中南米地域
外務省は1968年9月22日より10月11日までの20日間にわたり,メキシコ,ブラジル両国に経済使節団を派遣した。
長谷川住友化学社長を団長とする18名の一行は,同年はじめ東京で開催された政府ベースの第1回目・墨経済合同委員会および第1回目・伯経済合同委員会ならびに1965年に派遣された南米経済使節団および1967年派遣の中米カリブ海経済調査団の成果をふまえて,メキシコ,ブラジルの政府要人,財界有力者と懇談し,両国経済の現状および開発計画の方向の把握に努めるとともに,わが国経済力,工業力のPRを行ない相互の貿易,経済協力緊密化のために努力した。
「通商に関する日本国とメキシコ合衆国との間の協定」は1969年1月30日,東京において署名された。
両国はこの協定にもとづき,関税,輸出入,為替等に関する事項について最恵国待遇を相互に保障するとともに,協定の実施と両国間の通商関係の発展に関する問題について,両国間で協議することを約束している。
メキシコはわが国にとりラテン・アメリカ最大の貿易相手国の一つであり,特に最大の輸出市場であるが,伝統的にわが国の入超なので,この傾向を是正して貿易を拡大均衡に向かわせるためにも,また近年緊密の度を加えている経済協力関係の強化のためにも,本協定の締結が寄与するところ大なるものと期待される。
1969年3月26日および27日の両日にわたり運輸省にて、ブラジル商船管理庁マセード・ソワレス長官を長とするブラジル代表団と運輸省沢海運局長を長とする日本代表団(外務省より関係課長参加)の間において,主として日・伯両国の海運政策ならびに海運事情の検討が友好裡に行なわれ,最後に日・伯海運当局間の協議機関を設置することに合意し,会談を終了した。
1962年3月リオ・デ・ジャネイロで署名されたブラジルとの繊維工業技術訓練センター設置協定は,日本政府がブラジル政府と協力してブラジルにおける繊維工業技術の改善のため,ブラジル人技術者の実際的および理論的訓練を行なうこと,ならびに繊維工業技術の改良を目的とする研究および実験を行なうべきことを定めているが,1965年7月センターにおける訓練開始以来昨年末までに258名に上る技術者の再訓練を行ない,同国の繊維工業全般の技術水準向上に大きく貢献しつつある。
しかし,近年ブラジル繊維工業の近代化が進み,同国のほとんどの近代的繊維工場に染色仕上げ設備が導入されつつあり,同センター既存の紡績および織布部門に加えて新たに染色仕上げ部門を開設する必要が痛感されるにいたり,ブラジル政府もまたこれを強く要望したので,日本政府は昭和43年度予算で所要の機材(約8,000万円)をブラジル政府に供与し,前記新部門開設に踏切り協定の改正を行なうこととなった。また現在わが国がセンターに派遣している3名の専門家の協力期間を1970年7月までとすること,新部門開設のため派遣さるべき専門家2名の協力期間は当該部門の訓練開始後3年間とすることも協定改正に加えられている。
協定改正のための書簡の交換は1969年4月8日リオにおいて行なわれた。
1968年6月より約75万新クルゼイロスの予算をもって建設中のブラジル日本文化協会講堂(サンパウロ)に対し,日本政府は43年度に2,000万円(約20万新クルゼイロス)の補助金を与えた。残額の55万新クルゼイロスは現地募金で賄う予定であるが,募金もほぼ目標に近付いており建設工事も順調に進んでいる。
アルゼンティンはかねてから同国産食肉の対日輸出を強く要望してきたが,同国は口蹄疫汚染地域に指定されているため,わが国家畜伝染病予防法によりアルゼンティンからの偶蹄類に属する動物の肉の輸入は禁止されており,これが大きな壁となって偶蹄類動物の食肉輸入は実現しなかった。
しかしながら,わが国はアルゼンティン政府の再三にわたる強い要望を検討してきた結果,1968年9月家畜伝染病予防法上の取り扱いについての両国政府の合意が成立し,1968年11月末,煮沸肉の輸入割当が初めて開かれた。
一方小麦についても,アルゼンティンはかねてからわが国による同国産小麦の大量買付を希望していたので,1968年9月,3,600トンの試験輸入にふみ切ったほか,米国小麦の一時輸入停止措置に伴う緊急代替用として1969年1月合計14,700トンのアルゼンティン小麦の買付けを実施した。
わが国としてはかかる一次産品の買付けが今後の対アルゼンティン資本財輸出促進の足場となることを期待している。
わが国はコスタ・リカ,パナマ,ニカラグァからのバナナの輸入を,これら諸国が地中海ミバエ発生地区であるため禁止しているが,先般これら3国は,現在ミバエ発生の危険はない旨述べ,輸入解禁を強く要請し,正式にわが国検疫官の派遣要請を行なってきたので,政府は現地調査のため農林省の検疫官2名を,1968年11月30日から1969年2月28日まで先方の招待に応じ当該3国に派遣した。
調査結果いかんにより輸入を解禁するか否か正式に決定が行なわれる見込みである。
1968年5月1日厚生省はエクアドル産バナナに食品衛生法違反の防腐剤が使用されていることを発見し,同日全バナナ輸入業者に対し「5月1日以後船積みのバナナには食品衛生法指定の防腐剤を塗ること,但し,それ以前に船積みされたバナナについては,到着後加工むろで防腐剤を塗ってある茎の部分を切りとって市場に出すという条件で輸入をみとめる」旨通達した。
この措置については,エクアドル産バナナは過去8年間問題の防腐剤を塗って問題なく輸入されていたこともあり,また,同措置が日本とエクアドルとの貿易に及ぼす影響も心配されたが,結局この措置は8月15日以後船積みされるバナナについて実施されることとなり,8月3日全バナナ輸入業者にこの旨通達された。これに対してエクアドルより厚生大臣が来日し,上記措置の延期を要請する等の曲折はあったが,その後新しい防腐剤(食品衛生法規によって許されているが,その効力は違法防腐剤と同等)が開発されたので,この問題は自然解決したものと考えられる。
1968年12月9日エクアドル,ガラパゴス沖で第五清勝丸が,1969年2月3日エクアドル,サリナス沖で第二裕祥丸が,いずれもエクアドル海軍に領海侵犯容疑でだ捕され,附近の港に連行されたが,在エクアドル大使館の同漁船釈放方申入れにより,後日釈放された。