国連の経済問題
経済社会理事会は,国連の主要機関の1つであり27ヵ国をもって構成されている。
わが国は,1960年から1965年までの6年間理事国として審議に参加したが,さらに,1967年秋の第22回国連総会での選挙で1968年からの3年の任期で理事国に選出され,1968年5月,ニュー・ヨークで開かれた第44回理事会,および,同年7月,ジュネーブで会合した第45回理事会の審議に参加した。
上記両会期で,理事会は,国連貿易開発会議(UNCTAD)の報告,発展途上国への資金の流れ,国連開発の10年,社会開発宣言,国連諸機関活動の調整等の諸問題を審議し,勧告を行なった。国連第23回総会は,これらの経済社会理事会勧告について審議したが,経済関係問題は第2委員会で討議された。
経済社会理事会および総会第2委員会での経済関係問題の討議は,いかにして発展途上国の経済開発促進のための国際協力を強化するかということがその基調となっており,低開発国への資金の流れについては,第23回総会で,先進国による国民総生産の1%の発展途上国援助,援助条件の緩和を要請する第2回UNCTAD決議を支持するほか,発展途上国援助の増大を企図する諸措置の実施を要望する発展途上国提出の決議が採択された。この資金の流れのほか,UNCTAD報告,食糧援助問題については,従来,発展途上国と先進国との間の対立が激しく,先進国側の受け入れられない決議案の表決が強行された例が多々あったが,最近の傾向として,発展途上国側にも,できるだけ多くの先進国の支持が得られるような決議案を作成しようとして,先進国との対話を続けようとする態度が次第に強く打ち出されて来ており,第23回総会においても,わが国は他の西側先進国とともに発展途上国側と協議し,決議案の改正に努力した。わが国は,種々の援助制約要因があり,これらの決議のすべての条項を受け入れることは困難であったが,発展途上国の経済開発促進という根底の思想は理解し得るので,わが国の立場を適宜留保しつつ,他の西側先進国とともにこれらの決議に賛成した。
これらの諸問題とも密接な関連があり,第45回経済社会理事会および第23回総会で最も注目されたのは,「第2次国連開発の10年」に予定されている1970年代の開発戦略をいかに策定するかという問題であった。第1次国連開発の10年では,1960年代の発展途上国の経済成長率を年間5パーセントに引き上げることを目標として国際協力の努力が行なわれているが,第2次開発の10年では,さらに強力に発展途上国の経済開発を推進する必要があることが認められ,第23回総会では,包括的かつ首尾一貫した1970年代の開発戦略を策定するため,経済社会理事会の経済委員会メンバーを54ヵ国に倍増して構成される準備委員会を設置した。準備委員会は,1969年2月,第1回会合を開き,今後の作業計画を討議したが,ドイツ連邦共和国の本委員会参加に反対している東欧諸国は会議をボイコットした。わが国は経済社会理事会の理事国として自動的に準備委員会のメンバーとなり,開発戦略の策定に直接関与することになったが,アジアの先進国であるわが国は,開発戦略の策定のみならず,その実施にも極めて重要な役割を果すことになるであろう。
エカフェの最近における活動はメコン下流域開発,アジア・ハイウェイ建設,アジア開発銀行等に対する協力を継続するかたわら,他の分野における新たな地域的プロジェクトの推進に重点が置かれている。わが国もこれらの諸活動に対し従来より資金供与および専門家の派遣等により協力を行なってきている。最近のエカフェの活動の中特筆すべきは,1968年12月バンコックにおいて開催された第3回アジア経済協力閣僚会議において,地域的プロジェクトの実施を促進するための域内協力の新戦略が検討されたことである。同会議においてはエカフェにおける従来の商品別,プロジェクト別協力方式が引続き支持され,その一例としてのアジア・ココナット共同体設立協定がフィリピン,インドネシアおよびインド各代表により署名された。さらに同会議においては,上記協力方式と相まって,アジア全地域を終極の目標としつつも,個々のケースに応じ小地域における綜合的協力を推進すべきことが合意され,従来の会議名称をアジア経済協力閣僚理事会と改称することに合意を見た。従って,今後は地域的プロジェクトの動向として,前述のココナット以外の商品に関するプロジェクトの検討のほか,地域支払いないし清算機構,域内特恵供与等の全地域的,小地域的あるいは関係諸国間の協力と併行して総合的協力の促進が見られるものと予想される。
上記地域的プロジェクト中,最近における注目すべきものとわが国の態度を概説すれば次のとおりである。
1968年東京で開催された第23回総会において,地域経済協力の各分野特に域内貿易の拡大に関する実行計画を作成するため政府代表会議を開催し,その報告を検討するための閣僚会議を開催するようエカフェ事務局長に要請する決議が採択され,これに基づいて1968年8月バンコックにおいて貿易拡大に関する地域内政府専門家会議が開催された。同会議において,域内発展途上諸国は各国の輸出関心品目リストを事務局に提出し,事務局はこれらリストを各国に配布して,各品目につき関税,非関税障壁等各国の輸入政策に関する情報を収集し,これを取りまとめた上適当な時期に会議を開催し,この部面より自由化措置を検討することを主張した。これに対し,わが国その他域内先進国は,ガットの締約国として,発展途上国をも含め自由無差別主義にもとづき,貿易拡大を目指しているため,このような地域的な自由化計画には参加できないとの消極的態度を示した。しかし域内自由化計画は多数国の合意として採択され,目下上記情報収集の作業が事務局において行なわれており,その動きは注目される。
前項記載の貿易拡大政府専門家会議においてエカフェ域内の貿易を拡大する方策の一つとして地域的支払い同盟あるいは清算取決めの設定の問題が検討された。そのためエカフェ地域における国際金融信用施設に関するIMF(国際通貨基金)の研究報告および商品の構造と貿易の実態に関するエカフェ事務局の研究報告の提出を待ってこれを検討し,次の措置を考慮すべきであるとの意見がわが国はじめ域内の多くの国の専門家によって主張され,前述の第3回アジア経済協力閣僚会議においても同様の意見が支配的であった。1969年2月になって、IMFの報告のみが発表されたが,事務局の任命する専門家が同報告を検討して地域的支払取決めの設定のため具体案を作成することが勧告され,目下事務局が作成している前述の域内の商品および貿易に関する研究の完成をまって,本件の検討は具体的に進展するものと思われる。
第2回UNCTAD(前号参照)以来,貿易開発理事会(TDB)をはじめ,各委員会が相次いで開催されたが,諸懸案の審議は,依然として難航した。しかしながら,ここ1年間のUNCTADには新しい動きが起って来たことに注目する必要がある。すなわち,「第2次国連開発の10年」あるいはUNCTADの機構および作業方法の改善に関連させて,これまでの諸懸案を一気に進展せしめ少しでも具体的成果を得ようとする動きがでてきたことである。
UNCTADは「第2次開発の10年」を,第1次と異なり,世界開発戦略という総合的な見地から,1970年代の開発問題としてとらえようとしており,貿易と開発面でこれに積極的に協力することになっている。
第7回(1968年9月)および第8回(1969年2月)TDBにおいて,「第2次開発の10年」が討議されたが,発展途上国側は,「開発の10年」の目標自体よりはむしろ目標を達成するための国際的措置を重視して,貿易障害の撤廃,商品協定,特恵,国民総生産(GNP)の1%援助,補足融資その他UNCTADで従来とり上げられて来たあらゆる問題について,「開発の10年」の発足前に,できるだけ合意に達すべきであると主張した。わが国をふくめ,先進国側は「開発の10年」の問題自体,国連経済社会理事会を中心として検討すべきであり,先進国の協力もさることながら,発展途上国の自助努力が決定的に重要であることを強調した。本件は,1969年5月の再開TDBで引続き検討され,今後の動きが注目されている。
各委員会の審議を概観すると,一次産品の分野では,新砂糖協定の成立(1968年10月)を多くの国が歓迎し,次はココア協定という声が強かった。貿易自由化等の第2回UNCTAD以来の懸案事項は,すべて次回に繰越された。製品の分野では,特恵については,西側先進国の作業がOECDで進行中という情勢もあって,発展途上国側は成り行き待ちで,1970年初頭から特恵を実施できるよう先進国側の早急な措置を要望した。貿易自由化および多角化の問題は,審議繰越しとなった。援助の分野では,「第2次開発の10年」を契機として,発展途上国側は,援助量および条件をますます重視しており,1972年までの国民総生産(GNP)の1%の援助目標の達成,1970年までの援助条件緩和(政府援助の80%以上を贈与とするか,または政府援助の90%を贈与,もしくは年利2.5%以下期間30年以上の借款とする)の実現など,第2回UNCTADにおける要求を再度持出し,先進国側に迫った。
なおプレビッシュ事務局長は,健康上の理由で工969年3月で辞任し,後任としてヴェネズエラのゲレロ(前国連常駐大使)が就任した。
国連組織による発展途上国技術援助の中枢的機関である国連開発計画は,従来の拡大技術援助計画と特別基金とが,第20回国連総会の決議により統合され,1966年1月より名を改めて発足したものである。
その事業は,技術援助部門と特別基金部門とに分れ,前者は,専門家の派遣,研修生の訓練,セミナーの開催等比較的短期かつ経費小額の事業を行ない,後者は,研究所や訓練所の設置,投資前調査活動等の長期かつ大規模な援助を行なっている。
その事業資金は,各国の自発的拠出金でまかなわれており,1968年分の各国の拠出誓約額総計は1億8300万ドルで,1969年分の同総計は2億ドルを上廻わる見込である。
わが国は,1968年には365万ドルを拠出し,1969年分には400万ドルを誓約している。
わが国は,本計画の重要性にかんがみ,その管理理事会の理事国として,政策決定等に積極的に参加するとともに,その事業の実施面においても相当の実績を挙げているが,欧米各国に比べて専門家の派遣等に立遅れの面もあり,今後はその促進が必要と思われる。
また,わが国は,本計画と協力して,国際地震工学研修所(第2期計画)を実施中で,他の地震国からの研修生に地震関係の研修を行なっている。
発展途上国の工業開発のための新機構として1967年1月より発足した国連工業開発機関(UNIDO)の機能は,事業活動と,右活動のための調査活動を行なうことにある。同機関の事業活動のための資金は各国よりの自発的拠出金,UNDPおよび国連通常技術援助計画への参加によってまかなわれる。
UNIDOの主要機関は45ヵ国より構成される工業開発理事会(IDB)であり,そのメンバーは公平な地理的配分の原則に基づいて選出され,わが国も1971年末までメンバー国である。
UNIDOの活動は,技術援助のほか,専門分野のセミナー・研究会・現場研修の開催,工業促進サービスの実施,工業情報の収集・配布等広範囲にわたっている。