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従前の日豪間の小包郵便約定は、一九〇七年に締結されたものであり、現在の小包郵便業務の実情に適さないなど、その他業務上幾多不備な点があったので、日豪両国は、新しい小包郵便約定を締結することとし、同約定は、一九六二年三月一日東京で、日本側小坂外務大臣および迫水郵政大臣と豪州側マッキンタイヤー大使により署名され、同年十月一日に発効した。
日本とニュー・ジーランドは、一九五九年以来小包郵便約定の締結について交渉を進めてきた。その結果、一九六三年三月十五日東京において、日本側大平外務大臣および小沢郵政大臣とニュー・ジーランド側テイラー駐日大使により同協定の署名が行なわれた。
ニュー・ジーランドは万国郵便連合の小包郵便物に関する約定に加入しておらず、また、従来、日本との間に小包郵便約定が締結されていなかったため、わが国とニュー・ジーランドとの間の小包の送達は、豪州の仲介で行なわれていたが、今回の約定締結により、小包の送達が直接行なわれることとなった。
西サモアは、一九六二年一月一日ニュー・ジーランドの国連信託統治から独立したが、わが国は、同年八月二十一日同国を承認した。
海上自衛隊練習艦隊は、一九六二年七月豪州およびニュー・ジーランドを訪問した。練習艦隊は、永井司令官以下乗組員、実習員その他関係者総員一、一六八名が護衛艦"てるづき"ほか三艦に分乗、六月八日本邦を出発、グァム・ヌーメア(仏領ニュー・カレドニア)経由、七月五日から八日までメルボルン、同十一日から十六日までシドニー、同二十三日から二十七日までウエリントンをそれぞれ訪問した。帰路フィジー島スバを訪れ、八月十八日帰国した。
今回の練習艦隊の豪州およびニュージーランド訪問は、戦後初めてのことであったが、各地において官民の盛大な歓迎を受け、わが国と訪問先諸国との友好親善関係の増進に資するところきわめて大であった。
オーストラリア連邦ヴィクトリア州のボルテ首相は夫人とともに、一九六二年四月三十日に日本を訪問し、五月十日まで滞在した。この間同首相夫妻は、天皇、皇后両陛下の拝謁をたまわったほか、政府、財界の主だった人々と会談し、工場視察、関西旅行を行なった。
バーウィック豪州外務大臣は、夫人を同伴、極東、東南アジア視察旅行の一環として、一九六二年六月九日来日し、同月十五日まで滞在した。同外相は、池田総理大臣、小坂外務大臣および佐藤通商産業大臣と会談し、日豪両国に関心のある諸問題について意見の交換を行なった。
西サモアのビーサム大蔵大臣は、農務長官パーラム氏とともに、一九六二年八月二十七日から九月四日までわが国を訪問した。同氏は、滞日中、田中大蔵大臣などと経済問題について会談した。