経済協力のための国際協調

わが国は以下の国際機関を通ずる国際協調のほか,アジア地域協力は特に積極的にこれを推進しているが,これらアジア地域を中心とする国際協調については第2部第1章の「アジアの地域協力とわが国」の項を参照願いたい。

1. 世界銀行を中心とする国際協力

世界銀行(国際復興開発銀行)は,1945年に加盟国の戦後の復興と経済開発を目的として設立されたが,現在は前者の任務を終わり,開発途上国に対する援助機関としての性格を強くしている。

この世銀の活動は,その姉妹機関で,より緩和された条件により経済,社会開発事業に融資する国際開発協会(IDA),および民間投資を促進する国際金融公社(IFC)の活動と相まって開発途上国の経済開発に重要な役割を演じている。

1967年から68年にかけての先進国の開発途上国に対する援助の動向をみると,米国の対外援助の後退,通貨不安を内に抱えた西欧先進国援助の伸び悩み等一連の停滞が目立つが,世銀グループもまた主としてIDAの財源難から若干の後退を余儀なくされた。1967/1968年度における世銀グループの融資承諾額は10億ドルで,前年度にくらべ2億8,000万ドルの減少を示している。

このような環境の中で,世銀は融資活動の量的拡大と質的な拡充を強く要請されている。

1968年4月世銀総裁はウッヅ氏からマクナマラ前米国防長官に代ったが,就任以来のこの一年にマクナマラ新総裁は上記要請にこたえた積極的構想をうち出した。その第1は,1968年総会の演説で明らかにした新しい融資計画であり,第2は開発途上国に対する援助を検討するピアソン委員会の設置である。前記演説の中で,マクナマラ総裁は,今後5年間に世銀グループの融資額を過去5年の2倍とすること,その対象地域としてはう米,アフリカを重視し,それぞれ過去の2倍および3倍とすること,また融資分野としては教育および農業を大幅に増加させることなどを明らかにしたが,世銀はこれに所要の資金を調達するため,1968年に入って米国,西欧等の資本市場で積極的に起債を行なっており,新融資計画の成り行きが注目されている。また,ピアソン委員会は先進国,後進国から7名の著名な政治家,学者を集め,ピアソン前カナダ首相を委員長として過去20年にわたる援助を評価し,今後の援助のあり方を検討するものであるが,この委員会の成果は今後の世銀グループの活動の指針となるものとして重要な意味をもつものと考えられる。

このように世銀は,現在質量ともにその活動強化をすすめているが,その過程で解決を要する問題は少なくない。その第1はIDAの財源補充の問題である。IDAはすでに1967年に財源の枯渇を来したため,1968年3月1DA理事会は総額12億ドルの第2回財源補充を行なうことを定め,わが国を含むIDA加盟の第一部国(先進国)18ヵ国に協力を求めているが,総額の4割の割当を受けている米国をはじめ,なお拠出を決定するに至っていない国が少なくないため,財源補充制度は未発効の状態にある。このためIDAの融資活動は1968年を通じて微々たるものであったが,1968年末以来,カナダ,ドイツ,デンマーク,スウェーデン,英国,ノールウェー,フィンランド等が財源補充制度の発効前に各国割当額の第1回払込額(拠出金は3回に分けて払込まれることとなっている)を前払拠出することを決定しており,融資活動は再び活発化するものと期待されている。なお,わが国の割当額は6,648万ドルであり,国会の承認を経て拠出を行なう予定である。

世銀が当面する第2の問題は資金調達コストの上昇である。世銀の貸出金利は調達金利を勘案して定められるが,1967年下期以降,国際金利の上昇が続いたため,開発途上国向け融資に対する金利は1968年に2度にわたり引上げられ,同年8月以降6.5%が適用されている。既述のように世銀は今後資金の多くを先進国資本市場に期待しているが,融資量の拡大と融資条件調整の問題は今後とも大きな課題となるものとみられる。

以上のように1968年から1969年にかけての世銀グループは,一つの重要な時期を迎えているが,世銀グループの活動は融資に加えて加盟国の経済開発計画策定についての助言,各種の技術援助およびコンソーシアム・協議グループ組成を通じての先進国の援助調整等多岐にわたっており,開発途上国に対する援助の中で今後とも重要な地位を占めるものと考えられる。

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2. OECD開発援助委員会(DAC)

DAC(Development Assistance Committee)は,低開発国への資金の流れを増大し,援助の有効性を高め,また加盟国の援助努力の調整を行なうことを主な目的とするOECDの一機構である。現在DACには,オーストラリア,オーストリア,ベルギー,カナダ,デンマーク,フランス,ドイツ,イタリア,日本,オランダ,ノールウェー,ポルトガル,スウェーデン,スイス,英国,米国の16ヵ国およびEEC委員会が加盟している。1968年におけるDACの活動の主なものは次のとおりであった。

(1) 第7回年次審査

年次審査は,加盟国の援助政策を加盟国相互間の審査の方式によって検討するもので,DACの活動の中心をなしている。第7回年次審査は,1968年5,6,7月および9,10月に実施されたが,このうちわが国に対する審査は6月28日開催された。

同審査においては,わが国の今後の援助努力の計画化,援助条件の緩和のための具体的措置の見通し,技術協力計画の拡充,援助機構の一元化の必要性等が主な問題として取り上げられ,わが国の1967年の援助量がその前年とくらべ27.8%という大きな伸び率を示したことに対しては,歓迎の意が表明されたが,わが国の援助条件がいぜんとしてDAC諸国中最もきびしいものの一つであることに対しては,かなりきびしい批判を受けた。

(2) 1968年上級会議

DACでは毎年1回加盟国のハイ・レベルの援助政策担当者を集めて,過去1ヵ年の援助の実績を検討し,今後の援助政策の調整を行なっている。この会合は上級会議とよばれ,DACの主要な勧告はすべてここで採択されている。

1968年10月パリで開催された上級会議では,特別の勧告を採択するこはなかったが,援助量について第2回UNCTADの採択したGNP1%目標を再確認し,また援助条件について1965年上級会議の採択した勧告内容の改訂に関し検討を行なった(この改訂は1969年2月にいたって成立した)。上記以外の問題では,援助に対する世論の啓発の問題,教育援助の需要と戦略の問題等が討議された。

(3) DAC条件勧告の改訂

DACは1965年に採択された援助条件勧告に対する追加勧告を1969年2月採択した。

この結果DACの掲げる援助条件目標は次のように改訂された。

(イ)政府開発援助総額の70%以上を贈与で供与している国は,目標を達成したものと認め,(ロ)その他の国については,a政府開発援助約束額の85%以上をコンセッショナル・エレメント(グラント・エレメントともいわれ,借款のソフト性を表示するために使われる指標である。具体的には商業条件より緩和された条件を供与することによって援助供与国がこうむる得べかりし利益の喪失部分を意味し,贈与相当部分と意訳されている)61%以上の取引で供与するか,もしくはb政府開発援助約束額の85%につき,そのコンセッショナル・エレメントの平均を85%以上とする。

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3. OECD開発センター

OECD開発センターは,1962年経済開発問題に関する先進国の知識,経験を集積して低開発国に利用させるという形での技術援助活動の強化を目的として設立された。この目的を達成するために,開発センターは,フィールド・セミナーの開催,質疑応答サービスの提供,開発問題研究訓練所長の年次会議の開催,開発関係問題についての独自の調査といった諸活動を行なっている。1969年3月には東京で開発センターの主催(国連アジア経済開発計画研究所およびわが国の海外技術協力事業団の共催)により開発問題研究訓練所長のアジア地域会議が開催された。

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