諸外国との貿易経済関係
アジア諸国(西アジア諸国を除く)
一九六二年のわが国の対アジア貿易は、輸出一四億九、四〇〇万ドル(以下何れも通関統計。前年同期一三億九、七〇〇万ドル)、輸入九億七、六〇〇万ドル(前年同期九億八、○○○万ドル)で、前年同期に比し、輸出は七・〇パーセント増、輸入は〇・四パーセント減であった。対アジア貿易は、わが国の輸出総額の三〇・四パーセント、輸入総額の一七・三パーセントを占めている。主な輸出先は、香港(一億九、一〇〇万ドル)、タイ(一億四、八○○万ドル)、韓国(一億三、七〇〇万ドル)、インド(一億一、九〇〇万ドル)、中華民国(一億一、八○○万ドル)、フィリピン(一億一、七〇〇万ドル)などであり、主な輸入先は、マラヤ(一億八、六〇〇万ドル)、フィリピン(一億八、四〇〇万ドル)、インド(九、三〇〇万ドル)、インドネシア(九、○○○万ドル)、タイ(七、一〇〇万ドル)、中華民国(六、一〇〇万ドル)などとなっている。
主要輸出品は、機械、繊維製品、金属製品、化学製品などで、主要輸入品は、鉄鉱石、木材、ゴム、コプラなどの原材料を始め砂糖、とうもろこし、米などの食料品、および燃料、化学原料などとなっている。
対アジア貿易の第一の問題点は、アジア諸国は、一部の国を除きいちじるしく外貨事情が悪化していることである。とくにインドネシア(一億一、五〇〇万ドル、六二年五月現在)、フィリピン(一億四、○○○万ドル、六二年十二月現在)、セイロン(八、五〇〇万ドル、六二年十二現在)などにおいて顕著である。この主要な原因は、これら各国の輸入が引続き旺盛であったのに対し、輸出はゴム、コプラなどの一次農産物が、値下りのため十分伸びなかったことによるものである。
第二の問題点は、アジア諸国からの一次産品の買付がますます困難となっていることである。従来の二国間協定貿易ないし外貨割当制の下においては、アジア地域内各国の産品が多少割高ないし品質が悪くても二国間貿易の均衡の維持などのため、一定量の買付を政策的に行なう余地もないではなかったが、わが国の貿易自由化の進展にともない、地域内諸国の割高な一次産品の買付はますます困難となっている。
第三の問題点は、わが国とアジア諸国との貿易の不均衡が増大してきていることである。この原因として考えられることは、わが国からの輸出は、繊維製品を始めその他輸出全品目にわたり品質、価格、積期などの点から地域内各国の需要はきわめて旺盛なのに対し、輸入は、アジア地域諸国の輸出品が多様性を欠き、一次産品に偏重していることおよびこれら一次産品の品質、価格などについて国際競争力がないことなどによりきわめて困難な状況にあることに基づくものである。
以上のように外貨不足に悩むアジア地域内諸国との片貿易を是正し、わが国の対アジア諸国向け輸出をより一層伸張させるためには、まずこれら地域内諸国からの輸入を行ない、相手国側に対し輸入余力をつける必要がある。しかし、わが方としては、現状ではアジア諸国からの産品の買付が困難である事情は前述のとおりであるので、その対策としては、多角的、国際的な対策による他、わが国がこれら諸国からの一次産品買付が可能なるように各国に対し品質、価格条件の改善を強く要請し、それと同時に、わが国が資金、技術などによる経済協力を一層活発に行なって、域内諸国の一次産業基盤の開拓、整備につくすこと、すなわちいわゆる開発輸入の構想を積極的に推進することが当面の急務となっている。
日韓貿易は、一九五〇年六月二十日に署名され、同年四月一日にさかのぼって発効した日韓貿易協定および日韓金融協定に基づき、米ドル建オープン勘定を通じて決済されるのを原則としているが、朝鮮事変の影響もあって、日本側の精算勘定にある貸越残高は、一九五三年頃から急増し、その額も四、五〇〇万ドル余に達している。(この問題の経緯については「わが外交の近況」第六号二八二ぺージ参照)。
従来、韓国向け輸出の中心であったAID(米国の国際開発庁)の買付は、米政府のバイ・アメリカン(米国品優先買付)政策の影響により年々減少している。他方、通常の輸出は増大している。一九六二年中の輸出総額は為替統計で一億一、五八二万四、○○○ドル(前年に比し五六・九パーセント増)、輸入は二、四六四万九、○○○ドル(前年に比べ二三・二パーセント増)とわが方の大幅な出超を示している。
このため、韓国側からわが国に対し、韓国産品(のり・魚介類などの水産物、牛・豚などの畜産物、農産物、無煙炭・タングステンなどの鉱産物など)の新規もしくは増加買付を要請してきており、わが国としても日韓貿易促進のため増加買付にできるだけの努力をはらっているが、韓国産品には、わが国産品と競合するものが多いほか、韓国産品自体に国際競争力に乏しいものもあり、早急な解決は困難な状況にある。
また、最近、日韓両国関係者の間で韓国向け延払い輸出および保税加工による無為替輸出を希望する声が強まっているが、国交正常化前の大規模な実現は日韓双方の事情もあり、困難な状況にある。
(1) 一九六二米穀年度(一九六一年十一月から一九六二年十月まで)の外米輸入交渉は、六二年四月に行なわれた韓国米輸入契約の署名で完了した。
従来の外米輸入交渉は恒常的豊作によりわが国の外米の需要が減少したため、相手国の希望輸出数量との間に大幅な開きがあったので、これをいかに調整するかが交渉の焦点となっていた。しかし、六二米穀年度では、普通外米については東南アジアの主要米産国の洪水被害による生産減少および米消費国の買付旺盛による輸出の好調により、わが国に対し例年ほどには強い買付要請が行なわれなかった。このため、数量については比較的容易に合意が成立したが、価格は国際米価が上昇傾向にあったため難航した。しかし、わが方は数量確保を第一義的とし、価格の点では相手国側提案に歩み寄り、合計八万トンの買付けを行なうこととして、交渉が妥結した。
一方、準内地米については双方の希望数量に開きがあり、交渉は意外に難航したが、結局計九万トンを買付けることにより交渉は妥結した。
一九六二米穀年度外米成約実績 (単位千トン)
(イ) 普通外米
ビ ル マ うるち丸米 二〇
タ イ うるち砕米 六〇
計 八○
(ロ) 準内地米
台 湾 うるち丸米 五〇
韓 国 うるち丸米 四〇
計 九〇
合 計 一七〇
(2) 一九六三米穀年度の普通外米輸入については、国内需給計画上の必要性および早期交渉開始が価格その他の点において有利になると判断されたので、六二年十二月に交渉を開始するよう関係在外公館に訓令した(前年度は二月初旬交渉開始)。
本米穀年度外米輸入計画の特徴としては、普通外米の需要量は固定してきたため、内地産米事情とは切り離して考慮する必要があったこと、および六〇年以降輸入していないもち米を買付けることになったこと、が挙げられる。一方、相手国側は前年度に引続いてアジアの米消費国の買付が旺盛であり、これら諸国のわが国との貿易の不均衡を是正するため諸産品の買付増加要請を依然固執したが、米についてはそれほど強い買付要請を行なわなかった。
従って、交渉は数量、価格その他の点に関しては、従来に比し順調に進捗し、左記のとおり計一三万四、○○○トンを買付けることとして、円満に妥結した。
準内地米については、相手国の要請をまって検討することとなっている。
一九六三米穀年度普通外米成約実績 (単位千トン)
ビ ル マ うるち丸米 二五
もち丸米 二
タ イ もち砕米 六〇
もち丸米 二四
ヴィエトナム うるち砕米 五
もち丸米 五
カンボディア うるち砕米 五
計 一三四
本件取極交渉は、一九六二年二月からジャカルタにおいて行なわれていたが、同年八月十一日東京で大平外務大臣と来日中のスバンドリオ・インドネシア外務大臣により署名され、その日に発効した。
今次取極にもとづく綿糸布の輸出総額は約二、一六八万ドルで、このうち綿糸が六〇パーセント、綿布が四〇パーセントを占めている。
なお、一九五六年以降今回までの四回の取極による綿糸布の輸出総額は約五、九二四万ドルに達している。(「わが外交の近況」第六号二八三ぺージ参照)
最近の香港の工業化の進展は目覚ましいものがあり、これにともなって、わが国との通商関係にも種々の問題が生じている。例えば、一九六二年には、わが国梳毛糸の香港向け輸出が急増し、香港の発展途上にある毛紡績業界が危機に頻しているとして対日輸入規制を強く要求してきたほか、香港産トランジスター・ラジオの対米輸出急増傾向に対し、わが国が対米輸出協調を強く呼び掛けるなどの動きがみられた。前者については、わが国が自主規制を実施することで解決した。後者については、米国市場の大きさについて日本・香港間に基本的考え方の相違がある上、香港側が自由港の建前からあらゆる種類の輸出入規制に消極的であるため協議を行なうまでにはいたらなかった。
一九六二年八月、日英通商居住航海条約交渉の機会を利用して香港政庁の責任者を交えて討議することとし、このため、香港政庁カッパースウェート財務長官が来日して、日本・英国・香港の三者会談が開かれた。この会談では、日英条約に関連する問題が中心議題となったが、わが国の自主規制問題、日本・香港間の協調方策、綿製品長期取極問題など日本・香港間で懸案となっている一般通商問題についても腹蔵のない意見の交換が行なわれた。
この会談では、両国政府関係者の間では、日本および香港が常に競争者としてお互いを考えるべきではなく、むしろ双方には共通の利害関係があり、相互に協調してゆくべきであるという考え方が一層強くなり、とくに香港側はこの会談が有益な成果をあげたので、両国間官吏同志の接触を積み重ねることを強く希望した。この結果、一九六二年十二月初旬および一九六三年三月末の二回にわたり、東京で香港との通商会談が開催され、対米綿製品輸出問題など主として繊維問題に関する情報交換および討議が行なわれた。
わが国の大洋州諸国との貿易は、わが国が同地域から工業用原材料、食糧などを大量に輸入し、主として繊維、雑貨など軽工業品を輸出する貿易構造となっている。とくに近年は、わが国の高度な経済成長にともない原材料の輸入が活発であるので、貿易尻は恒常的にわが国の大幅な入超となっている。もっとも、一九六二年には豪州およびニュー・ジーランドに対する輸出が増加し、前年に比し四、三〇〇万ドル増の一億八、○○○万ドルとなったのに対し、輸入は前年比三、七〇〇万ドル減の四億九、三〇〇万ドルとなり、したがって入超幅は三億九、三〇〇万ドルから三億三、三〇〇万ドルに減少し、若干の改善がみられた。輸出増加の主な原因は、豪州向に繊維品(とくに綿織物)、雑貨類が、ニュー・ジーランド向に繊維品、鉄鋼などの輸出が好調であったことである。一方、輸入が減少したのは、同年わが国の経済調整を反映し、羊毛を筆頭とする原材料の買付が手控えられたことによる。
もっとも、わが国の大幅入超の状態は、依然変りなく、とくに対豪貿易は輸出一億三、九〇〇万ドルに対し、輸入四億三、五〇〇万ドルとなっており、なお三倍以上の入超となっている。このような片貿易を是正するため、今後は従来の軽工業品中心から重機械類に輸出の努力目標を切り換えて行く必要があろう。このことは、ニュー・ジーランドについてもほぼ同じことがいえる。
わが国の対米貿易は、一九五九年を除き戦後毎年、大幅な入超を続けており、特に一九六一年には為替統計で八億五、四〇〇万ドルの入超を記録したが、一九六二年には入超幅が六分の一に激減した。
すなわち、一九六二年の輸出額は一四億九、八○○万ドル、輸入額は一六億三、三〇〇万ドルで、入超額は一九六一年の八億五、四〇〇万ドルから一億三、五〇〇万ドルに減少した。これは輸出が対前年比三三パーセント増加し、輸入が一七パーセント減少したためであるが、商品別に見れば輸出についてはほとんどの品目について増加がみられ、特に対米輸出の上位三品目である鉄鋼製品、電気機械、綿製品の増加が目立ち、輸入についてはとくに鉄鋼原材料、綿花の減少がいちじるしい。
このように、一九六二年の対米貿易収支は前年に比しいちじるしい改善を見たものの、その理由としては、一九六二年にはわが国内の金融引締政策により投資意欲がそがれたこと、前年の大量輸入により在庫拡充がなされたことなどによる輸入の減少、他方、国内景気の下降にともない輸出圧力が強まったことによる輸出の拡大などわが国経済の短期的な動向に起因するものが大きく、必ずしも輸出秩序の確立、新規市場の開拓などの努力によってもたらされたものとはいいがたく、したがって今後の対米貿易の動向については必ずしも楽観を許さないものがあるといえよう。
(1) 議会の動き
一九六二年の第八七議会第二会期では、軽量自転車の現行関税分類を変更し、一部の輸入自転車の関税を引上げることを目的とした法案が両院を通過したが、大統領の拒否権発動によって不成立に終った。
また、ある種の輸入ゴム履物(主としてわが国から輸出されている)の関税引上げを目的とした法案、合板の輸入制限法案、合板の関税引上げ法案などが審議されたが、いずれも成立するにいたらなかった。
なお、一九六二年十月に成立した通商拡大法は、下院および上院の審議の過程で多くの保護主義的な修正が加えられたが、そのうちわが国にとって特に関心の強い条項は、「水産資源の保護に関する特別規定」(バートレット上院議員提案)である(詳細は別項二〇八ぺージ参照)。
水産物関係では、右のほか、公海において網を使用して鮭をとることを許している国からの鮭の輸入を禁止する法案ならびに東太平洋におけるキハダ鮪の資源保存のための漁獲量制限に協力しない国からの鮪の輸入を禁止する法案などが提出されたが、前者は審議未了となり、後者は一九六二年十月に成立した。
一九六三年の第八八議会第一会期においては、三月末までにえびの国別輸入数量制限法案、えびの輸入関税引上げ法案、米国の衛生基準以下の貝類の輸入禁止法案などが提出されている。
(2) エスケープ・クローズ(免責条項)調査
免責条項とは、関税引下げにより、輸入が米国の産業に被害を与えるか、または与えるおそれがある場合に、大統領が、関税委員会の報告に基づいて、関税引上げ、その他の輸入制限をとることができる規定で、一九五一年の互恵通商協定法延長法に規定されており、一九六二年の通商拡大法には、類似の規定が関税調整(別項二〇九ぺージ参照)として設けられている。
一九六一年に関税委員会は野球グローブ、モザイク・タイル、板ガラス、ウイルトン・カーペットの四品目に対し、エスケープ・クローズを発動して関税を引上げるよう大統領に勧告を行なったが、一九六二年三月、大統領は、右四品目のうち野球グローブおよびモザイク・タイルの二品目については米国の国内産業に重大な損害を与えていないと判定して、同委員会の勧告を却下した。しかし、板ガラスおよびウィルトン・カーペットの二品目については同委員会の勧告どおりに関税引上げの措置をとった。(その結果、ウィルトン・カーペットの関税は約九割、板ガラスの関税は種類により異なるが平均約八割引上げられた。)(別項二四八ぺージ参照)
なお、関税委員会は、一九六二年五月米業界からの提訴に基づき、家庭用陶磁器に対するエスケープ・クローズ援用の調査を開始し、通商拡大法成立後も引続き同法のエスケープ・クローズ条項に基づき調査を続行している。
(3) ダンピング調査
アンティ・ダンピング法によれば、ある輸入商品が公正価格以下で販売され、しかも輸入により米国の産業に被害を与えるか、または与えるおそれがある場合にダンピング税を徴収できることになっており、価格が公正であるかは財務省が判定し、被害の有無は関税委員会が判定することになっている。
一九六二年米国財務省は、米国国内業者の提訴に基づき、わが国から輸入されているレーヨン・ラベル、白色セメントおよび電解マンガンの三品目に対し、アンティ・ダンピング法違反容疑の有無について調査を行なったが、いずれもダンピングの事実なしという判定を下した。
なお、一九六三年三月末現在までにダンピング容疑の提訴が行なわれ、調査中のものには、鉄鋼線材、溶接鋼管、熱延鋼板、二酸化チタン、白色セメント(前回とは、輸出業者が異る)の五品目がある。
(4) 国防条項に基づく調査
一九五四年の互恵通商協定法および一九六二年の通商拡大法のいわゆる国防条項によれば、ある商品が、米国の安全が害される量または状態で輸入されている場合は、大統領は、緊急計画局(OPE、以前は、民間国防動員局<OCDM>)の調査に基づいて、適当な措置をとることができることとなっている。
OCDMは、一九五九年以来、米国業界の提訴に基づいて、トランジスターおよびその製品の輸入について、国防条項に基づく調査を行なってきたが、一九六二年十月、「米国の安全を害する恐れはない」と判定し、提訴を却下した。
なお、綿、毛、絹などの繊維製品に対しても、一九六一年以来右と同様の調査が行なわれているが、これについてはいまだに判定が下されていない。
(5) 不公正輸入禁止条項に基づく調査
米国の関税法第三三七条によれば、ある商品が、特許権・商標権の侵害などの不正な方法で輸入が行なわれ、その結果米国の産業に重大な被害を与え、または与えるおそれがあるときは、大統領は、関税委員会の調査に基づいてその輸入を禁止できることになっている。関税委員会は、一九六〇年以来、わが国から輸入された硬貨入れ(セルフ・クロージング・コンテイナー)の特許権侵害問題について調査を行なっていたが、一九六二年四月特許権侵害の事実がありとして、その輸入禁止を大統領に勧告した。しかし、大統領は、米国産業に重大な損害を与えていないと判定し、これを拒否した。
(6) 関税評価の問題
米国の関税法の規定によれば、ある種の商品の評価額の決定にあたっては、輸出価格を基準とせず、輸出国の国内価格あるいは米国品の販売価格を基準として課税することができることになっている。
(イ) 関税法第四〇二条aによれば、一九五六年関税簡素化法に基づいて財務長官の発表した品目に対しては、関税局は輸出国の国内価額を評価基準とすることができることになっているが、この規定は運用の如何によっては多大の輸入制限的効果がある。現に、わが国から輸入されている真空管に対しては、FOB価格の約三倍にも達する評価を行なっている。
(ロ)米国の関税法の第三三六条によれば、外国産品と国内産品の生産原価の均等化をはかるため、大統領は、関税委員会の調査に基づき、関税率の五〇パーセント以内の増減を行なうこと、これでも目的が達せられないときは、輸入品と同種の米国産品のアメリカ国内での販売価格(ASP)を基準として課税ができることになっている。
米国はこれに基づき、ゴム履物、蛤罐詰、毛編手袋、タールおよびタール製品の四品目に対し、ASPを基準とする課税を行なっている。一般に米国品は輸出品よりもかなり高価なため、実際に徴収される関税はFOB価格に比して高率なものとなっている。特に近年わが国から大量に輸出されているゴム底布靴の場合は、FOB価格の六〇パーセントから一〇〇パーセントに相当する関税が徴収されている。
このような米国の関税評価制度は、米国の国内産業の保護に偏した旧時代的制度とされており、貿易自由化の理念に反するものであるので、わが政府としても適当な機会があるごとに米政府の善処を求めている。
(7) 毛製品の輸入制限の動き
最近米国では毛製品に関する輸入制限運動が活発化しており、特に米国の業界は、綿製品国際取極と同様な国際取極を毛製品についても締結することを考えている模様である。
これに関し、ケネディ大統領は、一九六三年二月二十一日「毛製品の輸入量は国内生産量の二パーセントに達するのではないかといわれており、特にセンシティヴな(影響が起きやすい)問題であるので米政府は昨年から毛製品の輸入制限につき種々討議を行なっている」と述べた。わが国としては、毛製品輸入制限の動きを注視している。
(8) バイ・アメリカン(米国品優先買付)政策の強化
なお最近の傾向としては、米国の連邦政府ないし州政府のバイ・アメリカン政策が強化されており、見逃すことはできない問題となっている(詳細はつぎの項3参照)。
(9) その他の動き
以上のように、一九六二年から一九六三年三月にかけて、いろいろな輸入制限の動きがあったが、今後も関税一括引下げ交渉ないしはドル防衛対策との関連で、保護貿易主義の抬頭、行政府に対する米業界の圧迫などが強まることも考えられる。政府としては、このような輸入制限運動の活発化を防止し、長期的な対米輸出の振興をはかるために、輸出秩序の整備強化に努めており、他方、外交機関を通じて米政府と意見の交換を行ない、また米議会、業界団体などとの接触や米国市場の調査、米国民に対する広報活動を行なっている。
(1) 一九六二年の米国の国際収支は、国内景気の好況などにより輸入が激増し、第三・四半期には一六七億ドルと史上最高の輸入を記録したため、貿易収支の黒字が前年の五一億ドルから四八億ドルに減少し、総合収支では前年二四億ドルと大差ない二二億ドルの赤字となった。一九六三年に入っても、第一・四半期には目立った改善を見せていない模様で、ほぼ前年なみの赤字を出すのではないかと見られている。このような事情のため、米国の金流出は依然衰えず、一九六二年一月には、一六八億ドルであった金保有量は、六三年一月には一六〇億ドルに減少しており、六一年以降ドル価値の維持のために、西欧諸国と協調して米国がとった措置(為替市場介入操作、二国間スワップ取極、金プール制度など)もあまり顕著な効果を見せるにいたらず、ドル危機は依然続いている。このような背景の下に、バイ・アメリカン政策は、一九六二年においてつぎの各項に述べるような進展を見せている。
(2) 国防省は、一九六〇年末以降、国防長官の指令により、海外駐留軍人、軍属の同伴、家族の削減、米軍および軍事援助計画用物資の海外調達の削減、歳出外資金機関(政府予算によらないで利用者の会費、業務運営の利益金などにより運営される機関をいう。軍売店、クラブ、食堂などがその主なものである。)の外国品購入削減などの措置を実施してきた。一九六二年七月十六日マクナマラ国防長官は、このような措置の実施にもかかわらず、一九六二米会計年度には国防予算から約二〇億ドルが海外へ支払超過になるものと見られるので、この赤字を一九六三年度には一六億ドルにとどめ、六六年度にはさらに一〇億ドルに押えるため、バイ・アメリカン政策の強化に関する一連の措置を採用する旨を発表した。そのうち、即時実施に移されたものは、つぎの諸施策である。
(イ) 米国で物資、役務を調達した場合の価格(運賃、取扱費用を含む。)が、外国でこれを調達した場合の価格よりも五〇パーセント高以下であるときは、原則として米国品を使用する。(従来は、基準価格差は二五パーセントであった。)
(ロ) 契約一件一万ドル未満の調達には、すべて米国品を買付ける。
(ハ) 例外を認める場合はすべて国防長官の許可を必要とする。
(3) 一九六二年九月二十日チェンバレン下院議員(ミシガン州選出、共和党)は、一九六三年対外援助歳出法のうち軍事援助の項に「軍事援助資金は海外からの自動車の調達に使用してはならない」旨の修正を提案した。米軍事援助資金によるわが国の自動車の輸出は、年平均約四、○○○万ドルにのぼっており、これが突然打切られれば特需収入に及ぼす影響が大きいのみならず、関連企業は設備の遊休化と過剰人員の出現などの打撃を受ける結果となるので、わが国は、九月二十四日開催された大平・ラスク会談において米側に善処を要望するなど、できるかぎりの手段を講じた。しかし、チェンバレン修正条項を削除させるのにいたらず、十月二日本法案は可決、成立した。なお政府としては、その後においても、この問題についての米国政府の善処を機会あるごとに要望している。
(4) 一九六〇年のハーター国務長官の指令によって、AID(国際開発庁)資金による域外調達は、原則として日本を含む先進一九カ国(のち二国が追加され、一国が解除されて現在二〇カ国)からは停止されることとなった。従来わが国がAID資金により輸出していた商品は、セメント、肥料、金属製品、化学繊維製品などが主なもので、特に肥料、セメントなどは、AID輸出の占める比率が高かったので、大きな影響を受け、また、上記諸商品を安価にかつ継続的に供給し4る能力を有しているわが国からの買付を停止することは、AID資金の効率的運用ならびに受入国の便宜という点からも好ましくない。よってわが政府は、一九六二年一月来日したハミルトンAID長官に対する申し入れを始めとして、機会あるごとに米政府の善処を要望した。しかし、一九六二年度には、AID資金により輸出したものはパキスタン向け尿素肥料程度にとどまり、東南アジア諸国の同資金による通信機などの場合には、わが国が一番札をとりながら受注できなかった例が見られた。
(5) 米国の連邦政府による公共事業のための調達については、一九三三年のバイ・アメリカン法により、公共の利益に反するか、または価格が外国産品に比して不当に高いと認められる場合のほかは米国品を使用することとされており、米国品が外国品に比して六パーセント以上高い場合(労働長官の指定した失業率の高い地域で年産された米国品については、外国品より一二パーセント以上高い場合)を不当に高いと認めることとされていた。一九六二年には、この規定の適用を強化しようとする動きが見られ、そのため、つぎの二つの方法がとられた。その一つは、政府関係機関がその調達に当って、現在までの適用ぶりに比してより厳格な米品優先の態度をとろうとしていることである。これにより、金属製品、機械類について対米輸出機会が失われた例がみられた。他の一つは、議会に米国品と外国品との価格差の限度を二五パーセントにしようとする法案が提出されていることである。
つぎに、各州政府の行なう公共事業のための調達は、各州政府の定める条例に基づいて実施されている。以前からカリフォルニア州には、外国品の使用を禁止する条例があり、またテキサス州でも道路建設用資材に外国品を使用することを禁止した条例がある。(ただし、一九六二年両州の裁判所は、このような条例を違憲とする判決を下している。)さらに、一九六二年、コロラド、オハイオの両州で、外国品の使用を禁止する同じような条例案が州議会で提案されたが、これは否決された。また、一九六三年一月にはオレゴン州で、同じような条例案が提出され、現在同州議会で審議されている。
(1) 輸入綿製品に対する賦課金問題
ケネディ大統領は関税委員会に対し、一九六一年十一月二十一日、農業調整法第二二条に基づき輸入綿製品に賦課金を課する必要の有無についての調査を命じた。米国は、綿花の国内価格支持、過剰生産の抑制、輸出補助など各種の農業調整計画を実施しているが、国外からの綿製品の輸入の増大によって、これら諸計画の効果が失われたり、あるいは米国の綿製品の生産が減少することを防止するため、綿花輸出補助金「一ポンド当り八・五セント」に相当する輸入賦課金を綿製品に対して課するかどらかを決定するのが、この調査の目的であった。輸入賦課金が課せられれば、わが国の対米綿製品輸出(一九六二年の輸出額約八、九〇〇万ドル)は平均約一〇パーセント程度関税が引上げられたのと同じ影響をうけ(影響の度合いは商品によって異なるが、二〇ないし四〇パーセント程度の値上りとなるものもあるといわれる。)、その打撃は少なくないと考えられた。
よって、政府は、賦課金が課せられることにならないように、ワシントン、東京およびジュネーヴなどで機会あるごとに米政府の善処を強く要請するなど、この問題の円満な解決に努力した(「わが外交の近況」第六号二七一ぺージ参照)。この間、関税委員会は、一九六一年十一月二十二日に調査を開始し、一九六二年二月十三日から同二十三日まで利害関係人の意見を聞く公聴会を開くなど調査を行なったが、一九六二年九月六日にいたり、賦課金を課する必要はない旨を大統領に報告した。その後米国内では、国内綿製品業者などに補助金を支給するなどして、綿花の二重価格制度を実質的に解消し、国内の綿製品業者が海外の業者と同じような価格で綿花が入手できるようにしようとする動きがでている(別項二五四ぺージおよび二五八ページ参照)。
(2) 日米綿製品交渉
わが国は、一九五七年から綿製品の対米輸出について自主規制を行なってきた。一九六一年九月には「綿製品の国際貿易に関する短期取極」が締結されたので、同年十月、同取極の「一国間取極」を認める規定に基づいて、米国との間に一九六二年度(一月-十二月)の綿製品の対米輸出を制限する取極を締結し、同製品の対米輸出の秩序と安定ある成長をはかってきた。その後、一九六二年十月から「綿製品の国際貿易に関する長期取極」が発効したので、一九六三年一月からの綿製品の対米輸出については、同長期取極に基づいて、日米間で合意されることとなっていた。
ところが、米国側は、一九六三年一月一日付で、前記長期取極第三条の「市場かく乱を除去し、または回避するための協議」の規定を援用して、わが国の対米綿製品輸出の大部分を占める三六品目(この外に六二年来話し合われていた三品目があり、またその後一品目が追加された。)の輸出規制について協議に入ることを要請してきた。第三条の規定による場合は、輸入国側に有利な立場を与えており、また協議がととのはない場合は、輸入国側が一方的措置をとることも認めており、わが方にいちじるしく不利となるものであった(長期取極の内容の詳細については別項二五五ページ以下参照)。
前記の米側要請に対し、わが政府は、三六品目中四品目を除いては、米国内で市場かく乱を起し、または起すおそれがあるとは認められず、長期取極第三条を援用する根拠が十分ではないことを強く主張し、交渉は難航した。しかし、同年三月十九日にいたり、米国側は、長期取極第四条に基づく二国間取極の交渉に入ることを提案してきたので、両国は、改めて同提案にしたがって交渉を行なっている。
(1) 米国海事法改正法
(イ) 一九六一年十月成立した米国海事法改正法(ボナー法)は、二重運賃制(定期航路運賃の安定をはかることを目的とし、同盟船のみを使用することを約束した荷主に対しては、普通よりも一割前後低い運賃を適用する制度)を一定の条件のもとで合法化したものであるが、他方、同法は、国際海運活動、とくに海運同盟の活動に対する米政府の規制を従来よりも一層強めることを目的としたものであった。よって、日本政府は、同法の成立直後米政府に対し、同法の実施に当っては海運慣行を十分尊重するよう申入れた。ところが、同年十二月、海事法の実施機関であるFMC(連邦海事委員会)は、改正法の施行規則の一つとして「運賃届出に関する規則案」を発表した。その案は、右のような日本側の要望にもかかわらず、国際海運活動を過度に制約し、海運業者の負担をいちじるしく増大させるきわめて煩瑣な内容のものであったので、日本政府は一九六二年二月米政府に対し、FMCがこの規則を制定するに当っては利害関係者の意見を十分考慮し、国際海運活動を一国政府が一方的に規制することの弊害を極力避けるように要望した。
(ロ) FMCは右の規則案のほか、一九六二年三月には「二重運賃制に関する規則案」および「同盟の自己監視機関に関する規則案」をそれぞれ発表した。しかし、これらの規則案においても、航路安定の手段である二重運賃制の効果を減殺し、または海運業者の自主的な自己監視制度に対しFMCの支配を及ぼさせようとする内容が含まれていたので、日本政府は、これらの点につき米側の再考を促すため同年五月米政府に対し申し入れを行なった。
(ハ) その結果、FMCは、一九六三年一月「自己監視機関に関する規則案」については、同盟の自己監視能力を信用するとの理由によりこれを撤回するにいたった。また「二重運賃制に関する規則案」については、一九六三年一月、当初の規則案に代るものとして新規則案が発表されたが、これは旧規則案に比べれば多少改善された点はあるとはいえ、二重運賃制の効果を阻害するような規定が少からず残されていたので、日本政府は、同年二月再考を促すため、米政府に申入れを行なった。なお、FMCは、「運賃届出に関する規則案」については、一応原案に沿った線での制定を取り止めて、目下新規則案を準備中であるといわれる。
(2) 日米海運会談
米海事法改正法の運用、その他日米航路に関する諸問題について話合うための日米両国政府間の会談は、米側はFMC(連邦海事委員会)のステイケム委員長、また日本側は朝田運輸事務次官をそれぞれ代表として、一九六二年七月十一日から三日間東京で行なわれた。議題には、(イ)日米航路の安定、(ロ)米海事法改正法の運用、および(ハ)海事委員会の外国海運業者に対する米国外所在文書の要求問題、の三点がとり上げられた。会談の結果、(イ)日米航路の安定確保のために日米両国政府はできるかぎり協力すること、(ロ)改正海事法の運用は国際海運慣行を考慮して慎重になさるべきこと、の二点については合意をみたが、文書要求の問題については結論を得るにいたらなかった。なお、本件会談は、毎年定期的に開催して、日米間海運問題について相互理解を深めることに合意をみた。
(イ) 日米航路の安定。日本側から、最近日米航路が盟外船の活動で混乱しつつある点を指摘し、米政府においても同航路の安定確保に尽力するよう要望した。これに対し、米国は、この問題についてはできるかぎり日本政府と協力したい、と述べた。
(ロ) 米海事法改正法の運用。日本側から、米海事法改正法の運賃規制に関する条項は国際海運活動の円滑な遂行を阻害するおそれがあるので、速かに是正さるべきことを主張した。これに対し、米側は、同条項については国際海運慣行をも考慮してその運用を慎重にするが、なお他の諸外国からの意見もあるので、それらをFMCの意見とともに明年の議会に提出する予定である、と述べた。(FMCの第一次的な意見は、一九六三年一月に議会へ提出されたが、海事法の最も本質的な問題である運賃規制、米国外所在文書の提出などについては何ら触れておらず、わが国を初めとする海運国に失望を与えた。)
米国は、一九三四年に制定され、その後更新されてきた互恵通商協定法により関税の引下げを行ない、世界各国との貿易の拡大をはかってきた。一九五八年に更新された同法律は、一九六二年末に満了することになっていたが、ケネディ米大統領は、最近の世界経済情勢の変化、とくに(イ)EEC(欧州経済共同体)の発展、(ロ)米国の国際収支に対する負担の増加、(ハ)米国の経済成長を促進する必要の増大、(ニ)共産圏の援助および貿易攻勢の激化、(ホ)EECの結成にともない日本および低開発国に対する市場確保の必要の発生、などに対処するためには、従来の互恵通商協定法では十分ではなく、もはや時代おくれになっているとして、一九六二年一月二十五日画期的な内容をもつ通商拡大法案を議会に提出した。
同法案は、関税引下げに関する権限およびそれにともなって国内で発生する悪影響に対処する権限を大統領に付与するものであるが、若干の修正を受けたのち、同年十月四日議会を通過し、十月十一日ケネディ大統領が署名して、その効力が発生した。
通商拡大法の主要点は、つぎのとおりである。
(1) 関税を引下げるため通商協定を締結する権限を与えており、同権限は、五カ年間有効な一般権限と特別権限からなっている。
(イ) 一般権限によれば、大統領は、一九六二年七月一日現在の税率の五〇パーセントまで関税を引下げ、また、現行税率が五パーセント以下の品目については関税を零にすることが、それぞれできることになっている。
(ロ) 特別権限としては、つぎの三つの権限が付与されている。(a)米国とEECとの輸出額をあわせて世界輸出額(EECの域内輸出および共産圏貿易を除く。)の八○パーセント以上を占める品目については、関税を零パーセントまで引下げることができる。(しかし、この権限は、英国のEECへの加盟の挫折により当面その実質的意味を失なった。)(b)特定の農産物については、大統領がEECとの協定により、米国の農産物の輸出を維持、拡大することに役立つと考える場合には、このような農産物の関税を零にまで引下げることができる。(c)熱帯農林産物についても、一定の条件の下に関税を零にまで引下げることができる。
さらに、同法律は、関税引下げについてつぎのような規定を設けている。
(イ) 関税引下げ交渉に入る前に行なら手続((a)関税委員会へ通告し、六カ月以内に行なうことがある同委員会の勧告を受ける。(b)関係各省から意見を徴取する。(c)公聴会を開催する。)
(ロ)関税引下げ交渉の対象から除外される品目<リザーブ・リスト>((a)旧法の免責条項<別項一九八ぺージ参照>により措置がとられた品目、(b)関税委員会により、輸入による被害があると判定された品目、(c)この法律により関税調整が行なわれた品目、(d)その他大統領が必要と認めた品目)
(ハ) 共産主義諸国の産品に対しては、関税引下げの利益を与えない。
(ニ) 米国品に対し不当な輸入制限を課した国に対しては、輸入制限を課したり、関税引下げの利益を与えないことができる。
(ホ) 漁業資源保護のために協力しない国からの魚類に対しては、関税を引上げることができる。
(ヘ) 関税引下げは、原則としてすべての外国品に対し適用される(最恵国待遇の原則)。
(2) つぎに関税引下げにともなって国内で発生する悪影響に対処するため、つぎのような権限が与えられている。
(イ) 関税委員会が、輸入の増大により重大な被害があると判定した場合は、一九三四年七月一日現在の税率の五〇パーセントまで、関税を引上げることができる(関税調整)。
(ロ) 米国の安全を脅かすと認められる場合は、必要な輸入制限を課することができる(国防条項)。
(ハ) 連邦政府は、国内産業に対し、技術援助、財政資金援助、税制上の救済を与え、また、労働者に対しては、産業調整手当、訓練、移動手当を与えることができる(調整援助)。これは、旧互恵通商協定法にはない救済手段で、この法律で注目される点の一つである。
(ニ) 関税調整の代りに、問題となっている商品の対米輸出規制について輸出国と国際協定を締結し、これに基づき、この協定の当事国およびそれ以外の国からの商品の倉入れ、倉出しを規制する規則を定めることができる。
このように、通商拡大法は、関税障壁の大幅な除去による貿易拡大をはかるものとして画期的なものであるが、この法律の現実の適用如何は、単に日米貿易関係のみならず、今後の世界経済に重大な影響をもたらすものとして、わが国としても多大の関心を抱いている。
日米間の貿易経済関係を一層緊密化し、かつ両国の経済閣僚が相互に直面する諸問題につき理解を深め、今後の経済貿易問題に関する政策の決定に資することを目的として、一九六一年に設置された日米貿易経済合同委員会の第二回会合は、一九六二年十二月三日から同五日までワシントンで行なわれた。会議には、日本側から大平外務大臣を初め田中大蔵、重政農林、福田通産、大橋労働の各大臣および宮沢経済企画庁長官、米国側からラスク国務長官を初めディロン財務、ユーダル内務、フリーマン農務、ワーツ労働の各長官、ヘラー大統領経済諮問委員会委員長およびグードマン商務次官が出席した。
第二回委員会では、議題として次の七つがとり上げられた。
(1) 日米経済の現況と見通し
(2) 日米両国の財政金融および国際収支事情
(3) 日米両国の経済成長
(4) 日米間の貿易の拡大と経済関係の促進
(5) 国際経済貿易関係の傾向
(6) 低開発諸国の経済開発の諸問題
(7) その他
以上の各議題につき活発な意見の交換と自由討議が行なわれた結果、日米両国の貿易経済関係についての相互理解が深められ、今後の両国関係の一層の緊密化に資するところが大きかった。
なお、委員会の第三回会合は、一九六三年後半に日本で開かれることになっている。
わが国の対カナダ貿易は、戦後毎年入超を続けているが、一九六二年に入ってからは、わが経済界の輸出意欲の増大と、国内の設備投資の一巡、景気調整の影響による輸入の頭打ちなどにより、輸出入の比率は若干ながら好転した。すなわち、一九六一年は、通関実績で輸入は二億六、六〇〇万ドル、輸出は一億一、七〇〇万ドルと、入超額は一億四、九〇〇万ドルに達したのに対し、一九六二年には、輸出が一億二、六〇〇万ドルと前年比七・七。パーセントの増加を示し、他方、輸入は二億五、五〇〇万ドルと前年比四・一パーセントの減少を示したため、入超額は一億二、九〇〇万ドルと前年に比し、二、○○○万ドル減少した。主な輸入品は、一億ドルに達する小麦のほか、亜麻仁種、鉄鉱石、石綿、石炭、銅などの工業原材料品である。他方、主な輸出品は、繊維、ラジオなどの消費物資であり、鉄鋼などの資本財の輸出も近年徐々に増大しつつある。しかし、この輸出総額の約三分の一に対しては、カナダ側の要請により、わが方で輸出自主規制を行なっており、これら消費物資の大幅な輸出の伸張は抑えられている。
今後わが国として対加輸出の拡大をはかるためには、輸出商品の多様化、とくに、重工業製品の輸出に努力をはらう必要があろう。
(1) わが国の対加輸出品に対するカナダ側の輸入制限運動は、同国経済成長の頭打ちにともなう失業増大を背景に激化している。わが国商品の進出により影響を受けた国内産業は、カナダ政府に働きかけ、わが方の輸出規制を要求しており、その結果、繊維製品、金属洋食器、ゴム靴、ポリエステル・ボタン、ビニール・レインコート、トランジスター・ラジオ、真空管および合板が両国間の協議の対象とされてきた。
一九六二年のオタワでの日加政府間交渉では、カナダ経済の立ち直りをいかに規制枠に反映させるかについて双方の意見が分れたが、金属洋食器を除き、同年四月二十五日、双方の合意をみた。金属洋食器に関しては、過去の規制枠の削減、カナダ業界の不振などの理由により折衝は難航したが、八月カナダから政府担当者が来訪し、漸く意見の一致をみた。また、同時に、綿製品の国際長期取極の規定に従って、綿製品の一九六三年以後の輸出を漸増させることにつき意見が一致した。
カナダは、わが国がカナダ側の規制要求に応じないときは、関税賦課上の任意評価権(輸入が国内産業に被害を与え、または与えるおそれがある場合、その輸入品の関税賦課の価格を任意に高額に評価できる制度)を発動するとの態度をとっているが、わが国としては、秩序ある輸出の実施につとめ、任意評価権の発動を回避し、話合いによって問題の解決をはかりたいと考えている。しかし、現在までのところ、わが国の輸出産品に対し、任意評価権が発動されたことは一件もない。
(2) カナダ政府は、一九六二年六月、金ドル準備の急激な減少に対処するため緊急経済措置を講じた。その一環として、総輸入額の半額を占める消費財または国内生産がある資本財に対し、五パーセントないし一五パーセントの輸入付加税を課したが、消費財を中心とするわが国の対加輸出品は、その八割がこの付加税の対象となった。その結果、わが国の対加輸出は、有形無形の被害を受けることとなった。
政府は、この輸入付加税、なかでも輸出規制品目に対する付加税はわが国の輸出に二重の負担を課するものであるとして、カナダ政府の善処を強く要望してきた。しかし、カナダ政府は、その後金ドル準備が回復し、またわが国を含む関係各国政府からの申入れもあったので、一九六三年三月三十一日、その全面的撤回を発表した。
(3) カナダ政府は、伝統的に輸入品のダンピング問題に強い関心を示しているが、近年、わが国の対加輸出品のなかには、ダンピング容疑により、カナダ政府による公正市場価格の調査を受ける商品が増加している。
この調査は、在日カナダ大使館の調査官がわが国で国内販売価格などの調査を直接行なうものであり、一九六二年中に、カナダ国税省が調査を行なうこととしたものは、綿二次製品、鉄鋼製品、スポーツ用品など二九品目にのぼっている。
わが国としては、輸出秩序の確立をはかるため、価格の面でも安定した輸出取引の実現に努めることが必要であろう。
日・加両国は太平洋をはさんだ隣国として、またともに自由陣営の一員として近年急速にその関係を密にしてきたが、一九六一年六月池田総理がカナダを訪問した際、ディーフェンベーカー首相との間に日加閣僚委員会の設置について次のとおり合意された。
両首相は、重要度を加えつつある日加関係にかんがみ、日加閣僚委員会を設けることに意見の一致をみた。この委員会は、交渉のための組織ではなく、両国の閣僚間に貴重な接触の手段を与えるものである。この委員会は、両国閣僚が随時お互に訪問して、特に経済の分野で共通の利害ある事項について意見の交換を行ない、お互いに問題に通暁するためのものである。
この合意に基づく第一回会合は、一九六三年一月十一日、十二日の両日、外務省で開催された。日本側から大平外務大臣を初め、田中大蔵、重政農林、福田通産の各大臣および宮沢経済企画庁長官が出席し、カナダ側からフレミング法務大臣(前大蔵大臣、前OECD<経済協力開発機構>閣僚理事会議長)、マクリーン漁業大臣のほか、ロバートソン外務、ロバーツ通商、シム国税の各次官が出席した。
第一回委員会の議題は、つぎの五つであった。
(1) 日加両国経済の現状と見通し
(2) 日加貿易経済関係
(3) 国際経済動向
(4) 漁業問題
(5) その他
委員会では、これら議題をめぐって、日加両国政府の関係閣僚が、共通の関心を有する諸問題について、忌憚のない意見の交換が行なわれ、両国間の相互理解の増進のため画期的な成果をおさめた。
わが国の対ラテン・アメリカ貿易は、過去数年一応順調に伸びてきたが、一九六二年には輸出入の両面で縮少した。すなわち、ラテン・アメリカ二二カ国に対する輸出は、一九六一年には三億二、九〇〇万ドルにのぼったが、一九六二年には三億二、八○○万ドル(前年比○・ニパーセント減)にとどまり、また、輸入は、一九六一年の四億七、七〇〇万ドルに比し、一九六二年には四億七、一〇〇万ドル(前年比一三・四パーセント減)であった。
一九六二年の対ラテン・アメリカ貿易の一般的傾向としては、中米・カリブ海地域に対する輸出がいちじるしく伸びた。しかし、ブラジル、アルゼンティン、チリなどの南米諸国では外貨保有状況が悪化したため輸入制限措置がとられ、その結果、これら諸国の輸入が全体として減少し、また、わが国からの輸出も僅かながら縮少した。とくに、ブラジルの場合には、ウジミナス製鉄プラント工事の発注が一段落をつげたため輸出が激減したものとみられている(前年比四、二〇〇万ドル減)。
わが国とラテン・アメリカ諸国との貿易関係をみると、恒常的出超国と恒常的入超国との別がようやく明らかになってきているので、わが国としては、今後それぞれの国とのこのような状態に従って、対策をたてる必要があろう。
さらに、わが国として今後注目すべき現象は、ラテン・アメリカ諸国の工業化に伴う輸入構造の変化である。特に中米共同市場とラテン・アメリカ自由貿易連合(LAFTA)の二つの経済統合、「進歩のための同盟」計画による開発の進捗には注目すべきものがある。
一九六二年のわが国の対西欧(英国およびアイルランドを含む。)貿易額は、通関統計で輸出六億八、○○○万ドル、輸入六億ドルで、それぞれ前年に比し二八パーセントおよび九パーセント増加した。また、この貿易額のわが国貿易総額に占める割合は、輸出で二二・五パーセント、輸入で一一パーセントとなり、対西欧貿易の比重は、逐年着実に増大していることを示している。
この増勢は、日欧経済それぞれの成長ぶりを反映するものであるが、対日差別制限撤廃を中心とする対欧貿易関係の調整が進展したことによるところも多いと考えられる。品目別にみると、わが国の対西欧輸出では、依然として繊維品、魚缶詰、鯨油などが上位を占めているが、軽機械類の上昇が目立っており、また、対西欧輸入では、わが国の自由化が拡大した結果、重化学工業製品が増加した。
政府が差別制限撤廃への努力を継続した成果として、特に英国、ベネルックス経済同盟加盟三国およびフランスがわが国との間で多年の懸案であったガット第三十五条の対日援用(別項二四〇ぺージ参照)の撤回に踏み切ったことは、わが国の対西欧通商関係の友好的発展に一時代を劃すものであり(英国については次項参照)、同時に、統合化を着々進めているEEC(欧州経済共同体)の対日通商政策の統一化に対しても、好い影響を及ぼすものであろう。
このように、西欧諸国の日本に対する差別的輸入制限撤廃が進むに従って、日本産安値商品の輸入激増に対し、ますます神経過敏になっていることもまた事実である。ことに日本産ホットコイル、アルミ地金、フェロ・アロイなどの金属素材、洋傘、金属洋食器、家庭用ミシンなどに対しては、市場かく乱の非難の声が聞かれ、フェロ・アロイに対しては西独ではダンピングの判定を下すなどの事例も発生した。これらの事例の場合、西欧諸国の主張は必ずしも正しい場合ばかりではないとしても、わが国としては、日本品に対して神経質な西欧市場に対する進出には、常に慎重な態度で臨むことが必要であり、さもなければ、せっかくわが国産品に対し門戸が開放されつつある西欧市場への輸出もその前途が危ぶまれることにもなりかねない。従って、政府は、現地事情を適確に把握し、有効な輸出の秩序を確立するよう努力している。
わが国の対英輸出は、一九六一年の一億一、四六六万ドルから、一九六二年には一億九、二三五万ドルと六七・六パーセントの大幅な増大を示したが、対英輸入も一九六二年には一億四、五七七万ドルと一九六一年に比して六・三パーセントの増大を示した。他方、貿易尻は、一九六一年には、二、二四四万ドルの入超であったが、一九六二年には、四、六五八万ドルの出超となった。一九六二年の大幅な輸出増は、さけ・ます缶詰、カメラをはじめとする光学機械その他の軽機械類、および船舶などの輸出が増大したことによる。
わが国は従来、毎年の貿易取極交渉により日英両国間貿易の増大をはかってきたが、一九六三年五月には、両国間に通商居住航海条約が発効するはこびとなり、一部の品目を除いては、従来永年存続していた対日輸入差別はすべて撤廃されることとなったので、将来わが国の対英輸出はいちじるしく増大することが期待される。
また、対英輸出に関して、一九六一年十二月の貿易取極の結果、わが国の主要輸出関心品目の一つであるカメラが自由化されることとなったが、その際、将来有望な英国市場を過当競争によりいたずらにかく乱することがないように、わが方はその対英輸出につき「エージェント方式」を採用することとした。この方式は、日本側がその対英輸出に当り、一メーカー(製造業者)=一輸出業者=一輸入業者という系列を示すソール・エージェント(単一代理店)契約を締結している者のみに輸出を認め、秩序ある輸出を維持しようとするものである。この方式の採用は、英国業界のわが国輸出体制に対する信頼を高め、また、輸出秩序確立のための一方式としてわが国内でも注目されるにいたっている。なお、この方式はラジオ、テレビ、ミシン、双眼鏡、漁網などが自由化されるときにも採用される予定である。
(1) ベネルックス三国とのガット第三十五条の対日援用撤回交渉(別項二四〇ぺージ参照)
わが国とベネルックス経済同盟(オランダ、ベルギーおよびルクセンブルグの三国)との間の貿易は、一九六〇年に締結された通商協定により円滑に拡大への道をたどっているが、三国によるガット第三十五条の対日援用問題はなお懸案として残っていた。その後、ベネルックス三国政府は、一九六二年十一月口上書をもってわが政府に対し、対日援用撤回のための交渉に入る準備ができた旨通報するとともに撤回の条件を提案してきた。条件については、池田総理大臣が訪欧の際同月下旬ベネルックス三国政府首脳との話合いの結果、原則的了解に達し、これに基づいて十二月十一日から東京で双方代表間で細目交渉に入った。交渉は順調に進み、本年二月にいたりベネルックス三国政府のガット第三十五条の対日援用撤回のための交換書簡、現行の通商協定を改正する議定書(双方がガット関係に入るにともない、現行協定に必要な改正を加えるもの)、日本とベネルックスとの間の貿易に関する議定書(いわゆるセーフガード<差別的緊急輸入制限>条項)および合意議事録の各案文について実質的合意に達し、同月十三日両国代表により仮署名が行なわれた。
セーフガード条項の内容は、現行協定第二議定書(「わが外交の近況」第五号一七二ページ参照)とほぼ同様である。ベネルックス側は、右合意議事録において、一九六三年六月までに開かれる貿易協議で、残存する対日輸入制限を実質的に削減するため特別の努力を払う旨約束している。
前記二議定書および交換公文の正式署名は、一九六三年の四月中に行なわれる予定である。その後、前記二議定書は各締約国の批准をまって発効し、同時にベネルックス三国によるガット第三十五条の対日援用が撤回されるが、これにより、わが国とベネルックス三国との経済的、政治的友好関係は益々強化されることはもちろん、EECの対日通商政策に対しよい影響を与えることが期待される。
(2) フランスとのガット第三十五条の対日援用撤回交渉(別項二四〇ぺージ参照)
一九六二年一月に締結されたフランスとの間の貿易取極は、同年九月三十日で有効期限が満了するので、日仏両国政府は、新らしい貿易取極を締結するため、同年九月から交渉を開始した。この交渉で、わが国は同年十月の九〇パーセントの自由化を取引材料として話合いを進めた。その結果、フランスの差別的対日輸入制限(ただし、フランスは、日本のみを対象として差別制限しているわけではなく、OECD<経済協力開発機構>加盟諸国および共産圏諸国を除くその他諸国に対して一律に自由化を行なっているので、正確には「その他地域に対する自由化とOECD諸国に対する自由化との差別」というべきであると主張しているが、フランスの差別制限品目は実費的に日本を対象とする工業産品が大部分である)は、それまでの二六六品目から一五三品目に縮少された。
つぎに、同年九月の大平外務大臣の訪仏に引き続き、同年十一月池田総理大臣が訪仏した際のポンピドー首相との会談で、フランス側は、ガット第三十五条の日本に対する援用を撤回する用意がある旨を初めて明らかにし、また従来から両国間の懸案であった通商航海条約を作成したい旨の提案を行なった。わが方は、これを了承し、フランスが制限品目を大幅に縮少することを条件として、わが国はセーフガード(差別的緊急輸入制限)条項を認めること、ならびに最恵国待遇の相互供与をうたった二国間の通商協定を作成することとなった。(通商航海条約のうち通商問題を除く規定は、長期間の交渉を必要とするので、通商協定の交渉とは切りはなして行ない、居住航海条約とすることとした。)一九六三年四月にクーヴ・ド・ミュルヴィル仏外相が来日した時、通商協定締結の問題がとりあげられ、同外相の帰国後も交渉が続けられた。
その結果、交渉は妥結し、同年五月十四日パリで萩原駐仏大使とクーヴ・ド・ミュルヴィル仏外相により、通商協定とセーフガード条項を規定した貿易関係議定書が署名され、また、輸入制限品目に関する書簡が交換された。また、同時に、北原駐仏大使館参事官とヘレンシュミット・フランス経済省対外経済関係部長との間で、一九六三年度の輸入割当てに関する書簡も交換された。
通商協定と貿易関係係議定書は、両国が所要の国内手続き終えたむねを通告したときに発効し、これと同時に、ガットの規定が日仏両国間に適用されることとなっている。
なお、従来の貿易取極にはフランス本国のほか、旧フランス領のアフリカ諸国も参加していたが、今回署名された通商協定は、フランスのみが当事国となっており、これらアフリカ諸国とは別途個々に貿易取極を結ぶこととなっている。
(3) ポルトガルのガット第二十五条の対日援用(別項二四〇ぺージ参照)
ポルトガルは、一九六二年五月六日ガットに加入するにあたりわが国に対し同協定第三十五条を援用した。これに先立ち、わが国は、ポルトガルの同条援用を回避するため一九六一年八月以来交渉中であったが、結局、妥結に達しなかった。しかし、ポルトガルとしてもわが国との貿易関係正常化の必要を認め、ガット第三十五条の対日援用を遺憾としているので、いずれ援用撤回の話し合いが開かれることになるものと期待される。
一九五九年の第十四回ガット総会の決定に基づき、ドイツ連邦共和国は、一九六二年末まで輸入制限の継続を認められており、一九六三年以降の取扱いについては、一九六二年十月下旬開かれる第二十回ガット総会で決定が行なわれることになっていた。よって、これに先だち主たる関係国であるわが国とドイツとの二国間協議は、同年八月十七日から九月十五日まで東京で行なわれた。その結果、一九六〇年五月二十七日に署名された両国間の協議に関する議定書に代る新しい議定書が、同年十月五日にボンで署名された。
新議定書の要旨はガット総会に報告された。その内容は、旧議定書で約束されたとおり、ドイツは(イ)双眼鏡および繊維製品の一部を一九六三年一月一日から、(ロ)家庭用ミシン、ライター、玩具、ならびに繊維の一部および陶磁器の一部を一九六五年一月一日から、それぞれ自由化することを確認し、これに加えて、(ロ)のうち陶磁器に対する全地域向け割当てを増加させることを約束している。
これにより、西独の対日差別制限品目数は、一九六三年一月一日現在二八品目(ブラッセル関税分類四桁)に縮少された(別項二四二ページ以下参照)。
前項日独ガット再協議と併行して、日独貿易協定に基づく両国間貿易の改善につき会談が行なわれた。また、一九六二年二月ジュネーヴで署名された綿製品の国際貿易に関する長期取極に基づき、新たにわが国綿製品のドイツ向け輸出に関する取極が同年十月五日ボンで署名された。
イタリアの対日輸入制限に関しては、一九六〇年十一月からガット第十六回総会の決定に基づいて行なわれており、日伊両国政府は、このため混合委員会を開き、自由化の促進をはかっている。一九六一年十一月東京で開かれた第一次混合委員会に引続き、第二次混合委員会は一九六二年三月ローマで開かれた。
同委員会では(イ)一二二品目の自由化、(ロ)対ドル地域割当への 均霑 、(ハ)一〇九品目について一、五二〇万ドルおよび綿製品二三品目について三〇〇トンの対日特定割当の設定、の三点が決定された。その後、同年十月に約一〇品目が自由化され、一九六三年初頭現在の対日輸入制限品目数は一八一となり、対ドルおよび旧OEEC(欧州経済協力機構)地域制限品目数六四との差は一一七となった。しかし、この差別数は依然、ドイツ、ベネルックス諸国などの西欧諸国の対日待遇に比し、相当多いので、同年三月ローマで第三回混合委員会を開き、一層の対日待遇改善を要求している。この交渉は、四月中にも妥結にいたる見込みである。
オーストリア産業代表団一行(別項二六八ぺージ参照)は、一九六二年五月十六日来日し、同二十六日離日するまで、東京および大阪においてわが国の繊維産業界および総合商社の代表者らと会談した。これら会談で、オーストリア側は、自国の経済と産業の現状についての日本側の理解を求め、完全雇用のため国内産業の保護が緊要であるので低価格国からの輸入に対しては防禦手段をとらざるを得ない立場について弁明し、日本の繊維産業の生産費、労働条件、賃金などについて質問を行なった。これに対し、日本側からは、詳細な資料を提供し、日本繊維製品の低価格は低賃金によるものでない点、総合商社の輸出における役割および生産性などについて説明した。そして、日本側が今後過当競争による安値売りは是正するよう努力すると表明し、今後も両国業界間の接触を緊密にして随時話合いを続け、ことに生産コストの資料などの交換を行なうことを約束したことは、オーストリア側に多大の好感を与えた。このように、両国の最高級の産業人の率直な意見の交換が行なわれたことは、その後に行なわれた日本・オーストリア貿易交渉にもきわめて良好な影響を与えたと思われる(別項一八五ぺージ参照)。
(2) 日独陶磁器業界会談(「わが外交の近況」第六号二七九ぺージ参照)
別項日独貿易会談の進行中、東亜風図柄の陶磁器の西独向け輸出問題について日独政府代表者間の意見調整の必要が生じたので、一九六二年八月末ドイツ側提案により日独業界会談を開催することとなり、急拠来日した西独業界代表者三名らとわが国業界代表者は、東京で会談した。その結果、東亜風図柄の定義中の大柄および全面図柄の解釈拡大、右にともなう見本追加ならびにそのための具体的な手続方法などについて合意をみた。
西独業界は、かねてわが国の西独向け合繊糸の輸出が激増しているので、その数量を制限するため日本側業界との会談を希望していた。その後、西独経済省からわが国に対し、右会談実現についてあっ旋を依頼してきた。よって、別項日独貿易交渉を機に、九月初旬大阪で両国関係業界会談を開催した。右会談で、日本側はドイツ側に対し詳細な資料を提出し、ドイツ側の事情を説明するよう要請したが、ドイツ側は、漠然と数量制限を主張するのみで、資料の提出を行なうにいたらず、未だ妥協点が見出されていない。
西独タイル製造業界は、二、三年来西独の対日モザイク・タイル輸入が激増したとの理由でこれまで二回業界代表を日本に派遣し、日本側業界代表と話合いを行なったが、要領を得なかったとして、西独経済省のあっ旋により正式に日独業界会談を申入れてきた。よって、一九六二年八月下旬東京および名古屋で、双方代表者は正式会談を行なった。しかし、同会談では、ドイツ側は、一方的な数量制限を要求し、これに固執したため妥結をみるにいたらなかった。
一九六二年五月、西独経済省は、日本製洋傘の輸入急増についてドイツ製造業界と日本業界との会談開催のあっ旋をわが方に依頼してきた。
わが方はこれに応じ、一九六二年八月下旬東京で業界会談が行なわれた。ドイツ側は、一部洋傘については輸出量の現状維持、他の一部洋傘については船積停止を要求したので、日本側は、このような一方的要求にはそのまま応ずることができないとして妥協に努めたが、遂に結論を見ず、物別れのかたちとなった。その後同年十一月、生産性本部派遣の洋傘視察団が西独を訪問した際、第二回目独業界会談を行なう予定であったが、ドイツ側がこれに応じなかったため、何ら正式な話合いは行なわれず、現在未解決のままになっている。
一九六二年十月、西独業界は西独に輸入される本邦産フェロ・マンガンおよびフェロ・クロームにダンピング容疑があるとして、西独政府に審査を申請した旨西独経済省からわが方に知らせてきた。わが方では、その対策として、日独業界会談により事態収拾を図りながら、他方容疑反駁資料を提出してダンピングの事実はないことを説明するという二本立の折衝を行なうこととした。
よって、わが方業界代表は、同年十一月七日からデュッセルドルフで開かれた会談で詳細な資料に基づいてダンピング容疑の反駁に努めたが、独側は、価格と輸入数量の面で極めて苛酷な制限措置を要求し、わが方から再三の譲歩提案を行ない、月余に及ぶ折衝を行なっても、なお妥協点が見出だされず、結局十二月中旬会談は打切りとなった。
なお、西独経済省では、もし日独会談で満足な妥結を見れば他業界の審査申請を撤回させられるとしていたが、右のように会談失敗により、政府による審査はそのまま継続された(つぎの項参照)。
5 西独の日本産フェロ・マンガンおよびフェロ・クロームに対するアンチ・ダンピング税適用問題
前項西独における日本産フェロ・マンガンおよびフェロ・クロームに対するダンピング容疑に基づく日独業界会談は妥結をみるにいたらなかったので、この折衝は、政府間の交渉に移された。そこで、わが方は、何としてもダンピング税の適用を回避するため、価格および数量の規制案に関し、極力ドイツ側と折衝に努めてきた結果、事務当局の間では一応の了解に達した。ところが、一九六三年二月二十日の西独閣議で一前記品目の輸出をダンピングと判定する旨の決定が行なわれた。わが方は、このような閣議決定が行なわれたのは日独友好関係にかんがみ遺憾であるとし、ダンピング関税が実施されないようドイツ側の再考を求め更に折衝を重ねた。その結果、同月二十八日の西独閣議において、西独政府は、日本側が効果的な輸出規制を行なうことを約束したので、ダンピング課税を差し当って取りやめる旨を決定した。
EECは、過渡期間終了(一九七〇年)後統一的な対外通商政策の採用を予定しており、日本に対する共通通商政策も当然その一環として現在形成の途上にある。しかし、現状では、EEC加盟六カ国の対日政策にそれぞれ差異があるので、共通政策確立までにはなお若干の時日を要するとみられるが、これまでのEECの動きのうちで注目されるものには、つぎのようなものがある。
(イ) 協議(コンフロンテーション)実施の提案。一九六一年十二月来日したEEC委員会のジャン・レイ対外関係委員は、日本とEECとの間で通商問題一般に関する討議を行なうため、コンフロンテーションの実施を提案した。その結果、一九六二年春ブラッセルでその第一回の会合を開くこととなり、このことは、一九六一年十二月九日小坂外務大臣とレイ委員とによる共同新聞発表で明らかにされた。
しかしながら、このコンフロンテーションはこれまでのところ実現していない。その理由は、一九六二年に入ってから、EEC側が英国のEEC加盟交渉の本格化および共通農業政策の実施などにより繁忙を極めたことと、六カ国間で対日態度の調整がなお十分な程度にまで進まなかったことがあげられる。従って、この問題は、一九六三年以降に持ち越されてきている。
(ロ) 共通通商政策実施計画。この計画は、一九六二年七月EEC理事会により採択され、その後若干の調整が行なわれたのち九月二十五日正式に決定された。この計画によれば、EECは、将来ガットの原則に従って自国の通商政策を行なっている第三国に対し、自由化をできるだけ高い水準で統一することになっているが、この場合、わが国は、「生産原価が異常に低廉な諸国を原産地とするセンシティヴな(影響を受けやすい)品目の問題が解決された後」自由化が適用される諸国、のなかに入れられている。
(ハ) 第二段階中の共同体活動計画に関するEEC委員会覚書。この覚書は、一九六二年十月二十四日にEEC委員会で発表されたが、その中でとくにわが国に言及し、「日本のような二、三のガット加盟国に対する自由化は、若干のセンシティヴ品目についての特別な検討を経なくては、不可能である」とされ、共同体の共通の対日センシティヴ品目表および共通セーフガード(差別的緊急輸入制限)条項を含む対日共通政策の樹立について、一九六三年末までに委員会が提案を行なう旨が述べられている。
(ニ) しかしながら、EECのその後の行動は予定よりかなり早められ、前記覚書発表の翌月の十一月十三日のEEC理事会では、委員会から早くも対日共通セーフガード条項案および共通センシティヴ品目表案が提出された模様である。
以上のようなEEC側の動きに関しては、もちろん、今後わが国との間に諸般の折衝が行なわれることになろうが、わが国としては、先ずEEC側諸国の対日通商政策の調整が完了していないこと、EEC諸国がとっている諸措置のうち若干のものは事実上日本に対する差別待遇となっていること、また前記(ロ)にみられるようにEEC側の対日態度につき承服しがたい点があること、などから、今後各般の対策を講ずる必要があることはいうまでもない。ただ当面は、EEC側が一本となってわが国と交渉できる体制にもないため、現在ベネルックスおよびフランスとの間で実施中のガット第三十五条の対日援用撤回交渉(本項3の対日輸入制限撤廃交渉の項参照)などの二国間交渉を続けることが当面の措置とならざるを得なくなっている。
EECは、発足以来、域内貿易の伸長でとくにいちじるしい成果をあげている。一九六二年と一九五八年とを比較すると、域内向けでは輸出九八パーセント増、輸入九七パーセント増とほぼ倍増しているのに対し、域外向け貿易では輸出三〇パーセント増、輸入三八パーセント増で、両者の間に顕著な差が見受けられる。
しかし、同じ期間のわが国の対EEC貿易は、輸出一二一パーセント増、輸入一二一パーセント増と、EEC域内貿易の伸長を更に上廻る伸びを示している。すなわち、一九六二年のわが国の対EEC貿易は、輸入は前年比一〇パーセント増にとどまったものの、輸出は前年比二八パーセント増に達し、六二年のEECの域内輸入増加率一四・四パーセントを上廻る勢いを示した。
この結果、一九六二年のわが国の対EEC輸出額二億七、四〇〇万ドルおよび輸入額三億四、四〇〇万ドルは、わが国総輸出入額のそれぞれ五・五パーセントおよび六・パーセントにあたり、これは、一九五八年の四・三パーセントおよび四・九パーセントにくらべればかなり高まっている。今後も、双方の努力によって、この傾向を強めて行くことができるものと考えられる。
EECがその発展により、世界経済においてますます大きなウェイトを持たんとしており、またわが国との貿易も逐次拡大しつつあるので、EECとの間に健全な経済関係を確立することはわが国にとって大いに必要とされる。前記EECの対日共通政策指向に際しては、その結果対日差別政策が温存されることのないように努力すべきはもちろんであるが、同時にわが国としても先方の誤解を招くことのないように輸出秩序の確立などの体制を整備する必要があろう。他方、世界各市場で今後EECの諸産業と競争してゆくためには、わが国の産業体制の競争力を強化してゆくことが要請される。
わが国の中近東地域との貿易は近年順調な拡大傾向を辿ってきたが、一九六二年にはわが国の輸出は二億一、三〇〇万ドルとなり前年の二億二、三〇〇万ドルをわずかながら下まわった。これを国別にみると、大手市場であるイランではわが国との貿易のアンバランスを不満とする対日輸入制限が行なわれたため、輸出は一挙に減少し、前年の六〇パーセントにとどまったことがとくに目立っている。このほか、アフガニスタン、イラク、アラブ連合などに対する輸出が減少したことも、輸出の伸び悩みの要因となっている。ただし、外貨事情のよいサウディ・アラビアをはじめ、シリア、レバノン、イスラエルなど比較的小規模な市場に対する輸出は増加し、またリビアやマグレブ諸国(モロッコ、チュニジア、リビア)向けの輸出も近年増加の傾向を示している。
わが国の中近東向け輸出が全体として減少するにいたった主な原因としては、イランおよびイラクで対日輸入制限が実施されたこと、また一部産油国をのぞいてこの地域の外貨が一般的に不足したことのほか、近年打続く不作のため経済事情が悪化したことがあげられる。対日輸入制限を打開して、この地域に対する輸出振興をはかる決め手は、これら諸国からの一次産品買付けを増加し、現在のようにわが国のはなはだしい出超により片貿易となっている状態を改善することであるが、根本的には、中近東地域は、石油をのぞいては多量に買付けることができる国際商品にとぼしいという困難が存在している。わが国としては、輸入可能な産品の発見や開発輸入を行ならよう努力しているが、その効果は期待するほどあらわれていない。わが国の一九六二年の中近東諸国からの輸入は六億九〇〇万ドルで前年にくらべて一五パーセント上廻ったが、このうち約九〇パーセントを占める五億四、五〇〇万ドルは石油類の輸入で、石油を除く輸入は六、四〇〇万ドルに過ぎず、またこのうち約一、四〇〇万ドルはアラブ連合、スーダンからの綿花の輸入である。このように、中近東地域との貿易バランスは石油を含めればむしろわが国の入超となっており、イラン、イラクの場合も石油を含む貿易バランスはわが国の大幅な入超となっている。これら両国は、国際資本による石油輸出は自国の貿易管理外にあるという理由で、一般に各国に対して石油を除く輸出入比率を問題としている。わが国に対しても、必らずしも一対一の均衡は求めないが、西欧諸国にくらべて特に片貿易の度合がはなはだしい点を不満としているのである。両国のこのような態度の裏には、自国の経済の石油資本依存度をいくらかでも改善しようとする意向がうかがわれる。
今後の対中近東貿易については、さしあたり、一九六二年の産油国における石油生産が前年を一割程度上廻る好調を示し、また農産物の収穫も全般に順調であったこと、イラクがカセム政権の崩壊後一九六三年三月にいたり対日輸入制限を大幅に緩和したことなど明るい面もあるが、イランにおける対日輸入特別税の賦課や全地域に対する輸入制限の強化をはじめ、多くの困難な問題が依然として存在しており、一次産品買付をめぐる一層の努力が要請されている。
イラクは、同国から石油以外の産品の買付をほとんど行なっていないわが国との貿易を極端な片貿易とみなし、同国の石油以外の最大の輸出品であるデーツ(なつめやしの実)の買付けを、わが国に対し強く要望している。とくに一九六一年八月からは食用デーツの輸入自由化などを強硬に要求し、さらに、デーツ買付けのため本邦業界が行なっている輸出入の調整に不満を表明し、その廃止を強硬に要求してきた。これに対し、わが方は、わが国のデーツに対する需要の実情および輸出入調整の必要性を詳細に説明するなど、イラク側の説得に努めた。しかし、イラク側は、一九六二年五月にいたり一部建築資材などを除くわが国からの輸入品に付し、ほとんど全面的に輸入ライセンス(許可証)の発給を停止した。
これに対し、わが方は、輸出入調整廃止に関しては、むしろ先方の要求を容れた方が得策だと判断して、一九六二年十月、調整金の徴収を停止した。また、関税については、一九六三年四月から乾燥デーツの関税を引下げる方針を決め、さらにデーツ輸入量の増加に引続き努力した結果、一九六三年五月までに六、○○○トンの買付けを成約した。その後、一九六三年二月に成立したイラク新政権は、同年三月十日、わが国の対イラク主要輸出品の大半を含める一四品目の対日輸入制限を解除したので、わが国の対イラク輸出の増加に明るい期待が持てることとなった。
レバノンは、輸入割当の制度では無差別主義をとっているが、関税制度ではわが国産品に対してのみ普通税率の二倍までの差別的関税を課している。これは、一九四一年、わが国が国際連盟の非加盟国であることを理由として、当時の統治国フランスによって設けられた差別関税を起源としており、その後一九五七年に一旦廃止されたが、わずか一カ月後、国内工業保護を理由として一部品目を除き復活され、以後若干の改正を加えられて、現在なお繊維製品など五九品目に対し課せられているものである。これら品目の中には、レバノン国内で生産されていないものまで含まれており、きわめて不合理な差別待遇であるので、わが方はその撤廃を引続き要請してきた。その結果、一九六二年八月に、関税最高委員会が日本商品が特に安値であるとする理由はない旨の結論を出したのを始め、レバノン政府も次第に対日差別関税を撤廃する方針に傾いている。
一九六二年のわが国のサハラ以南のアフリカ諸国向けの輸出は、二億九、一〇〇万ドルである。これには、リベリや向の便宜置籍船輸出四、二〇〇万ドルを含むので、これを除けば、輸出額は二億五、〇○○万ドルとなり、前年の二億三、五〇〇万ドルに比しわずか七パーセントの増加にとどまった。他方、輸入は一億九、一〇〇万ドルで、前年の一億五、八○○万ドルに比し二〇パーセントの増加であった。
主要な貿易相手国は、スターリング地域に属する諸国であり、輸出先としては、ナイジェリア(六、四〇〇万ドル)、南アフリカ(六、〇〇〇万ドル)、ケニヤ(二、七〇〇万ドル)、ガーナ(一、八〇〇万ドル)が大きく、輸入先としては、南アフリカ(一億一、三〇〇万ドル)、およびローデシア・ニアサランド連邦(二、○○○万ドル)が大きい。一九五八年から一九六〇年までの間のわが国のこれら諸国に対する輸出は、実に五三パーセントに相当するめざましい増加を示したが、一九六一年以来のびなやみをつづけていることが注目される。
対アフリカ輸出の第一の問題は、輸出ののびなやみで、これは日本のみならず、欧米諸国にも認められる。その原因としては、アフリカ諸国の輸出、従って外貨獲得源の大宗となっている特定の第一次産品の国際価格の低下により生じた外貨不足、国内産業の保護または財政収入の確保を目的として、関税を引上げたり、あるいは輸入制限を強化したりしたことが原因となっている。特にわが国の場合は、アフリカ向け輸出の七〇ないし八○パーセントを占めている繊維品は、関税引上げ、あるいは輸入制限の対象となることが多く、その影響を受けやすい立場にある。従って、わが国としては、機械類などの輸出の増加に努めるなど輸出品の多様化に努めるほか、繊維品については企業の進出も積極的に考慮する必要がある。
対アフリカ輸出の第二の問題は、片貿易の問題である。南アフリカとローデシア・ニアサランド連邦を除いて、アフリカ諸国の全部について、わが国の貿易はいちじるしい出超を示しており、中でも、アフリカで最大の市場であるナイジェリアの場合は一〇対一以上の出超となっている。一次産品問題については多角的、国際的対策が必要とされているほか、わが国としても各国に対し、品質、価格などの改善を求めるとともに、他方、買付努力をさらに強化する必要がある。
第三の問題は、対日差別の問題である。ガーナについては貿易取極を契機として、ガット第三五条の援用(別項二四〇ページ参照)を始めとする対日差別の撤廃を実現し、ローデシア・ニアサランド連邦についても対日輸入制限の縮少に努めてきた。しかし、英国系以外のアフリカ諸国については、エティオピア、リベリアなど二、三の国を除き、対日差別の存在はわが国輸出を伸ばすのに大きな障害となっている。この点で、旧フランス連合に属した地域からなる西アフリカ関税同盟諸国は、関税についてもわが国産品に対して差別待遇を与えており、最低税率の三倍の一般税率を適用している。また、旧フランス連合に属した諸国のほとんどは、わが国の繊維品などに対し、きわめて厳しい差別的輸入制限を課しているので、わが国のこれら地域向けの輸出は現在のところ微々なものにとどまっている。従って、政府はこれら諸国にアフリカ貿易使節団を派遣し(別項二六五ぺージ参照)、また、貿易取極の締結を進めることによって、相互の貿易を無差別の原則に従って拡大するよう努力している。
日本とガーナとの貿易関係は日本側の出超となっており、ガーナ政府はかねてから日本政府に対し、その是正を要請していた。しかし、ガーナの主要輸出産品は特定の一次産品に限られていること、ならびにこれらの産品の日本向け輸出は従来ロンドンを通じて行なわれていたため、価格が割高となるほか、取引条件などにも困難な問題があり、その輸入によって、両国間の輸出入の不均衡を是正することには難点があった。ところが、ガーナ政府は工業用ダイヤモンドの直接取引を認めるようになったので、政府は、この買付を実現させて、国内の工業用ダイヤモンドの需要を満たし、併せてガーナとの出超傾向の是正をはかるため、ダイヤモンド工業協会会長浜田義光氏を団長とし、専門家六名からなるダイヤモンド買付調査団を一九六二年九月十日から一カ月間、ガーナへ派遣した。同調査団は、現地で、ダイヤモンドの品質や取引条件など調査したほか、関係当局との会談を行ない、また、ダイヤモンド鉱山の採掘の実情を視察した。
わが国は貿易立国をもって国是としており、相手がわが国と政治制度を異にする共産主義国であっても、相手国が政治問題を経済にからませてこないかぎり、出来るだけ貿易をのばして行くことを方針としている。(「わが外交の近況」第六号二八九ぺージ参照)
この原則に基づき、わが国の対共産圏貿易は年々増加の傾向を示しているが、一九六一年と一九六二年とを比較してみると、わが国の対共産圏貿易は、輸出は一億三〇九万ドルから二億一、二七八万ドルヘと一躍倍増しており、また、輸入も二億一、七一二万ドルから二億二、六五五万ドルと増加を示している(いずれも通関統計)。
これは、特に船舶、機械などの対ソ連輸出が伸びたこと、および中共向けの鉄鋼、羊毛トップ、尿素などの輸出が増加したことによるものである。
この増加傾向は、さらに、一九六二年の日ソ貿易支払協定の締結および日中民間貿易取極の成立により、今後も続くものと考えられる。
なお、一九六二年のわが国の対東欧圏貿易は、輸出は一、六六七万ドル、輸入は一、六四四万ドルとなっているが、これら諸国中、貿易量の増加した国はポーランド、ルーマニアおよびハンガリーであり、反対に減少を示したものはチェッコスロヴァキア、東独およびブルガリアであった。
一九六二年の対ソ連輸出は、通関統計で一億四、九〇〇万ドルで、前年にくらべて約二・三倍の増加であった。このように急増した主な原因は、一九六〇年-六一年に大量契約が行なわれた船舶(タンカー六隻、貨物船三隻)と製紙プラントの大部分(計六、〇〇〇万ドル)が引渡されたためである。また、圧延鋼材、鋼管の輸出も一、五〇〇万ドルから三、二〇〇万ドルと増加したことも見逃がせない。スフ綿、人絹糸、コンベア・ベルトはほぼ前年並で、繊維関係ではコード織物の増加が目立っている。(約一、○○○万ドルで前年の約三倍となっている。)
輸入は一億四、七〇〇万ドルで、前年とほとんど変らない。その原因は、主要輸入品目である原重油、木材がいずれも協定目標を下まわり、銑鉄も半減したことであるが、他方、石炭は二五パーセント、カリ塩は六七パーセント、白金は四四パーセントそれぞれ増加している。
最近の中共との貿易額を、わが国の通関統計によってみると、一九六二年のわが国の中共向輸出は三、八四六万ドル、同輸入は四、六〇二万ドルで、合計八、四四八万ドルとなっており、一九六一年にくらべて輸出入ともかなりの増加を示している。これを商品別についてみると、わが国の輸出では鉄鋼(総輸出額に対する比率は約二八パーセント)、羊毛トップ(同約一九パーセント)、尿素(同約一六パーセント)、織物繊維(同約一二パント)、輸入では大豆(同約三六パーセント)、塩(同約六パーセント)、コークス用炭(同約五パーセント)などとなっている。
なお両国間の貿易は、輸出入総額において、一九六〇年約二、三〇〇万ドル、一九六一年四、七〇〇万ドル、一九六二年八、四〇〇万ドルと、いずれも年毎に倍増の傾向を示している。しかし、この輸出入総額がわが国の輸出入総額に占めている割合を見てみると、約四パーセントにすぎない。
しかし、日中間の取引は、種々制約されている点がすくなくない。例えば、わが国の対中共輸出産品(鋼材、化学肥料など)は、最近とくにイギリス、西独などの西欧諸国と烈しい競争状態にあり、また、中共からの輸入品(例えば、大豆、石炭など)は、価格、品質の面で種々問題がある。従って、両国間の貿易が、今直ちにこれ以上飛躍的に拡大の方向をたどるものとは考えられない。
一九五八年の長崎の国旗事件を直接の契機として中断された日中間の貿易は、六〇年にいたり、中共側の対日貿易三原則に基づくいわゆる「友好商社取引」という変則的な形で再開されていた。一九六二年九月、松村謙三氏は、このような両国間の変則的な取引形態を、正常な形に直す目的で訪中し、周恩来中共首相などと会談した結果、従来からの友好取引と併行して主要輸出入品目の長期総合取引を行なうことに意見一致を見た。この案の具体的打合せのため、高碕達之助氏を団長とする使節団は、同年十月末訪中し、同十一月九日廖承志中共アジア・アフリカ連帯委員会主席との間で日中間の長期総合取引に関する覚書に署名した。この覚書は、日中双方が、一九六三年から六七年までの五カ年間に各年を平均して輸出入総額約一億ドルに達する総合取引を行なうことを内容としている。
その結果、日中間の取引は、従来の友好商社取引と、右の長期総合取引の二本建てによって行なわれることになった。