経済に関する諸国際機関との関係

OECD(経済協力開発機構)との関係

1 わが国のOECD加盟問題

(1) OECD発足の経緯とその活動状況

OECDは、一九四八年に米国がマーシャル・プランの名の下に開始した欧州復興援助資金を配分する機関として欧州の関係十八カ国の間に設立されたOECD(欧州経済協力機構)と呼ばれる純ヨーロッパ的機構を発展解消させ、新たに米国およびカナダを加えて、一九六一年九月三十日パリを本部所在地として発足したものである。本機構の前身であるOEECは、発足以来十二年余にわたって欧州域内貿易の自由化と通貨の交換性回復を通じて欧州の経済復興および発展に多大の貢献をしたが、やがてEEC(欧州経済共同体)およびEFTA(欧州自由貿易連合)の発足など経済統合の新らしい胎動が起り、欧州は全体として新段階を迎えるにいたった。他方、米国は、国際収支の逆調に悩み始め、欧州諸国との経済政策全般に関する一層緊密な協力と調整を必要とするようになり、さらに低開発国援助の負担を他の先進自由工業諸国とともに分担したいという考えから、欧州諸国に呼びかけ、欧州をこえてさらに広い範囲にわたる経済問題を扱う新機構としてOECDを設立した。OECDは、経済成長の推進、後進国開発援助への寄与および世界貿易の拡大という三大目的を掲げ、経済政策委員会、開発援助委員会(DAC)および貿易委員会を中心として活発な活動を行なっている。同時に、OEECから引継がれたものをも含め、財政、通貨、観光、工業、農業、漁業、科学、エネルギー、貿易外取引、人的資源、海洋など多岐多端な分野にわたって三〇以上の専門委員会を有し、加盟国の実情検討および政策調整を中心に極めて有益な活動を行なっている。OECDは、このほかに二重課税の防止などその他多くの分野に関する典型条約案を作成し、また、事務局から統計を初めとする各種の権威ある経済資料を刊行している。さらに、労働組合諮問委員会(TUAC)および商業工業諮問委員会(BIAC))を通ずる民間との緊密な接触にも尽力している。

OECD活動の特徴としてさらに付言すべきことは、これら多数の委員会ないしその下の作業部会で、各国政府当局者が直接に協議しつつ相互に検討し合う「コンフロンテーション」と方式が好んで用いられている点であり、このような協議による相互理解の意義は極めて大きい。

(2) わが国のOECD加盟の意義

OECDは、以上の機能と性格を持っているので、世界的に重要な影響を及ぼすよ4なあらゆる経済問題を検討の対象とする機関であり、その検討は、場合によっては国連、ガット(関税貿易一般協定)、IMF(国際通貨基金)その他の国際会議の討議に先立ち、あらかじめ先進工業国の間だけで意見の交換調整をはかるという形で行なわれる。従って、重要な工業国であるわが国がこれに参加することは、わが国としても、OECDとしても、重要な意義を有するものである。例えば、OECDは、一九六〇年から六九年までの十年間に加盟二〇カ国の国民総生産を五〇パーセント増大させる(年平均四・二パーセント)決議を採択し、自由世界が繁栄を維持発展させる能力を有することを示そうとしているが、年間五〇〇億ドル以上の国民総生産と高い経済成長率を保持する日本を加えてこそ、OECDは初めて真に自由世界を代表し得ることになるわけである。

さらに、経済政策委員会を中心とする通貨金融政策に関する討議、貿易委員会を中心とする工業品の輸入制限緩和、後進国産品の買付促進、ガット一括関税引下交渉などに関連する問題の討議は、いずれも世界的に多大の影響を与える問題である。従って、貿易依存度のとくに高いわが国としては、このような討議に直接参加し、OECD諸国をしてわが国の利益を考慮させながら、随時適切な施策を講ずることができるようにすることが極めて重要である。

以上のような自由諸国間の経済面での協力の促進は、当然のことながら、政治面での一層の協調団結をもたらすものであり、OECD加盟は、わが国の国際的地位をさらに強固なものとすることになる。わが国は、従来から、米国およびカナダとの関係を緊密にしてきたが、OECD加盟によって、米加両国とともに欧州諸国とも密接な協力関係を樹立する場を持つこととなり、その意義は極めて大きい。

(3) わが国のOECD加盟問題の進展

(イ) わが国は、OECDの発足以前からDAG(開発援助グループ)の参加国として、さらにOECDの発足によりDAGが発展的に解消して設けられたDAC(開発援助委員会)の原加盟国として低開発国援助に協力してきたが、OECDの他の活動分野への参加も強く希望し、OECD財政委員会および開発センターの活動への参加など、漸次OECD全面加盟への道を開くように努力を重ねた。

一九六二年九月大平外務大臣訪欧の際にも、フランス、ドイツ、ベルギーの各国政府首脳に対して、わが国のOECD加盟の希望表明を行ない、特に日本が世界五位の援助供与国であり、また、先進一〇カ国からなるIFMの補足資金に関する取極への参加国となっているほか、貿易、為替の自由化を着々と進めている事実を指摘して、日本が名実ともに先進工業諸国の一員と見なされるべきであると強調した。

(ロ) ついで同年十一月、池田総理大臣が英国およびEEC各国を歴訪した際も、同総理から、DACでの日本の活動の実績を述べ、今後諸般にわたる重要な経済問題に関する日本・米国・欧州の相互協力の緊密化の必要性を説き、自由陣営の強化というところからわが国のOECD加盟に対する各国政府の支持を要請した。これに対し、これら各国政府首脳は、いずれもきわめて好意的な態度を示した(別項一一六ぺージ参照)。

池田総理の訪問国以外のOECD加盟国政府に対しては、同総理の訪欧と時を同じくして、わが方大使を通じ加盟支持を要請したが、これら加盟国は、大体、わが国の加盟に賛成であることが判明した。

(ハ) さらに一九六二年十一月二十七、二十八日の両日、パリで開催された第二回OECD閣僚理事会では、宮沢経済企画庁長官が、オブザーバーとして出席し、わが国のOECD活動への一層緊密な参加に関する希望を表明した。

同理事会では、この問題は、追って首席代表者会議で検討することとされた。

(ニ) 従来、わが国のOECD加盟に関し最も好意的であった米国およびカナダは、一九六二年十二月に開かれた第二回日米貿易経済合同委員会ならびに一九六三年一月に開かれた第一回目加閣僚委員会の共同コミニュケで、それぞれ、わが国のOECD加盟に対する強い支持を再確認した。

(ホ) その後一九六三年一月二十九日には、英国のEEC加盟交渉の挫折という新事態が発生したため、OECD内部でのわが国加盟問題の審議はやや遅延した。

しかし、そのほとぼりもさめた同年三月二十六日OECD首席代表会議が開かれ、わが国の加盟問題が審議された結果、同月二十八日、同機構事務局から、つぎのような発表が行なわれた。

「日本政府の非公式な関心表明の結果、OECD加盟諸国代表は、事務総長に対し日本政府がOECD加盟にともなう義務を受諾する用意があるかどらかを確かめるため、パリの日本政府代表と話し合いを開始するよう要請した。その結果、日本政府が、OECD側と合意に達した例外を除き、OECDの義務を受諾する用意があれば、OECD理事会は、OECD条約第十六条に基づき本年中に、日本政府に対しOECD条約に加盟するよう正式に招請することとなろう。日本は、国会関係の手続きを終え、フランス政府に加入書を寄託すれば、OECDの正式加盟国となろう。」

(ヘ) その後政府は、パリおよび東京で、同機構との間で加盟条件について詳細な検討を行ない、さらに七月上旬からパリでこの問題について最終交渉を行なった結果、双方は合意に達した。よって、七月二十六日のOECD理事会は、わが国の加盟招請を決議し、また、その直後駐仏荻原大使とクリステンセン事務総長は、加盟条件に関する了解覚書に署名した。これにより、わが国は、OECD条約が国会で承認され次第、いつでも同機構へ加盟できることとなった。

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ガット(関税および貿易に関する一般協定)との関係

1 ガット第二十回総会の審議

ガット第二十回総会は一九六二年十月二十三日から十一月十六日までジュネーヴで開かれ、正式加盟四三カ国(加盟一カ国は欠席)のほか、オブザーヴァー三〇余カ国、IMF(国際通貨基金)、EEC(欧州経済共同体)委員会などの国際機関の代表が出席し、わが国からは在ジュネーヴ青木大使を首席とする代表団が出席した。

議題四五のうち、主な議題の審議ぶりはつぎのとおりである。

(1) 後進国貿易促進問題

この総会の焦点は、後進国貿易問題であった。

この問題は、ガットでは、一九五八年に設立された貿易拡大第三委員会で検討されてきた。同委員会は、一九六一年秋、「後進国の貿易拡大を阻害している主な要因となっている後進国の主要輸出品に対する輸入制限、関税、内国税、国家貿易および補助金などを、できる限りすみやかに撤廃乃至緩和すべきである」という勧告を行ない、その勧告の趣旨は、一九六一年十一月のガット大臣会議で採択された「後進国の輸出拡大に関する宣書」とり入れられた。

しかし、後進国側は、その後一年間に同宣言の実施に顕著な進展が見られなかったとして不満を表明し、あたかも同年七月カイロで後進諸国の経済開発会議が開かれたこと、および国連で貿易開発会議の開催が決定されたこととも関連して、本総会の会期中の十一月一日に開かれた後進国の貿易拡大に関する第三委員会では、後進国側一八カ国から、前記宣言の実行計画が提案され、これを本総会で採択するよう要請された。その提案の内容は、先進国に対し、つぎのような措置を求めているものである。(なお後進国の提案は、国連における国連貿易開発会議開催問題に関連して国連第十七回総会にカイロ・グループなど低開発国三一国が行なった共同提案とも関係ありと考えられる。)

(イ) 後進国からの輸出障害となるいかなる関税障壁ないし数量制限も新たに設けない。

(ロ) ガットに違反している後進国からの輸入に対する数量制限を一年以内(特殊の事情あるものに限り遅くも六五年十二月末まで)に廃止する。

(ハ) 熱帯産品(コーヒー、ココア、茶、バナナ、採油用種子および植物油、熱帯性木材)の無税輸入を六三年十二月末までに実施する。

(ニ) 後進国が輸出に関心のある第一次産品の関税を廃止する。

(ホ) 後進国からの半製品、製品の関税を三年間に最小限五〇パーセント引き下げる。

(ヘ) 後進国産品に対する内国税を漸減し、六五年十二月末までに廃止する。

(ト) これら諸措置の実施ぶりおよび目標を毎年七月にガット事務局に報告する。

同委員会の審議では、先進国側から、前記提案をそのまま受諾することは困難である旨が述べられた。結局、同委員会が一九六二年十一月十六日に総会へ提出した報告では、右提案の内容は努力目標であり、ガットで規定されている以上に法律的拘束力を持つことにならない旨が記載された。

第二十回総会では、まず後進国側から、一九六一年十一月に宣言が採択されて以来、同宣言の実施に満足な前進がみられていないので、新たに実行計画案を提出することになった旨、および先進国側がこの提案の内容をすみやかに履行すべきことを強調し、同総会がこの問題を真剣に審議するべきであると力説した。また、ブラジル代表は、先進国側が後進国側提案を受諾できないならば、それに代わる具体的対策を提出すべきであること、さらに、後進国に対する援助も貿易自由化と同等の価値があると考えることを付言した。

これに対して、米国代表は、今後本提案に十分注意を払う用意がある旨を述べた。EEC代表は、後進国、一次産品貿易問題は単にその貿易量の拡大を考えるだけでは十分でなく、その価格問題の検討が必要であること、ならびに二次産品貿易については後進国が先進国市場へ接近するためには秩序が必要である旨を主張した。

結局、右後進国側提案は、さらにきたる関税一括引下作業部会、熱帯産品特別グループ、貿易拡大第三委員会などの審議を経たのち、一九六三年早々の理事会および大臣会議で後進国貿易促進問題として取りあげられた。

(2) ガット第三十五条対日援用問題

ガット第三十五条の規定によれば、新たにガットに加入する国が、他の加盟国と関税交渉を行なっていない場合には、そのいずれか一方が希望すれば、たがいにガットの待遇すなわち最恵国待遇を与えないことができることになっている。一九五五年日本がガットに加入した時は、一四カ国の加盟国がこの規定を援用したが、援用国の数は、その後増減して、一九六三年七月末現在一五カ国、そのうち六カ国は援用撤回を約束済みである。

この問題は、一九六一年秋の総会に続いて、この総会でも、一九六二年十一月十五日上程された。たまたまその前日の十四日、ロンドンで日英通商居住航海条約が署名され、その際英国から条約発効と同時にガット第三十五条の対日援用を撤回することが同意されたので、その日の会議の冒頭、わが青木代表が発言し、右撤回の意義を二つの面から強調した。すなわち、まず、英国は従来対日援用撤回問題の早期解決の鍵をにぎる国と考えられ、他の援用国に対し影響が大きいからであり、つぎに、英国から独立した国が英国のガット上の権利義務を承継してガットに加入する場合、いずれも自動的にわが国に対しガット第三十五条を援用し、援用国数が減少しない大きな理由となっていたからである。他方、青木大使は、仏、ベネルックス、豪州などとの二国間交渉の進展ぶりに言及したのち、本件問題の早期かつ完全な解決なくしては、日本としてガットの当面する最も重要な問題となっている関税一括引下げ交渉および後進国貿易促進問題解決に十分に参加できないであろうと強調した。

以上の発言に対し、ベネルックス以下十三カ国代表が、それぞれ発言を行なった。

(イ) オランダ(ベネルックス三国を代表) 第三十五条援用撤回の問題は、目下ベネルックス各国政府で極めて慎重に検討中である。今後の二国間交渉がその撤回の機会となることを希望する。

(ロ) フランス 二国間の話し合いは満足な方向に進められており、その交渉の結果、この問題が解決されることを期待している。

(ハ) タンガニイカ タンガニイカの国内においては、援用の撤回に傾きつつある。

(ニ) 英国 英国が第三十五条援用を撤回することになったのは、日英両国間のみならずガットにとっても有意義である。この問題の実質的審議は、今次総会で最後となることを切望する。

(ホ) ローデシア・ニアサランド 連邦二国間交渉を通じてこの問題が解決されることを期待している。ローデシア・ニアサランド政府は、その交渉が満足な妥結を通じて第三十五条援用を撤回する用意があることをすでに日本政府に正式に通報済である。

(ヘ) ナイジェリア ナイジェリアの第三十五条援用は技術的な問題であり、同政府はこの問題を積極的に検討中である。

(ト) カナダ 日英条約の署名を祝福する。一九六二年以来ニュー・ジーランドなど四カ国が行なった撤回に他の援用国も従うべきであり、その結果、この問題がこれ以上総会の議題とならないようになることを期待する。

(チ) 米国 日本がガットの活動、特に来たる関税一括引下げ交渉に完全に参加できるためにも、この問題は迅速に解決されるべきである。この問題の解決が新たにガットに加入する国の第三十五条対日援用の傾向によって遅らされていることは遺憾である。第三十五条援用を通常なことと考えたり、取引の具として利用することは絶対に避けるべきである。

(ホ) ポルトガル ポルトガルは、この問題の重大性を認識し二国間交渉を通じ日本と完全なガット関係を樹立するよう努力したが、国内産業との関係もあり、その努力が実を結ばなかったのは残念である。ポルトガル政府は問題の解決が早期に見出されるとの強い希望をもって本件を検討している。

このほかにスウェーデン、ペルー、オーストリアの発言も行なわれたのち、議長から、総会の一般的な空気としてすみやかにこの問題が解決され、総会の議題に取上げられることがなくなるよう強い期待が寄せられたと述べ、この問題を来たる大臣会議で討議するか否かの問題は理事会で審議する旨発言した。

(3) 大臣会議開催問題

第二十回総会中、米国、カナダから共同で一九六三年の前半にガット大臣会議の開催が提案され、一九六三年五月に開催されることが決定された。また、その議題については、理事会が審議することとなったが、とくに効果的な自由化計画の維持および一次産品貿易の効果的な拡大の諸問題を、農産物および後進国産品の輸出拡大に関する交渉方式の問題に重点を置いて取りあげられることとなった。

(4) 加入問題

第二十回総会の冒頭、英国から独立したトリニダッド・トバゴおよびウガンダが英国の支持によりガットヘの正式加入が認められた。(ガット第二十六条五項(C)に基づくものである。)その結果、正式加盟国は計四四カ国となった。なお、これら二国は、英国のガット上の権利義務を継承して加入したので、自動的にわが国に対し第三十五条を援用することになったため、第三十五条の対日援用国は一六カ国となった。

また、これまで準加入国であったユーゴースラヴィアおよび新たにガットと関係を持つアラブ連合の仮加入が承認された。(ただし、アラブ連合の仮加入は同国の仮加入宣言に同国が署名した時に発効することとなっている。)

(5) ドイツおよびベルギーの輸入制限問題

一九五七年ドイツは国際通貨基金およびガットとの協議で、国際収支上の理由による輸入制限を行なう資格がないと判定されたが、その後も事実上続けていた輸入制限については、一九五九年五月のガット総会でガット第二十五条第五項(注一参照)に基づくウェーバー(自由化義務免除)が認められていた。しかし、同ウェーバーは、第二十回総会の最終日で期限が切れたので、その後も残存する輸入制限は、残存輸入制限手続(注二参照)により取扱われることとなった。

つぎに、一九五五年三月五日の決定によって一九六二年末までを期限として認められていたベルギーの農産物に対するハード・コア・ウェーバー(注三参照)も、それ以後は、延長されないことになった。

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2 ガット理事会の審議

ガット理事会は、一九六二年には二月、五月、七月および十月の四回開かれた。

二月の理事会では、主として貿易拡大第三委員会および穀物グループの報告が審議され、新たに熱帯産品の特別グループおよび肉のグループの設置が決定された。

五月の理事会では、西独の輸入制限問題、残存輸入制限問題、EECの共通農業政策、アラブ連合の加入問題などが討議された。西独の輸入制限については、一九六二年の総会でウェーバーの期限がきれるが(更に延長されなくなったことは、前項参照)、西ドイツが同総会までに報告書を提出して締約国団と協議することになった。また、EECの共通農業政策については、第二委員会が設置され、アラブ連合の加入については、作業部会が設置され、それぞれ検討を行なって、第二十回総会に報告することが決定された。残存輸入制限の問題については、米国、豪州、ブラジルなどが同問題を検討するための作業部会を設置するよう提案したが、EECの反対により十月の理事会まで持ち越された。しかし、十月の理事会では、結局、残存輸入制限の問題を検討する作業部会設置の提案は行なわれず、現行の通報手続を恒久的な手続として、年次報告の形で行なうことを総会に勧告するにとどまった。また、十月の理事会では、ほかに予算財政委員会の報告が採択された。(残存輸入制限については、二四三ぺージ注二参照。)

七月の理事会は、カナダが国際収支の悪化に対処するため一部輸入品に付加税を課したことについて審議するために開かれた緊急理事会である。カナダは同理事会において、右措置をとるに至った背景を説明し、今回の措置は暫定的なものであり、関係国と二国間協議を行なう用意がある旨を明らかにして、ガット第二十五条五項に基づくウェーバー(前項二四三ぺージ注一参照)は求めなかった。理事会もまた、このカナダの措置を了承して、ウーェバーの審議を行なわず、できるだけ早い時期に右措置を撤廃することを勧告した。なお、カナダの輸入付加税は一九六三年三月三十日をもって完全に廃止された(別項二一二ぺージ参照)。

一九六三年に入ってからは、大臣会議の日取りおよび議題、その他の諸会議の日取りを決定するために一月およびそれに引続いて二月に理事会が開かれた。二月の理事会では、特にわが国から綿製品の問題および日本のガットの第十二条援用撤回を追加議題として提案し、採択された(詳細については次項および綿製品問題の項参照)。

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3 わが国のガット第十二条の援用撤回

わが国は、一九六二年二月六日のIMF(国際通貨基金)理事会で国際収支上の理由によって輸入制限を行なうことは認められないという判定(別項一九六二年度のIMF対日年次協議参照)を受けたので、ガットとの関係でも同協定第十二条を援用して国際収支を擁護するため輸入制限をすることが許されなくなった。従って、わが国は、ガットからこの判定の確認を受けるよりも、自発的にその援用を撤回することが望ましいと考えて、同年二月二十日の理事会で、青木代表から「日本はガット第十二条の援用を撤回し、今後の輸入制限は所定の残存輸入制限の手続(別項二四三ぺージ注二参照)による」旨発言した。これに対し、米国代表は、「世界の先進国がこれですべて十一条国(数量的制限を一般的に廃止した国)になった」と歓迎の意を述べた。ついで、同二十七日、わが国は、ガット事務局に対し文書をもって同様の趣旨を通報した。

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4 ガット第三十五条の対日援用問題

一九六一年十一月のガット大臣会議で高まった第三十五条の対日援用撤回の動きは、六二年に入ってガーナが三月十五日に、ニュー・ジーランドが三月十九日に、それぞれ援用を撤回することによって具体化した。さらに、英国についても、日英通商居住航海条約が締結され、その発効をまって同条の援用が撤回されることになった。(英国は同条約発効に先立ち一九六三年四月九日付で英国本土および同関税領域にかぎり第三十五条の援用を撤回し、日本とガット関係に入る旨を事務局に通報した。)また、ベネルックス経済同盟加盟三国およびフランスも、それぞれ二国間交渉の結果をまって援用を撤回することが期待されている。

しかし、ポルトガルは、一九六二年五月六日ガット加入に際して日本(ほかにガーナ、インド、ナイジェリア)に対し第三十五条の規定を援用し、また英国の法的地位を継承して加入したトリニダッド・トバコ(六二年八月三十一日)およびウガンダ(同十月九日)は、それぞれ日本に対し第三十五条の規定を援用した。

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5 ガット関税交渉

(1) 関税引下げ交渉(ディロン交渉)

一九六一年五月から一九六二年七月にかけてジュネーヴで、関税引下げ交渉が行なわれた。この交渉は、貿易の拡大発展を促進するために随時ガット加盟国相互間で新規の譲許税率を設定したり、現行の譲許税率を引下げることができるというガット第二十八条二項の規定に基づき、米国のディロン国務次官(当時)により提唱され、一九五九年春の第十四回ガット総会で、その実施が決定されたものである。(従って、ディロン交渉とよぶ。)

米国がこのような提唱を行なったのは、一九五八年八月互恵通商協定法の延長法が成立し、米国政府がすベての品目について一九六二年六月末日までに原則として一九五七年七月一日現在の税率を二割引下げる権限を与えられたためである。他方、EEC(欧州経済共同体)も、一九六〇年五月の閣僚理事会の決定により、大部分の品目について互恵的な交渉を通じて域外共通関税を二割引下げることができることになった。従って、交渉は、米国とEECを主な当事者として行なわれたものである。

この交渉には、日本、米国、英国などの二二カ国およびEECが参加し、全体として約四、四〇〇品目(年間貿易額約四億九、○○○万ドル)が新たに譲許(関税を引下げるか、または据置を約束することなど)された。

わが国としては、貿易の自由化と大幅な関税引下げを同時に行なうことには種々の困難があったが、わが国の関税の引下げを国内経済に支障を及ぼさない範囲内にとどめる限り貿易相手国の関税障壁を引下げることは得策であるとの考慮から、米国、スウェーデンおよびEECと交渉を行なった。

米国との交渉は、一九六二年二月二日妥結した。その結果、わが国は米国に対し石油製品、薬品、農薬など四五品目について新らしい譲許を与え、他方、米国はわが国に対し鉄鋼の板、帽体材料、食料品など六八品目について新らしい譲許を行なうこととなった。

スウェーデンとの交渉は、一九六二年五月三〇日に妥結した。その結果、わが国はタイプライター、水圧器、理化学用試験機器など二一品目を譲許し、スウェーデンからはトランジスター・ラジオおよび光学顕微鏡の二品目の譲許を獲得した。

EECとの交渉は、一九六二年六月二十一日妥結したが、その結果わが国はカカオ脂、木工機械、自動二輪車など二五品目を、EECは果実の缶詰、電子顕微鏡、カーニバル用品など二五品目を、それぞれ譲許した。

なお、ディロン交渉の一環として、ガット第三十三条に基づく加入のための関税交渉が行なわれたが、わが国は、この交渉に参加したスペイン、ポルトガル、カンボディア、イスラエルのうち、イスラエルと交渉を行ない、その交渉は、一九六一年十一月九日妥結した。その結果、わが国は塩化カリウム一品目を譲許し、イスラエルは工業用ミシン、体温計など六品目を譲許した。なお、右四カ国のうちポルトガルは、一九六二年五月六日に、またイスラエルが同年七月五日に、それぞれガット加入が発効し、ポルトガルは同時にわが国に対し第三十五条を援用した。

(2) 日本の譲許表の修正

わが国の関税分類は、一九六一年六月からブラッセル関税分類方式に基づいて現行の方式(全品目を二二七四に分類)に改められたが、それまでにわが国がガットの関税交渉を通じて行なった譲許は旧分類に基づいていたので、税関事務の簡素化、輸入業者の便宜をはかるためなどにより、これらの旧分類に基づく譲許(全品自九四三分類のうち三六五品目)をできるだけ早く現行分類に書き改める必要が生じた。

この分類方式の修正は、譲許の実体に修正をもたらすものではないが、条約で定められた譲許の表現を修正することになるので、関係国の同意をとりつける必要があった。そのため、わが国は一九六一年の秋から関係国と協議を行なってきた。右協議は一九六二年中に終了し、一九六三年一月十五日ガット締約国団によって新譲許表(品目数六七二)が妥当なものであることが確認されたので、その後国内の所要手続を経て、一九六三年四月一日から新譲許表を実施した。

(3) わが国の関税率改正にともなう再交渉

わが国の貿易自由化の進展に対応して、一九六二年四月に関税率の改正を行なったが、それにともない、ガット第二十八条第四項の規定により、わが国のガット譲許税率の一部を修正ないし撤回する必要が生じた。このため、わが国は同年五月からジュネーヴで、米国、EEC、ドミニカ、ギリシャ、ペルーおよびウルグアイの関係五カ国および一共同体との間でわが国が提供する代償について交渉を行なってきたが、一九六三年二月の対ドミニカ交渉の妥結により、すべての交渉が終了した。

これらの交渉の結果、わが国は、パイナップル缶詰、モリブデン鉱、絶縁電線など一五品目のガット譲許税率を修正ないし撤回し、その代償として、血粉、大理石、グリース、大型白黒テレビなど二四品目の関税引下げないし据置きを約束した。なお、わが国は、右譲許の修正、撤回および代償としての新譲許を一九六三年四月一日から実施した。

(4) 対米補償交渉

米国は、一九五八年の互恵通商協定法のエスケープ・クローズ(免責条項)に基づいて、一九六二年六月十八日からウイルトン・カーペットと板ガラスの関税引上げを実施した。わが国は、この関税引上げに対して、ガット第十九条の規定に基づいて代償を求めるため、引上げに先だち一九六二年五月からジュネーヴで米国との間に交渉を行なった。その結果、交渉は同年十二月に妥結し、わが国は、米国から絹スカーフ、絹ハンカチおよびマフラー、おもちゃの楽器の三品目の関税引下げを代償として獲得し、米国は、その引下げを一九六三年二月一日から実施した。

(5) ニュー・ジーランドとの関税交渉

一九六二年三月九日わが国とニュー・ジーランドとの間の通商協定が改正されたが、この改正協定の付属交換公文では、近い将来両国間で関税交渉が行なわれることが約束された。

この交渉は、一九六二年九月十九日からジュネーヴで行なわれ、同年十二月二十八日に妥結した。その結果、わが国は羊肉の現行国定税率(一〇パーセント)を据置譲許したのに対し、ニュー・ジーランドはグルタミン酸ソーダの税率を二〇パーセントから無税に引下げたほか、さけの缶詰、かきの缶詰など二八品目の税率を据置譲許した。

(6) 米国の関税改正

一九六二年五月、米国は、関税分類を改正する新関税法を制定した。米国は、ガットの関税交渉を通じて約束した現行譲許を、右新関税法に定められた分類方式に従って書き改め、これについて関係国の同意を求めてきた。右分類改正の結果、譲許税率が従来よりも引き上げられることになる品目が少なくないことがわかったので、わが国は、新譲許表に米国の対日譲許を反映させるために、昨年の秋からジュネーヴおよびワシントンで米国と協議を行なってきた。米国の新分類は、現行の複雑な分類を簡素化した反面、その新税率は現行税率の加重平均値をとらざるをえなかった品目が多いため、新分類で現行譲許を完全に反映させることは極めて困難であったが、この協議は一九六三年二月までに実質的部分を終了した。

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6 関税一括引下げ交渉問題

(1) ガット大臣会議の決議

ガットは、その発足以来五回にわたって大規模な関税引下げ交渉会議を主催し、関税障壁の低減に努めてきた。しかし、「国別・品目別引下げ方式」と呼ばれる従来の交渉方式では、交渉が極めて複雑で長期間を要するほか、方式自体に欠陥や矛盾が多いために、交渉が回を重ねるにつれてその規模が次第に縮少する傾向が見られた。このため、一九六一年秋に開かれたガット大臣会議では、従来の引下げ方式がすでに限界に達しており、とくに最近の変化しつつある世界貿易の情勢においては十分な成果を期待しえないことが指摘され、将来の関税交渉方式として、関税の一括引下げ方式を検討すべきであると決議された。さらにこの決議を受けて、一九六一年秋のガット第十九回総会では、一括引下げ方式を検討するための作業部会が設置され、現在、わが国をはじめ米国、英国、カナダ、スイス、ニュー・ジーランド、ブラジルなど二一カ国およびEEC(欧州経済共同体)委員会がその構成国となっている。

(2) 第一回作業部会

前記作業部会の第一回会合は、一九六二年十二月十二日から十四日までジュネーヴで開催された。まず、各国から一括引下げ交渉に対する一般的な立場が述べられ、一部の国は中進国としての立場から特殊の困難性を訴え、また一部には低関税国に対する特別の取扱いを要望するなど、各国各様の主張が行なわれたが、一括引下げ交渉に参加すること自体についてはいずれの国もその必要性を認めた。わが国も、弾力的な引下げ方式ができれば交渉に参加する用意がある旨を明らかにし、それと同時に、交渉参加の前提として対日差別制限の撤廃を強く要請した。

また、引下げ方式については、(イ)一部の例外品目を除き、すべての関税率について五年間に五〇パーセントの引下げを行なう、(ロ)例外品目は最少限にとどめる、(ハ)ただし、後進国に対しては引下げ幅や期間について特別の取扱いを認めるなどを骨子とした、いわゆる「事務局試案」が示され、これについて質疑が行なわれたのみで、具体的な検討は次回以降に持ち越された。

(3) 第二回作業部会

一九六三年三月十八日から開かれた第二回会合では、前記「事務局試案」を基礎として、引下げ幅および期間、例外品目リスト、農産物の取扱いなど主要問題ごとに検討が行なわれたが、いずれの点についても具体的な結論が出なかった。すなわち、引下げ方式については、五年間一律五〇パーセント引下げの原則が、今後の作業を進めていくための「仮定」として合意されたのにとどまり、また例外品目については、これを最小限にとどめる必要が強調されたのみで、具体的な例外品目リストの規制方法については結論に達しなかった。農産物の取扱いについては、農産物も一括引下げ交渉の対象に含めるべきであるとの趣旨が確認され、その一つの解決策として米国から具体案が示されたものの、EECが全面的に態度を保留したため、これ以上の進展は見られなかった。結局、EECが、農産物の問題をはじめ引下げ幅などの問題についても、全般的に消極的な態度をとったために討議が行き詰まりとなり、作業部会は三月二十九日から会合を中断し、同年四月二十二日から二十六日まで再び開かれることとなった。

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7 後進国問題

(1) 貿易拡大第三委員会

この委員会は、一九六一年のガット大臣会議で採択された「後進国の貿易拡大に関する宣書」により、貿易障害の除去など同宣書の具体的計画の立案、実施方法について審議している。

同委員会は、一九六二年には二月、五月、十月に会議を開催して、各国における同宣言の履行振りを検討し、輸入数量制限について、豪州、オーストリアおよびわが国において自由化拡大措置が採られたこと、ディロン関税交渉で後進国が輸出に関心を持っている若干の品目の関税が引下げられたり、据置かれたりしたこと、を認めた。

つぎに、前述(ガット関係1ガット第二十回総会 後進国貿易促進問題参照)のとおり、一九六一年の大臣会議で採択された「後進国の輸出拡大に関する宣言」の実行計画案が後進国側一八カ国から提案されたが、同案は、単に努力目標であり、ガットの規定以上に法律的拘束力を与えるものではないという条件を付して、第二十回総会に提出されることとなった。

しかし、総会の審議の結果、同案は、再び、本第三委員会で審議されるほか関税引き下げ作業部会、熱帯産品グループにより審議されることとなり、これら審議の結果は、一九六三年二月の理事会を経て同年五月の大臣会議で審議されることとなった。

第三委員会は、一九六三年三月二十五日から四月五日まで開かれ、後進国提案の実行計画を基礎として、輸入数量制限、関税、内国税問題を中心に、後進国貿易促進問題について討議を行なった。この討議では、英国は、後進国提案の実行計画について、先進国の一致した前進の必要性を強調し、各項に若干の留保を付しながらも、原則的に賛成であり、実行可能であると述べた。また、米国も、内国税廃止の期限を五年間とする以外、原則的に賛成であると述べた。フランス、カナダ、スウェーデンもおおむね英国の提案を支持した。また、後進国側からは、(イ)後進国産品に低関税を適用すること、(ロ)第三委員会が検討している品目を関税一括引き下げ交渉の例外品目に含めないこと、(ハ)後進国間の製品・半製品貿易促進のため自由貿易地域または関税同盟を設けること、(ニ)後進国の輸出所得増大のため、貿易障害の除去と併行して、後進国がその経済を多角化し、輸出能力を強化し、かつ、外貨獲得能力を増大することができるような効果的な措置をとるという趣旨を実行計画第八項として付け加えることなどの提案を行なった。

(2) 熱帯産品グループ

一九六一年の大臣会議で、ナイジェリアが熱帯産品の無税輸入実施を提案したのを契機として、一九六二年二月の第三委員会で、同委員会下部機構として熱帯産品(コーヒー、ココア、茶、バナナ、採油用種および植物油、熱帯性木材)について検討し、必要な勧告を行なう「熱帯産品特別グループ」の設置が決定された。同グループの構成国は、ブラジル、セイロン、EEC(欧州経済共同体)、ガーナ、インド、インドネシア、ナイジェリア、スウェーデン、英国および米国の一〇カ国である。同特別グループの会議は一九六二年六月に開かれ、さらにサブグループが設けられて、十二月および一九六三年三月に会議が開催され、熱帯産品に関する各種資料の作成、事実分析を行なった。その間、前記(1)の後進国の「実行計画」の提案があり、その中の一項である熱帯産品無税輸入実施については、同グループがその作業を促進すべきこととされた。一九六三年三月十八日から二十六日まで開催されたサブグループでは、この問題を検討し、バナナ、採油用種および植物油を除く他の四品目について一応結論に達した。特別グループは同年四月一日から五日まで開催され、サブグループの報告を審議して、五月の大臣会議に対する勧告を作成する。

(3) ガット非加盟後進国のガット活動参加問題

国連貿易開発会議の開催決定とも関連して、米国は、一九六二年十一月第三委員会でガットに非加盟の後進国がガットの会議に参加できるようにするとの提案を行なった。一九六三年二月の理事会では、この問題を検討するための作業部会の設置が決定され、同作業部会の第一回会合は、同年三月二十九日に開かれ、米国案を基礎として討議が行なわれた。

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8 綿製品貿易問題

(1) 綿製品短期取極

一九六一年七月米国の提唱により、ガット主催の下に綿製品の貿易に関する国際会議がジュネーヴで開かれ、いわゆる綿製品短期取極の案文が作成された。この取極は同年十月一日に発効した(有効期間は一年、わが国を含む一八カ国が受諾した。同取極の骨子については「わが外交の近況」第六号三〇一ぺージ参照)

右短期取極に基づき、米国は香港に対し、シャーティング、枕カバー、ズボン、男子用ドレスシャツなど六四カテゴリーの中の三〇品目に関し対米輸出規制を要求したが、香港は、これに応じこの全品目について規制を実施した。米国はまた、ポルトガルに対し、カード糸、ギンガムなど六品目に関し規制を要求し、ポルトガルはこれに応じたが、このうち二品目については米側でも輸入停止措置がとられた。さらに、米国はスペインに対しても、男物ブリーフ、女物下着の二品目について規制を要求し、スペインはこれに応じた。

他方、カナダは香港に対し、綿製ズボンの対加輸出規制を要求し、香港はこれに応じた。

このほか、米国は、短期取極D項(取極非参加国に対する措置)に基づき、中華民国、コロンビア、イスラエルおよびアラブ連合(いずれも短期取極非参加国)に対し、カード糸の対米輸出規制を要求した。

(2) 綿製品長期取極草案の作成

このように運営された短期取極は一九六二年九月末で満了し、それ以後の期間については、短期取極の下に全取極受諾国で構成される綿製品委員会が設けられ、この委員会が綿製品長期取極案を作成することとなっていた。

第一回の綿製品委員会は一九六一年十月ジュネーヴで開かれ、技術小委員会を設置して長期取極案文の起草に当らせることを決定した。この技術小委員会は一九六一年十二月および一九六二年一月の二回会合した。しかし、各国の利害が激しく対立する重要条項についてはなかなか意見がまとまらず、結局、二案または三案を併記した形の長期取極草案が作成された。

(3) 米国の綿製品賦課金問題

この間一九六一年十一月二十一日、米国のケネディ大統領は関税委員会に対し、輸入綿製品に対し、賦課金を課すことの是非について調査を指令した(別項二〇四ぺージ参照)。

このような賦課金が課されれば、わが国の対米綿製品輸出は重大な影響をうけることになるので、わが国は一九六二年一月米国政府に対し、賦課金実施を思いとどまるよう申し入れた(英国も一九六一年十二月に同様趣旨を申し入れた)。

他方、長期取極については、同取極と賦課金の二重の束縛には堪えられないから賦課金問題の帰趨を見究めた後同取極に対する態度をきめるべきであるとする意見もあったが、わが国としては、合理的な取極が成立すれば賦課金問題についても良好な影響がありうると判断して、賦課金問題と取極問題とは切離して対処することとし、一方では、賦課金阻止のために全力を尽くすとともに、他方、長期取極については、賦課金は実施されないという前提の下で合理的な取極の作成に努力するという方針を固めた。

(4) 綿製品長期取極国際会議

第二回綿製品委員会は、技術小委員会が準備した長期取極草案を審議するため、一九六二年一月二十九日から二月九日までジュネーヴで開かれ、日本、米国、英国(香港をも代表)、EEC(欧州経済共同体)、インド、パキスタンなど一九カ国の代表が参加した。

この会議で最も激しい討議が行なわれたのは、市場かく乱が起った場合、輸入国が規制措置をとるに当って輸出国に対して保証する最低輸入量をどう定めるかという問題であった。この点に関し、当初米国は、綿製品を六四カテゴリーに細分し、一九六二年十月一日以降一年毎に各輸出国について各カテゴリー毎に米国の綿製品の国内消費の増減を勘案した最低輸入計画表を作成するという、いわゆるグロウス・フォーミェラ(成長方式)を提案した。この米国案は、各年の米国の綿製品輸入について全面的規制枠をかぶせることとなり、実質的には割当制を設けるのに等しい結果となることのほか、米国は綿製品の国内消費が増加するとの予想に立って米国案をグロウス・フォミラと呼んではいるが、国内消費の動向は統計的に把握が困難で且つ統計はどのようにも操作を加えることができるから、消費増加にともなう輸入増は実際上あまり期待できず、逆に消費減を理由に輸入が削減される恐れが強いことなどの理由からわが国としては受け入れることのできない案であった。

このため、わが国としては、米国案の実現阻止に最大の重点を置くこととし、合理的な内容の日本案を提出し、香港、インド、パキスタン等の輸出国およびEEC、英国などに働きかけ、米国案に反対し日本案を支持する連合戦線を結成することに努力した結果、つぎの項(ロ)のようにわが方案を中心とした形で取極がまとまった。

(5) 綿製品長期取極の骨子

長期取極は全文一五条、附属書五から成っているが、その骨子はつぎのとおりである。

(イ) 現存割当の廃止および増枠義務

現在綿製品の輸入に対しガットの規定に合致しない制限を課している国は漸次その制限を緩和し、できるだけ速やかにこれを撤廃する。

現在輸入を制限している綿製品については、終局的に制限を撤廃するまでの間、一九六二年の輸入割当量を取極最終年までに各国それぞれ特定の割合で増枠する。この特定割合は取極附属書につぎのとおり掲げられている。

 国 名   漸増率(%)   六二年割当(トン)   最終年割当量(トン)

EEC        八八     六、三八三       一二、○○○

オーストリア   九五       四〇〇          七〇〇

スウェーデン   一五

デンマーク    一五

ノールウェー   一五

(ロ) 市場かく乱に対するセーフガード(保障措置)

輸入制限の対象となっていない綿製品が輸入国で市場撹乱を起しているか、またはその恐れがある場合には、当該輸入国は関係輸出国に対し撹乱の事実を立証するに足る具体的資料を示して輸出自主規制に関する協議を要請する。

六〇日以内に協議がまとまらない場合には、当該輸入国は協議を申し入れた月から三カ月前に終る一年間の輸入実績を最低量として、撹乱を起している綿製品の輸入を規制することができる。

事態が緊急を要する場合には、六〇日間の協議期間中に限り暫定的に問題を起した綿製品の輸入を制限することができる。

輸入規制措置が数年間にわたってとられる場合には、二年目以降の輸入量は毎年前年の規制量の五パーセント増とする。ただし、二年目に関しては、輸入国側に特別の事情が存するような例外的な場合に限り、輸入国の市場状況を考慮して、輸入国は輸出国と協議の後増加率を五ないし零パーセントに定めることができる。

規制の対象となっている品目相互間の振替率は五パーセントとする。

市場撹乱の定義は一九六一年十一月にガットで採択されたもの(輸入急増、甚だしい低価格、国内生産への打撃などの要素が結合して存在する状態)によるが、撹乱が生じているか否かの認定は輸入国が行なうことができる。(ただし、市場撹乱とは現にその状態が発生しているかその恐れがある場合のみを意味し、潜在的な恐れは含まれない旨のわが方発言が記録にとどめられている。)

(ハ) 取極の目的阻害の防止

取極参加国は、取極の目的を無にするような措置をとることを極力差し控えなければならない。

もしこのような措置がとられた場合には、それによって影響を受ける国は措置をとった国に対し協議を申し入れ、適当な期間内に是正措置がとられない場合には、協議を要請した国は問題を綿製品委員会に提出し、必要ならばガット第二十三条によって、ガット総会に提訴することができる。(この規定は主として米国の賦課命問題を考慮して、わが国の主張により設けられたものである。)

(ニ) 綿製品委員会

全参加国の代表により構成する綿製品委員会を設置し、研究、資料蒐集、取極運営上生ずる参加国間の意見の相違の討議、取極の年次再検討などにあたらせる。

(ホ) 脱  退

参加国は、六十日前に予告することにより取極からいつでも脱退できる。[この規定はわが国の主張により設けられたもので、前記(ハ)の規定とともに、取極期間中に賦課金問題の再燃、OEPなどの調査(別項一九八ぺージ以下を参照)の不当に制限的な措置の発生などのような不測の事態に備えて、行動の自由を確保したものである。]

(ヘ) 有効期間

この取極は一九六二年十月一日から向う五カ年間効力を有する。ただし、三年目には全面的再検討を行なう。

(ト) その他の主要点

(a) この取極は参加国のガット上の権利義務に影響を与えるものではなく、またこの取極に定める措置は綿製品以外の商品に適用されるべきでない。

(b) 参加国はこの取極の基本目的に反しない限り、別に二国間取極を結ぶことができる。

(c) 参加国は積替え輸出入、直接競合品による代替、および取極非参加国による措置によって取極の効果が阻害されることを防止しなければならない。

(d) この取極にいう綿製品とは綿の含有量が重量で五〇パーセントを超える繊維品をいう。ただし、チーフヴァリュー方式(繊維品をその価格と、含有する綿の価格との比率で定義する方式)をとる国はそれでも差し支えない。

(6) わが国の綿製品長期取極受諾

わが国としては米国の綿製品賦課金問題の成行きを見とどけた後に長期取極を受諾するか否かの態度を決める方針で臨んでいたところ、一九六二年九月六日米国関税委員会は、賦課金の必要なしとの判定を下し、ケネディ大統領も即日この判定を承認したので、同年九月二十八日長期取極発効の準備のために開かれた綿製品委員会の席上長期取極を受諾した。なお、わが国は受諾に当り、米国が賦課金を課さないことを公式に決定したことはまことに喜ばしく、日本としては米国が今後も長期取極の基本目的をそこならような制限的措置をとらないことを信じてこの取極を受諾するものである旨のわが方の立場を明らかにし、同時に、取極上の重要問題に関する解釈適用について意見の相違が生じた場合にはすみやかに問題を綿製品委員会に付託することができると了解する旨を述べ、記録にとどめられた(別項二〇四ぺージ参照)。

(7) 綿製品長期取極の発効と受諾国

一九六二年九月末までに、わが国のほか、米国、英国、カナダ、西独、イタリア、ベルギー、オランダ、パキスタンなど主要国が取極を受諾したので、取極は予定どおり一九六二年十月一日に発効した。

一九六三年一月現在取極受諾国は、つぎの二二カ国である。

日本、米国、カナダ、英国(香港を含む)、フランス、西独、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、オーストリア、スウェーデン、ノールウェー、デンマーク、インド、パキスタン、ポルトガル、スペイン、イスラエル、アラブ連合、メキシコ、オーストラリアこのほかにコロンビアが加入を申請しており、中華民国が加入条件を問合せている。

なお、英国は現存割当量の増枠義務および規制措置発動後二年目以降の規制枠漸増義務の二点について留保し、カナダは後者の規制枠漸増義務について留保をした。また、ポルトガルは、受諾がポルトガルの欧州領域に関してのみ適用される、という留保をした。

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IMF(国際通貨基金)との関係

  一九六二年度のIMF対日年次協議

一九六二年度のIMF対日年次協議は、一九六二年十一月五日から同十九日まで東京で行なわれた。同協議には、IMF側からはフリードマン為替制限局長ほか二名、日本側からは村上大蔵省為替局長を始め外務、大蔵、通商産業、農林、運輸、労働の各省および経済企画庁ならびに日本銀行の関係者が出席し、鈴木IMF理事がオブザーヴァーとして参加した。

今回の対日協議では、最近の日本経済の発展およびその見通し、国際収支状況ならびに制限制度(自由化計画を含む。)などを中心に討議が行なわれたが、そのうち最も大きな問題点としては次のようなものがあった。

第一に、日本の経済成長率と国際収支の均衡維持との関係で、IMF側から一九六三年度の国際収支見通しに関連し、日本の財政金融政策の最重点は国際収支の均衡を図ることにおかれ、これと矛盾しない範囲内で経済成長をはかるものと解してよいかとの質問が行なわれた。これに対し、日本側は、一九六三年度には貿易収支の黒字は減るものと考えられるが、貿易外収支の赤字が増大するものと予想されるため、経常収支は支払超過にたるものと推測されており、安定した長期資本の導入を図り総合収支の面で均衡を維持し、その範囲内で経済成長を図ることを考えていると答えた。これに対し、IMF側からしからば日本が後進国に資本輸出を行なうことが国際経済全般からみて望ましいが、日本は長期資本の面で純輸入国となることを考えているのかという質問が行なわれたので、日本側から、日本の外資導入と対外投資とはそれぞれ別個の要因で行なわれていることを指摘し、差し当り日本が長期資本の純輸入国となることは好ましいものではないが、止むを得ないと述べた。

第二には、これまでの日本の輸入自由化状況および今後の見通しについての討議であった。この点に関し、日本側から一九六二年十月に九〇パーセントの自由化を目標として最大限の努力をしたにもかかわらず、八八パーセントの自由化にとどまった理由は、重油などの石油製品の自由化が石炭対策との関連で延期せざるを得なかった事情を説明し、今後の輸入自由化については重油とか石炭に対するある程度の対策を講じつつ、その対策と相まって漸次自由化したい旨述べ、さらに貿易外取引の自由化についても来たる数カ月の弓うに更に推進するつもりであるが、現在のところ具体的なスケジュールは確定していない旨を説明した。これに対し、IMF側は、自由化を進めることは国際競争力を強めることとなり、結局日本経済の成長にとって好影響を与えるものである旨を指摘し、日本政府は残存制限の撤廃のため今後とも一層の努力を行なうよう要請した。

右対日協議の結果については、フリードマン局長は一九六三年一月十五日報告書をIMF理事会に提出したが、その中でつぎのような勧告を理事会に対して行なった。

(1) 日本は国際収支上の理由により輸入制限を続ける必要は認められない。

(2) 貿易外経常収支についてもさらに制限を撤廃するよう要請する。

この報告書は一九六三年二月六日のIMF理事会で審議された結果、原案通り全会一致で可決承認された。その結果、わが国は今後ガットにおいて国際収支を理由とする輸入制限を継続することができなくなったが、(ガットに対するガット第十二条援用撤回通報については前項3ガット第十二条援用撤回の項参照)他方、貿易外経常取引の自由化についても今後IMFと協議を行ないつつ、わが国の為替自由化体制の整備が終ってから、IMFに対し八条国移行を通報することになっている。

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商品問題に関する国際協調の動き

1 国際ゴム研究会第十六回総会

国際ゴム研究会は、一九四四年、ゴムの生産、消費および貿易事情の研究を目的として設立されたものであるが、その第十六回総会は、一九六二年五月二十八日から同六月六日までワシントンで開かれ、わが国のほか、米国、英国、フランス、マラヤ、インドネシア、セイロンなど二三カ国が参加した。

同会議では、主としてつぎの問題について討議された。

(1) 一九六二年世界ゴム需給見とおし

(2) 天然ゴムと合成ゴムとの競合の問題

(3) 天然ゴムの輸出所得の安定の問題

(4) 天然ゴムの品質および包装の規格の問題

(5) 次期総会開催地(わが国の招請により、次期第十七回総会は、一九六四年東京において開催することとなった。)

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2 国際羊毛研究会第七回総会

国際羊毛研究会は、一九四七年、世界の羊毛の需給事情の研究を目的として発足したものであるが、その第七回総会は、一九六二年十二月十日から同十四日までロンドンで開かれ、日本、米国、英国、フランス、西独、豪州、ニュー・ジーランドなど三七カ国が参加した。第七回総会は、米国政府が国内毛製品業界(特に衣類業界)から輸入制限の実施の強い圧力を受けているため、その安全弁として、国内業界の主張を各国に聴いてもらうことを目的として、国際羊毛研究会に対し開催を要請した結果、七年ぶりに召集されたものである。

米国業界が希望する綿製品取極類似の毛製品取極の締結の動きには、わが国を始め、英国、EEC(欧州経済共同体)、豪州、ニュー・ジーランドの各国も反対であったが、この会議でも、アルゼンティンを除く各国の強硬な反対に逢ったため、米国は前述のような毛製品取極は、今回のみならず将来も提案しないことを約束した。

なお、この会議で決定された主要決定事項はつぎのとおりである。

(1) 運営委員会は今後原則として四半期毎に会合し、技術委員会がその都度作成する報告書を検討する。

(2) 運営、技術両委員会は、化合繊との競合および毛および毛製品の生産、消費、貿易に関する統計を蒐集、整備し、その分析にあたる。

今後の見とおしとして、米国は、綿製品取極のような毛製品取極を提案しないということは約束しているが、ただ、本研究会以外の場でも提案しないことを意味するのか否かは明らかでなく、米国が何らの制限的措置もとらないことが保証されたわけではない。研究会では、今後統計を蒐集し、毛製品の貿易動向を監視することとなったので、貿易の推移如何では輸入制限問題が再燃する惧れがないとはいえない。わが国としては、今後毛製品(特に衣類)の輸出動向を慎重に監視し、秩序ある輸出の維持に努力することが得策と考えられる。

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3 国際連合コーヒー会議

国際コーヒー協定を作成するための国際連合コーヒー会議は、一九六二年七月九日から、わが国をはじめ七一カ国(オブザーヴァー一三カ国を含む。)が参加して、ニューヨークの国連本部で開かれた。会議は協定の主要条項についてはなはだしく難航したが、八月二十五日全条項について妥結に達し、九月二十八日の最終総会で「一九六二年の国際コーヒー協定」を採択した。同協定は、同年十一月三十日までの署名開放期間に、わが国を含む輸入国二二カ国、輸出国三二カ国合計五四カ国が署名した。

コーヒーは、農産物の国際貿易商品の中でも上位を占めるきわめて重要な産品であるが、一九五四年以来、過剰生産のため価格は低落する一方で、コーヒー輸出に依存する多くの生産国の経済発展を阻害していた。今回成立したコーヒー協定は、このような事態に対処するため輸出割当てによって供給を制限し、価格の維持をはかり、これとともに生産を制限して長期的に需要供給の妥当な均衡を達成しようとするものである。また、このような協定の機能が十分発揮されるよう、主として先進国である輸入国が種々の面で協力することが要求されている。なお、本協定には、かねてガットで討議されていた熱帯産品の輸入、消費に対する障害の除去についても、明示的に規定されてあり、消費の振興に関する規定とともに消費拡大のための努力が大きく取り扱われている。

わが国は、コーヒー消費が、欧米諸国に比較していちじるしく少なく、コーヒーに関する利害も比較的薄いが、この協定の成立および今後の運営によってコーヒー事情が改善され、ローヒー生産国の経済援助に資することとなることを期待して、この会議に積極的に参加した。

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4 国際連合タングステン予備会議

国際連合タングステン予備会議は、一九六三年一月八日から同十日まで二ューヨークで開かれ、わが国のほか、米国、英国、西独、ソ連、ペルー、ボリヴィアなど二七カ国が参加した。わが国は、米、英、西独についでタングステンの主要輸入国であり、また、国内生産も若干あるので、この会議の成行に関心をもって参加した。

会議は、一九六二年中にタングステンの国際価格がいちじるしく下落し、タングステンの輸出国であるラテン・アメリカおよびアジアの諸国が経済的に打撃をうけている事態に対処するため、いかなる国際的措置をとるべきかについて検討した。その結果、とりあえず希望国で構成するタングステン特別委員会を設置し、同委員会で統計資料の整備と対策を研究することとなった。

なお、この特別委員会は、一九六三年六月中旬にニューヨークで初会合することになっているが、わが国も参加する方針である。

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[注一] ガット第二十五条第五項に基づくウェーバーは、国際収支の理由で輸入制限ができなくなった国が、例外的事情を理由として、ガット総会の決定によって認められる自由化義務免除である。

[注二] 残存輸入制限手続は、国際収支を理由として輸入制限を行なうことができなくなった国が、ガットの規定に違反して、その後も事実上輸入制限を続けている場合に、これをガットに通報し、協議を行なう手続である。

[注三] ハード・コア・ウェーバーとは、国際収支上の理由で輸入制限ができなくなった国が、国内の特定の産業を自由化に適応させるため五年間に限って認められる特別な自由化義務免除である。