第1部

世界の動きとわが国の外交

I 世界の動き

第1章 概   説

現在の国際情勢の基本は,いわゆる「恐怖の均衡」を前提とする米ソ両大国の対立と共存の関係に求められよう。ただ,現在の国際情勢は,この基本的性格を維持しつつも,米ソが全面的に対決した冷い戦争の最盛期とは異った様相を呈している。第1に米・ソ関係そのものが,いわば限定された対立関係にあること,第2に,いわゆる多極化の現象が生じていることである。多極化の現象は,西欧諸国および日本等が第二次大戦の打撃からたち直ったこと,社会主義陣営内で各国各々の条件に従って社会主義建設が進められようとしたこと,および米ソの核戦力は,その破壊力があまりにも大きいために,かえって政治的影響力としての効力に限度が生じていること等の要因から生じている。

以上に加えて,第二次世界大戦の産物として分裂国家が存在すること,およびいまだ多くの発展途上国が内政上の安定を達成していないことは,国際情勢における不安定要素であり,局地紛争の現実の,あるいは潜在的な要因となっている。

しかし,全面的な戦争か平和かの問題は,いぜんとして米ソ間の核戦力の均衡にかかっており,この意味において現在の国際情勢の最も重要な要素は,いわゆる「平和共存」体制下の米ソの関係といえよう。

1968年4月から1969年3月までの1年間の国際情勢の動きの中では,先ずソ連のチェッコスロヴァキア侵入とヴィエトナム紛争の政治的解決の方向への転換が,特に重要な事件として指摘されよう。

チェッコスロヴァキア事件の前後より,ソ連は国内でイデオロギー上の引締めの姿勢を強めるとともに,東欧圏の現状はあくまでも守るという政策を再確認した。このため,東西緊張緩和によって,東欧諸国の自由化を促し,もって欧州の諸懸案に解決の糸口をつかもうとの西側の政策は,当面足踏みを余儀なくされることとなった。

しかし米ソの平和共存体制は,チェッコスロヴァキア事件によって基本的な影響を受けることはなく,ソ連のチェッコスロヴァキア軍事介入が国際関係に与えたマイナス面を克服しようとの意図,および米国におけるニクソン新政権の登場という要素も加わって,核戦争回避および実務関係の発展の分野における米ソの共通利益の追求は,むしろ進展の気配を見せた。米ソ両国は,両国の発意によりつくられた核兵器不拡散条約を1968年7月1日に署名し,さらに1969年3月米上院は,本条約を承認した(ソ連は批准していない)。

ABM(弾道弾迎撃ミサイル)に関する米ソ間交渉に関して,チェッコスロヴァキア事件以前に米ソ間に予備的な話し合いが行なわれたと伝えられているのもその例であろう。

ヴィエトナム紛争は,米国の北爆部分停止を契機に平和的解決の方向にむかうこととなり,パリにおける米・北越間の和平会談の開催,さらに北爆全面停止を経て,紛争の直接の当事者が一堂に会する和平会談の開催に発展した。

ヴィエトナム問題の政治的解決が国際政治に与える影響は,最終的には和平の態様いかんにかかっているが,平和的解決への転換によりソ連の対米非難の宣伝上の勢いは弱まり,米・ソ実務関係を円滑化させる要因となっている。

他方,米国のプレゼンスに自国の安全保障を依存せしめているいくつかの周辺アジア諸国が,今後の安全保障につき模索を始めた点も指摘することができよう。

チェッコスロヴァキア事件およびヴィエトナム紛争以外については,中共は,国内的には文化革命が収拾の段階を迎えつつある。対外的には米中会談も結局開催されず,「外交不在」の状態は依然続いたが,この間にあって,対米関係の緊張が高まったことが注目された。69年3月の中ソ国境武力衝突事件は,今後の国際情勢において,中ソ対立がより重要な要素となる可能性を示唆するものといえよう。

中東紛争については,政治的解決の目途がつかないままに,一触即発の危機が増大し,これに対し,米・ソ等により紛争を何らかのかたちで政治的に解決する努力が続けられた。

1968年4月以後の1年間に,朝鮮半島においては,「祖国統一」をスローガンに掲げた北朝鮮が,前年にひきつづき軍事休戦ラインにおける小規模な発砲事件を繰返すとともに,韓国に対する武装スパイ等による侵透工作を継続した。当面,北朝鮮の強硬姿勢に緩和のきざしはなく,朝鮮半島は依然緊張含みの情勢にある。

国際経済面は,1968年4月から1969年3月までの期間をとる限り,概して安定した推移を示した。米国政府は,1968年年頭に広範なドル防衛策を発表し,国内的には増税等の引締め措置を実施し,対外的には中期債の購入等に関して各国政府に協力を求める等ドルに対する信頼の強化に全力をそそぎ,同年の米国の国際収支は,11年ぶりに黒字を記録するに至った。他方,ポンドは,英国自身の努力と国際的協力とにより一応小康状態を保っており,また「5月騒動」によってゆさぶりをかけられたフランス経済も,68年暮の「フラン危機」を乗り越えて,最近は景気も回復している。

先進国と発展途上国との間の較差-いわゆる南北問題は,最近数年間国連を中心として世界各国の人々の意識の中で次第に大きく取りあげられてきている。過去において,発展途上国が国際紛争の発生地となった例が多いことにもかんがみて,南北問題への意識の高まりは,世界平和の見地から極めて望ましい。しかし,南北間の経済成長率,生活水準の差は,現在なお拡大こそすれ縮小する徴候はなく,また68年度においても種々の努力はなされたが,特に見るべき成果を収めていない。この問題の重要性にてらし,今後とも国際機関や二国間関係において,本問題解決のための真剣かつ地道な努力が続けられよう。

以上の諸点およびこれに加えて特定地域にかかわるものであっても,広く国際社会に影響を及ぼし,あるいは世界的に注目された問題について,次章以下において,より詳細に説明することとしたい。

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