OECD(経済協力開発機構)を中心とする国際経済協力

OECDは,1961年OEEC(欧州経済協力機構)を発展的に改組して発足した先進諸国間の経済政策調整のための機構で,わが国も1964年4月加盟し,1969年1月フィンランドが正式加盟した結果,加盟国は22ヵ国を数えている。

OECDの活動は,経済の広汎な分野にわたっているが,ここ1年間OECDで検討された主要な問題は,次のとおりである。

1. 経済政策

1968年のOECD諸国の経済は,米国,英国の好況を主因に力強い伸びを示し,国民総生産で実質約5%,貿易額で約12%の伸び率に達した。1969年の経済見通しについても,国民総生産で実質約4%,貿易額で約8%の伸びが予想されており,このため,加盟国の国民総生産を1960年代の10年間に50%増大させようというOECDの目標は達成されうるものとみられている。

しかし,このような好調な経済成長とはうらはらに,最近好ましくない傾向が出てきている。その第1は,一部の主要国において失業率が上昇し,1969年に入っても高水準を続けると懸念されていることであり,第2は,米国,英国,フランス等の諸国でインフレーションが深刻な問題となってきていることである。その第3は,米英両基軸通貨国の国際収支の逆調が依然として継続ないし悪化したことに加えて,フランスの国際収支が1968年の5月危機以降悪化したのに対し,ドイツ,イタリアの国際収支は依然大幅な黒字を示し,このアンバランスが国際通貨体制に対する不信を生み出したことである。第4は,1968年に入って,米国のドル防衛策,フランス5月危機や11月の欧州通貨危機に伴い,フランスの貿易為替規制措置や英国の輸入預託金制度の導入などにみられるように,国際収支の困難に対処するため一部の主要国において貿易,為替,資本取引等に制限が加えられたことである。

OECDの経済政策委員会では,これらの問題を各国の協調のもとに解決して行くために,1968年度中1968年6月,11月および1969年2月の3回,各国の次官,局長クラスの出席をえて会合を開いた。これらの会合における討議の主たる焦点は,前記のような対内対外両面の不均衡是正のため需要調整策をいかに適当に運用して行くべきか,なかんずく,従来からOECDが最も力を入れてきた各国国際収支の調整過程の効果的機能を,国際通貨の動揺を前にしていかに確保して行くか,さらにこれに関連して国際間の資本移動等をどのように評価すべきかなどにあったということができる。とくに,国際収支調整過程が必ずしも十分に機能していない根本原因は各国の政策がちぐはぐで,一方的に決定した政策を他国に伝達するに止まっている現状にあるとして,事態を改善するためにOECDでの政策調整強化(コオーディネーション)が必要であるとする意見と,それまでの必要はないとして国際協力(コオペレーション)で充分であるとする意見があり関心をひいた。

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2. 資本,技術導入の自由化

(1) 資本の自由化

1966年から1967年にかけて行なわれたOECDの資本自由化規約上の各国の留保に関する定期審査の結果,18項目にわたるわが国の留保のうち,かなりの部分についてその撤回ないし縮小が要請され,とくに当時全面留保となっていた対内直接投資を段階的に自由化すべきことが強く要望された。また日米間など二国間の交渉でもわが国の資本自由化に対する要請が強まった。

かかる海外からの自由化要請にかんがみ,また,わが国としても緊密化しつつある国際的経済活動の協力関係に参画し,資本自由化拡大の努力を払うことが,長期的にみてわが国経済の体質を強化し,そのいっそうの繁栄をもたらすものとの認識から,わが国は,1967年6月,外資審議会の答申に基づき,1971年度末までにわが国経済のかなりの分野を自由化するとの方針を決定するとともに,第一次自由化措置として,一定の要件に該当する限り,外資比率50%および100%まで自動認可される自由化業種をそれぞれ33業種および17業種選定した。第一次自由化措置に引続いて,政府は1969年2月,第二次対内直接投資の自由化措置に関する決定を行なった。この第二次自由化では,50%自由化業種として135,100%自由化業種として20の業種が新たに追加されたほか,第一次自由化の際50%自由化業種となっていたもののうち9業種が100%自由化業種に移された。この結果重複調整を行なうと50%業種は160,100%業種は44となる。従って,第二次自由化は業種の数では第一次自由化をかなり上回ったといえるが,自動車,百貨店,フィルム等外国の関心業種がいずれも自由化されなかったため,今後も資本自由化の海外からの要請はますます強まるものと予想される。

以上の対内直接投資以外の資本取引,とくに対外投資の自由化についても,OECDを中心に自由化要請が強い。この対外投資の自由化は,わが国経済

自身にとっても,わが国産業が世界を舞台に活躍して行くためには必要なものと考えられ,今後その自由化と前向きに取組んで行くことが肝要と考えられる。

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(2) 技術導入の自由化

OECDでは,資本取引と同時に,別途経常貿易外取引の自由化規約を定め,この分野における自由化の推進をはかっているが,わが国は同規約上,技術援助,特許権商標発明,生命保険,利潤,観光旅行,入移住者の送金等10項目に留保を付してきた。

このうち,技術援助および特許権等については,前述の第一次資本自由化のあとを受けて,わが国も自由化を行なうべきことが認識され,1968年5月,外資審議会の答申を全面的に受入れた技術導入自由化措置の決定を行ない,同年6月より実施した。この自由化措置の内容は,(イ)航空機,武器,火薬,原子力,宇宙開発,電子計算機,石油化学の7部門の技術導入は非自由化として従来通り個別審査とする,(ロ)その他の技術導入は実質自由化の原則的日銀委任方式で処理する,(ハ)上記の(イ)および(ロ)にかかわらず対価の支払額が5万ドル以下のものは日本銀行限りで自動認可する,というものであった。この結果,OECDの上記規約の技術援助および特許権等の二項目に関するわが国の留保は,「対価支払額が5万ドル以上であって,かつ上記7部門の契約についてのみ留保する」旨変更された。従来,契約期間が1年以内で対価支払額が3万ドル以下のもののみが自由化されていたのに比べると,今回の自由化措置はかなりの前進であったということができる。

また経常貿易外取引のうち,観光渡航については,政府は1969年4月より1人1回700ドルまで制限を緩和することとなったので,OECD規約上の当該項目に関するわが国留保は撤回されることになっている。

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3. 貿易問題

(1) 加盟国間貿易問題の検討

OECDにおける貿易問題の検討は加盟国間貿易問題と非加盟国との貿易問題の検討に大別されるが,貿易委員会の作業は発展途上国との貿易問題(なかんずく特恵問題)を中心に進められてきたきらいがある。しかし,1967年ケネディ・ラウンド交渉が妥結したことにより,OECDにおいてもケネディ・ラウンド後の通商政策の検討が問題となり,加盟国間の貿易問題を積極的にとりあげるべしとの機運が生じた。その後,1969年1月の貿易委員会において,近年国際収支調整のため貿易面で種々の措置(例えば,国境税調整,輸出補助金,輸入課徴金,輸入預託金,数量制限等)がとられていることが問題とされて,これら貿易上の措置をOECDにおいてとりあげるべきことが提案され,一応各国の了承を得た。

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(2) 特恵問題

対発展途上国特恵問題は1964年の第1回UNCTAD(国連貿易開発会議)においてクローズ・アップされて以来種々検討されてきたが,1968年2月から3月にかけてニュー・デリーで開催された第2回UNCTADにおいては,できるだけ早くこれを実施することに全会一致の合意をみ(なお,発展途上国は1970年初頭に実施すべしとの希望を表明した),同時に以後の検討スケジュールについてもUNCTAD特恵特別委員会を設置し,第1回会合を1968年11月,第2回会合を1969年前半に開催するとの合意がえられた。

その後,先進諸国はOECDの貿易委員会の下に特恵作業グループを設けて特恵の具体化につき検討したが,さしたる進展はみられず,1968年10月の貿易委員会で1969年3月1日を目標に暫定的な品目リストおよび同リスト作成にあたっての諸前提条件をOECDに提出するとの合意をみたにとどまった。

1968年11月29日より12月6日まで,ジュネーヴにおいて国連貿易開発会議第1回特恵特別委員会が開催されたが,上述のように先進国の準備がさして進んでいなかったため,特恵制度に関する実質的な討議は行なわれず,議論は専ら今後のスケジュールに集中した。結局,1969年4月末に短期間の事務的会合を開き,6月末の第3回特恵特別委員会で特恵制度に関する実質的な協議を行なうことに合意をみた。

わが国は従来より特恵問題につき慎重な検討を行なっていたが,1967年11月24日閣議決定により特恵供与の方針にふみきった。以後OECDやUNCTADにおける討議に積極的に参加し,わが国の立場を主張するとともに,1969年3月10日さきの合意に基づき暫定的な品目リスト等をOECDへ提出した。

今後,OECDにおいては,各国のリストに基づいて特恵制度の具体化のための検討が進められよう。これにより長年の懸案事項であった特恵問題の検討はいよいよ具体的検討の段階をむかえることとなろう。

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4. 現代社会の諸問題

現代社会は科学技術の発展を起動力として経済の高度成長をなしとげているが,反面,社会の各方面に種々の現象が生じており,程度の差こそあれ類似の問題をかかえている先進諸国が国際的な場で情報・経験の交換を行ない,あるいは共同研究を行なうことは有意義であるとの見地から,OECDでは,従来より各委員会においてこれらの問題の検討を行なってきた。

まず,現代社会の特徴の一つとして,企業の大型化に関する諸問題が制限的商慣行委員会でとりあげられているが,とくに近年ますます顕著になりつつある傾向として多国籍企業の問題が,その社会におよぼす影響という面で注目されており,1968年3月の第3回科学大臣会議においては,技術移動の媒体としての多国籍企業について検討を行なうことが勧告された。また,農業面では,農産物の過剰生産が問題視されており,1968年11月末の第6回農業大臣会議においては,長期(1985年)・中期(1970年)の農産物需給見通しに基づいて検討が行なわれ,過剰生産の解決策として農業人口の非農業部門への流出促進,農業構造の改善,作付制限に伴う負担の分担等が示唆された。

労働力社会問題委員会においては,労働力不足に対処するため,労働力の有効利用をめざした積極的労働力政策の推進に重点がおかれているほか,1968年のフランスの5月危機を契機として労働者の企業意思決定への「参加」の問題がクローズ・アップされている。

その他,社会経済の発展においては,技術の革新と人的能力の開発がその基本的要因となっていることから,OECDでは1968年7月教育革新センターを設置し,新しい社会に適応した教育の研究開発および訓練に着手しており,都市問題についても,都市地域の住宅建設,交通対策ならびに水質保全・大気汚染等の公害問題等について研究協力委員会において検討が進められている。

以上のごとく,現代社会の諸種の現象については,すでにOECDの各委員会において個別に検討されているが,1969年2月13日,14日に開催された第8回閣僚理事会においては,これらの問題を「現代社会の諸問題」として広い視野の下に把握し,総合的に検討していこうとの問題提起がなされ,各国代表とも一致してOECDが現代社会の諸問題の解決にあたって効果的・積極的な活動を行なっていくことが望ましいとの見解を表明した。閣僚理事会のフォローアップとして,これらの問題は,今後,新たに検討が進められることとなろう。

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5. 科学技術問題の検討

OECDは加盟国の生産性を高め,経済成長を促進するには科学技術の振興が重要であるとの認識の下に,各国の科学政策のレビュー,技術格差問題等の科学政策問題の検討のほか,大気・水汚染,都市,輸送,材料,科学・技術情報,道路,原子力に及ぶ広範囲の問題について研究協力を行ない,また教育投資計画や科学技術者の訓練,その需給・移動等の検討調査等を行なっている。

これらの科学技術関係の活動の中で,技術格差の問題は1968年3月の第3回科学大臣会議の主要議題となり,その後もOECDの関心を集めている。

すなわち,OECDには,つとに1966年11月技術格差作業部会が設置され,技術格差の各国に及ぼす影響,技術格差の存在する部門,そのよって来たる原因,およびこれを是正をする方策について検討された。これらの検討結果は1968年3月の科学大臣会議に報告され,特に,技術の移動問題を中心に議論が行なわれ,(1)技術普及を図るための市場アクセスの改善および非関税貿易障害の廃止を行なうことが重要である(2)技術移動の改善策につき今後意見交換を行ない,場合によっては適宜交渉を行なう(3)電子計算機利用技術の分野の研究活動に重点を置くとの合意が達成された。

以後上記合意の趣旨に基づき種々作業が行なわれているが,技術移動については,ひと先ず,技術移動の障害項目を作成する作業および技術移動の媒体としての世界企業の役割についての検討が行なわれている。

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