第9章 アメリカ合衆国の情勢
プエブロ号事件(1月22日),テト攻勢(1月30日)に始まるヴィエトナム戦争の激化など国際情勢の新たな緊張のうちに明けた1968年は,同時に米国大統領選挙の年であり,インフレ,人種問題等国内に難問を抱える米国にとり大きな政治的試練の年となった。
ヴィエトナム戦争については,知識層の間で米国のヴィエトナム介入の意義について懐疑的な見方が強まり,反戦運動も尖鋭化した。経済面についても同様に,ヴィエトナム戦費の急増が財政赤字の累積,インフレの進行となって国民生活を圧迫し,対外的には国際収支(特に貿易収支)の悪化,ひいてはドル危機の深刻化をまねいているとの議論が行なわれた。また戦費の急増のため社会的諸施策への支出が圧迫され,これが犯罪の激増,人種問題による社会不安をまねいているという説も行なわれた。かくして大統領選挙の激しい論戦のなかでヴィェトナム戦争と人種問題についての国内各層の意見の対立が顕著となった。
3月31日,ジョンソン大統領は北爆の部分停止とともに大統領選挙への不出馬を発表して情勢を一変せしめたが,さらにこれに追打ちをかけるがごとく,黒人問題の指導者キング牧師の暗殺事件(4月4日),これに続く大規模な黒人暴動事件,ロバート・ケネディ上院議員暗殺事件(6月5日)など全米を揺がす大事件が連続的に発生し,米国の政治,社会情勢に暗い影を投げかけた。
かかる激動の時期を経て,共和党は8月7日ニクソン元副大統領を,民主党は同28日ハンフリー副大統領をそれぞれ大統領候補に選出し,またウオレス元アラバマ州知事もアメリカ独立党から立候補して11月5日の選挙に臨むこととなった。選挙では,民主党政権の失敗を攻撃するニクソン候補が終始リードを保ったが,終盤に至ってハンフリー候補の急追も目覚しく,ウオレス候補が南部の中心的5州を握ったまま最後まで予断を許さぬ史上まれな大接戦の末,ニクソン候補の勝利に終った。
南北戦争以来の最大の危機といわれた激動の時期はかくして去り,米国民は新たな年とともに新政権の登場を静かな期待をもって待つこととなった。
1969年1月20日,米国第37代大統領に就任したニクソン大統領は,就任演説において内外政策の基本的立場を明らかにし,物質的に豊かな米国が精神的には分裂の危機にひんしていることを指摘して,和合(unity)こそが米国の急務であることを訴え,また外交面では,今や対決の時代は去り対話の時代が始まっていることを強調した。
いずれにしても,ニクソン政権の登場とともに,米国国内の世論の対立化現象も次第にやわらぎ,また国際的にもニクソン大統領の就任直後の訪欧は,最近まで米国のヨーロッパ軽視の傾向を不満としていた西欧諸国の大いに歓迎するところとなった。