ラテン・アメリカ地域 |
ロペス・マテオス=メキシコ大統領は、夫人、令嬢および公式随員十四名を含む七十名の随行者をともなって、一九六二年十月十一日に国賓として来日し十四日まで滞在した。
同大統領は、天皇陛下と親しく交歓を行ない、また池田総理大臣と当面の国際情勢ならびに両国の友好、通商関係増進の諸方策について忌憚のない意見の交換を行なった。なお、池田総理大臣は、両国間貿易がメキシコ側の一方的出超を続けていることに対し、大統領の注意を特に喚起し、先方の日本品買付の促進を要望し、また、懸案となっている両国間通商協定の早期締結について希望を表明した。
同大統領は極めて短期の滞日ながら、わが国の造船、重電機工業などを視察した。
ペルー政府は、かねてから、戦時中同政府が凍結した在留日本人の資産一三七万三、五〇〇ソーレスを、サン・フランシスコ平和条約の規定にかかわらず、好意的措置として原所有者に返還する旨を明らかにしたが、一九六二年四月二十五日これを一括して日本政府に返還してきた。よって目下在ペルー大使館において原所有者に返還するよう手続中である。
一九六二年八月一日コロンビアとの間に旅券査証および査証料の相互免除取極が署名され、同年九月一日から発効した。同取極により、自国の有効な一般旅券を所持し、相手国において滞在期間が三カ月をこえず、かつ職業に従事しない両国国民は、査証および査証料が免除されることになった。
一九五九年のアマゾン移住三〇年紀念事業として、ブラジルのパラ州ベレーン市に建設中だった全アマゾン日伯会館は、一九六三年三月に完成した。本会館は、民間資金のほか、日本政府の補助金一、二〇〇万円をもって建設されたものである。
一九五八年のサンパウロ移住五〇年紀念事業として、さきに、ブラジルのサンパウロ市に、日本文化センターが建設されたが、同センターに日本美術工芸品展示場などを建設することになり、政府はこれに補助金を支出した。
一九六二年以降において、政府は、つぎのラテン・アメリカ諸国の大統領就任式典に特派大使を任命し、参列させた。
コスタ・リカ 一九六二年五月八日 丸山佶(駐パナマ公使)
エル・サルヴァドル 一九六二年七月一日 林不二雄(駐エル・サルヴァドル公使)
ドミニカ 一九六三年二月二十七日 小沢武夫(駐ドミニカ大使)
吉田元総理一行は、ブラジル政府の招待により一九六二年五月十一日から同十八日までリオデジャネイロ、サンパウロ、ブラジリアを訪問し、グラール大統領、タンクレード・ネーヴェス首相はじめブラジル各界の要人と会談し、日伯親善の強化に貢献した。
一九六二年十月二十四日から同年十一月一日までブラジルの首都ブラジリア市において第五十一回列国議会同盟会議が開催され、福永健司衆議院議員を団長とする衆参両院議員一九名からなる議員団がこれに参加した。右参加者のうち笹森順造議員ら九名の参議院議員はニカラグァ政府の招待により同年十一月同国を訪問、大統領以下政府、国会から多大の歓迎を受けた。また、清瀬衆議院議長はブラジル、アルゼンティン、チリー、ペルーおよびメキシコを訪問した。
(1) チリ下院議長、上院外交委員長ならびに下院外交委員長の来日
チリのイララサバール下院外交委員長は、一九六二年二月六日から同十二日まで、ハコボ・シャウルソン下院議長および同夫人は同年十月八日から同十五日まで、またウリセス・コレア上院外交委員長は、同年十月二十二日から同二十七日までそれぞれ滞日した。
シャウルソン下院議長夫妻は、滞日中、天皇、皇后両陛下から謁見を賜わったほか、池田総理大臣と会談した。
パラグァイから一九六二年五月十一日から同十九日までサベナ・バストール外務大臣および同夫人が、また、同年十一月十六日から二十五日までエセキエル・ゴンサーレス・アルシナ農牧相がそれぞれ外務省の賓客として滞日した。滞日中、外務大臣夫妻は天皇、皇后岡陛下の拝謁をたまわったほか、池田総理大臣および小坂外務大臣と会談し、また、農牧相は天皇陛下の拝謁をたまわったほか、大平外務大臣および重政農林大臣と会談した。
エル・サルヴァドルから、特派大使団(駐日大使を団長とする七名)、経済使節団(実業家約八○名)および科学使節団(医師、教授など約二〇名)が、一九六三年二月二十六日に来日し、三月二十三日まで滞在した。右のうち特派大使団は、三月二十日天皇陛下の拝謁をたまわった。
なお、エル・サルヴァドル側諸使節団の訪日と交換に、早稲田、慶応両大学の学生約一〇〇名およびコーヒー輸入関係者約二〇名が、同年二月二十四日から三月四日まで、エル・サルヴァドルを訪問した。