第12章 世界経済の流れ

1. 世界経済概観

第二次大戦後の世界経済は,為替相場の切下げ競争と閉鎖的経済ブロックの形成という1930年代の苦しい経験に対する反省から出発し,貿易面においては,自由無差別貿易を原則とするガット体制,国際通貨の分野においては,固定平価制を基礎とし,金,米ドルおよび英ポンドを中心に運営されるIMF体制を軸として順調に発展し,今日の繁栄を築くに至ったといっても過言ではない。しかし,米国が政治経済のあらゆる分野において圧倒的な優位を誇り,世界政治の力関係が冷戦状態にあった米ソ両国の二元的均衡の上に成り立っていた第二次大戦直後の時代を背景として発足したガット・IMF体制は,戦後四半世紀を経た今日,他の先進諸国の復興と経済発展の結果としての経済面における米国の絶対的優位の動揺,東西間の緊張緩和の進展,多数の新興国の独立によるいわゆる発展途上国グループの形成,およびこれらに伴う世界政治の多極化等新たな背景の展開とともに,種々の問題をはらむに至っている。

先ず,金融通貨面においては,第二次大戦直後多額の金準備を有していた米国の国際収支は,1950年以降ほぼ慢性的ともいえる赤字に転じ,このような赤字の累積は,米国の金準備に対する海外ドル残高の比率を高めてドルの金兌換性に対する信認を漸次低下せしめ,近年の国際通貨不安を生むこととなった。こうして生じたドル不安は,1960年以降「ドルから金への逃避」を通じてしばしばゴールド・ラッシュを招いて,いわゆる金問題となって現れており,ロンドン金市場における市場操作を通じて金価格騰貴を押さえることを目的に1961年に創設された金プールも,1968年3月のゴールド・ラッシュを機にその機能を停止するに至った。

他方貿易面においては,米国以外の先進諸国のめざましい経済発展,とくにEECの躍進により,世界経済における米国の優位が絶対的なものから相対的なものに変りつつあることも背景となって,従来自由無差別原則の強力な推進役であった米国自身において保護主義的な動きが強まり,国際収支改善のための貿易上の規制措置導入の可能性について検討が行なわれる等,世界の自由貿易体制は,大きな試練の前に立たされるに至っている。また,先進諸国における急速な経済発展の結果,これら先進諸国と発展テンポの相対的に遅い発展途上国との間の隔差が拡大するに伴い,不安定な一次産品輸出に依存するところの大きい発展途上国と強い競争力を有する先進諸国との間の貿易の不均衡が恒常化するに至り,発展途上国グループの発言力の強化と相まって,先進国側においても世界貿易のいっそうの拡大のためにはこの不均衡の是正が不可欠であるとの認識が高まったため,特恵問題や一次産品問題が大きく登場するようになった。また,東西間の緊張緩和の進展と東欧諸国に見られる自由化の結果,東西貿易は漸次拡大の傾向を辿っており,世界経済に新たな局面をつけ加えつつある。

さらに,通貨,貿易の両面にまたがる問題として1968年以来とくに注目されるに至った問題は,最近の通貨不安収拾のために各国が執った措置が,フランスの輸入制限措置や輸出補助金,英国の輸入預託金制度等いずれも貿易面における制限的な措置であったという点であり,国際通貨体制の安定と自由貿易の拡大という二つの基本的な要請をいかにして両立させ得るかということが,今後の世界経済の重要な課題として提起されるに至った。

この1年間の世界経済は,こうした諸問題を抱えて激動を続けながらも,各国の適切な措置と国際協力の効あって,経済活動の停滞という事態を招くこともなく,かなりの速度で拡大を続け,1968年のOECD(経済協力開発機構)加盟先進諸国の実質成長率は,5.3%と前年の3.3%を大きく上廻り,また世界貿易も,総額2,400億ドルと前年比12%の伸び率を示した。しかし,このような世界経済の急テンポな拡大は,主要先進国における景気の上昇を主因とするものであって,当然これら諸国における輸入の増大を伴い,とくに米国の輸入が対前年比23.5%にも達する増加を見,米国の貿易収支の黒字が大幅に減少したことを考えると,世界貿易の拡大が基軸通貨国たる米国の貿易収支の不調という代償の上に達成されたとの見方も成り立ち,国際金融情勢は,一時的,表面的には小康状態を保っているものの,決して手離しの楽観を許すことはできない。

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2. 過去1年における世界経済の主要動向

(1) 国際金融・通貨の分野

米国政府は,1968年初頭に広範なドル防衛策を発表し,国内的には増税等の引締め措置の実施,対外的には米国企業の対外投融資規制の強化を行なったほか,各国政府に対しても中期債の購入等に関して協力要請を行なう等,ドルに対する信頼の強化に全力を注いだが,この結果同年の米国の国際収支は,外国人による米国株式購入の予期せざる著増もあって11年ぶりに黒字を記録するに至った。このことは,一応の安堵感を与えることとなり,同年3月のゴールド・ラッシュにあたって導入された金の二重価格制が1年間にわたってほぼ順調に機能して来たことと相まって,ドルおよび金をめぐる情勢は,当面小康状態で推移している。他方英ポンドについても,英国の貿易収支は,海外駐留英軍の引揚げや国内緊縮措置等英国政府の努力にもかかわらず,肝心の英国国際収支は,依然一進一退を続けているが,1968年9月の20億ドルの対英借款等国際協力による支えとともに,11月の輸入預託金制度の導入,国内緊縮措置等の効果に対する若干の期待感もあって,当面情勢は一応小康を保っている。この間,1968年5月に発生したフランスの政情不安は,従来の基軸通貨をめぐる動揺に加えて,新たにフランを中心とする欧州通貨不安の下地を醸成し,同年11月には,独マルク切上げの噂と仏フラン切下げの思惑により大量の外貨がフランスからドイツに流出していわゆる欧州通貨危機が発生したが,主要先進国による対仏借款と独,仏,英各国の各種措置により,破局に至ることなく一応の収拾を見た。

このような最近の一連の通貨不安にあたっての対処策としては,貿易規制,為替管理等関係国による直接的な規制措置が中心的役割を演じたことが特徴的であるが,これに加えて前述の対英および対仏借款や,欧州通貨危機にあたってドイツが自国の国際収支の黒字削減のために行なった税制措置のごとき国際協力が通貨不安の鎮静に貢献したことも無視できない。

なお,金および外貨に加えて新しい準備資産を設けることにより既存の国際流動性を補完することを目的とするIMFの特別引出権の創設は,IMF協定の改正としてIMF総会によって1968年5月に承認され,その後各国において同改正案受諾の国内手続が進められており,順調に行けば近く発効するものと見られる。

(2) 貿易の分野

この分野においては,1968年より69年初めにかけて各国がケネディ・ラウンドで取り決められた関税引下げの5分の2を実施に移したが,関税障壁の引下げが具体化するに伴い,関税評価制度等のいわゆる非関税障壁が関税引下げの効果を損うものとして注目されるに至り,ガットの場においても世界貿易拡大の見地から,各制度の大要,貿易阻害効果等について検討作業が行なわれている。

また,大きな貿易阻害要因であってガットの規定にも違反する,欧州諸国やわが国のいわゆる残存輸入制限については,米国が国内の保護主義の台頭に口実を与えるものとして従来以上にきびしい態度をとるに至ったこと,農産物が多くの国で輸入制限の対象となっていることを不満とするカナダ,オーストラリア,ニュー・ジーランド等の諸国が制限撤廃を強く求めたこと等から強く注目を浴びるに至り,ガットにおいても今後理事会においてこの問題の取扱いを検討することとなった。

また,前述のフランスの緊急輸入制限措置や英国の輸入預託金制度の導入等,各国が最近の通貨不安の収拾策として執った措置について,その貿易面に与える影響が憂慮され,ガットの場においては,1968年秋の総会で国際通貨問題が自由貿易に与うべき影響について今後検討することに合意を見たほか,英国の輸入預託金制度の取扱いとも関連してこの問題が次第にクローズ・アップされてきている。

ケネディ・ラウンド終了後米国内に高まりつつあった保護主義の動きは,ますます活発となり,1968年にも,1967年に引続き各種の輸入制限法案が米国議会に提出されたが,米国行政府が引続き強く反対したこと等もあって幸いに一件も成立を見なかった。しかし,このような動きは69年に入っても基本的には弱まっておらず,1968年における米国の貿易収支の黒字が大幅に減少したこともあって,さらに強まるおそれがある。1969年初頭に発足したニクソン新政権は,原則としては自由貿易主義を堅持する立場を打ち出しているものの,繊維産業については特別な問題があるとして,主要輸出国の自主規制を求める旨を明らかにしていることもあり,今後米国の通商政策がどのように具体化されて行くかが,世界貿易の今後の方向を左右するものとして注目されるところである。

(3) 地域統合

地域統合の動きとしては,欧州経済共同体(EEC)が1968年7月域内工業品関税を全廃して関税同盟を完成するとともに,農産品についても共同市場を完成して,世界最大の貿易圏として世界経済の中で米国と並ぶ地位を確保しつつあることが注目される。しかし,EECが真の経済同盟として動き出すためには,関税,農業以外の面においても共通通商政策,共通エネルギー政策,共通運輸政策の策定,財政,金融政策の調整等なお多くの課題が残されている。通商面では,1969年初頭に共通通商政策のわくともいうべき三つの規則が定められたが,各加盟国の通商政策の実質的統一は未だ今後の問題とされているほか,農業面についても共同市場は実現されたとはいえ,構造政策面での共通政策は遅れており,1968年12月に提案された画期的な農業構造改善計画(マンスホルト・プラン)の実現までには,なお幾多の迂余曲折が予想される。また,通貨政策面でも共同市場の進展に大きな影響を及ぼす為替平価の変更を回避するため共同体内に通貨協力機構を創設せんとの動き(バール提案)があるが,各国の合意が得られるか否か成行きが注目される。

欧州自由貿易地域(EFTA)は,1966年末をもって工業製品の域内関税を全廃して自由貿易地域を完成し,一応所期の目的を達成したが,以来もっぱら域内における貿易障害の除去に努めている。

EFTAの設立には,そもそも将来EECへの加盟を考え,そのための交渉の足場を築いておこうとの狙いがあったが,スイス,ポルトガルを除く他の加盟国は英国を始めとしていずれもEECに対し加盟ないし連合の申請を行なっている。

しかし,EEC側における内部の意見不一致により加盟問題が進展しない現状にかんがみ,デンマークを始めとするEFTA内の北欧諸国は関税同盟の設立並びに農業部門における協力を中心とする広範かつ強力な北欧経済協力計画(ノルデスク・プラン)を打ち出し,検討を進めている。

ソ連・東欧諸国の経済協力機構であるコメコンにおいては,スターリンの死後,各国間の生産分業,生産専門化,生産協業化の方針の下に各国の生産計画の調整が試みられてきたが,各国のナショナリズムに立った抵抗に加え,生産分担割当,交易価格,決済通貨等の問題について各国間に不満が強く,分業は円滑に進捗していないものと見られる。また,振替可能ルーブルによる多角決済を通じる域内多角貿易の促進を目的として1964年創設されたコメコン銀行と振替ルーブルの制度も,現在までのところ十分な効果をあげていないものと思われる。

1968年8月のチェッコスロヴァキア事件の結果,コメコン体制強化の必要が強調され,市場経済機構,自由競争原則の導入を要求するチェッコスロヴァキアのオタ・シーク前副首相によって代表されるがごとき東欧諸国の経済改革の動きも,過度の進行を阻止されつつあることは事実であるが,ソ連・東欧諸国の経済は,近代化,技術革新促進のために西側先進諸国より各種工業部門におけるプラント,技術の買付けを必要としており,この必要性はチェコ事件に無関係に今後ますます増大するものと思われ,他方西側諸国も,一時的には見本市の開催延期,貿易交渉の延期,閣僚レベルの接触の見合わせ等の措置を執ったものの,基本的には緊張緩和政策を維持する方針をとっているので,東西間の経済交流は,今後も増大の傾向を維持するものと見られる。

地域統合の動きは,先進諸国間のみならず発展途上国間においても見られ,とくに中南米においては,ラテン・アメリカ自由貿易連合(LAFTA),中米共同市場(CACM)およびカリブ自由貿易連合(CARIFTA)の3つの経済統合が進行中である。この中ではCACMが最も進んでいる。LAFTAについては,諸種の困難から発展が停滞気味であるが,最近一部加盟国によるアンデス・サブ・リージョナル・グループ結成の動きが具体化しており,LAFTAの発展の推進力となるものとして注目される。このほか,米州機構の下部機構として中南米各国経済の国別審査を毎年行なっている「進歩のための同盟全米委員会」(CIAP)の動きも,米国,世銀,全米開発銀行等が中南米諸国に対する援助にあたってこれを積極的に利用していることと相まって,中南米の地域経済統合の推進に役立っている。

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