された「青年の船」は1968年度も引続き行なわれ,総員298名のわが国の青年がセブ,バンコック,シンガポール,ボンベイ,コロンボ,ポート・スエテンハンの各地を訪れ,受入国青年との交流を通じ,親善の増進に多大の貢献をしたことが注目される。
1968年度の実績は各々,別表,14,15,16,17の通りである。
教育協力については,第1部I「南北問題」の項の中で言及しているが,教育協力の大きな柱である外国人留学生招致については,外務省はこれを重視し,その効果が高まるよう全面的に協力している。
(1) 国費留学生および国費研究者招致に対する協力
(イ)文部省予算による国費留学生招致の1968年度の国別実績は別表18の通りである。
(ロ)科学技術庁予埠による外国人研究者招致の1968年度実績は別表19の通りである。
(2) 日米教育交換計画による米国人来日
この計画による1968年度実績は別表20の通りである。
(3) 外国政府などの日本人留学生招致
1968年度外国政府または準政府機関の給費を受けて海外に留学したわが国の学者,学生の国別内訳は,別表21の通りである。
日本語普及および日本研究講座の意義,重要性およびその主要な実績については第1部IIの「わが外交の歩み」で既に述べたところであるが,1968年度日本語普及援助のために行なった教材送付実績は別表22の通りであり,また日本語講座の講師謝金を援助した国は別表23の通りである。また日本研究講座の現況は別表24の通りである。
在外公館が現地の日本人文化人,知識人等に依頼して行なう在外公館企画文化事業は年々実績が増加し,1968年度は別表25の通りであるが,このうちパリ在住の森有正氏によるフランス,ベルギー,イタリアにおける「日本人のものの考え方」と題する講演やドイツにおける松浦豊明氏,園田高弘氏のピアノリサイタルなどが,その奥行きの深さ,正確な演奏等で非常な好評を博したことが注目される。