アジア(西アジアを除く)地域

1 第六次日韓全面会談

(1) 第六次全面会談の経緯

一九六一年五月十六日に韓国軍部のクーデターが発生してから中止されていた日韓会談は、同年十月二十日、第六次全面会談として、日本側杉道助首席代表と、韓国側ぺー義煥(ペー・ウィフワン)首席代表との間で再開された。この会談は、同年十一月中旬来日した朴正煕(パク・チョンフィ)韓国国家再建最高会議議長との会談の結果などを反映して、友好的な雰囲気のなかで行なわれ、かなり順調に進行したので、韓国側から希望してきたとおり高級会談を開催することになり、一九六二年二月に来日した金鍾泌(キム・ジョンピル)中央情報部長とも意見の交換を行なった結果、日韓両国の外相会談を開くことになった(以上の詳細は、「わが外交の近況」第六号七〇ぺージ以下参照)。

(2) 日韓外相会談およびその後の折衝

韓国の寉徳新(チェ・ドクシン)外務部長官は、同年三月十日から同十九日まで来日し、同十二日から五回にわたって小坂外務大臣と会談した。この会談では、韓国の対日請求権問題が論議の焦点となったほか、「平和ライン」を撤廃して漁業協定を締結する問題、在日韓国人の法的地位の問題など日韓両国の間の諸懸案が取りあげられたが、これらの問題について双方の原則的立場の応酬で終始し、結局、三月十七日、次期政治折衝をなるべくすみやかに開く旨の共同声明を発表して会談を終わった。

右外相会談後は、日韓会談早期妥結への気運がやや後退したが、このような日韓間の対立状態を無期限に放置し、日韓会談の妥結、ひいては日韓国交正常化の実現をいつまでもおくらせることは、大局的見地から考えて、望ましくないことは明らかであった。そこで同年六月初め、日本側杉首席代表は韓国側ぺー首席代表と数回にわたって非公式会談を行ない、外相会談以来両国間の空気は必らずしも良好とは言えないが、これを好転させるため、まず韓国側が当時増加した日本漁船の不法だ捕をやめるよう強く要望し、また、事務的レヴェルによる意見調整をすみやかに行ない、政治的折衝への地固めを行なうことが必要であることを強調したところ、韓国側もこれを了承した。

(3) 予備交渉の開始

その結果、次期政治折衝の前駆的段階として、諸懸案、とくに請求権問題解決の成否を打診するため予備交渉を行なうこととなった。この交渉は、同年八月二十一日から、日本側杉首席代表および伊関アジア局長(伊関局長は在外へ転出したため、十月三十一日の第十三回会合からは、後任の後宮アジア局長が出席した。)と韓国側ぺー義煥首席代表および崔英沢(チェー・ヨンテク)駐日韓国代表部参事官との間で行なわれ、一九六三年三月末までに、三二回会合が開かれた。

なお、一九六二年九月十三日の予備交渉第六回会合で、同交渉の下部機関として、漁業関係会合および法的地位関係会合を設けることに双方の意見が一致し、同年十月五日から翌一九六三年三月末までの間に、前者は十八回、後者は二三回開かれた。また、後述のように、請求権問題解決について双方が大筋で意見が一致したので、一九六三年二月から経済協力(ないし請求権)関係会合が設けられたほか、文化財関係会合も設けられ、いずれも同年三月末までに数回会合を開いた。

(4) 朴議長声明と金部長の来日

この間、一九六二年九月十四日朴正煕最高会議議長が、日韓会談を成功に導くためには、日韓両国の為政者はともにある程度国民から非難をうけるのを覚悟すべきであると述べて、会談妥結への決意を明らかにした。ついで、同年十月二十日、金鍾泌中央情報部長が訪米の途次日本に立ち寄り、池田総理大臣および大平外務大臣とそれぞれ会談し、日韓会談を早急に円満妥結させる方策について忌憚のない意見の交換を行なった。また同部長は、十一月十日訪米からの帰途ふたたび来日し、大平外務大臣と会い、両国間の諸懸案、とくに請求権問題についてかさねて率直な話し合いを行なった。

(5) 予備交渉の折衝経緯

(請求権問題)

八月以降杉、ぺー両首席代表間の予備交渉において終始平行線をたどってきた請求権問題は、金鍾泌中央情報部長の来日を契機として、初めて解決への見通しがつき、交渉は一段と進展が見られた。引続き日韓双方は、この問題について慎重な検討を行ない、また予備交渉の席上種々意見の交換を行なったところ、一九六二年末までにほぼつぎの線で大筋の意見の一致をみた。

(イ)(a) 日本は韓国に対し、無償の経済協力として総額三億ドルを供与することとし、これは毎年三、〇〇〇万ドルずつを十年間にわたり日本国の生産物および日本人の役務によって行なう。ただし、わが国の財政事情によっては双方合意の上、これをくりあげて実施することができる。

(b) 日本は韓国に対し、長期低利借款として総額二億ドルを供与することとし、これは十年間にわたり海外経済協力基金によって行なわれる。借款の条件は年利率三・五パーセント、償還期間二〇年程度、うち据置期間七年程度とする。

(c) 以上のほか日本から韓国に対し、相当多額の通常の民間の信用供与が期待される。

(ロ) 前記の無償、有償の経済協力の供与の随伴的な結果として、平和条約第四条に基づく請求権の問題も同時に解決し、この問題はもはや存在しなくなることを双方は確認する。

なお、このほか、韓国側は貿易上の債務四、五七三万ドルを一定期間内に償還することが了解されている。

このような解決案が作られることとなった背景としては、つぎのような考え方をあげることができる。

(a) 請求権問題については、交渉過程を通じ、法的根拠の有無について日韓双方の見解に大きな相違があったほか、事実関係においても戦後十数年を経過し、とくに朝鮮動乱を経てきた現在では、これを正確に立証することはきわめて困難であるので、請求権問題を請求権という実体に即して解決することは不可能に近い。

(b) 近時世界においては、旧宗主国は、新独立国に対してその独立以前から独立に備えるため、また独立後もその発展のため、各種の形で援助を与えるのが通例となりつつあり、また、旧宗主国という関係がなくとも先進国が後進国に経済援助を与えていることを考えれば、地理的にわが国から最も近い隣国の韓国に対し、法律論に終始する冷淡な態度をとることは好ましくない。

(c) 韓国は、わが国の敗戦により、不幸にして南北に分断されただけでなく、その後朝鮮動乱が勃発し、国土に莫大な被害をこうむっており、これをわが国の繁栄に比べれば経済的に困難が多い現状にあることに対しては、わが国は、理解と同情をもって臨むのが当然である。

要すれば、以上のような観点から、単なる法律論以上の高い次元に立って考えられたのが前述の解決案である。

(漁業問題)

このようにして、請求権問題について原則的な意見の一致をみた結果、その後の交渉の焦点は、わが方が最も関心を抱いている漁業問題に移ることとなった。この問題については、前回の第五次日韓全面会談において韓国側は幾分柔軟な態度を示し、漁業協定の締結を前提としてまず漁業資源に関する討議が始められた。第六次全面会談においてもこの討議が続けられ、一九六二年三月上旬をもって一応終了した。その後、同年十月から始められた予備交渉漁業関係会合においては、漁業協定に関する実質的討議に入り、同年十二月五日には、双方から具体的協定案が提示された。しかし、この時提示された韓国側協定案はわが方の期待に反し、従来の考えにとらわれた極めて柔軟性のないものであった。他方、日本側協定案は、その基本的考え方として、一九六〇年の第二次ジュネーヴ海洋法会議の委員会審議の段階で、米国およびカナダ両国から提案され、同委員会で採択された方式をとっているが、その方式の骨子は、沿岸国に対し最大限十二カイリの排他的漁業専管水域の設定を認めるものであった。

(法的地位の問題)

つぎに法的地位問題については、わが方としては、在日韓国人の特殊事情を考えると同時に、国際慣習にも照らし、あるいは、国内に将来政治的、社会的禍根を生じないよう配慮しつつ、日韓双方の納得できる合理的な解決点を見出すことに努力してきた。一九六二年十月以降開始された予備交渉法的地位関係会合においては、(イ)永住権の問題、(ロ)永住権を付与された者に対する退去強制および処遇の問題、(ハ)永住目的で韓国に帰還する者の持帰り財産の問題、など法的地位の問題全般にわたって討議が続けられた。その結果、日韓双方とも相手方の見解を理解し、また問題点によっては双方の立場が相当の歩み寄りをみせるにいたった。

(竹島問題)

竹島問題については、日本政府は、この問題が領土権に関する法律上の紛争であるので、国際司法裁判所による解決が最も公正妥当な方法であると考え、さきに一九五四年九月二十五日付口上書により、また、一九六二年三月の外相会談の際、小坂外務大臣から崔外務部長官に対し、本間題を国際司法裁判所に付託することを提議したが、韓国側はこれまでのところこの提案に難色を示している。

(6) む す び

以上のように、第六次日韓全面会談は、一九六二年末韓国の対日請求権問題について大筋の合意が成立し、六三年に入ってからも、予備交渉の各関係会合における討議をつづけ、会談は全体として大きく前進した。しかし、他方、韓国においては六三年にはいってから民政移管問題をめぐって政局が混迷におちいり、そのため、韓国側から建設的な提案を期待することは必ずしも容易でない事情となっている。しかし、韓国では、朝野を通じ、日韓国交をすみやかに正常化することが世論となっているとみられている。

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2 中印国境問題に関する親書の交換

一九六二年十月三十日ネール・インド首相は、中印国境問題に関して、池田総理大臣にあてて親書を送ってきた。池田総理大臣はこれに対し十一月三日付で返書を送ったが、その中で、中共が、この問題をめぐって大規模な軍事行動に訴えたのはきわめて遺憾である、と述べたのち、インドが直面した困難に対し、深い同情を表明するとともに、この紛争を平和的手段で、また、国際正義に基づいて解決しようとするインド政府の努力に対しては、支持を惜しまないことを日本政府と国民の名で確言した(資料参照)。

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3 ビルマとの経済技術協力協定の締結

(1) 交渉の経緯

ビルマ政府は、一九五九年四月、一九五五年発効した日本・ビルマ平和条約第1頂(a)IIIのいわゆる再検討条項に基づき、ビルマの賠償額が、フィリピンおよびインドネシアに対する賠償額に比し少なすぎるとして、増額を要求してきた。よって、同年七月から駐日ビルマ大使と外務省との間で、種々折衝が行なわれたが、わが方は、対ビルマ賠償額は他の求償国に対する賠償額と比較して必ずしも均衡を失していないとの立場をとり、交渉は永らく進展をみなかった。その後、一九六一年にいたり、小坂外務大臣と駐日ビルマ大使との間に、日本がビルマの経済および福祉のために有効な一定額の協力を無償で供与するとの解決方針が成立し、それ以来ビルマ側の要求する二億ドルの金額についての交渉が行なわれたが、同年九月末には、タキン・ティン蔵相を長とするビルマ側代表団が来日し、さらに同年十一月、わが方から小坂外務大臣を長とする代表団がビルマを訪問した(以上の経緯については、「わが外交の近況」第六号九二、九三ぺージ参照)。

その後ビルマでは、一九六二年三月、ネ・ウィン参謀総長を首班とする革命政府が成立し、同政府は、クーデター後の国内体制の整備に忙殺されたため、交渉は一時中断された。しかし、一九六三年一月に至り、ビルマからアウン・ジー貿易・工業相を長とし、チョウ・ソオ内相、バ・ニ運輸相などを含む代表団が来日し、同十四日から大平外務大臣を首席代表とするわが方代表団と交渉した。この結果、わが国がビルマに無償の経済協力一億四、○○○万ドル、通常借款三、○○○万ドルを供与し、ビルマ側は賠償再検討の要求を今後提起しないことを約束することにより、本問題を最終的に解決することに双方の意見が一致し、同二十五日、大平外務大臣とアウン・ジー大臣は、その旨の覚書に仮署名を行なった。この合意を具体化するための協定締結交渉は、引き続きラングーンにおいて行なわれ、その結果、三月二十九日ラングーンで、日本側全権委員飯塚外務政務次官および小田部駐ビルマ大使と、ビルマ側全権委員ウ・ティ・ハン外相により「日本とビルマとの経済および技術協力に関する協定」、「日本・ビルマ平和条約第五条第1項(a)(III)に関する議定書」、「経済開発借款に関する交換公文」、「協定の実施細目に関する交換公文」の四つの文書に署名が行なわれた。

(2) 協定の内容

(イ) 「経済および技術協力に関する協定」

日本はビルマに対し、現行の賠償支払いが終る一九六五年四月から十二年間に一億四、○○○万ドルに相当する日本の生産物と日本人の役務を無償で供与すること、ならびに供与は最初の十一年間は毎年一、一七〇万ドル相当額ずつ、十二年目は残額について行なうこと、を定めている。

(ロ) 「日本・ビルマ平和条約第五条第1項(a)(III)に関する議定書」

ビルマは日本に対し、協定発効後は賠償再検討の要求を行なわない旨を定めている。

(ハ) 「経済開発借款に関する交換公文」

日本政府は協定発効の日から六年間に、日本からビルマの政府、民間商社、国民に対し、三、○○○万ドルを目標額とする商業借款が提供されることを容易にし、促進する旨を定めている。

(ニ) 「協定の実施細目に関する交換公文」

無償供与の実施のための細目手続について定めている。

(3) 協定の意義

この協定によって、一九五九年四月にビルマ政府が賠償再検討の要求を出してから長い間、日本・ビルマ両国間の懸案になっていた問題が両国の互譲の精神によって最終的に解決をみたわけである。本協定が国会の承認を得て発効すれば、条約上わが国が支払うべき賠償はすべて解決したことになる。

この協定に基づく協力は、ビルマの経済開発に活用され、同国の経済建設と民生安定に貢献するものと思われるが、この協定締結を契機として、両国間の友好親善の基礎が一段と強化され、経済面、文化面などの協力も益々緊密になるものと期待される。

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4 サラワクの日本船舶所得に対する海運所得課税免除の問題

サラワク政庁は、一九六〇年十二月に公布された法律に基づき、わが国の海運会社のサラワクでの海運所得に対し課税することとなった。よって、わが国政府は、サラワクが積運賃の五パーセントという高率の課税を行なうことは海運に関する税法上の国際慣行に反すること、およびわが国と英本国との間には一九二九年に締結された海運業所得に対する課税相互免除に関する交換公文が存続しているなどの理由により、在日英国大使館を通じサラワクにおける本邦船舶の海運所得に対する課税の免除について交渉した。

この結果、サラワク政庁は、一九六二年十月五日法律改正案を公布したので、本邦船舶所得に対する課税は一九六〇年課税年度から免除されることとなった。

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5 インドネシアのバリ島への災害見舞品の寄贈

インドネシア共和国バリ島のアグン火山は、一九六三年三月中旬に二度にわたって大爆発を起した。このため、死者は約一、五〇〇名、退去避難者七万五、○○○名、罹災者は二〇万名以上、物的損害総額は約一二億ルピア(邦貨約一〇一億円)に達した。

バリ島はインドネシアでは最も親日的なところとして知られており、かつ、一九六二年二月上旬、皇太子殿下、同妃殿下が同島を御訪問された際、同島住民の熱烈な歓迎を受けられたところでもあるので、同年三月二十三日わが国政府は、インドネシア政府に見舞の言葉を送るとともに、医薬品市価二〇〇万円相当分を罹災者救助品として寄贈した。

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6 賠償などの実施

賠償およびこれにともなう経済協力の実施は、ビルマについては約八カ年、フィリピン約五カ年半、インドネシア約五カ年、ヴィエトナム約三カ年、ラオスおよびカンボディア約四カ年を経過し、一九六二年末現在の支払総額は約一、四五三億円で、履行率は三九・パーセントに達している。このほか、一九六二年五月に発効したタイとの間の特別円問題新協定に基づく第一回の一〇億円の支払いが、同月行なわれた。これら賠償などの供与は、受入れ国の戦後の復興および経済開発や民生安定に貢献しているばかりでなく、これを通じて、わが国の重機械や建設技術などの真価が認められ、これら諸国と日本との間の経済交流の基盤がかためられつつあるといえよう。

一九六二年の賠償およびこれにともなう経済協力の実施は、ほぼ順調に行なわれた。しかし、フィリピンについては同年初め同国の政権が交替したため、一時賠償による調達が停滞した。ラオスに対する経済協力も、同国の政情不安などのため、停滞を余儀なくされていたが、同年後半から再び進ちょくするようになった。

各受入れ国別の賠償およびこれにともなう経済協力の実施状況の概要は、つぎのとおりである。

(1) ビ ル マ

ビルマに対する賠償および経済協力協定(一九五五年四月十六月発効)の実施は、一九六二年十月一日から、第八年度に入っている。賠償総額七二〇億円のうち、一九六二年末現在の契約認証額は約五八六億円、支払い済額は約五四一億円で、賠償総額に対する履行率は、七五・一パーセントとなっている。

この賠償供与の内容を品目別に見ると、もっとも大きいものは、初年度から建設に着手されたバルーチャン水力発電所計画関係の機材および役務で、この計画に対する契約認証額は一〇二億円におよんでいる。このほかの認証額を品目別にみると、鉄道車輌・自動車類・自転車類・船舶などの運搬用機器類一六六億円、農業・土木・繊維関係などの一般機械類六〇億円、電気機器類五三億円、プラント類一三億円、鋼材その他金属製品九八億円、魚罐詰七億円、検査・輸送・技術者派遣などの役務五億円などが主なもので、上記の金額には、ビルマ鉄道復興計画関係の資材約七二億円が含まれている。

このように今までのビルマ、向け賠償の特徴は、バルーチャン発電所計画およびビルマ鉄道復興計画の二大計画のほか、多岐の事業にわたって供与されてきたことであり、さらに、他の受入れ国に比し、消費財供与の比率が高い(第一年度から第七年度までの平均約二五パーセント)ことであった。しかし、ビルマ政府は、一九六二年になってから家庭用電気器具、自動車、農業用ポンプおよび耕うん機の組立工場を、わが国の賠償によりそれぞれ設立することとし、同年中頃からこれに必要な賠償の調達を開始した。これは、長期契約により、わが国の製造業者から部品・機材の供給ならびに技術の指導を受けて行なうものである。

よって、ビルマ賠償は、従来のバルーチャン発電所計画、ビルマ鉄道復興計画の二大計画のほか、これら三つの組立工場設立計画を中心として実施されることとなり、すでにこれら三つの組立工場の建設は着々とすすみ、技術者の派遣、機材の送付も行なわれている。

つぎに、前記協定によれば、わが国はビルマに対し、合弁事業の形で、十年間に五、○○○万ドルの経済協力を行なうこととなっているが、ビルマでは、社会主義経済を実施しているなどの事情もあり、日本側業者との合弁交渉は難航していた。しかしながら、一九六二年三月成立した革命政府は、合弁方式をやめ、借款方式によるわが国との経済協力を希望している模様である。既に、わが国から鉄鉱調査団および天然ガス調査団が派遣されたほか、現在までに、肥料、綿紡績、ナイロン、竹パルプ製紙、セメント、精糖などの工場設立などの話合いが行なわれている。

なお、既に成立した合併事業としては、万年筆製造、海洋漁業があり、技術協力としては、真珠養殖、百貨店経営指導がある。

(2) フィリピン

フィリピンに対する賠償協定(一九五六年七月二二十三日発効)は、一九六二年七月から第七年度に入ったが、マカパガル大統領が行なっている前政権の賠償に対する政策の再検討などにより、第六年度後半にひきつづき、賠償調達は事実上停滞している。賠償総額一、九八○億円のうち一九六二年末現在の契約認証額は四三四億円、契約認証を要しない沈船引揚などの費用を含めた支払い済額は四六七億円であって、賠償総額に対する履行率は二三・六パーセントとなっている。

この認証額を品目別にみると、船舶一九八億円、航空機一一億円、鉄道車輌一一億円、自動車類二一億円、機械類・電気機器類二〇億円、セメント工場・製紙工場などのプラント類一〇五億円、鋼材・送電線材料など三五億円、役務九億円などが主なものである。フィリピンに対する賠償の供与で注目されるのは、調達の大部分を占めるものが船舶や各種プラント類などの資本財であり、賠償によって供与された物資が、同国の海運をはじめとする各種産業の育成に大きな役割を果している点である。

つぎに、日比両国間の経済開発借款に関する交換公文によれば、わが国がフィリピンに対する経済協力として、二〇年間に二億五、○○○万ドルの借款を民間で商業的に、与えることについて、両国政府はこれを容易にし、促進する措置をとることになっている。

この交換公文が発効して以来、主として延払い輸出の形で、約九、○○○万ドルの民間借款がフィリピンに供与されている。しかし、このうち、どれだけが、この交換公文の経済開発借款に該当するかについては、いまだフィリピン側との間で意見の一致を見ていない。

また、フィリピンに対しては、賠償を引当てとする借款が供与されているが、これは一九五九年九月の両国間の交換公文によってマリキナ多目的ダム建設計画および電気通信網拡充計画に対して、一九六一年十月の交換公文によってマニラ鉄道延長計画に対してそれぞれ与えられることになっている。このうち、電気通信網拡充計画については、一九六一年十月フィリピン電気通信局と日本電気との間に成立した約六五〇万ドルの契約の実施がおくれていたが、一九六三年一月から実施の段階に入った。マニラ鉄道延長計画(五八○万ドル)については、一九六三年三月、マニラ鉄道と木下産商および伊藤忠商事との間に契約が成立したので、まもなく計画実施の運びとなるものと思われる。また、マリキナ計画(三、五五〇万ドル)については、入札は行なわれたが、入札の結果にフィリピン側が満足せず、現在入札方法の再検討が行なわれている。この計画については、フィリピン内部にまだ種々の議論が行なわれているようであり、実施までにはかなりの時間がかかることとなろう。

(3) インドネシア

インドネシアに対する賠償協定(一九五八年四月十五日発効)の実施は、一九六三年四月から第六年度に入っている。賠償総額八〇三億八八○万円のうち、一九六二年末現在における契約認証額は三四五億円、支払い済額は教育訓練計画などを含めて三三六億円であり、賠償総額に対する履行率は四〇・九パーセントとなっている。

この認証額を品目別に見ると、船舶七四億円、鉄道車輌五億円、自動車類三二億円、土木農耕用機械・繊維機械などの機械類および設備計五四億円、製紙工場三四億円、合板工場二億円、綿紡績工場三億円、乾電池工場四億円、鋼材およびレール類二三億円、肥料七億円、パルプおよび繊維製品一一億円、コーラン(経典)六・五億円、カリ・ブランタス計画などの河川多目的開発計画二八億円、ムシ河架橋関係費一五億円、役務一二億円などが主なものである。

インドネシアに対する賠償供与について注目されるものに、賠償第三年度から始められた教育訓練計画がある。この計画によれば、留学生については、五年間にわたって毎年約一〇〇名、合計約五〇〇名を受け入れ、まず一年間国際学友会において日本語その他の基礎科目を修学させたのち、国立または私立大学に在学させて造船、電気工学、電気通信、鉱業、冶金、航海、漁業、農業、繊維、銀行業、商業、医学などの各分野の教育をほどこし、また研修生については、七年間にわたり毎年約二五〇名、合計約一、七五〇名を最高二年半の期間わが国に滞在させ、海外技術協力事業団の斡旋によって造船、海運、漁業、農業、繊維、観光業、手工業、銀行業務など多岐にわたる分野で技術訓練を行なう。一九六二年末現在の在日インドネシア学生数は、第一陣、第二陣および第三陣計約三一名、研修生は計二〇三名である。

一九五九年十月両国政府の間で、賠償を引当とする借款に関する交換公文が行なわれたが、これに基づく船舶(二、〇)○○万ドル)一六隻の供与については、全部の引渡しを完了し、ホテル(八○○万ドル)については、一九六二年七月ジャカルタに「ホテル・インドネシア」の建設を完成した。

つづいて一九六二年四月六日の第二次賠償引当借款についての合意が成立した。これによって、七三五万ドル(巡視艇十隻)および一、四〇〇万ドル(ジャワ局のジョクジャカルタ、ペラブハンラツおよびバリ島サヌールの三個所にホテルを建設)の借款が供与されることとなった。さらに同年八月二十一旧、第三次賠償引当借款として、六二五万ドル(ムシ河橋梁)、八五〇万ドル(竹パルプによる製紙工場)および六六〇万ドル(スラバや港のドック式造船所建設)の供与が合意された。

つぎに、インドネシアについてもフィリピンの場合と同様、経済開発借款に関する交換公文があり、二〇年間に四億ドルのクレディットを民間で商業的に供与することについて、両国政府はこれを容易にし、促進することになっている。この交換公文が発効してからインドネシアに対し行なった借款の給与としては、前記の賠償引当て借款計七、〇七〇万ドル、インドネシア国営石油会社「プルミナ」に対する北スマトラ油田復旧・開発のための資材および技術の供与かか一〇年間に約一八○億円を供与し、石油生産が所定の量に達した時、それ以上の出産分の一部で返済されるもので、一九六一年までの供与実績は、約一四億円である。)ならびにチラチャップ国営紡績工場の設備能力拡張のための資材を技術約二八二万ドルの供与などがある。

(4) ヴィエトナム

ヴィエトナムに対する賠償協定(一九六〇年一年十二日発効した。)の実施は、一九六三年一月十二日から第四年度に入っている。賠償総額一四〇億四、○○○万円のうち、一九六二年末現在における認証額は一一一億円、支払い済額は使節団経費を含めて九六億円に達し、賠償総額に対する履行率は六八・六パーセントとなっている。

この認証額を品目別にみると、タニム発電所建設工事四六億円、発電機器一七億円、水圧鉄管一〇億円、サイゴン変電所機器四億円、調査設計監督および検査役務六億円が主なものであり、ダニム計画関係はすでに大部分契約の認証を終った。

ヴィエトナムに対する賠償の供与について注目されることは、総額の大部分と、これにともなって合意された借款協定に基づく二七億円の輸銀借款とがダニム水力発電所計画にあてられていることである。輸銀借款の対象となる送電線および変圧器なども全額契約が締結きれ、貸出しもほとんど終了した。賠償による消費財の供与も軌道にのっており、二五億円の契約を終わっている。

ダニム・ダム建設工事は、一九六一年四月一日の起工式以来順調に進み、一九六二年末現在で全工程の七〇パーセントが完了した。ダニム・ダムは、三年間の第一期工事完工の暁には八万キロ・ワット、第二期工事が終る一九六五年には合計一六万キロ・ワットの発電を行なう予定である。

なお、賠償第四年度から当初考えられていた機械工業センターのかわりに、沈船引揚げ、鉄鋼工場およびボール紙工場の建設などに七億円があてられることになった。

(5) ラオス

ラオスとの経済・技術協力協定(一九五九年一月二二十三日発効)により、わが国は、ラオスに対し、経済開発を援助することを目的として二年間に一〇億円の援助を無償で供与することとなっている。

援助計画の中心をなす首都ヴィエンチャンの上水道建設は、所要現地通貨の調達困難、同国国内の政情不安などの理由から実施が遅れていたが、海外経済協力基金の融資決定によって現地通貨の問題が解決され、一九六二年十一月上水道建設契約の認証となり、一九六三年一月起工式が挙行された。

援助期間は、当初二年間であったが、一九六一年および一九六二年の二回にわたりそれぞれ一年間の期間の暫定延長が合意された。一九六三年には、前記の上水道の工期を勘案して、さらに二年間の期間の暫定延長が合意された。

一九六二年末現在における契約認証額は八億九、一〇〇万円、支払い済額は二億六、三〇〇万円で、総額に対する履行率は二六・三パーセントとなっている。認証された計画の中には、上記ヴィエンチャン上水道の設計および建設、ナムグム河ダム調査、予備設計、ナムグム河などの三つの橋梁建設のための調査、ヴィエンチャン発電所がある。

(6) カンボディア

カンボディアとの経済・技術協力協定(一九五九年七月六日発効)により、わが国はカンボディアに対し、両国間の友好関係を強化し、相互の経済協力を拡大するために、三年間に一五億円の援助を無償で供与することになっている。

対カンボディア経済・技術協力計画の大宗である農業センター、種畜場および診療所の設置・運営が、当初三年の援助期間内に見込めなくなったので、一九六二年七月さらに二年間の期間の暫定延長を行なった。一九六二年末現在の契約認証額は二億四、七〇〇万円、支払い済額は九億四、八〇〇万円であり、総額に対する履行率は、六三・二パーセントとなっている。

この認証額の内容は、首都プノンペン上水道建設四億七、五〇〇万円、トンレ・サップ橋梁建設用資材三億五〇〇万円、農業センター、種畜場および診療所の設計二、九〇〇万円、その建設二億五、二〇〇万円などとなっている。このうち、プノンペン上水道はすでに竣工した。トンレ・サップ架橋用資材も引渡しを完了し、一九六三年秋には同橋梁は竣工する予定である。

農業センター、種畜場および診療所の建設については、当初の尨大な規模を予算内に縮少するため、再三調整が行なわれて手間取っていたが、一九六二年九月になって建設契約の認証が行なわれ、道路建設の遅延などから一九六三年二月に開始された工事は、年内の完成目指して順調に進ちょくしている。なお、一九六〇年十二月から六二年七月まで、センター運営の準備および調査を行なうため、農牧関係技術者が現地に派遣された。

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7 要人の来日

(1) スカルノ・インドネシア大統領の来日

スカルノ・インドネシア共和国大統領は、随員約四〇名を帯同し、十一月四日非公式に来日し、同月二十一日まで滞在した。

同大統領は、滞日中、宮中午餐に招かれ、天皇、皇后両陛下ならびに皇太子殿下御夫妻と親しく交歓した。

(2) ヴィエトナム議員団の来日

ヴィエトナム共和国国会議長チュオン・ヴィン・レ他議員五名は七月十九日来日し、七月二十六日まで滞在した。議員団は滞日中、総理大臣、衆参両院議長、外務、文部、厚生の各大臣を表敬訪問し、関西においては電器工場を見学した。

(3) ラオス王国プーマ首相の来日

ラオス臨時連合政府首相スヴァナ・プーマ殿下は、キニム・ポルセナ外相他四名の随員とともに訪米後の帰国の途次、八月一日わが国に立寄った。翌二日午前、プーマ首相は、池田総理大臣および大平外務大臣と個別に親しく会談し、同日夕刻離日した。

(4) フィリピン共和国のヴィリアレアル下院議長の来日

フィリピン共和国のコルネリオ・ヴィリアレアル下院議長は、米国からの帰途、一九六二年十月二十四日来日し、十一月五日離日した。同議長は、滞日中、池田総理を表敬訪問した。

(5) シンガポール自治州リー・クワン・ユー首相の来日

リー・シンガポール自治州首相は、夫人同伴、随員二名とともに一九六二年五月二十五日から二十八日まで、政府の賓客として日本を訪問した。首相は、滞日中、池田総理大臣および小坂外務大臣を訪問した。

(6) デサイ・インド大蔵大臣の来日

デサイ・インド大蔵大臣は、ジャー大蔵次官等随員二名を帯同し、一九六二年十月三日政府の賓客として来日し、同九日まで滞在した。同大臣は、滞日中、池田総理大臣兼外務大臣臨時代理、田中大蔵大臣、福田通商産業大臣と会談したほか、主としてわが国産業施設を視察した。

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