安全保障理事会

1. チェッコスロヴァキア問題

チェッコスロヴァキア問題についての安保理事会は1968年8月21日開催され,先ず,米国等6ヵ国の議題採択要請がソ連,ハンガリーの反対にかかわらず12対2で採択された。

ついで実質審議では,ソ連の内政干渉を非難する他の理事国およびチェッコスロヴァキアの発言に対し,ソ連とハンガリーは,社会主義国間の問題は社会主義共同体が自ら解決するものであり,資本主義国が関与すべき問題ではないと反論した。22日,デンマーク等7ヵ国が「(1)ソ連およびワルシャワ条約諸国の内政干渉を弾劾し,これら諸国に軍隊の即時撤退と内政干渉停止を要請し,(2)他の加盟国に対し,右履行のため影響力を行使するよう要請し,(3)事務総長に本決議履行状況の報告を求める」決議案を提出した。右決議案は同日表決の結果,10対2(ソ連,ハンガリー),棄権3(インド,パキスタン,アルジェリア)で,ソ連の拒否権行使104回目により否決された。

その後カナダは22日,「事務総長に対し,チェッコスロヴァキア指導者の釈放を求め,その安全確保のため,特別代表をプラーグに派遣することを要請する」決議案を提出した。ソ連は23日本決議案は実質問題を手続問題にすりかえんとするものであると反対した。

翌24日の安保理の審議にはハイエク・チェッコスロヴァキア外相が出席したが,同外相は「チェッコスロヴァキア占領は,チェッコスロヴァキア政府ないし,いかなる憲法上の機関の要請によるものでない」旨の発言を行なった。

その後,安保理は,モスクワにおいて関係当事国間の交渉が始まったため,24日審議未了のまま討議を打ち切った。国連事務局は27日,「チェッコスロヴァキア代表代理が安保理議長あて書簡をもって,チェッコスロヴァキア問題を議題より取除くよう要請した」旨明らかにした。

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2. 中東問題

中東問題については,1968年を通じヤーリング事務総長特別代表の局面打開の努力が続けられた。また,ラスク米国務長官の提案,ソ連提案、フランスの4大国会議の提案等が伝えられたがなんら成果がなかった。この間イスラエルとアラブ諸国の間には小競り合いが頻発し,そのため68年春から暮にかけて9回にわたって安保理事会が開催された。国際連合における討議を通じて注目される点は次のとおりである。

(1)アラブ・テロ団体のゲリラ活動に対するイスラエルの報復(1968年12月のレバノン空港襲撃等)が増加しつつあるが,アラブ諸国はこれに対し責任を有しないと言明しており,これが紛争再発のきっかけとなること,および,これらテロ団体は,ヤーリング特使の派遣など中東問題の解決方法の大綱を定める1967年11月の安保理決議242を認めていないため,問題の政治的解決に対する障害となることが危ぐされている。

(2)1968年9月27日の安保理決議259はイスラエル占領下のアラブ地域に特別代表を派遣し,民間人および捕虜の取扱いを調査するよう事務総長に要請しているが,イスラエルはかかる特別代表の派遣は,ユダヤ人に対する取扱い調査のためアラブ諸国にも派遣さるべきであり,一方的派遣は受入れられないとしてこれを拒否している。総会は,その後「国際人権年」の議題の下で,同様な調査団のイスラエルヘの派遣を決議しており,今後の進展が注目される。

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3. 南ローデシア問題

南部アフリカ問題の中でも近年南ローデシア非合法政権に対する安全保障理事会の制裁が注目されており,1966年に採択された部分的経済制裁に関する安保理決議232は失敗であったとの認識が強まっていたが,1968年3月にスミス政権が英国女王の特赦を無視して3名のローデシア黒人を処刑したことに端を発し,同年3月以降安保理は,本問題に関する審議を再び開始し,5月29日,対南ローデシア全面経済制裁のための決議253を採択した。わが国は,同決議採択に伴い,ただちに,決議履行のために所要の措置をとるとの閣議了解を行ない,在ソールズベリー総領事館員の引揚げ(総領事は既に65年11月の一方的独立宣言の直後に引揚げている)輸出貿易管理令の一部改正等の措置をとった。なお第23回総会において,「英国に対し,南ローデシア政府打倒の武力行使を要請し,制裁の適用範囲を南ア,ポルトガルに拡大する」趣旨の決議案が表決に付された際は,わが国は,右決議の採択は時期尚早であって当分は安保理決議253の履行状況を見守るべきであるとの立場をとった。

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