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ケネディ米大統領は、一九六二年十月二十五日、キューバに対し米国海軍による隔離を行なうと発表したが、その前に、ライシャウアー駐日米大使を通じ同日付で池田総理大臣にあてて親書を寄せ、右の措置を内報してきた。池田総理大臣は、十月二十五日付で、これに対し返書を送ったが、その要旨はつぎの通りである(資料参照)。
「ソ連政府が、キューバに攻撃的なミサイル発射基地を秘密裡に設置しているのは、米州諸国の安全に対する重大な脅威であり、また、国際的均衡をいちじるしくくずすものである。
私は、この情勢の下で、米国と米州諸国が一大決意をもって、今回のような措置をとらざるをえなかった立場を十分理解する。
私は、国連がこの問題をとりあげて解決に努力すべきであると信ずるが、日本政府は、その方向にそって努力している米国政府の立場を強く支持するものであり、今後とも、米国政府と積極的に協力して、平和的解決を促進するため努力する考えである。」
一九六三年一月九日ライシャウアー駐日米大使は大平外務大臣に対し、ポラリス潜水艦でない、通常の米国原子力潜水艦を乗組員の休養と補給のため日本に寄港させることについて、日本側の意向を打診してきた。
この問題については、
(イ) わが国は日米安全保障条約で日本および極東の平和と安全の維持を任務とする米国の軍艦に対して、日本の港に出入する権利を与えており、原子力推進のものであってもこの点変りはないので、安全保障条約の建前からも上記潜水艦寄港に便宜を供与するのは当然であること、
(ロ) 本件原子力潜水艦は通常のいわゆるノーテラス型潜水艦であって、核ミサイルを装備したポラリス潜水艦ではないこと
(ハ) アメリカおよび関係各国について調査したところによれば、この種のノーテラス型潜水艦はすでに過去七カ年余りの間に十数カ国の三〇の港に一〇〇回以上も寄港しており、しかもこれら諸国において事故が発生した例はなく、その安全性が問題になっていないこと、
(ニ) 現在は原子力時代になりつつあり、わが国でも各方面における原子力の開発利用も進み、また世界的にみても船舶推進力としての原子力の利用が積極的に進められてきていること、などの諸点を考えれば、右寄港を認めても別段差支えないと思われる。
しかしながら、本件潜水艦は原子力推進のものであるため、安全性の問題と万が一にも事故が発生した場合の補償の問題は十分研究しておく必要があるので、これらの点について米国政府に確かめる一方、国内関係省庁において検討を進めている。
「科学協力に関する日米委員会」の第二回会合は、一九六二年五月二十一日から同二十四日までワシントンで開かれた。日本側からは兼重寛九郎委員代表以下九名、米国側からはケリー委員代表以下六名が参加した。
同会合においては、第一回会合の結果、設置された五つの専門分科会の報告と勧告を検討したのち、つぎのような勧告を採択し、両国政府がこの勧告に考慮を払い必要な措置をとるよう要請した。
(1) 科学者の交流
両国間の科学者交流促進の余地の有無を検討すること、情報センターを両国に設置すること、各種合同ゼミナールを開催すること、米国青年科学者が日本の科学的資料を利用できるよう日本語研究に重点をおくこと。
(2) 科学技術に関する情報、資料の交流
科学分野における日米両国の指導的な抄録機関および特定の定期刊行物の編集者の代表者により抄録および研究論文の交換を促進させる方策を検討するための会合を開くこと、両国に相手国から送られた科学資料に関するクリアリング・ハウスを設置すること。
(3) 太平洋に関する学術調査
太平洋上の雲の観測、火山の地球物理学的研究など、七つの分野について共同研究を実施すること。
(4) 太平洋地域の動植物、地学および生態学
種および集団の分類、および害虫の天敵の研究、太平洋中部その他の動植物、特にさんご礁の生物学的研究などを実施すること。
(5) がんの研究
効果が期待される治療剤の選別および実験法の標準化を行なうため、日本は中央実験所を設置すること、日米両国国民のがんの発生とその原因に関する比較研究が一層推進されることなど、各分野について共同研究を実施すること。
さらに同会合は、右の諸事項の外に、日米両国間における科学協力の新分野について討議し、「科学教育」、「ハリケーン・台風」に関する研究が両国において実施される可能性を検討するため委員会に二つの分科会を設置することをきめた。
これら諸勧告に基づく最初の共同研究として、ハワイ火山の観測研究が一九六三年七月から施行されることになっている。
なお、日米科学委員会の勧告を実施するための行政的手続きを定めるための日米政府間会議が、一九六二年十月二十二日から同二十四日まで外務省において開かれ、日米両国間の連絡機関および経路の確認、協力計画実施上の経費の支出方針、ゼミナールの開催、科学者の交換計画などを検討した。本委員会第三回会合は、一九六三年五月二十一日から同二十四日まで東京において行なわれる予定である。
日米安全保障条約に基づいて日米間の安全保障上の連絡協議の一機関として設けられた安全保障協議委員会の第二回会合は一九六二年八月一日に、また第三回会合は一九六三年一月十九日に、それぞれ外務省で開かれ(第一回会合は一九六〇年九月四日開催)、いずれも日本側からは大平外務大臣および志賀防衛庁長官、米国側からはライシャウアー駐日米大使およびフェルト太平洋軍司令官が出席し、大平外務大臣が議長となった。
これらの会合においては、日本および極東の安全に関連のある国際情勢およびわが国の防衛上の諸問題について意見の交換が行なわれた。
「日本国とアメリカ合衆国との間の領事条約」は、一九六三年三月二十二日外務省において大平外務大臣とライシャウアー駐日米大使により署名された。この条約は、両国の議会で承認を受ければ批准書が交換され、その後三〇日目に発効することとなっている。
この条約は、条約本文と議定書からなっている。この条約の前半は、領事館の設置、領事の任命など領事関係開設に関する一般的な規定で、後半は領事館および領事などに与えられる種々の特権および免除と在留民や船舶の保護など領事の職務についての規定である。元来国際法上、領事の職務と特権は外交官の場合ほど確立しておらず、各国の国内法制に依存する面が少なくないが、日米両国の領事はこの条約によって任国で明確な地位が与えられるので、自国民の保護や援助などの任務を遂行しやすくなるものと期待される。
なお、本条約の締結交渉は、一九五三年四月に東京で開始され、その後一九五六年八月から約五年間中断されたが、一九六一年七月に交渉が再開され、十年ぶりにまとまった。交渉がこのように長びいたのは、領事の職務および特権が両国の国内法制との関連で複雑な問題を持っており、また、わが国としては、これが戦後に結ぶ最初の領事条約であるため、諸外国の条約例を参考とし慎重を期したためである。
一九六二年一月九日東京で署名された「日本国に対する戦後の経済援助の処理に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」およびそれに付属する文書は、同年五月第四十国会において承認されたが、支払い財源を規定した産業投資特別会計法改正法案は、同国会において成立するにいたらなかった。しかし、その後同法案は、第四十一国会の冒頭同年九月一日に国会の承認を受けたので、九月十一日大平外務大臣とライシャウアー駐日米大使は同協定発効通告の交換を行ない、同協定は同日発効した。
つぎに、一九六三年二月十九日、外務大臣と駐日米大使との間で書簡が交換され、同協定に基づく第一回および第二回の賦払いの実際の支払いについて、つぎのとおり取極が行なわれた。
(1) 一九六三年三月十一日の第一回賦払いは、一、二五〇万ドルを円貨払い、残額九四五万九、一二五ドルをドル払いとする。
(2) 同年九月十一日支払うべき第二回賦払いのうち一、二五〇万ドルの円払い分を、三カ月繰上げて六月十一日に支払い、九月十一日には、繰上げ支払いにともなう利子減額分を調整した残額九三八万一、○○○ドルを支払う。
右の取極が行なわれたのは、米国が日米教育文化交流促進のため使用することになっている二、五〇〇万ドル相当の円資金を、米国の一九六三米会計年度内に受けるものとして国内法上の措置を講じてきているので、六三年六月三十日前にこの支払いを終えることが日米両国の利益に合致するものと認められたからである。
日本政府は、右取極に従い、一九六三年三月十一日に第一回の支払いを行なった。
一九五五年四月に締結された日米両国間の協定に基づき、わが国の生産性向上計画に対し行なわれてきた米国の援助は、一九六一米会計年度で終了した。この七年の間の米国援助額は、合計一、二〇〇万ドルに上り、同期間中に日本生産性本部および農林水産業生産性向上会議が米国に派遣した生産性視察団は、鉱工業(中小企業を含む。)、農業、労働関係など合計四三二、団員数四、一五〇名で、このほか生産性関係長期研修生の渡航などを加えると、渡航者の数は、四、四〇〇名の多きに達した。
一九六二日本会計年度からは、日本生産性本部および農林水産業生産性向上会議の独自の計画により、自費負担による視察団(中小企業視察団については旅費半額政府補助を受ける。)を米国、欧州、その他の地域に派遣することとなったが、同会計年度に米国に派遣された視察団は二七、団員数は三四四名であった。
なお、日米両国の生産性向上計画は、前述の通り一九六一米会計年度で終了したが、右とは別個に、一九六二米会計年度においては、米国務省の招待により日米労働活動の交流ならびに向上を目的として、わが国労働関係者の九視察団、七〇名が米国に派遣された。
大平外務大臣は、一九六二年九月十八日からニューヨークで開かれた国連第十七回総会に出席するため、同年九月十五日から同二十四日まで米国を訪問した。同大臣は、ニューヨークに滞在中、九月二十四日にラスク米国務長官と会談し、国際情勢と日米間の諸問題について意見の交換を行なった。
ロズウェル・ギルパハトリック米国防次官は、夫人および随員をともなって、一九六三年二月六日から同七日まで来日した。
同次官は米国政府が実施中の国防長官および同次官が交互に定期的に友好同盟国を訪問する計画に従って来日したもので、滞日中、池田総理大臣、大平外務大臣、志賀防衛庁長官、福田通産大臣など政府首脳と会談し、国際情勢全般、なかでもキューバ事件発生以後の世界情勢、英国のEEC(欧州経済共同体)加盟交渉中断以後の欧州情勢、極東の軍事情勢などについての米国政府の考え方を説明し、またわが国の防衛問題についても意見の交換を行なった。