第3章 わが外交機関の諸活動
国の外交活動は,内閣の定める方針に基づいてさまざまな形で実施される。
まず,外交活動を実際に行なう担当者の面からみると,とくに重要な案件については,政府首脳が自らその処理にあたることが多い。また通常の外交活動は,外務本省および在外公館が中心となって関係各省の協力のもとに実施している。
さらに,問題の性質によっては,経済,文化,報道関係など種々の分野の民間機関との協力が必要である。
政府首脳の外交活動を助けてその準備を行ない,あるいは関係省庁,民間諸機関との連絡調整を行なうことは,政府の外交機関の中心たる外務省の重要な任務のひとつである。
外交活動を内容の面からみれば,まず,政治,経済を中心とする国際的な案件の処理のための各国との話し合いは,二国間だけではなく,国際機関における討議またはその他の国際会議といった多数国間の話し合いの形をとることも多い。従ってこれらの国際会議への出席は政府の外交機関の重要な任務であり,また国際機関との連絡,国際会議の開催準備,運営,話し合いの結果を条約などの国際取決めや共同コミュニケなどにとりまとめる作業なども,外交活動の事務局としての外務省の主な任務のひとつである。
しかし外交活動の内容は,以上のような外交案件の処理のための話し合いやその準備にとどまるものではなく,このほかにいわば日常の外交活動とも呼ぶべきものがある。
このような活動のなかの主なものとしては,まず,国際的な相互理解の促進のための外交活動がある。すなわち,人的交流の促進や外国にわが国の正しい姿を伝えるための対外報道および海外広報活動,文化交流を通じて国際的な相互理解を深めるための文化事業などがそれである。
いまひとつの重要な分野は,在外邦人の保護,海外移住事業など国民の海外における活動を助けるための外交活動である。
これらの分野においては,日常の業務の地道な積重ねが大切であり,ひとつひとつの案件が脚光を浴びることは少ない。しかし,これらの事務もまた,わが国の総合的国益の伸長のため極めて重要である。
狭義の外交活動そのものではないが,外交活動を円滑かつ効果的に実施していくために外交機関が是非とも果すべき任務がある。
このなかでとくに重要なのは,国際情勢一般,および外交活動と関連のある国内事情の調査,研究,分析である。また,これに付随して,年々激増している諸情報を整理,保存しておく作業の重要性は,今後ますます高まるものと考えられる。
また,国民の国際情勢に対する正しい認識を深めるための報道ならびに広報活動の重要性も言を俟たないところである。
なお,以上のような外交活動ないしは外交関係事務を実施する体制を常に時代の要求に即したものとして行く努力もまた極めて重要である。政府は,このような観点から,外務省の機構改革など,外交体制の整備に努めている。
以下には1968年4月から1年間の期間を中心として,以上のべた外交活動ないし外交関係事務の内容を紹介するとともに,外務省の機構改革など外交体制の充実強化のための施策と昭和44年度の外交関係予算のあらましを説明する。
外交案件の多くは,東京における外国公館との折衝,あるいはわが在外公館の相手国政府との折衝によって処理されることに変りはないが,重要問題は国際会議においてあるいは二国間の代表団間の交渉において討議される。
これら各国との接触のうちで特に重要なのは閣僚間の定期会合と,外務大臣相互間の定期協議であろう。前者として現在わが国は日米貿易経済閣僚合同委員会,日加閣僚委員会および日韓定期閣僚会議の各会議を行なうこととなっており,このうち第2回日韓定期閣僚会議が1968年8月ソウルで,日加閣僚委員会は69年4月東京で開催された。なお,次回の日韓定期閣僚会議および日米貿易経済閣僚合同委員会は69年夏に開催される予定である。
外務大臣間の定期協議は現在イギリス,ドイツ,およびフランスとの間におおむね年一回程度行なうことになっており,1968年7月にはフランス,同年9月には,ドイツとの間の協議が行なわれた。英国との協議は69年5月に実施される。
また,1967年7月の三木外務大臣のソ連訪問の際,日ソ間の協議を定期的に行なうことに合意をみている。
このほか,大臣レベルではないが,相手国外交の事務的責任者との定期的な協議としては,インド,豪州,ニュー・ジーランド,ブラジルおよびメキシコとの協議がある。
国際会議のなかでも重要なのは国際連合およびその専門機関の各種会合であるが,現在,わが国は,国際連合において,経済社会理事会の理事国をつとめているほか,国際連合のほとんどすべての専門機関その他の重要機関の理事会のメンバーであり,さらに平和維持活動委員会,宇宙空間平和利用委員会,海底平和利用委員会などをふくめ国際連合関係の主な機構の大多数に参加し,積極的な役割を果している。このほか経済協力開発機構(OECD),GATT等の経済関係の国際機構関係の会議も極めて重要であり,わが国はこれらの会議にも常時参加している。例えば1968年4月から1年間におけるOECD関係の諸会議には本邦からの出張参加者のみをとっても約170名にのぼっている。
また二国間の交渉は主として,通商,経済協力,漁業,航空,租税,入国手続などの分野で行なわれるが,1968年4月以降の1年間においてもアメリカ,ソ連との航空交渉,ソ連,米国,豪州等との漁業交渉,韓国との間の二重課税防止協定交渉などをはじめ上記各分野において多数の二国間交渉が行なわれた。
さらに,相手国の事情調査,意見の交換などの目的のため,使節団あるいは調査団の派遣や接受が行なわれる。1968年4月以降の1年間において政府は,イラン,インドネシア,メキシコ,ブラジル,米国南部および東欧に経済使節団を派遣したほか,アジアおよび中南米諸国を中心として合計23件にのぼる開発調査団を派遣した。
国際会議あるいは二国間の交渉の結果は,多くの場合,国会の承認を必要とする多数国間条約ないし二国間条約,または行政府の権限の範囲内で行なわれる取決めとなるが,1968年4月以降1年間に国会の承認を得てわが国が締結した多数国間条約は「公海に関する条約」など合計9件,二国間条約は,「南方諸島およびその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」(小笠原返還協定)など合計10件に達している。
各国との友好関係の促進,相互理解の増進は外交の重要目標の一つである。このための手段は種々あるが,特に重要なのは各国の元首や政府首脳の訪日や,わが国からの同様の訪問,その他いわゆる招待外交や相互の人員派遣による人的交流,文化的交流などであろう。
人的交流のうち特記すべきは国賓,公賓,外務省賓客等の接遇であり,68年4月から1年間に国賓としてユーゴースラヴィアのチト大統領,公賓としてオーストリアのクラウス首相,タイのタノム首相,シンガポールのリー・クワン・ユー首相など合計8名,外務省賓客として24名がわが国の招待により来日され,外務省,宮内庁その他の関係政府機関および地方関係当局はその接遇に遺ろうなきを期し,その結果これら各国との親善と相互理解は大いに促進された。
外交問題との関連で政府が行なっている広報活動には大きく分けて二つの側面がある。
第1は国内的側面である。外交政策の推進にあたっては,国民の十分な理解と支持が必要不可欠である。このためには,国際情勢とそれを背景とするわが外交の現状をひろく国民に説明する必要がある。第2は対外的側面である。最近米国南部のある新聞が,「日本も援助している」という見出しの記事を掲げ「今まで米国の納税者だけが低開発国を援助していると思っていたが,大変な感違いであった。日本の外務省から送ってきた小冊子で,日本も1954年以来,東南アジアからラテン・アメリカの各国にいたるまで援助の手を差しのべており,しかも,その援助額が巨額に達していることを初めて知った。」と述べている。このような例から推しても,諸外国の対日認識はまだまだ不十分である。
わが国の正しい姿を諸外国に紹介し,わが国に対する理解と認識を深めるための海外広報活動を今後ますます強力に推進して行く必要がある。
このような見地から,政府は,外務省を中心として,関係各省庁の協力のもとに報道機関との協力,あるいは広報資料,広報映画,講演会などの手段によって,国内および海外における広報活動に努めている。
近年の交通通信手段の急速な発達に伴い諸国間の学術,教育,芸術,スポーツ等広い分野における文化交流が年を追って増加しており,わが国の文化交流にも同じことがいえるが,わが国の場合は特に近年の著しい国際的地位の向上と,これに関連して諸外国のわが国に寄せる関心の高まりもあって,諸外国との文化の交流は急速に広範化し,かつ,深みを加えている。
文化交流は国民とともにあるものであり,わが国においても民間の努力で行なわれている交流は数多くあり,政府としてもできる限りの便宜と援助を与えるようにしているが,他方経費その他の点で民間の企画としては実現困難なものもあるので,この種のものは直接政府の事業として,或いは政府の補助団体の事業として実施することとしている。
文化交流の補助団体としては,日本文化の海外への紹介を目的とする国際文化振興会がわが国の古典演劇の海外公演や国際美術展への参加,文化関係図書の出版等の事業を行なっており,また外国人留学生に対する援助を目的とする国際学友会が宿舎提供と大学進学前の準備教育を行なっている。
政府の直接の事業としては学生,知識人,文化人の派遣招へい,留学生の招致,映画会,音楽会,展示会等の文化的催しの開催,図書の交流等を実施しているが,これらの事業の詳細については第2部第6章にゆずり,ここでは諸外国の要望もあって最近とくに充実しつつある日本語普及事業と日本研究講座の開設について簡単に紹介したい。
(i) 日本語普及事業
「言葉は文化の窓」といわれるが,先進諸国はいずれも膨大な予算と人員を使って自国語の普及に努めている。幸い海外における日本語学習熱は近年急速に高まってきた。現在諸外国において外国人を対象として日本語を教えている施設は,東南アジア112,中近東2,欧州53,北米223,中南米55,大洋州50,合計495ヵ所に達している。
外務省では,これらの施設のうち重要なものに対して講師の謝礼金の補助,教科書の無償配付,優秀な学生に対する褒賞などの措置を講じている。
(ii) 日本研究講座の設置
東南アジア諸国のわが国に対する関心は近年特にたかまり,年々多数の留学生が来日しているが,その数には限度がある。これらの諸国においては,自ら日本研究を行なうための体制が整っていないため,わが国の協力に期待するところが大きい。
外務省では,このような期待に応え,1965年度においてタイのタマサート大学に日本研究講座を寄贈して以来,現在までに合計7ヵ所のアジアの大学に原則として教授1名,助手2名からなる教授陣を派遣するとともに必要な図書教材などを供与している。
海外渡航者および在外邦人の保護は,政府の外交活動の最も重要な分野のひとつである。ことに最近海外渡航者や,海外在留者の数も大幅に増加しており,この任務の重要性もますますたかまってきている。例えば,1968年1月から12月までの海外渡航者の総数(のべ人員)は,約34万4,000人で前年に比べ28%増となっており,また1968年3月1日現在の海外長期滞在邦人は53,000人を越えているものと推定されている。
このような情勢に対処するため,外務省は,都道府県の協力を得て,旅券発給事務の迅速化をはかり,あるいは各国と査証免除取決めを締結するなど海外渡航手続の簡素化に努める一方,在外公館において,海外渡航者に対し現地視察の便宜供与などを行なっており,1968年4月からの1年間において,在外公館が便宜供与を行なった海外渡航者数はのべ67,000人をこえている。
このように多数の邦人が海外に進出しめざましい活躍がみられる一方,種々の災禍に遭遇する者もふえている。このため,政府は,これら海外進出邦人の中で不幸にして傷病にたおれた者,困窮状態におちいった者に対する保護援助を強化し,また,海外進出邦人が後顧の憂いなく活動できるよう,その子女に対する教育体制を整備する等の目的で,1967年6月外務省に領事課を新設した。
この分野で外務省が行なった活動については,第2部第5章で,さらに具体的に触れるが,海外において邦人が遭遇する各種の事故,困窮邦人に対する援助,わが国の漁船が外国の港湾に緊急入港する際の許可の取付け,その事後処理,出生,婚姻など身分関係事項に関する届出の処理など極めて多岐にわたっている。特に1968年においては,ヴィエトナムにおける解放戦線側の攻撃激化およびチェッコスロヴァキアにおけるソ連・東欧軍侵入の際には外務省は在留邦人の避難などの保護措置をとったのである。
また,1968年3月現在における海外進出邦人の同伴子弟で小中学校の学令期にある者は,5,500名を越え,これらの子弟に対する教育体制の整備充実の必要性はますます高まってきた。外務省は,このような要請に応えるため,従来から文部省の協力を得て,日本人学校の設置,日本語補習学校に対する補助などの措置を講じてきたが,1968年度においては,マニラ,テヘラン,メキシコ,ブエノス・アイレスに日本人学校を新設するなど在外邦人子弟教育のいっそうの拡充強化を図った。
戦後のわが国の海外移住者数は総計約157,000名に達しているが,最近の海外移住の特色は,地域的には中南米への新規移住者数が停滞ないし減少しているのに対して,アメリカおよびカナダヘの移住者数が増加していること,また,業種別には農業移住者が減り,技術移住者が増加していることに見ることができる。
このような新しい傾向は,国内では経済の高度成長に伴う産業別就業状態や職業面の選好の変遷等の事情,国外では受入国の選択的受入方針の強化といった事情等移住をめぐる内外の情勢の変化によると考えられるが,政府は,かかる事情に対処して海外移住事業の施策の重点を次の二点に移そうとしている。すなわち,(1)既移住者のなかで未だ定着安定していないものの独立,安定を容易にするための生活環境の改善,融資等の援助を拡充し,そのために海外移住事業団の現地事業体制を充実する,(2)新規の移住者のためには,移住希望者の希望,資金準備,技術ないし経営力の内容等に適合し,移住後早期に定着安定しうるような移住形態を準備し,渡航前指導訓練をはじめ,渡航後の援護もこの目的に合ったものとするの二点である。
1968年度における移住事業の主要な業務等は,第2部第5章にのべられているとおりであるが,今後は以上のような重点移行に即応する施策の実施にあたっては,移住事業のわく内にのみ留まらず,むしろ移住先国に対する経済技術協力の施策との関連にも考慮を払いつつ,効果的に推進してゆくことが望ましいと認められる。その意味で,特に既移住者の生活の安定,向上および新規移住者の導入を促すような新しい事業で,受入国に対する経済協力となるものについては積極的に取組み協力をはかることとしている。
わが国は,1970年に大阪で開催される日本万国博覧会に対し,外国政府および国際機関の参加を得るため,「国際博覧会に関する条約」および1966年8月12日の閣議決定の方針にそって,同年9月から1968年3月までの間に,わが国と国交のある128ヵ国と1政庁およびわが国の加盟している国際機関ならびに欧州共同体(EC)に対し,在外公館を通じて招請状を発出した。その後,1968年4月から1969年3月までの間に,さらにモーリシァス,スワジランド,ブータンおよびアブ・ダビ首長国に対し招請状を追加発出した。
わが国としては,国際博覧会史上アジアで初めて開催される日本万国博覧会をできるだけ充実したものとするため,欧米諸国のみならず,アジア,アフリカ地域および中南米の発展途上国からも多数の参加を得る意図をもって,前年に引きつづき参加国勧奨のため総理大臣または万博担当国務大臣の特使および万博政府代表の派遣をはじめ,閣僚や国会議員の海外訪問に際し訪問国政府に対して参加を要請したほか,のべ20数名の政府および日本万国博覧会協会の職員を関係諸国に派遣して,参加のための具体的折衝を行なった。他方,わが在外公館においても,1968年4月以降は招請活動を一段と活発化した。
一方,万国博覧会に参加するためには相当多額の経費を負担する必要があるが,発展途上国のうちには,財政困難な国も少なくない。そこでわが国はこれら諸国について「国際博覧会に関する条約」にてい触せず,かつ,国内事情の許すかぎり好意的に取り計らうこととしている。1969年3月末現在の参加決定国は64ヵ国1政庁,参加決定国際機関はOECD,欧州共同体および国連となっており,さらにアメリカおよびカナダの4州,1都市が参加を決定している。このうち国連は,自ら展示館を建設しないで出展に参加する建前をとっているため,わが国は政府補助と財界の寄附により国連館を建設し,これに国連本部および23の専門機関とアジア開発銀行が出展参加する。
なお,モントリオール博の先例もあり,わが国が万国博開催の機会に参加各国の元首またはその代理および参加国際機関の長を招請することは,国際親善の増進に寄与するところが大きいことにかんがみ,政府は,1968年10月29日の閣議で招請に関する決定を行なった。この閣議決定にもとづいて,1969年4月,外務省から各参加国駐在大使を通じて各国外務大臣あてに招請状を発出した。
変転する国際情勢を正確に把握することはあらゆる外交活動の基礎であり,国際情勢について正確な資料や情報を入手し,これを分析,研究することは外務省および在外公館の基本的な任務である。最近の一般的傾向としていえることは,世界的な情報量の増大にともなって,外交活動上必要な資料や情報の量も幾何級数的に増大していることである。
一例をあげれば,外務省の入手する重要な情報源である在外公館からの公電の量は,1957年から1967年までの10年間に5倍以上に増加している。
他方情報の対象も,国際的な協力分野の拡大や国際問題の複雑化にともなって,政治,軍事,経済などの分野にかぎられなくなってきており,例えば科学技術関係の資料や情報の入手,分析,研究の重要性は近年ますます高まってきている。
政府は,外務省を中心として,これらの資料や情報の入手,分析のために日夜努力するとともに,外務省における電子計算機の活用をはじめ時代のすう勢に応じた情報処理体制の整備に努めている。
外務省には,幕末の開国関係の文書をふくめ,わが国の外交関係の記録が多数整理,保存されており,1969年4月1日現在記録ファイルの総数は72,400冊に達している。
外務省では,これらの記録のうち重要なものを系統的にとりまとめた「日本外交文書」をおおむね年間4冊宛刊行しており,1968年度においては,大正6年(1917年)末から大正7年(1918年)なかばまでの分を編集,刊行した。これで「日本外交文書」の総冊数は109巻となった。
なお,本年は,明治2年(1869年)の外務省設置以来丁度百周年にあたるが,外務省ではこの機会にこの百年間における外務省の活動ぶりをとりまとめた「外務省の百年」を刊行する予定で準備を進めている。
また,これらの出版物のもととなった外務省記録については内外研究者の閲覧希望が多いが,目下東京都港区麻布狸穴に建築中の「外交史料館」が完成(1970年夏ごろの予定)すれば,閲覧希望者への便宜供与も容易になるものと期待される。
わが国の国際的地位は,近年のわが国国力の増大に伴い著しく向上しており,また,政治,経済,社会,文化などのあらゆる分野における国際関係は,ますます緊密化している。政府は,このような情勢の下に,外交機能をいっそう充実強化し,強力でしかも均衡と調和のとれた対外政策を推進するため,1969年1月に外務本省の経済および経済協力関係事務に関する機構改革を実施した。
この改革は,その円滑な遂行をはかるため,ほぼ3年以内に完成することを目途として段階的に実施されることになっている。また,経済関係事務以外の部門,例えば外交政策の企画立案事務などについても,上記目的のために必要な機構改革をこの3年以内に漸次実施していく予定である。
今回実施された機構改革の骨子は,次のとおりである。(外務本省の機構(今次改革後)については,巻末の付表を参照願いたい。)
(あ) 従来経済局と経済協力局がそれぞれ行なってきた事務のうち,二国間関係の経済および経済協力事務を地域各局(アジア局,アメリカ局,欧亜局および中近東・アフリカ局)に移管し,ある国または地域に関する情勢判断と政策企画は,地域局が総合的かつ統一的に行なうこととした。このため,一部の地域局においては局内の再編成が行なわれた。(なお,経済協力局の行なってきた二国間関係事務のうち今回地域局に移管されたのは,投資,合弁事業,延払いに関する事務,海外技術協力センターの設置,派遣専門家の受入れ国における待遇および日本青年海外協力隊の派遣に関する協定ないし取決めの交渉に関する事務であり,残余の事務は今後段階的に移管する予定である。)
(い) 経済局および経済協力局を整備し充実した。すなわち,経済局および経済協力局は,従来から行なってきた多数国間の経済関係事務を引続き担当すると同時に,今後各地域局が行なうこととなった二国間の経済関係事務を,横の面から,すなわち事項別の専門的な観点および全地域的な均衡確保の観点から,判断し調整する任務をもつこととなった。このため経済局については所要の局内再編成が行なわれたが,経済協力局については,もともとその編成が経済協力の各種の態様別になっていたので,ほぼ従来の組織が維持された。
外務省では,上述の経済関係事務に関する機構改革に先立ち,1968年6月,中南米・移住局を廃止するとともに旧中南米・移住局の地域担当の2課を北米局の既存の課と併せてアメリカ局とし,また大臣官房の領事課および旅券課と旧中南米・移住局の移住課とを併せて大臣官房に領事移住部を新設した。
これにより,最近の海外移住先の変化に対応するとともに,邦人の海外渡航増加に伴う在外邦人保護事務強化の要請に応え,併せて,行政簡素化のためのいわゆる「一省一局削減」の方針を実施した。
1969年1月24日在ガイアナ大使館を開設し,在コロンビア大使館がこれを兼轄することとなった。
これをもって,1969年3月末日現在のわが国の在外公館は,大使館115館(うち実館84,兼轄31),日本政府代表部3館(国連,ジュネーヴ国際機関,経済協力開発機構(OECD),総領事館40館(うち実館36,兼轄4),領事館9館(うち実館8,兼轄1)となっている。
前述のとおり,政府の外交活動は,外務省を中心として関係各省庁および政府関係諸機関の協力のもとに実施されている。従って,予算の面でも,例えば経済協力関係予算のように外務省のほか,大蔵省,通産省などに所管がわかれている費目もあるが,ここでは便宜上外務省所管の予算のみをとりあげて説明することとする。
外務省の昭和44年度予算の総額は,393億6,200万円で昭和43年度予算に比し39億5,700万円,11.2%増となっている。
また,昭和44年度の一般会計予算総額中に占める外務省予算の比率は0.58%である。
外務省の昭和44年度予算の特色を紹介すれば次のとおりである。
(イ) 経済技術協力の拡充強化
経済技術協力の分野における特色は,無償資金援助の拡充と技術協力の質的改善である。
まず,無償資金援助については,南ヴィエトナム難民住宅建設援助資金2億6,000万円,ラオスのヴィエンチャン空港拡張整備のための資金2億5,000万円,ラオス・タイ間の通信設備改善のため資金3,600万円,合計5億4,600万円があらたに計上された。これらの資金援助は,昭和43年度予算に引き続き認められた経済開発計画実施設計委託費1億円とならんで従来の賠償,円借款および延払いを中心とした資金援助とは異る新しい経済援助の手段を提供するものであり,対東南アジア外交の推進に大きく寄与するものと期待される。
次に技術協力の質的改善については,とくに研修員の受入れ,派遣専門家の待遇改善,青年協力隊の派遣,事業団の機構整備等に重点がおかれており,技術協力事業団関係の予算は約68億1,000万円で昭和43年度予算に比べ14.1%の増となっている。これらの経費によってアジア諸国を中心とする発展途上国に対する技術協力は量的にも質的にもいっそう強化されるものと思われる。
(ロ) 在外邦人保護体制および在外子弟教育の充実
在外邦人保護のための経費および在外子弟教育に対する援助のための経費は,両者あわせて前年度の2億0,500万円から2億9,000万円へと8,500万円増額された。この結果,あらたにジャカルタ,シドニー,サン・パウロおよびリマに国庫補助による全日制の日本人学校が設置されることとなり,既存の17校に加え合計21校となる。
(ハ) 文化交流の促進
昭和44年度予算においては,文化交流の促進のための経費が前年度の4億6,700万円から6億1,200万円に増額された。このなかには,歌舞伎の米国公演のための経費5,500万円が含まれている。
(ニ) 広報活動の強化
およそ外交政策の推進にあたっては国民の理解と支持が必要不可欠であり,このためには,国際政治の現状に対する国民の理解を深め,変転する国際情勢の動きを的確に把握してもらう必要がある。このような観点から,国内広報関係の経費は,昭和43年度予算の1億2,600万円から3億9,200万円へと大幅に増額された。
他方,海外広報活動の分野においては,パリおよびマレイシアに広報文化センターを新設するための経費が計上されている。
(ホ) その他
以上のほか,海外渡航者の急増に対処するための旅券発給事務の迅速化のための経費が相当増額され,また移住者,殊に沖縄出身の移住者の援護のための経費が大幅に増額されている。
外務省では,かねてから外務省員および他省庁員で外交事務にたずさわるものに対して,外交に関する基本的心得のほか,外交知識のかん養,外国語など在外公館勤務に必要な知識を習得させるとともに,わが国の国内事情,日本文化などに対する一般的認識を深めさせるための研修を行なって来たが,1968年度においては,さらに次のような措置をとった。
(イ) 従来国内研修修了後ただちに海外に在外研修のために派遺していた外務公務員採用上級試験合格職員を,さらに約1年間外務本省に配属し,在外研修の前に外務本省の事務等に習熟せしめることとした。
(ロ) 外務公務員採用中級試験合格職員の語学力強化のため,海外において6ヵ月間の語学研修に従事せしめることとした。
そのほか,最近は本省の中堅職員のために,国際情勢,国内事情のうちから特定の問題をとりあげて省内研修を強化している。
なお,外務省上級幹部に対し,外務大臣特命により外交に関する基本的かつ重要な問題についての調査研究を行なわせる制度があらたに発足し,現在までに上級幹部研究員として3名がこの研究を終了し,2名が目下研究に従事している。
外交関係の事務が適正に実施されているかどうかは,内閣,国会,会計検査院などによって常時管理が行なわれているが,外務省においても,大臣官房を中心として自ら外交関係事務の管理を十分行なうとともに,とくに在外公館については,随時外交問題に造詣の深い有識者を査察使として派遣し,在外公館の事務処理状況等の査察を実施している。
1968年度においては,南西アジア地域に谷村裕(元大蔵事務次官),中近東地域に成田勝四郎(元駐独大使)の両氏をそれぞれ査察使として派遣し,これら地域の各在外公館の査察を実施した。