大洋州地域

1. オーストラリアとの関係

(1) 概   説

最近の日豪関係は,両国経済関係の急速な発展と,アジア・太平洋地域の先進国として両国が同地域の政治的安定と経済的繁栄に対し有する共通の利害関係とを背景に,緊密の度を深めている。

特に近年飛躍的拡大を示してきた日豪両国間の貿易額は,1968年には,13億3,700万ドル(対豪輸入9億2,100万ドル,対豪輸出4億1,600万ドル)に達し,現在,豪州はわが国にとって米国に次ぐ最大の貿易相手国となっており,他方,わが国は豪州最大の輸出相手国としての地位を確立している。

かかる経済関係の発展の過程において,例えば,1968年には,わが国の対豪自動車輸出問題,一部日本商社の活動に関する関税法上の問題等が発生したが,他方,1969年1月には,査証料の相互免除と数次入国査証の発給に関する査証取決めが成立,さらに同年3月には,船舶および航空機所得に対する課税の相互免除を含む二重課税防止協定の署名が行なわれる等,両国経済関係のいっそうの発展のための基礎が整備されつつある。

また,1968年1月末,豪州政府は同国本土,パプア・ニューギニア地域の沿岸より12海里にわたる漁業水域を設定し,同水域にまぐろ・はえなわ漁業の実質的な実績を有していたわが国の重大関心事が発生したが,わが国はその国際法上の基本的立場を害することなく,その漁船の操業および豪州の港への寄港を確保すべく,豪州政府と交渉を行ない,同年11月,上記水域の特定部分におけるわが国漁船の一定期間の操業および特定港への入港につき規定する両国間の漁業に関する協定の署名が行なわれた。

1968年7月には,キャンベラにおいてASPAC閣僚会議に出席した三木外務大臣とハズラック外務大臣との間に閣僚レヴェルの協議が開催され,さらに同年11月には,第2回目豪事務レヴェル協議が開催され,両国が共通の関心を有する諸般の国際問題につき意見交換が行なわれた。

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(2) 貿易通商関係

1968年のわが国の対豪輸出は4億1,600万ドルで対前年比16%増の伸びを示した。これは,1967年初めから豪州の景気が回復し,輸入需要が旺盛になり,合繊織物,化学製品,鉄鋼,自動車等の対豪輸出が増大したためである。他方,わが国の対豪輸入も,1968年には,羊毛,砂糖,酪農品等の減少にもかかわらず,鉄鉱石,石炭,小麦等の著増により,9億2,100万ドルと対前年比16.3%の大幅な伸びを示している。

豪州政府が,自国産業保護のために関税引上げ,暫定関税の賦課および反ダンピング税の賦課をひんぱんに行なっている点は,依然わが国対豪輸出促進上の最大の障害となっており,わが国政府としては,具体的な問題が発生するごとに,豪州政府に対し輸出国の立場から各種の申し入れを行なった。

なお,1967年末以来,わが国の対豪自動車輸出の急増による豪州自動車組立産業の困難が豪州国内で問題化していたが,1968年4月末より5月初めにかけてわが方業界と豪州関税省当局との間の話合いが行なわれた結果,わが方業界が自主的に自動車輸出価格を若干引上げるラインで円満に解決された。

また同年には,一部の日本商社および豪州企業の活動が豪州関税法との関係で問題とされた。

これらの問題は,日本の経済力に対する理解が豪州人一般に浸透しつつある段階に発生したこともあって豪州国内ではかなりの関心を集めた。

一方,日豪両国の経済協力関係も緊密化しつつあり,例えば,1968年12月にはシンクレア運輸大臣が来日し,日豪合弁コンテナ海運会社設立につき,わが国政府および業界との意見調整が行なわれたほか,民間においても,1968年4月キャンベラにおいて第6回目豪経済合同委員会が開催され,その際,日本,米国,カナダ,豪州,ニュー・ジーランドの民間経済人により太平洋経済委員会の設立が正式に決定され,その後1968年11月,同委員会を中心に,アジア民間投資会社(日本,米国,豪州,カナダ・欧州諸国の企業により設立され,アジア地域の開発途上国の民間企業に対する投資および貸付を行なう会社)が設立されており,また,1969年2月には,東京銀行,バンク・オブ・ニューサウスウエルズ,バンク・オブ・アメリカの3社が豪州国内に新投資会社を設立することが発表されている。

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(3) 日豪租税協定交渉の妥結

1968年2月以来行なわれてきた日豪租税交渉の結果,1969年3月20日,本協定の署名が行なわれた。この協定により,船舶および航空機所得に対する課税については相互に免除され,また,投資所得に対する源泉地国の税率は,利子および使用料については10パーセント,配当については15パーセントを超えないこととなる。

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(4) 第2回目豪事務レヴェル協議の開催

1967年1月キャンベラにおいて開催された第1回事務レヴェル協議に引続き,第2回協議が1968年11月東京において開催され,日本側より近藤外務審議官等が,また豪側よりはブッカーおよびシャン両外務省第一次官補およびブラウン駐日大使等がそれぞれ出席した。同協議ではヴィエトナム,中国,ASPAC,英軍撤退に伴う東南アジア地域の安全保障および国連問題等両国が共通の関心をもつ諸問題について意見の交換が行なわれた。

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2. ニュー・ジーランドとの関係

ニュー・ジーランドはアジア諸国との関係を強化しつつあり,とくに「アジアにおける安定勢力」としてのわが国との関係は近年ますます緊密化している。両国は経済的には,相互補完的な関係にあり,両国間の貿易は近年順調に伸長している。両国間に通商協定が成立した10年前の1958年には,わずか2,600万ドルであった両国間貿易は,1968年にはその7倍の1億8,900万ドル(輸出6,800万ドル,輸入1億2,100万ドル)に達している。かかる両国の政治的,経済的関係の緊密化を反映し,1968年9月にはムルドーン大蔵大臣,シース内務大臣を団長とする議員団およびシャンド労働大臣が,同10月にはホリオーク首相が来日し,佐藤総理をはじめとする日本側関係者と会談する等,ニュー・ジーランド側から多数の要人の来訪があった。また,さらに同年10月より11月にかけて,同国より一行24名の大規模な民間経済使節団が来日している。

なお,両国経済協力の好例として近く完成予定のオークランド・ハーバー・ブリッジの拡張工事および豪州を含む3国協力の同国南島南端のアルミ精錬所設立計画があげられる。

政治的分野においても,1968年4月にはラーキン外務次官補を首席代表とする同国代表団とわが方外務省関係者との間に,第2回日本・ニュー・ジーランド事務レヴェル協議が開催され,両国に共通の関心あるヴィエトナム,中国,東南アジアにおける多角的協力,国連における諸問題など広範囲の問題につき協議が行なわれた。

漁業問題については「日本・ニュー・ジーランド漁業協定」(1967年7月署名)の批准書交換が1968年6月に行なわれ,翌7月より正式に発効し,実施されている。同協定の実施運営にあたっては,わが国漁船の協定違反被疑ケース等も発生したが,わが国漁船の自粛,および両国間の相互理解と友好の精神をもってそのつど円満に処理されている。

大洋州地域要人訪問一覧表

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