第14章 国際連合を中心とする国際協力
1968年春から1969年春にかけての1年間に国際連合が関与した活動で最も重要だったことは,第13回国連総会におけるアイルランドの提唱以来懸案となっていた核兵器不拡散条約の草案が,米ソの協調により遂にでき上ったということであろう。
1968年4月から6月まで開催された第22回国連総会再開会期は核兵器不拡散条約案推奨決議を採択し,ついで安全保障理事会は6月,米・英・ソ3国の提出した非核兵器国の安全保障に関する決議を採択した。他方,核兵器を持たない諸国は,核兵器不拡散条約案に関する諸問題を非核兵器国の立場から検討するための非核兵器国会議を8月末から9月末にかけてジュネーヴで開催した。
この関係から,第23回国連総会は通例より1週間遅れ,9月24日から開催された。これはチェッコスロヴァキアに対するソ連および東欧諸国の軍事介入について安保理事会の審議が紛糾した直後の時期にも当っていたため,本会期の総会の当初はチェッコスロヴァキア問題をめぐり,激しい議論が展開された。しかし,同総会で顕著だったことは,チェッコスロヴァキア問題のほか,中国,朝鮮,ヴィエトナム,中東等局地的諸問題や植民地独立の問題をめぐる東西間の対立において,従来からの双方の立場に依然基本的な変化はみられなかったとはいえ,1967年頃より端を発する核兵器不拡散条約問題,宇宙空間平和利用問題等をめぐる米ソ間の協調がそのまま基調となって,これが上記諸問題を含む国連の諸議題審議にも微妙に反映し,全般的には大体緊張緩和の方向で議事が運ばれたということである。その例証としてアレナレス総会議長は,閉会の挨拶において,一般委員会がただ1回の会合で議題の採択を終えた事実を挙げている。
(イ) 一般討論で最も多くとりあげられた問題は,チェッコスロヴァキア,中東,ヴィエトナム,南部アフリカ問題であった。
チェッコスロヴァキア問題については過半数の加盟国代表がソ連を非難したことが目立った。特に欧州諸国はチェッコスロヴァキアに近く,問題を肌にふれて感じているだけに,ソ連に対する非難の度も強かった。本来中立色の強い北欧諸国もソ連非難に踏切っており,アルバニアおよび間接的ではあるが,ルーマニアやユーゴースラヴィア等の一部東欧諸国までがソ連を非難するような発言をしたことは注目に価いする。
ヴィエトナム問題は既に北爆が部分的に停止され,パリにおいて和平交渉が開始されていたため,チェッコスロヴァキア問題の陰にかくれて,対米攻撃は前総会に比し激しさを減じ,チェッコスロヴァキア問題でソ連を攻撃したこととの均衡を考え,ヴィエトナム問題にふれたかの感があった。
(ロ) 軍縮問題については,「非核兵器国会議」問題の審議が紛糾した。同議題においては,上記米ソの協調に対抗する動きとしてパキスタン,イタリア等の非核兵器国が,9月の非核兵器国会議の諸決議の実施をめぐって米ソと鋭く対決したが,結局,1970年初めに国連軍縮委員会を開催するということで妥協が成立した。
(ハ) 海底平和利用問題は国連としては歴史の浅い議題であるが,各国はいずれもこの新分野に対する発言権の確保,新設される常設委員会への割込みをねらって各種の決議案を提出したため議事が相当に紛糾した。委員会のメンバーとしては結局,日本を含む42ヵ国が決定されたが,本問題の国連における審議は今後さらに注目を要しよう。
(ニ) 中国代表権問題につては,前回同様重要問題指定決議が採択されたが,中共の国内情勢が未だ完全には正常化せず,これが外交面にも反映して依然中共のいわゆる外交不在の状態が続いたこと等を背景として,今次総会においては,前総会よりさらに中華民国政府(国民政府)に有利な表決結果となった。「中共に代表権を与え国府を国連より追放せよ」との趣旨のいわゆるアルバニア型決議案および「委員会を設置し,問題を検討」せしめる趣旨のいわゆる委員会設置案は否決された。特に委員会設置案の惨敗ぶり(前年の票決結果と比較し,(i)同案自体に対する賛成2票減,反対10票増,(ii)同案成立には3分の2の多数を要するとする動議に対する賛成27票増,反対1票減)が注目された。
(ホ) 南部アフリカ問題についてのアフリカ諸国の動きには,非現実的な面があることは否めないが,最近より現実的な動きがみえてきたことも事実で,アンゴラ,モザンビーク等のポルトガル施政地域問題に関する決議などをめぐる,アフリカ諸国の態度はその例といえよう。
植民地関係の個々の議題で特記すべき点を挙げると次のとおりである。
(i) ナミビア(従来南西アフリカと称した)問題に関しては,その独立実現を阻害している南ア官憲の即時撤退を確保するため必要な措置をとるよう安保理に勧告する趣旨の決議が採択された。
(ii) 毎年採択される植民地独立付与宣言履行に関する決議においては,宣言10周年記念行事の準備委員会設置を決定する項,およびソ連の提案で民族解放,独立運動弾圧のための傭兵の使用を犯罪行為とする項が加わった。
(iii) ジブラルタル問題の決議は,同地の「植民地状態」終結を勧告しているが,その実現に69年10月1日までの期限を付したことが目新しい。
(ヘ) 中東問題については,67年11月の安保理決議に基づいて紛争の解決を助長せんとする国連事務総長特別代表ヤリング大使の努力が続けられた。総会出席のためニュー・ヨークに各国外相が集る時期もヤリング大使にとって一つのチャンスとみられたが,アラブ,イスラエル双方の立場には依然相当の懸隔がある模様で,今次総会も結局一般討論における各国代表の発言以外はなんら本件議題を具体的に取上げることなく,第24回総会の審議に持越すことのみを決定して終った。
(ト) 「資金の流れ」審議に関し,従来国連は先進国の対発展途上国援助目標を国民総生産の1%としていたが,今次総会は1972年までにこの目標を達成するという一応の期限を付して勧告した点が注目される。また決議案の表決にあたり,先進国は決議案全体には賛成しながらも,決議案の主眼たるべき項目にすべて反対ないし棄権しており,これは新しい投票様式として注目される。
(チ) 今次総会においては経済,社会問題の審議に政治問題が持込まれることが特に多かったかに感ぜられるが,そのうち特記すべき点は次のとおりである。
(i) 国連貿易開発会議審議に際し,南アの同会議出席権停止決議案が第2委員会において過半数の賛成を得て採択されたが,本会議の審議の際,総会議長はこれを憲章第18条にいう重要問題と裁定したところ,タンザニアが異議を申立て,結局右議長裁定を表決の結果採択し,ついで決議案自体を55対33対28の小差で否決した。
(ii) 「国際人権年」審議に際し,イスラエル占領地域における人権問題について調査するため,3人の政府代表からなる特別委員会を設置する決議が紛糾のすえ採択された。
(リ) そのほか今次総会において顕著だった点は地域ブロックとしてアフリカ・グループの自覚が生じつつあること前述のとおりであるが,その反面,逆に中東諸国,特にアラブ連合とシリアは国連における発言や投票態度に関する限り,ソ連に努めて同調するかの様子がうかがえた(一例を挙げれば,チェッコスロバァキア問題に関する発言で,直接ソ連を攻撃したアラブ諸国は皆無で,クウェイトが僅かに間接的攻撃をしたのにとどまる)。他方,アジア・グループの内部で,東アジア,中央アジア,西アジアと3分化する傾向がうかがえた。また議題の審議にあたり,小委員会を設置する傾向がとみに強化され,これに伴って小委員会の実質的価値が急速に増大しつつあることが注目される。