西 欧 地 域

西欧地域との関係

1. 定期協議等

(1) 第6回日仏定期協議

三木外務大臣は1968年7月,第6回日仏定期協議を行なうためフランスを訪問した。同17日,パリで行なわれた三木,ドブレ両外相会談においては,欧州情勢ではチェコ問題を,アジア情勢ではヴィエトナム問題を中心に詳細な協議が行なわれた。ヴィエトナム問題については,両国とも早期解決の希望を表明し,パリ会談の推移を見守りつつも,和平達成のため助力する用意があることを明らかにした。日仏定期協議は,アジアと欧州において日仏両国が世界の重要問題につき協力の基盤を見出し,これを拡大して行くという点において大きな意義をもつものであり,日仏双方とも定期協議を重視し,将来も長く続けて行くことを望んでいる。

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(2) 三木外務大臣の英国およびベルギー訪問

三木外相は日仏定期協議に先立ち,7月14日より16日まで英国を訪問した。わが国と英国との間には特別の懸案もなく,両国関係は政治面,経済貿易面とも近年いっそう緊密化しつつある。両国間には1963年以来,大臣レヴェルおよび事務レヴェルの定期協議が設けられ,ほぼ年1回の割合で,相互に関心のある2国間問題および国際問題について,率直な意見の交換を行なっている。国際社会において長年にわたる豊富な経験を有する英国と緊密な連絡を保つことは,わが国が外交活動を進める上において大いに資するところがあると考えられている。今回の訪問において,三木外相は,ウィルソン首相およびスチュアート外相との会談を行ない,国際情勢全般について意見の交換を行なった。

なお,三木外相は,ベルギーにも立ち寄り,欧州情勢,軍縮問題などについてアルメル外相と意見を交換した。

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(3) 第4回日独定期協議

9月に至り三木外相は再度ヨーロッパを訪問し,13,14の両日ストックホルムで行なわれた在欧大使会議に出席した後,ドイツとの間の第4回定期協議を行なった。9月16,17日の両日ボンで行なわれた三木・ブラント両外相会談のおもな議題は,ソ連のチェコ武力介入後の欧州情勢,非核兵器国会議および核兵器不拡散条約の保障措置の問題,ヴィエトナム,中国,朝鮮などアジア情勢,東南アジア経済開発問題およびEECと日本との間の経済関係であった。ヴィエトナム復興基金構想をはじめとする東南アジア経済協力,日本とEECとの経済関係の問題については,独側は日本の立場に協力的な態度を見せた。さらにこの間,キージンガー独首相が1969年に訪日する計画も,積極的に推進された。なお,日仏,日独の両定期協議に際しては,事務レベルにおいても協議が行なわれた。

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2. 西欧地域との経済関係

わが国と西欧地域との経済貿易関係は,貿易の拡大,経済・技術の交流などを通じて,近年一だんと緊密化しつつある。

(1) 対西欧貿易の現状とその問題点

1968年のわが国の対西欧貿易は,輸出16.5億ドル(うち,EEC6.9億ドル,EFTA7.6億ドル),輸入12.7億ドル(うち,EEC7.4億ドル,EFTA4.9億ドル)であり,前年に比して,16.5%および8.1%それぞれ拡大した。

対西欧貿易の重要性は近年高まりつつあり,輸出入とも着実に増大する傾向にあるが,種々の条件から見て,さらに大きな可能性をもつと見られ,今後いっそう幅広い地盤における貿易拡大のための努力が必要であろう。

1968年度においても,わが国は西欧諸国との間に貿易交渉を行ない,その結果各国の対日待遇は漸次改善されつつある。とはいえ,対日輸入制限は依然として相当残っており(オーストリア,スペイン,ポルトガル,ギリシャなど),今後とも対日輸入制限撤廃のため格段の努力が望まれている。他方,残存輸入制限あるいは輸出規制の対象品目がほとんど少数の競争力の弱い自国産品と競合するものにかぎられている国(英国,EEC諸国)などとの関係においては,民間の交流などを通じて,新しい輸出商品および輸出市場の開拓に努めなければならないと考えられる。さらにまた,片貿易問題(スペイン,ギリシャ,北欧諸国など)を解決していっそうの貿易拡大を図るためには,相手国の資源開発,相手国に対する技術協力などを積極的に進めて行かなければならないであろう。

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(2) 西欧諸国との貿易交渉

1968年度の貿易交渉を中心とした,わが国と西欧諸国との経済貿易関係は次のとおりである。

(イ) 日仏貿易交渉

1963年の日仏通商協定に基づく日仏貿易協議は,1967年パリにおいて始められ,69年末までを対象とする貿易議定書が,1968年3月30日に署名された。

この結果,従来53品目(工業製品)あった対日輸入差別品目のうち,69年末までに30品目を自由化して,23品目に縮小することが合意された。また,自由化が約束された30品目のうち,8品目は即時実施されることとなった。残りの自由化約束品目については,1969年2月12日,東京で上記議定書の規定に基づく1968年度定期協議を行ない,了解事項に関する書簡の交換が行なわれ,その際フランスは6品目を自由化した。

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(ロ) 日伊貿易交渉

1968年6月24日から,東京で第7次日伊混合委員会が開かれ,8月9日に69年末までを対象とした合意議事録が署名された。

この結果イタリアは,従来の103品目の対日輸入差別品目のうち,58品目を69年末までに自由化することとなった。このうち,一部繊維類,鉛筆,電球など25品目は即時自由化され,さらに,69年1月1日には双眼鏡,顕微鏡,時計など14品目が自由化された。

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(ハ) 日英貿易交渉

1962年に締結された日英通商航海条約に基づく貿易交渉は,1968年6月11日よりロンドンにおいて日英貿易の拡大を目的とする協議が行なわれ,同年12月30日ロンドンにおいて,68年および69年の両年にわたる日英双方の輸出機会の拡大について,最終的合意をみ,書簡の交換が行なわれた。この結果,わが方の対英輸出自主規制品目は,ブラッセル関税分類で56品目より48品目(繊維品および陶磁器)に減少した。なお,英国による対日輸入制限は,1967年末をもって,すべて撤廃されている。

また,日英経済関係の緊密化に伴い,近年日英両国の財界,業界相互の交流が活発化している。1969年3月名古屋で日英陶磁器業界会談が行なわれ,またレースについても日英業界会談が行なわれた。政府としても,かかる人事交流などを通じて,両国官民の相互信頼関係を確立することが,今後の日英経済関係促進のため必要かつ望ましいとの判断から,その醸成,強化を積極的に奨励したいと考えている。

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(ニ) 日本・オーストリア貿易交渉

1969年度の日本とオーストリアとの間の貿易取決めについては,1968年と同様に,1966年に締結された取決めを自動延長することとなった。1969年度の取決めにおいては,1966年度取決めの付属輸入リスト中,対日差別品目が173品目となっているのを,116品目に縮小することに合意をみた。この新貿易取決めにより,日本・オーストリア貿易のいっそうの増大が期待されている。

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(ホ) 日本・ノールウェー貿易交渉

ノールウェーとの貿易関係については,1962年の書簡交換以後,毎年交渉が行なわれ,対日待遇は漸次改善されてきた。1968年もオスロで交渉を行なった結果,1968年10月1日より1年間の有効期間を有する取決めが1969年1月10日に締結された。

この交渉の結果,ノールウェーは繊維製品,衣類など7品目の対日輸入を自由化し,その他若干のクオータ増枠を行なうことになり,対日輸入差別品目数は60品目(綿製品取決めによる対日制限品目を含む)に減少した。

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(ヘ) 日本・マルタ貿易交渉

1965年8月以来マルタの首府ヴアレッタで行なわれていたわが国とマルタとの間の貿易協定取決め交渉は,1968年最終的合意に達し,同年11月13日署名,発効した。有効期間は,1ヵ年であるが,その後も一方が廃棄の通告を行なわないかぎり,引続き有効となっている。

この協定は,両国がガットの規定に従って相互に最恵国待遇を与えることなどを規定している。

なお,マルタ政府はこの協定の成立に先立ってガット第35条の対日援用の撤回を行なった。

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(ト) 日本・スペイン貿易交渉

1968年5月東京において,日西貿易協議が行なわれ,貿易拡大のため相互に待遇の改善を要求し合ったが,双方とも見るべき譲歩を行なう用意なく,本件協議は物別れに終った。

また,68年11月より,同年12月末をもって失効する日西貿易協定を延長するための交渉に入ったが,西側が貿易のアンバランスを多少とも改善するため,日本側の適切な措置を種々要求したため,交渉は協定期限までにまとまらず,69年3月現在なお交渉が続けられている。

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(チ) 日本・ギリシャ貿易交渉

1968年9月末日をもって失効する日本・ギリシャ貿易取決めを延長するため,同年8月より交渉に入ったが,ギリシャ側が両国間貿易の大幅なアンバランスを多少とも改善するための措置として,ギリシャ産葉たばこの買付けの大幅な増大を強く要求したため,交渉は取決め期限までにまとまらず,69年3月現在なお交渉が続けられている。

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欧州経済共同体(EEC)との関係

1968年7月,工業製品について関税同盟を完成したのみならず,農産品についても共同市場を発足させたEECは,現在設立条約(ローマ条約)が定める過渡期限終了を1969年末に控え,加盟各国の諸政策の共通化によりいっそうの域内統合の推進に努めんとしているが,加盟国間の利害および思惑の対立が顕在化し,共同体委員会がその調整に腐心している。特に英国の加盟問題等をめぐり,しばしば共同体の危機が叫ばれているが,加盟国がこれまでの経済統合によって得た現実的利益を無にするような事態に発展することはないものとみられている。

特にわが方が重要関心を有する通商政策の分野においては,加盟国がそれぞれ別個に域外第3国と締結している2国間協定は,一本の共通通商政策のわく内に統合されることとなっている。既に1968年1月共通自由化,共通割当管理,輸入監視制度およびダンピング防止に関する4つの規則が発効し共通通商政策のわく組みが定められ,各加盟国の輸入政策が統一されつつある。

共同体を構成する6ヵ国は,わが国に対しいずれもガット関係にありながら,差別的な輸入制限を継続している。しかも6ヵ国の対日待遇はまちまちであるため,共同体としては目下通商政策の統合過程において,わが国との通商関係の調整を迫られている。わが方としては,世界経済に占めるEECの実力の向上に着目し,さらに欧州統合の政治的意義をも勘案し,EECとの通商関係の調整を慎重に進めんとしている。

かかる背景のもとに69年3月ブラッセルで開始された対EEC綿製品取決め交渉は,わが国とEECの間の最初の本格交渉であり,加盟6ヵ国代表と委員会代表が一堂に会して行なわれた。本取決めが成立すれば綿製品についての対日共通通商政策となるもので,交渉の成行きが注目される。わが国の対EEC貿易は,1968年,輸出は6.9億ドル,輸入は7.4億ドルで対前年比それぞれ25・7および12.5%増加した。わが国の貿易総額にしめる割合はなお5.5%に過ぎないが,1958年EEC発足以来の日・EEC間貿易の伸長率は一貫してそれぞれの貿易成長率を上廻って推移しており,今後飛躍的な発展の余地が残されている。

わが方とEECとの接触をふりかえれば,1964年から67年にいたるケネディ・ラウンドの関税交渉において,EEC6ヵ国はローマ条約第111条の規定により委員会が代表して参加したが,この多角的交渉の一環としてわが国も初めて委員会と折衝した。

UNCTAD(国連貿易開発会議)の対発展途上国一般特恵の供与についても,EECは独自の方式を提示するなど対発展途上国政策に積極的な姿勢を示しているが,EECはまたUNCTADとは別個な立場で,連合協定を手段としてアフリカ,地中海沿岸の旧属領諸国等と双務的な特恵関係に入り,あるいは経済援助も与えており,かかる特定発展途上国に対する双務特恵は他地域への波及効果がある。また,EECは加盟ないし連合を希望する他の欧州諸国とは特定条件下における相互特恵を前提とする通商取決めを一案としているが,こうした動きは世界経済の地域化につながる可能性があり,わが国も直接間接の影響を受けるおそれがある。

域内の共同市場化は域外第三国にも影響するところが多い。この傾向は,例えば油脂課税案が米国の対EEC大豆輸出の伝統的利益を損うものとして問題にされているように,共通農業政策の領域において特に顕著である。

わが国については,懸案となっている共通漁業政策が,わが対欧漁業貿易に直接影響するおそれがある。このため政府は,1968年10月EECに対し,この問題について,わが国が重大関心をもつ旨を書面で申入れ,注意を喚起した。共通漁業政策については,わが国のみならずカナダ,米国等も懸念を表明している。

他方,米国における毛・化合繊維製品輸入規制の動き等保護主義的傾向は,わが国とEECの共通の関心事である。また,1969年1月,対米鉄鋼輸出自主規制について,わが国鉄鋼業界はEEC業界と協調して行動した経緯もある。反面わが国の残存輸入制限の縮小等はEEC,米国等の共通関心事項であろう。

このようにEECが世界経済において米国に比する実力と発言権をもつに至ったため,わが国としても今後,種々の面でEECとの関係の調整を迫られることになろうし,相互協力の必要性も生じよう。

既に,欧州3共同体の一支柱である欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)とは,鉄鋼に関する諸問題につき意見を交換するため1965年9月に最初の定期協議をルクセンブルグで行なって以来,毎年春秋2回東京とルクセンブルグで交互に協議を行なっているが,1967年7月欧州3共同体の執行機関が統合され,委員会も単一化された結果,同年10月の定期協議からはECSC代表は単一委員会から出席している。今後,こうした接触の場を拡大して行くことも検討されて然るべきであろう。

西欧地域要人訪問一覧表

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