第7章 その他のアジアおよび大洋州の情勢

1. アジアの地域協力

アジアの地域協力促進の動きは,インドネシアのマレイシアに対する対決政策の撤回および日韓国交正常化を契機として1966年以降急速に活発化し,東南アジア開発閣僚会議,アジア・太平洋協議会(ASPAC),アジア開発銀行,東南アジア諸国連合(ASEAN)等の機構を生み出した(注1参照)。かかる地域的連携の強化に対する関係諸国の立場にはそれぞれの直面する問題を背景として多少の相違はあるが,全体として見れば相互間の協調と協力の推進を通じ地域全体としての国際的な立場を強化するとともに,地域内諸国間の摩擦や紛争の原因を未然に除去または抑制して行こうというのが最も基本的な目的であったといえる。

かくして,地域協力の促進はナショナリズムの高揚を通ずる各国それぞれの自主性の強化と並び,今や東アジアおよび東南アジアにおける国際関係の主要な流れの一つとして定着するに至った。

1968年に入ると先ず第3回東南アジア開発閣僚会議が4月にバンコックで開催され,次いで7月末にはキャンベラで第3回ASPAC閣僚会議が,また8月初旬にはジャカルタで第2回ASEAN外相会議がそれぞれ開催された。

この間,極東英軍のマレイシア,シンガポール地域からの繰り上げ撤退に関する1968年1月の英国政府発表,さらには同年3月31日付ジョンソン声明を発端とするヴィエトナム情勢の変化および和平到来後のアジアにおいて予想される米国の役割の変化等の諸要因はアジアの将来の安全という問題を改めて浮き彫りにすることとなった。

極東英軍の撤退により直接影響を受けるマレイシア,シンガポール両国は英国,豪州,ニュー・ジーランドを交じえた英連邦5カ国防衛会議を通じ当面の対策を協議することとなり,その第1回会合は1968年6月クアラ・ランプールで開催された。

かかる個々の動きはあるものの,地域全体としてのすう勢は,見るべき軍事力を保有せぬこの地域の諸国を糾合してなんらかの集団安全保障体制を創設するよりは,むしろ既に着実な発展を遂げつつある地域協力を通じ,この地域全体としての体質を強化するとともに,その国際的発言権の確保を図ることがより現実的であるとの考え方を支持するものであり,この観点からも,アジア諸国間の政治的,経済的協力と協調の動きは今後いっそう促進されることになるものと思われる。

なお,ASEANは,その加盟国たるマレイシア,フィリピン両国の関係が「サバ問題」(注2)をめぐり1968年夏頃から次第に悪化し,同年9月外交関係が停止されるに至ったため,現在その活動が事実上停止されているが,両国間の紛争がASEANの存立自体に重大な影響を及ぼすことを危ぐする周辺諸国によって両国に対し積極的な働き掛けが行なわれている。

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2. 大洋州の立場

1968年4月より69年3月にかけて豪州およびニュー・ジーランド両国においては,それぞれ69年末(11月頃)に総選挙を控えている事情もあり,政府内外における国内政治,外交活動はかなり活発な動きを示した。特に貿易,経済政策と並んで両国の最重要問題であった国防問題に関しては,1971年末に予定されている英軍のマレイシア,シンガポールからの撤収とヴィエトナム紛争の迎えた新局面を背景として,豪州およびニュー・ジーランド軍のマレイシア・シンガポール駐留継続をめぐって活発な国内論議が行なわれた。特に豪州においては,この問題は「前進防衛か要塞豪州か」という劇的な形で取上げられた。これら論議の帰趨いかんは今後の両国の対アジア政策に重要な影響を与える可能性もあるといわれたが,ようやく69年2月25日ゴートン・オーストラリア首相は下院における防衛演説において,また時を同じくしてホリオーク・ニュー・ジーランド首相はラジオ,テレビ放送において,それぞれ,両国は1971年の英軍撤収後もマレイシア,シンガポールの安全を維持するため,特に期限を付すことなく豪州軍,ニュー・ジーランド軍をマレイシア,シンガポールに駐留せしめる旨発表した。両国においては今後も防衛政策の策定および実施が国内政治の一つの焦点となるものと判断される。

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(注1) 東南アジア開発閣僚会議,ASPAC,ASEANの加盟国(4月1日現在)はそれぞれ次のとおりである。

1) 東南アジア開発閣僚会議

日本,インドネシア,ラオス,マレイシア,シンガポール,フィリピン,タイ,ヴィエトナム,カンボディア,ビルマの10ヵ国に対して招請状が発せられ,過去の会議においては,カンボディアはオブザーヴァーを派遣し,ビルマは全く出席していない。

2) ASPAC

日本,オーストラリア,中華民国,韓国,マレイシア,ニュー・ジーランド,フィリピン,タイ,ヴィエトナム,ラオス,(ただしラオスはオブザーヴァー)

3) ASEAN

インドネシア,マレイシア,フィリピン,シンガポール,タイ。

(注2) サバ領有権をめぐるマレイシア,フィリピン間の問題は,1963年9月にマレイシアが成立した時,両国間の外交関係断絶をもたらしたが,1966年6月,両国はこの問題を一時棚上げにして外交関係再開に踏みきった。ところが,1968年3月,フィリピン人武装分子がサバに侵入したのを契機として両国関係は再び冷却化し,同年9月18日に,マルコス・フィリピン大統領がサバをフィリピン領土の一部とする法案に署名するに至り,両国間は更に悪化し,1969年3月現在なお膠着状態にある。