西欧地域 |
池田内閣総理大臣は、夫人ならびに宮沢経済企画庁長官などの随員をともない、一九六二年十一月五日から同二十四日まで、ドイツ、フランス、イギリス、ベルギー、イタリア、ヴァチカン、およびオランダの各国を訪問した。
本訪問の成果については、既に別項(七ぺージ参照)で述べたとおりであり、また同総理の訪問先各国における動静および会談の内容は、それぞれの訪問先(ヴァチカンを除く)で発表された共同コミュニケに明らかにされているが、その概要を示せば、つぎのとおりである。(資料参照)(1) 動 静
(イ) ド イ ツ
池田総理大臣は、十一月五日から同八日までドイツ連邦共和国を訪問し、リュプケ大統領をはじめ、アデナウアー首相、エアハルト副首相兼経済相およびシュレーダー外相と会談した。
また、池田総理大臣は、ドイツ経団連、外政協会などが主催した晩餐会で、日欧関係に関する講演を行ない、また、ボン大学などに対し日本書籍を寄贈した。
(ロ) フランス
つぎに、池田総理大臣は、十一月八日から同十二日までフランスを訪問し、ド・ゴール大統領、ポンピドー首相、クーヴ・ド・ミュルヴィル外相と会談した。
また、池田総理大臣は、パリ滞在中、玉堂から鉄斉にいたる文人画展覧会の開会式にマルロオ文化担当国務大臣とともに出席したほか、日仏協会の午餐会にも臨席した。
(ハ) イギリス
つづいて池田総理大臣は、十一月十二日から同十四日までの三日間英国を訪問し、その間、夫人とともに女王陛下から謁見をたまわり、また、マクミラン首相、ヒューム外相、モードリング蔵相およびエロル商相と会談した。
また、ロンドン滞在中、池田総理大臣は、マクミラン首相とともにランカスター・ハウスで大野駐英大使とヒューム外相、エロル商相により行なわれた日英通商居住航海条約の署名式に立会い、さらに、ロンドン外人記者協会で、主として世界における日本の地位について講演を行なった。
なお、池田総理大臣は、重ねてマクミラン首相の訪日を要請したが、同首相は公務多忙のため、その代理としてヒューム外相が一九六三年春訪日することになった(別項二八ページ参照)
(ニ) ベルギー
池田総理大臣は、これにひきつづき十一月十五日から同十七日まで、ベルギーを訪問した。ブラッセル滞在中、池田総理大臣は、夫人とともに、国王、皇后両陛下から謁見および午餐をたまわり、またアルベール殿下からも謁見をたまわった。池田総理は、さらにルフェーヴル首相およびスパーク外相と会談した。
なお、ブラッセル滞在中、池田総理大臣は、欧州経済共同体のハルシュタイン委員長と会談し、有益な意見の交換を行なった。
(ホ) イタリア
池田総理大臣は、さらに十一月十七日から同十九日までイタリアを訪問し、セー二大統領、ファンファーニ首相と会談したが、フアンファー二首相との会談にはイタリア側からピッチョー二副首相兼外相、ラ・マルファ予算相およびルソ外務次官が同席した。
その際、池田総理大臣は、ファンファーニ首相に対し日本を訪問するよう公式に招待し、同首相はそれを快諾した。なお、池田総理大臣はローマに建設中の在ローマ日本文化会館を視察した。
(ヘ) ヴァチカン
池田総理大臣は、十一月二十日にヴァチカン市国を訪問し、教皇ヨハネス二十三世から謁見をたまわった。池田総理大臣から、歴代教皇が、日本の直面する諸問題に対し、常に理解と同情を示してきたことに謝意を表明し、日本は正義と自由に基づく平和建設のために努力していると述べたのに対し、教皇は、日本の努力に賛辞を呈され、今後もわが国に対し協力を惜しまないと述べられた。
(ト) オランダ
最後に、池田総理大臣は、十一月二十一日から同二十四日までオランダを訪問した。池田総理大臣は、夫人とともにユリアナ女王陛下から謁見ならびに午餐をたまわり、また、デ・クワイ首相およびデ・パウス経済相と会談した。
なお、池田総理大臣は、オランダ滞在中、アムステルダム市およびロッテルダム市を訪問した。
(2) 会談内容の概要
(イ) 日本とこれら諸国は、ともに自由世界の一員として、今後も緊密に協力してゆくことに合意した。また、フランスおよび英国では、両国の共通の関心がある問題については、より緊密な協議を行なってゆくことに合意された。
(ロ) ドイツ、英国、イタリアおよびオランダでは、有効な管理と査察をともなった一般的軍縮協定、とくに核兵器実験停止協定がすみやかに締結されるべきであることに意見の一致をみた。
(ハ) ドイツでは、ドイツ・ベルリン問題は、欧州および自由世界にとって最も重要な問題の一つであり、この問題を解決しないでは世界の緊張緩和はありえず、その解決は民族自決と人権尊重を基礎としなければならないことについて意見の一致をみた。
(ニ) 日本とこれら諸国との間の貿易の着実な発展は、双方の共通の利益であることが確証され、無差別の原則に従がって、通商の一層の拡大に努力することについて意見の一致をみた。
(ホ) ドイツ、英国、イタリアおよびオランダでは、池田総理大臣が、欧州経済共同体(EEC)の発展に深い関心を示し、同共同体が自由かつ開放的な通商政策を行ない、自由世界の福祉に寄与することを希望したのに対し、これら各国首脳も、右は、同共同体の目的および方針に合致するものである旨を述べた。
(ヘ) また、これら諸国は、日本の経済協力開発機構(OECD)との間の経済関係の強化が大きな利益をもたらすことを認め、日本の加盟を支持するか、または好意的考慮を払うことを約束した。
(ト) なお、フランス、ベルギーおよびオランダでは、これら諸国の日本に対するガット第三十五条の援用撤回について、交渉に入ることが約束された。
また、英国では、今回の訪問にあたって署名された日英通商居住航海条約が発効すれば、英国は、ガット第三十五条の対日援用を撤回することが認められた。
さらに、フランスでは、両国がとっている貿易自由化措置が、双方の輸出拡大に寄与することが確認され、両国間の新しい通商条約を締結のため交渉を開始することが合意された。
(チ) 英国では、日英両国は、国際金融制度の改善について類似の利害関係があることが強調され、今後この問題について一層緊密に協力することに合意された。また、両国は、開発途上にある諸国に対する援助に関して、ますます緊密に協調をはかる必要があることに意見の一致をみた。
(リ) フランス、ベルギー、イタリアおよびオランダでは、文化交流を通じて、各国国民との間の双互の理解を深めることの重要性が確認され、今後ともこのような交流を増進すべきことについて意見の一致をみた。
大平外務大臣は、一九六二年九月十八日からニューヨークで開かれた国連第十七回総会に出席したのち、英国、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギーおよびオランダの西欧諸国を非公式に訪問した。
大平外務大臣は、九月二十五および二十六の両日まず英国を訪問し、ヒース国璽尚書、グリーン商務担当国務相と会談した。
同大臣は、つぎに九月二十六日から同二十八日までフランスを訪問し、ドゴール大統領、クーヴ・ド・ミュルヴィル外相およびデスタン大蔵経済相と会談した。また同大臣は、パリで開かれた在欧公館長会議に出席し、同会議を主宰した。
大平外務大臣は、九月二十八日から同三十日までドイツ連邦共和国を訪問し、シュレーダー外相と会談した。
ついで、同大臣は、九旦三十日から十月二日までイタリアを訪問し、セー二大統領、コロンボ商相、ルソ外務次官と会談し、また十月二日にはヴァチカンを訪問して、ローマ教皇とお会いした。
十月二日から同四日までベルギーを訪問した大平外務大臣は、ルフエーヴル首相、ブラッスール貿易相、ファイアット外務補佐相と会談し、さらに、ブラッセルにある欧州経済共同体(EEC)のハルシュタイン委員長と会談を行なった。
最後に、同大臣は、十月四日から同六日までオランダを訪問し、ルンス外相と会談した。
大平外務大臣の今次の西欧諸国の訪問は非公式なものであったが、英国およびEEC諸国の動向が特に世界の注目をあびている時にあたり、これら諸国首脳者と当面の国際政治経済問題について意見の交換を行なったのは、きわめて有意義であった。
英国外務大臣ヒューム伯爵は、夫人とともに一九六三年三月二十八日に来日し、四月五日まで滞在した。この訪問は、一九六二年十一月池田総理大臣が英国を訪問した際に行なわれた招待にこたえたものであるが、英国の現職の外務大臣が日本を訪問したのは、戦前、戦後を通じて初めてのことであった。同外相夫妻は、滞日中、天皇、皇后両陛下の拝謁をたまわったほか、池田総理大臣および大平外務大臣と会談した。さらに、関西方面では財界指導者との懇談および視察を行なった。また、同外相は、四月四日東京で大平外務大臣との間で、日英通商居住航海条約の批准書交換を行なった。
池田総理大臣および大平外務大臣とヒューム外相の会談では、日英関係および国際情勢が討議されたが、その内容は、英国のEEC(欧州経済共同体)加盟中断後の欧州の諸問題、最近のアジア情勢、低開発国援助の問題、関税の一括引下げ交渉のほか、大要つぎのとおりである。
(1) 日英通商居住航海条約の批准書が交換されたことに満足の意が表され、これにより両国間の貿易がさらに拡大し、政治経済関係の引続いての強化が期待され、確信された。
(2) 文化およびあらゆる分野で相互の接触および協力を維持発展することに意見の一致をみた。
(3) ヒューム外相は、英国は、日本のOECD(経済開発協力機構)への加盟を全面的に支持することを改めて確認した。
(4) ジュネーヴでの軍縮交渉、特に核兵器実験禁止交渉が進展していないことが遺憾とされ、有効な管理をともなった核兵器実験禁止協定がなるべく早く締結されることが強く希望された。
(5) 両国政府は、アジアの安定に貢献するために、引続き努力することに意見の一致をみた。
(6) 世界の平和と安全のためには、自由世界の団結と経済的繁栄が最も重要であるという信念が確認された。
(7) 日英両国は、各種のレベルで相互の接触を一層緊密にすることについて意見の一致がみられたが、その後、その一環として、おおむね六カ月に一回の割合で、東京またはロンドンで交互に、原則として外務大臣レベルで定期的会談を行なうことがとりきめられ、一九六三年秋、わが国から外務大臣がロンドンを訪問して、第一回会談が行なわれることとなった。
クーヴ・ド・ミュルヴィル仏外相は、夫人とともに、政府の賓客として、一九六三年四月十二日から同二十日まで来日した。
同外相夫妻は、滞日中、天皇、皇后両陛下から謁見をたまわったほか、関西方面を視察し、また、池田総理大臣および大平外務大臣と会談した。
クーヴ・ド・ミュルヴィル外相の訪日は、一九六二年秋訪仏した池田総理大臣の招待にこたえたものであり、特に具体的な問題の交渉を目的とするものではなかったが、フランス外務大臣の訪日は、初めてのことであり、日仏両国の関係、ひいては日本と欧州との関係を一層緊密なものとする上にきわめて有意義であった。
池田総理大臣および大平外務大臣と同外相との会談では、東西関係、アジアとくに最近の南東アジアの事態および欧州の諸問題について情報と意見が交換されたほか、大要つぎのとおりである。
(1) 日仏間の伝統的友好関係が益々強化されつつあることに満足の意が表明され、また主要な国際問題に関する両国の見解の一致が確認された。
(2) 両国間では、文化、芸術および科学、技術の分野での交流が行なわれているが、今後、両国民の相互理解を一層深めるため、より頻繁かつ定期的に行なうことに意見の一致をみた。
(3) クーヴ・ド・ミュルヴィル外相は、フランスは、日本のOECD(経済協力開発機構)加盟を無条件に支持すると述べた。
(4) 両国の通商関係を無差別の原則に基づいて新しい基礎の上に築くことに意見の一致が見られ、フランスのガット第三十五条の対日援用の撤回および両政府は、双務的な差別的緊急輸入制限条項(セーフガード)の作成に合意したことが確認され、さらに、フランスは、日本に関心ある相当数の品目の自由化ができること、および今後他のOECD加盟国と、日本その他のガット加盟国に対しそれぞれ与えている自由化の較差を縮少するため定期的に検討する予定であることを明らかにした。
(5) 近くガットで行なわれる多角的関税交渉について慎重に討議が行なわれた。
(6) クーヴ・ド・ミュルヴィル外相は、近く成立する日仏通商協定の発効と同時にフランス政府はガット第三十五条の対日援用を撤回するとの意向を表明した。
(7) 両国間に活発かつ恒常的な協力体制をつくるため、できるだけ頻繁に協議を行なうことに意見の一致がみられた。
わが国は、一九六二年一月および同年二月にKLM(オランダ航空)から申出があった、オランダ政府がチャーターする同社航空機のわが国乗入れ、または同社定期便の機種変更によるビアク島(西ニューギニア/西イリアン)向け兵員の輸送に対しては、許可を与えなかった。(「わが外交の近況」第六号一二九ぺージ参照)。
これに関連して、わが国は、航空当局係官によるKLM定期便の機内立入りを行なってきたが、軍需品塔載の事実は発見されなかった。しかし、同年八月十五日にいたり、西イリアン(西ニューギニア)に関するオランダとインドネシアの間の暫定協定が成立したので、この措置を全面的に解除した。
日英査証相互免除取極の交渉は一九六二年四月から東京で行なわれていたが、同年十一月二日、大平外務大臣とモーランド駐日大使との間で取極に関する書簡の交換が行なわれ、同年十二月二日に発効した。
この取極によって、日本国民は、査証なしで英国に赴くことができることとなった。もっとも、英国の入国管理令に従う必要があることは従来どおりで、特に英国で職業に従事しようとする者は、英国政府の就業許可を入国前に得ておかなければならないことになっている。
また、英本国民は、六カ月以内の滞在ならば査証なしで日本に来ることができる。ただ職業に従事するために日本に来る者は、六カ月以内の滞在でも査証を必要とする。いずれの場合も日本の出入国管理令に従う必要があることは従来どおりである。この取極は、日本と英本国との間で実施されるもので、日本国民が英領植民地に赴くとき、および英領植民地人が日本に来るときは、従来通り事前に査証を得る必要がある。
この取極の成立によって、日英両国民の往来は一層容易となった。
一九五二年に英国政府から申入れがあった日英領事条約の締結交渉については、一九五三年から始まった日米領事条約の交渉中は、その開始をしばらく延期することとしていたところ、一九五九年七月岸総理大臣が訪英した際、日英領事条約の早期締結について意見の一致が見られた。その後日米領事条約交渉もほぼ合意に達したので、一九六二年八月から九月にかけて、東京において第一次交渉が行なわれた。
わが国は、一九六〇年八月十六日、サイプラス共和国の独立とともに、同国を承認し、一九六二年五月九日外交関係を樹立することに合意し、同年八月八日駐レバノン磯野大使が初代の兼任大使としてマカリオス大統領に信任状を捧呈した。なお、サイプラス側では、まだ日本に対し外交代表を任命していない。
秩父宮妃殿下は、一九六一年十一月の英国アレキサンドラ内親王殿下の御訪日に対する御答礼の意味をも兼ねられ、一九六二年七月二十三日から同三十一日まで、英国政府の賓客として同国を公式訪問された。同妃殿下は、御滞英中、各地を旅行されるとともに各種行事に出席され、単に両国皇室間の御交誼を深められたのみならず、英国民一般に対しても深い感銘を与えられた。同妃殿下に対する英国朝野の歓迎は、日英両国の間の伝統的な友好関係を明確に印象づけるものであった。
また、秩父宮妃殿下は、御帰国の途次、八月三日から同八日までスウェーデンを公式訪問され、両国間の友好関係を深められた。
(1) ゲルステンマイヤー・ドイツ連邦議会議長の来日と日独友好議員団の設立
ゲルステンマイヤー・ドイツ連邦議会議長は、メンデ自由民主党総裁、モンマー社会民主党院内総務、ヘック・キリスト教民主同盟連邦事務局長などとともに一九六二年九月十七日から同二十六日まで清瀬衆議院議長の招待により来日した。一行は、滞日中、国会議員の交流を強化し、日独間の友好関係の緊密化に資するため、日独双方においてそれぞれの国会議員からなる日独友好議員団を設立することについて意見が一致し、同友好議員団はその後日独双方において結成された。
ランゲ・ノールウェー外相は夫人とともに、日本政府の賓客として一九六二年十月十日来日し、同十七日まで滞在した。同外相夫妻は、滞日中、天皇、皇后両陛下の拝謁をたまわったほか、池田総理大臣、大平外務大臣と会談し、また国内の工場施設を視察した。
エロル英国商務大臣は、一九六二年四月二十五日、夫人とともにわが国を訪問し、五月四日まで滞在した。この間、同商相夫妻は天皇、皇后両陛下から拝謁をたまわり、わが国の産業施設を広く視察するとともに、政府、財界の指導者と会見し、日英貿易拡大の方途および日英通商居住航海条約の交渉促進について意見を交換した。
英国の駐シンガポール弁務官兼東南アジア総弁務官であるセルカーク伯爵は、夫人とともに、一九六二年十月十七日から来日し、同月二十四日まで滞在した。この間、同伯爵夫妻は、天皇、皇后両陛下の拝謁をたまわったほか、池田総理大臣および大平外務大臣と会見しアジア情勢について意見を交換するとともに、東海村原子力研究所などを視察した。
経済団体連合会、日本商工会議所などの招きにより訪日した英国金融視察団団長ロンドンのヘンリー・シュレーダー・ファグ商会社長フッドの一行は、一九六二年十月十六日、池田総理大臣を訪ね、主として両国間の金融問題について懇談した。