通商航海条約および通商協定

1 英国との通商居住航海条約の締結

わが国と英国との間の通商居住航海条約は、一九五六年以来七年におよぶ交渉がようやく妥結し、一九六二年十一月十四日ロンドンで、当時訪英中の池田総理大臣とマクミラン英首相の立合いの下に、日本側大野駐英大使と、英国側ヒューム外相およびエロル商務相により、条約、署名議定書ならびに貿易に関する第一および第二議定書の署名が行なわれた。また同時に、条約に関連する各種の書簡の交換が行なわれた。

交渉の経緯

(1) 英国は、戦後わが国に対し厳しい差別的輸入制限を課してきたほか、一九五五年九月、わが国がガット(関税と貿易に関する一般協定))加入した時は、ガット第三十五条を援用してわが国とガット関係に入らない旨通告した。しかし、その際英国は、日本との間に別途通商航海条約を結ぶ用意があることを明らかにした。それ以来わが国は、一方において英国との間に年々の貿易取極交渉を行なって、その対日差別の実質的緩和および相互の貿易の拡大を図るとともに、他方、英国の対日差別待遇の根本的撤廃とそのガット第三十五条の対日援用撤回を促進し、両国間の通商関係全般の安定と発展を図るため、通商航海条約を締結するための交渉を進めてきた。

(2) 通商航海条約締結に関する交渉は、一九五六年夏から開始され、七年にわたって継続されたが、これは、大体三段階に分けることができる。交渉開始以来一九五九年夏までの第一段階では、日英双方の国内体制の照合、意見および情報の交換を通じて交渉の基礎固めに努力が払われ、双方の立場が明らかにされた。しかし、英国は、通商条約の根幹となる輸出入条項、特に輸入に関する規定について最恵国待遇の供与に依然強い反対を示し、またガット第三十五条の対日援用の撤回についてもその方針を明らかにしなかった。その後、一九五九年秋のガット東京総会の頃を契機として、交渉は第二段階に入った。一九六〇年の交渉ののち、市場攪乱を防止する措置(セーフガード)と、脆弱な国内産業を保護する措置(センシティヴ・アイテム)の維持について解決されれば、輸入についても最恵国待遇を規定するという基本原則が確認され、さらに英国は、条約が成立した場合は、ガット第三十五条の対日援用を撤回する方針を固めるにいたった。

(3) この間、欧州ではEEC(欧州経済共同体)が発足し、やがて英国もその加入交渉を開始するという情勢の進展があり、日英条約の交渉も、このような情勢とにらみ合わせて再検討する必要が生じた。他方、わが国でも同じ時期に貿易の自由化が強力に推進されつつあったので、英国が日本市場の価値を再評価する動きが現われ、英国からは経済界の要人、使節団、さらにはエロル商相などがあいついで来日し、また日本からも民間経済使節団の英国訪問、大平外務大臣の英国訪問などが行なわれ、条約の早期妥結の気運が高まってきた。このような背景のもとで、一九六二年夏から交渉は最終段階に入った。まず、東京で事業活動、出入国などを中心とする一般条項に関する諸懸案について合意され、ついで、ロンドンで貿易条項の最終的整理およびテキストの確定が行なわれて、この交渉は、最終的に妥結した。

条約の内容

条約は、いわゆる条約本体を中心とし、これに付属または関連する多数の文書からなっている。条約の基本文書ともいうべきものは、条約本体、これに付属する署名議定書、貿易に関する第一議定書ならびに同第二議定書の四つである。

(1) 条約本体

前文および本文三三カ条から成り、その当初の有効期間は六年、その後は一方が一二カ月の予告で廃棄通告をしない限り、自動的に延長されることとなっている。条約は、相互の国民、会社および船舶などに対する待遇を保障したものであり、(イ)国民の出入国、国民および会社の事業活動、産品の輸出入などについては、原則として相互に最恵国待遇を与えること、(ロ)身体財産の保護、租税、海運などについては、原則として相互に内国民待遇および最恵国待遇を与えること、を規定している。さらに、(ハ)ガット、IMF(国際通貨基金)など多数国間条約と本条約との関係を規定し、(ニ)英国属領の本条約への加入の手続を定め、また(ホ)条約上の待遇の保障に対する例外として、わが方の沖縄に対する特恵、関税同盟または自由貿易地域に基づく特恵の取扱いを規定している。

(2) 署名議定書

署名議定書は一六項目からなり、条約に対する補足ないし留保を規定している。その内容は、(イ)沖縄の地域および住民の取扱い、(ロ)英国民の範囲、(ハ)租税に関する特例の留保、(ニ)ダンピング関税および相殺関税の賦課の条件、(ホ)関税同盟または自由貿易地域への加入の際の相手国との事前協議および加入後の情報提供の義務、などである。

(3) 貿易に関する第一議定書

特定産品の輸入急増などにより市場攪乱が起こった場合に対処する方策、すなわちいわゆる一般的セーフガードを規定した文書であり、その内容はつぎのとおりである。(イ)市場攪乱が生じた場合には、両国間で対策について協議するが、協議が整わない場合、または緊急やむを得ない場合には、とりあえず一方的な輸入制限措置をとることができる。(ロ)このような措置をとる輸入国は輸出国に対し補償を提供するか、または輸出国は輸入国の制限措置に相当する対抗措置をとることができる。(ハ)これらの権利は双務的に規定されており、またこの議定書は、両国政府の合意があればいつでも廃棄されるほか、条約自体が終了すれば同時に終了する。

(4) 貿易に関する第二議定書

(イ) 特定の産品について、従来から輸入制限を継続しており、この制限を突然撤廃すれば相手国からの輸入が急増して国内産業に重大な打撃を与えると予見される場合に限り、条約上の最恵国待遇の例外として、一定の過渡期間輸入制限の継続を認めるとの了解を規定した文書である。(ロ)この議定書は、基本的な了解を規定したものにとどまり、その具体的な品目および制限の継続期間については、別の交換書簡で取り決めるようにしてあり、さらに原則として毎年同協定の実施を再検討すべき旨規定している。(ハ)今回合意された英側の対日輸入制限品目(いわゆるセンシティヴ・アイテム)としては、シガレット・ライター、金属洋食器、家庭用ミシン、釣具、双眼鏡、顕微鏡、玩具および家庭用陶磁器の八品目である。(ハ)なお、この議定書は、条約が終了するときはもちろん終了することになっているが、それ以前でも、この議定書に基づいて実施されている輸入制限がすべて消滅したときは当然失効する。

(5) 自主規制に関する交換書簡

前記以外の品目については、英国側は、条約発効と同時に完全に自由化することになっている。しかし、そのうち一部の繊維品ならびにトランジスター・ラジオ、同テレヴィジョンのように、英国に脆弱な競合産業のあるものについては、日本側で、輸出秩序を維持しつつ輸出の順調な伸長を図るため対英輸出を自主規制することとしている。

(6) ガット第三十五条の対日援用撤回

英国側は、条約署名と同時に、ガット第三十五条の対日援用を条約発効までの間に撤回する方針であることを、わが方に通報した。

本条約締結の意義

本条約の締結交渉は前後七年間にわたる長期間を要したが、この交渉期間を通じて日英双方にたがいに深い理解と信頼が生まれたことは、本条約締結の第一の意義と考えられる。このようにして築き上げられた理解と信頼が、今後この条約の発効および実施を通じて、ますます強化されて行くことが期待される。

つぎに、この条約の直接の効果として、日英貿易が今後一層拡大することが予想される。すでに英国はわが国にとり欧州第一の輸出市場となっているが、この条約により、英国の貿易上の対日差別待遇が原則として撤廃され、さらにわが国国民および会社に対して英国から安定した待遇の保障が与えられ、これらの英国進出の機会が増大することとともに、わが国の対英輸出はさらに増大することが期待される。他方、わが国の輸入自由化の推進および英国に対する通商上の無差別待遇の保障などの効果として、英国の対日輸出も増大することが予想される。

第三に、この条約は、共に世界の主要な貿易国である日英両国間において平等互恵の基礎に立って結ばれた広範囲にわたる通商条約として、ガット第三十五条の援用未撤回の欧州諸国および英連合諸国に対して、日本との紐帯強化の方向に向って好ましい影響を与えるものと考えられる。わが国に対し、ガット第三十五条の援用を最初に行なった英国が今回撤回したことは、英国の英連合の盟主としての地位を保っていること、およびその国際経済上の指導的立場から考えて、すこぶる意義があることと考えられる。

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2 インドネシアとの友好通商条約の発効

この条約は、一九六一年七月一日に東京で署名され、同年十月三十一日わが国の国会の承認を終っていた(「わが外交の近況」第六号二五〇ページ参照)。

その後、一九六二年十月十二日インドネシア側も議会の承認を得たので、一九六三年二月八日ジャカルタで批准書の交換が行なわれ、同年三月八日この条約は発効した。

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3 ニュー・ジーランドとの通商協定の改訂

一九六二年三月、ニュー・ジーランドとの間に、同国のガット第三十五条の対日援用撤回に関する公文が交換され、また両国がガット関係に入ることにともなう通商協定を改正する議定書の署名も行なわれた(「わが外交の近況」第五号二八四ページ参照)。

右に基づいて三月十九日、ニュー・ジーランドは、ガット事務局に対し第三十五条対日援用の撤回を通告し、また同年九月十九日からジュネーヴで、両国代表の間に関税交渉が行なわれた。また、協定を改訂する議定書については、わが方国会の承認を得て、同年十月二日ウエリントンで批准書の交換を行ない、同協定はその日から発効した。

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4 豪州との通商協定の改訂交渉

一九五七年七月に締結された日本とオーストラリア連邦との間の通商協定(同年十二月四日効力発生)は、当初の有効期間は三年であったが、その後も自動的延長規定に基づき引き続き効力を有していたが、同協定締結の際、付属了解で、豪州は当初の有効期間の三年の間にガット第三十五条の対日援用撤回について討議することが合意されていた。この了解に基づいて、一九六〇年十月東京で同協定改訂のための交渉が行なわれたが、双方の意見は一致にせず、交渉は一時中断した。翌一九六一年は、豪州側の国内事情もあって本格的な交渉は行なわれなかった。

しかし、その後、英国のEEC加入交渉などの影響もあり、豪州側は、日本との通商関係を一段と重視し、ガット第三十五条の対日援用撤回を真剣に検討するようになった。この結果、一九六二年十一月十六日キャンベラで、日本側太田大使、豪州側カーモディー貿易副次官をそれぞれ首席代表として、ガット第三十五条の対日援用撤回を主眼とする日豪通商協定の改訂交渉を開始した。

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5 メキシコとの通商協定の締結交渉

わが国とメキシコとの貿易はわが国の恒常的入超であるので、わが国は、安定した法的基礎の上にたって一段と輸出を伸長させるため、機会ある毎にメキシコ側に対し、通商協定締結の申入れを行なってきた。しかるにその後、一九六二年三月、政府が派遣した中米・カリブ海諸国訪問貿易使節団がメキシコを訪れた際、メキシコ側は、交渉に応ずる用意がある旨の意向を明らかにした。よって、一九六三年十月から、駐メキシコ林大使を通じて交渉を開始した。

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6 エル・サルヴァドルとの通商協定の締結交渉

わが国とエル・サルヴァドルとの間の貿易は、わが国が同国から棉花の買付けを行なっているため、一九五八年以降は毎年日本側の入超(一九六二年約一、七〇〇万ドル)となっている。また、通商協定がないため、わが国は、関税について不利な待遇を受けている。従って、政府は、この状態を改善するため、機会あるごとにエル・サルヴァドルに対し、通商協定締結の申入れを行なってきたところ、エル・サルヴァドル側はこれに応じてきたので、一九六一年十二月八日から、駐日同国大使との問に通商協定締結のための交渉を行なっている。

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7 ボリヴィアとの通商協定の締結交渉

わが国とボリヴィアとの間には一九一四年署名された通商条約があったが、一九四二年に同国が対日外交関係断絶を行なったので、同条約の適用が中断されたままになっていた。他方、わが国とボリヴィアとの間の貿易は相当増加してきたので(一九六二年輸出入計約八七〇万ドル)、両国間の通商関係を安定した基礎の下に置くため新協定の締結が望まれていた。

ところが、一九六一年末ボリヴィア側から新通商協定の締結についての非公式申出があったので、一九六二年五月交渉を開始した。

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8 フランスとの通商協定の締結交渉

(諸外国との貿易経済関係の西欧諸国、3対日輸入制限力撤廃交渉、(2)フランスとのガット第三十五条対日援用撤回交渉の項二一八ぺージ参照)

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9 フィリピンとの友好通商航海条約のフィリピン側批准問題

日本とフィリピンとの間の友好通商航海条約は、一九六〇年十二月九日東京において署名された。この条約は、戦後わが国が東南アジアの国と結ぶ最初の友好通商航海条約として、またフィリピンとしても独立後外国と締結する最初の友好通商航海条約として意義が深く、わが国では、一九六〇年十月三十一日国会の承認をえた(「わが外交の近況」第五号一六七ベージおよび第六号二五五ページ参照)。

他方、フィリピン側の批准については、当時のガルシア大統領は、同年十一月に行なわれた大統領選挙の後まで国会の承認を求める措置を持越したが、選挙の結果は、自由党のマカパガル副大統領が当選し、政権の交替が行なわれた。マカパガル新政府は、国民党の前政府が行なった政策決定はすべて再検討するという方針をとり、日比友好通商航海条約検討のため、一九六二年一月専門委員会の設置を発表したが、同委員会による検討は行なわれなかった模様である。また、一九六二年一月から五月まで開かれた現政府のもとでの最初の議会では、緊急に制定を必要とする重要法案が多く、また条約審議権を有する上院で与野党の勢力が伯仲していたため、この条約は審議に付されなかった。

同年八月比国政府は、関係省代表一〇名からなる委員会を設け本条約の検討を開始し、昨年末にいたり漸く検討結果が出た模様であるが、一九六三年三月十九日の閣議において、マカパガル大統領は、国内産業保護の諸立法制定まで本条約の批准措置はとらないと決定した。同年の議会会期は五月下旬までであるが、議会での与野党の勢力配分状況から、この条約が同議会に上程されない公算がきわめて大となった。

このような情勢に対し、わが方は、依然として本条約の早期発効を強く希望しており、フィリピン側の出方を引続き注視している。

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