公海の漁業などに関する国際協力
日本、米国およびカナダの三国間の漁業条約に基づいて設置された北太平洋漁業国際委員会は、一九六二年十一月にシアトルで第九回年次会議を開催した。この会議では、カナダ系にしんの一部および東べーリング海のおひょうがいわゆる自発的抑止の条件を満たしていないことが決定され、これらの魚種を条約附属書(自発的抑止をする魚種を掲げている)から削除するよう三国政府に対し勧告が行なわれた。その結果、同勧告は三国政府によって受諾され、条約附属書は一九六三年五月八日に勧告どおり修正された。
なお、前記の東べーリング海のおひょうについては、米加両国は、従来から同水域においておひょうの共同保存措置を講じていた。従って、国際委員会は、一九六三年二月に東京において中間会議を開催し、おひょうが自発的抑止の対象からはずされたのちに適用されるべき三国間の共同保存措置を審議した。その結果、一九六三年の東べーリング海のおひょうの保存措置として、体長制限、漁期、一部水域での総漁獲量の設定、およびトロール漁法による漁獲の禁止などを内容とする勧告が採択された。従って、前記の条約附属書が修正された日から、現にこれに従って操業が行なわれている。
日本、米国、カナダおよびソ連の四カ国の間で一九五七年に締結された「北太平洋のおっとせいの保存に関する暫定条約の規定」に基づき、同条約の当初の有効期間の終了(一九六三年十月)前に開催されることになっていた締約国間会議は、一九六三年二月に東京で開かれた。この会議では、一九六二年十一月から同年十二月まで開かれた北太平洋おっとせい委員会第六回年次会合で採択された勧告が審議されたのち、現行の暫定条約を、若干修正した上でさらに六年間延長する議定書案が作成された。
おっとせい委員会の前記勧告は、現在の知見の下では、管理された陸上漁獲が、おっとせい資源の最大の持続的生産性達成のための最適の猟獲方法であり、海上猟獲の可能性については引き続き調査を実施すべきであるとしているが、修正された条約においては、委員会は、一九六八年に海上猟獲が許されるべきかどうかを勧告することになっている。
なお、前記議定書案は、各国により正式に署名され、批准書が寄託された時に発効することとなっている。
(イ) 北西太平洋日ソ漁業委員会第六回会議は、前回の会議の決定どおり一九六二年二月二十六日からモスクワで開かれた。
日本側からは、藤田巌(大日本水産会副会長)、重光晶(在ソ連日本国大使館公使)、大口駿一(水産庁生産部長)の三委員、ソ連側からはぺ・ア・モイセーエフ(全連邦海洋漁業海洋学研究所長代理)、エム・エス・ミロノフ(ロシア連邦共和国閣僚会議付属魚類資源保護漁業規則国家監督総局長)、イ・エフ・チェルノフ(ソ連外務省一等書記官)の三委員、ならびに双方の専門家が参加した。右のほか高碕達之助氏、河野農林大臣、山田駐ソ大使は政府代表に任命され、委員会に関連あるさけ・ます漁業の規制問題についてソ連側と交渉を行なった。
今次会議の所要日数は七六日で、従来の会議期間(第四回、一〇七日、第五回、一〇五日)に比べると相当短縮されたわけであるが、この間開催された本会議の回数は二六回、科学技術小委員会一〇回、小グループの科学技術委員会会議四回、専門家会議(小グループによるものも含む。)一四回、委員非公式会談一五回、高碕・イシコフ(ソ連国家計画委員会漁業管理総局長官、ソ連大臣)会談五回、高碕・ミコヤン会談および高碕・フルシチョフ会談各一回、河野・イシコフ会談四回、河野・フルシチョフおよびミコヤン会談一回に達した。
(ロ) 二月二十八日の本会議において議事日程が採択され、モイセーエフ議長(毎年日・ソ交替で選出)の下で議事が進められたが、主要問題とその審議経過は、つぎのとおりであった。
(a) さけ・ます年間総漁獲量および規制区域の境界
ソ連側は一九六一年の第五回会議において、規制区域の南方への拡大を提案し、これが解決しない限り規制区域内年間総漁獲量、禁止区域その他の諸規制措置の審議決定は不可能であるとの強硬な態度を示した経緯があり、加うるに科学技術小委員会の報告によれば、六二年のさけ・ます資源の一般状況は、最近の不漁年のいかなる年よりも低いであろうということになっていたので、本年はソ連側が相当低い漁獲量を提案し、交渉は難航を避けられないものと予想されていた。
はたしてソ連側は、今回も終始規制区域拡大の要求を固執して譲らず、わが国の規制区域内六万五、〇〇〇トン、以南区域六万五、〇〇〇トン(但し、以南区域については一〇パーセントの増減を認める)との提案に対しても、日本側が規制区域の拡大に応じない限り他の問題の検討を拒否するとの強硬態度を依然として変えなかった。
このような情勢の下で、日本側としては漁期切迫により余儀なく、四月二十九日、以南区域への出漁を声明し、また規制区域拡大問題をめぐって難航する事態を打開のため、河野農林大臣が訪ソすることとなった。
結局、四回にわたった河野・イシコフ会談の結果、条約区域をA区域(従来の規制区域)とB区域(以南区域)とに分つことに合意が成立し、これに基づいて条約附属書に相応の訂正が加えられ、また一九六二年の年間総漁獲量はA区域において五万五、○○○トン、B区域において六万トン(但し、B区域については一〇パーセントの範囲内の増減がありうる)に決定した。
なお、一九六三年度および六四年度漁獲量に関しては、六二年五月八日付で河野大臣とイシコフ大臣との間に、B区域における一九六三年の年間漁獲量決定に際しては六万トンを基準とし、さけ・ますの資源状態に応じて科学者の勧告により一〇パーセントの範囲内で漁獲量の増加が認められるものとする旨、およびB区域における一九六四年の総漁獲量は第七回会議において決定されるものとする旨、の公文の交換が行なわれた。
(b) B区域における違反の取締りおよび規制措置
この第六回会議において条約区域をA、B両区域に分ち、従来の以南区域をB区域として漁獲量その他の規制措置を規定することとなったため、これに関連してB区域における違反の取締りが当然問題となった。結局、第三回河野・イシコフ会談において、条約第七条の共同取締りをB区域にも及ぼす建前とするが、一九六二年については、日本側で取締りを実施すること、その際日本監視船にソ連魚族保護監督官を同乗させること、一九六三年については明年度あらためて協議決定すること、に了解が成立し、その旨五月八日付で河野大臣とイシコフ大臣は公文の交換を行なった。
なお、B区域におけるさけ・ます規制措置に関しては、日本側は以南区域出漁に関する声明中で、一九六二年における規制区域外のさけ・ます沖取漁業の総漁獲量を六万トン程度に抑えることを目途として各種の自制措置をとる方針である旨ソ連側に通告したが、その後前述のとおり、四八度以南の区域をB区域として規制の対象とすることに合意が成立した。その結果、ソ連側はB区域の規制措置についてはわが方から通告した「以南区域」の自主規制の内容をそのままB区域の規制措置とすることを認めたので、必要事項を条約付属書に記載することとなった。
(c) さけ・ます漁業禁止区域および漁期問題
ソ連側は資源の減少およびソ連沿岸漁獲量の減少を理由として、漁業禁止区域の拡大および漁期の短縮を例年要求してきた。
しかし、今次会議においては提案を行なわず、結局、禁止区域は前年と同様のものに決定した。
つぎに漁期の問題については、従来条約付属書に漁撈の終期につき八月十日という規定はあるが、漁撈の始期についての定めがないため交渉妥結前には出漁できないという不都合があった。そこで、日本側の主張に基づいて交渉した結果、始期としては、母船式漁業については五月十日、日本の港を根拠とする漁船の漁業のうちA区域の流網漁業については六月二十一日、B区域(日本海を除く)の流網およびはえなわ漁業については四月三十日とすること、終期としては、母船式漁業については八月十日、日本の港を根拠とする漁船の漁業のうちA区域の流網漁業については八月十日、B区域(日本海を除く)の流網およびはえなわ漁業については六月三十日とすること、さらに委員会が漁撈の始期までに必要な規制措置を決定すること、に合意され、その旨条約付属書に規定された。
(d) さけ・ます資源の保護に関する諸問題
さけ・ます資源の保護、特にべにざけ未成熟魚の混獲許容限度の決定問題および網目を大きくする問題、あるいは魚体の損傷を少なくするための網糸の太さを太くする問題およびつり漁具の問題などについては、交渉の結果、それぞれつぎのとおり決定された。
I 未成熟魚の混獲許容限度の決定に関する問題は、今後も調査研究を継続する。II 網目の大きさの問題については、(i)母船付属漁船の網目の大きさを六〇ミリメートル以上とし、一九六二年には浮設された流網の配列の長さの五〇パーセント以上、六三年以降は六〇パーセント以上をいずれも六五ミリメートル以上の網目とする。(ii)流網の網目の大きさの問題については引続き一九六二年に調査研究を行なって、その結果を第七回会議の審議のため提出する。III 流網の網糸を太くする問題は調査研究を継続する。IV つり漁具による魚体損傷の問題については前回と大体同様、損傷および損傷発生の程度について調査研究を行ない、またつり漁具によるさけ・ます漁獲物の生物学的特徴を明らかにするため観察を行ない、その結果を次回の会議における審議のため提出する。V 害魚およびその他の海洋動物のさけ・ますにおよぼす影響の問題については前年どおり、調査研究を継続、拡充し、その結果を次回の会議で審議する。
なお、べにざけ漁獲規制の問題については前年とほぼ同様、日本側がその声明で、試験的に実施するものとして、(i)べにざけ漁獲限度を七七五万尾以内とし、(ii)そのうち二五〇万尾を東経一六五度以西、北緯四八度以北の漁獲量とすることで解決した。
(e) にしんおよびかにに対する規制措置
にしんに対する規制措置については、ソ連側は前年と同様、樺太・北海道にしんの資源減少状態を理由として、五年ないし一〇年間の禁漁実施を提案した。これに対し、日本側は、資源の衰退が主として自然条件の影響によるものであり、海洋条件が好転しない限りこのにしん群の回復も期待できないと応酬した。しかし、双方とも資源が衰退状態にあることを認めているので、前年と同様、その資源状態の特徴づけおよび資源回復のための可能な途を究明する目的で科学的調査を拡充強化するという趣旨の決定が行なわれた。
また、かに漁業に対する規制措置の問題に関しては、(i)禁止区域は前年同様南北の禁止区域を存置すること、(ii)めすがに、子がにの混獲許容限度については調査研究を継続することに決定され、(iii)一九六二年における缶詰函数については、日本側は二五万二、○○○函(一函にっき半ポンド缶四八個)を越えないものとする方針である旨を声明し、ソ側は一八万九、○○○函(半ポンド缶九六個)を越えないと規定した旨を声明した。
(イ) 概 観
北西太平洋日ソ漁業委員会第七回会議は、一九六三年三月四日から東京で開かれた。今回の会議には、日本側からは、藤田巌(大日本水産会副会長)、大口駿一(水産庁生産部長)、都倉栄二(外務省欧亜局東欧課長)の三委員、ソ連側からは、ぺ・ア・モイセーエフ(全連邦海洋漁業海洋学研究所長代理)、べ・ゲ・クリコフ(ソ連国民経済会議付属漁業国家委員会漁業渉外・科学技術協力局長)、エヌ・ゲ・スダリコフ(外務省極東部次長)の三委員および双方の専門家・学者などが参加した。その間、委員会本会議が八回、委員非公式会談一七回、科学技術小委員会の会議が一六回にわたって開かれたほか、専門家、学者グループの会談もたびたび行なわれた。四月十一日、議事日程全部の審議を終了し、同十二日、日ソ双方により合意議事録の署名が行なわれ、会議を終了した。
このようにして今回の漁業交渉は、四十日で妥結に達したわけで、例年「百日交渉」と言われるほど長期にわたる交渉を必要としてきた事実をかえりみると、画期的だったといえよう。このように交渉が短期間のうちにまとま
り、しかも、日ソ漁業委員会発足以来初めて、大臣レベルの政治折衝をまつことなく、委員会のみの審議で漁獲量の決定をみたことは、一つには、一九六二年の漁業交渉で行なわれた河野・イシコフ両大臣間の話合いで、本年度の漁獲量について一応の基準が定められていたことなどにもよるが、他方今回の交渉では、会議の当初から、日ソ双方の間に、議事を能率的かつ合理的に促進させようとする気運がみなぎっていたことも、交渉の促進にあずかって力があったものと思われる。
しかしながら、一九六二年の河野・イシコフ交換公文では、漁業活動の長期安定をはかるため、一九六四年度のB区域における年間総漁獲量についても今回の委員会で決定する旨規定されていたにも拘わらず、ソ連側は、資源状態に関し日本側の納得のゆかない主張を繰返したため双方の意見が一致せず、何ら具体的決定をみるに至らなかった。このことは、この問題の交渉が依然としてきびしいことを裏書きしており、わが国の漁業関係者がこのような現実を十分認識して、今後とも、漁獲量その他の規制措置を厳正に遵守し、魚族保存の実をあげ、条約の実施に遺憾がないようにすることが必要であろう。
(ロ) 主要問題に関する決定ないし合意事項
今回の委員会で決定ないし合意をみた主な事項は、つぎのとおりである。
(a) さけ・ます年間総漁獲量
一九六三年度のさけ・ます年間総漁獲量の決定については、前述のように、前年の河野・イシコフ両大臣間の話合いにより、A区域については五万五、○○○トン、B区域については六万トンをそれぞれ基準として、資源状態および科学者の勧告に基づき、一〇パーセントの範囲内で増加が認められることが了解されていたが、日ソ双方とも科学者の意見を尊重して審議した結果、つぎのとおり決定された。
A区域 五万七、○○○トン (三・六パーセント強増)
B区域 六万三、○○○トン (五パーセント増)
ただし、B区域においては、一〇パーセントの増減がありうるものとする。
(b) さけ・ます漁業の規制措置
禁止区域、漁撈の始期および終期、一定の網目、網の長さの使用制限などの規制措置は、前年どおりに据置かれた。
(c) B区域における違反の取締り問題
B区域で操業するさけ・ます漁船の取締りについては、一九六二年度については、河野・イシコフ交換公文により日本側が実施し、ソ連側監督官は、日本監視船に乗船する権利を有することが認められた。一九六三年度については、日本監視船のみで取締ることは前年度と変りはないが、日本監視船に乗船するソ側監督官の権限を一層明確にし、日ソ共同で取締りを行なうことに合意され、この皆日ソ双方の関係大臣との間に交換公文を取りかわすことに了解された。
(d) かに漁業の問題
カムチャッカ半島西海岸に近接する区域における日ソ双方による一九六三年度のかに缶詰の製造函数については、前年と同様、次のとおり合意され、この旨日ソ双方がそれぞれ声明した。
日本側 二五万二、〇〇〇函
ソ連側 三七万八、〇〇〇函
(一函半ポンド缶四八個入)
また、同区域における二つの禁止区域は、一九六三年度もそのまま存置し、このうち北部の禁止区域については、同区域にめすがに、子がにが多く生息しているところから、その北の境界を五マイル北に移動することに決定された。(すなわち、北部禁止区域は、従来北緯五六度二〇分以北、北緯五六度五五分以南の区域であったのが、一九六三年度は、北緯五六度二〇分以北、北緯五七度以南の区域ということになった。)
(e) にしん漁業に関する問題
ソ側は、樺太・北海道にしんの資源状態が近来悪化していることを理由として、今回も、五年ないし一〇年間の全面禁漁を提案した。これに対し、日本側は、資源の衰退は主として自然条件の影響によるものであり、海流条件が好転しない限りこのにしん群の回復は期待できないと応酬し、結局、前年どおり、双方は、その資源状態の把握および資源回復の方途を見出すことを目的として、引き続き調査研究を行なうことに合意をみた。
(f) 協同調査および学識経験者の交換
さけ・ます、かにおよびにしんについての科学的協同調査計画を採択し、また学識経験者の交換を行なうことについて合意をみた。
(g) そ の 他
委員会は、日ソ漁業委員会第八回会議を一九六四年三月十六日に、また科学技術小委員会を三月二日から、それぞれモスクワで開催することに決定した。
なお、日本側は、べにざけの漁獲制限の問題について、前年と同様の声明を行なった。
日ソ漁業委員会第六回会議の決定に基づいて、一九六二年七月から八月にかけて日ソ両国間学識経験者の交換が実施された。
すなわち、日本側学識経験者の調査団は陸上関係および海上関係の二班に分けられ、前者はさらに樺太グループと西カムチャッカ・グループに分れて、それぞれの地方を視察し、後者はソ連側調査船に乗込んで千島周辺のさけ・ます海上観測に従事した。また、ソ連側調査団も陸上班は北海道および東北地方を視察し、海上班は日本側母船および調査船にそれぞれ分乗して調査を行なった。
日ソ漁業条約第七条の規定によれば、一方の締約国の権限を有する公務員は、他方の締約国の漁船に条約の規定違反の疑がある場合はこれを臨検し、その結果、違反の事実が判明した場合は当該漁船をだ捕し、または船上にある責任者を逮捕し得ること、そしてこの場合、当該公務員の所属する締約国は、できる限りすみやかに、右漁船または人の所属する他方の締約国にそのだ捕または逮捕を通告し、かつ、できる限りすみやかに当該漁船または人をその所属する締約国の権限を有する公務員に引渡さなければならないこと、が定められている。
そこで、右引渡しの具体的手続に関し、かねてから日ソ間で交渉が行なわれてきた。一九六二年三月にいたり双方の間に了解が成立したので、同月三十一口わが方在ソ連大使館とソ連外務省との間で右了解を確認する口上書の交換を行なった。
この引渡手続は、条約に基づく漁業規則違反によりだ捕された漁船および逮捕された人の引渡しの具体的手続、調書の作成、これらの漁船および人に食料品、燃料その他を供給した場合の代金の支払方法、ならびに引渡しと引取りに関する双方の通信連絡の方法などを定めている。
この引渡手続は、とりあえず一九六二年だけ一年間に限り適用する了解であったが、この一年間の実施状況をみると、漁業規則違反の容疑を理由として、ソ連側漁業監視官によりだ捕されたわが国の漁船は、いずれもこの手続に従ってソ連領内に抑留されることなく日本の港に向けて釈放され、日本側において適時にその取調べおよび処分を行うことができ、その結果、ソ連側との間に紛争を生ずることも少なくなり、取締上にも少なからぬ効果があった。
よって、この引渡手続を一九六三年の漁期に関しても実施することが適当と認められたので、ソ連側と話合いの結果、了解が成立したので、一九六三年三月十九日わが方在ソ連大使館とソ連外務省との間で右了解を確認する口上書の交換を行なった。
国際捕鯨取締条約の規定に従い、毎年一回条約加入国政府の委員からなる国際捕鯨委員会の会合が開かれているが、その第十四回会合は一九六二年七月二日から同六日までロンドンで開かれた(日本側委員は藤田巌捕鯨協会理事長)。
今回の会合は、後述の南氷洋捕鯨国別割当取極署名後の最初の会合であり、オランダの国際捕鯨取締条約への復帰により、南氷洋捕鯨出漁五カ国全部の代表が参加して捕鯨委員会の審議が三年ぶりに軌道に乗ったという意味において意義の深いものであった。
この会合で討議された主要問題はつぎのとおりである。
(イ) 国際監視員制度
南氷洋捕鯨出漁五カ国(日本、ノールウェー、ソ連、オランダ、英国)の船団に自国人以外の監視員を乗船させるという国際監視員制度の必要性は、従来から各国とも認めていたが、その具体的内容について五カ国全体で検討されたことはなかった。ところが、南氷洋捕鯨国別割当取極が署名され、他方、鯨資源の激減が朋らかになるにつれ、国際監視員制度はいよいよ必要となって来たので、この会合で本格的な討議に入った。しかしながら、監視員の人数、任命方法などの事項に関して各国の意見が食い違ったため、改めて関係国会議を開催することになった。(その後、関係国間の折衝の結果、国別割当取極の発効後モスクワで開催することになった。)
(ロ) 南氷洋ひげ鯨捕獲総頭数の制限
過去二漁期間停止されていた南氷洋のひげ鯨捕獲総頭数の制限は、一九六二-六三年漁期から復活されることになり、以前と同様一万五、〇〇〇頭(しろながす鯨単位)に決定した。
南氷洋におけるひげ鯨の捕獲は、条約の規定によれば、あらかじめ一定の捕獲総頭数を定めておき、この制限内で各国船団が自由競争により捕獲する方式をとってきたが、この方式にかえて、一九六二-六三年漁期から四漁期間(一九六五-六六年漁期まで)国別割当方式をとることに出漁五カ国の意見が一致し、同方式を規定した南氷洋捕鯨国別割当取極(正式名称は南氷洋捕鯨規制取極および同規制補足取極)が一九六二年六月六日五カ国の代表(わが方は駐英大野大使)によりロンドンで署名された。この取極の結果、各国の捕獲総頭数中に占める割合は、日本四一パーセント、ノールウェー二八パーセント、ソ連二〇パーセント、オランダ六パーセント、英国五パーセントとなった。従って、前述のとおり、一九六二-六三年漁期の南氷洋ひげ鯨の捕獲総頭数は一万五、〇〇〇頭(しろながす鯨単位)であるから、結局、同漁期の日本への割当量は、六、一五〇頭となった。
この取極は、一九六三年四月十三日、署名五カ国全部が受諾してその日に発効した。
(3) しろながす鯨およびざとう鯨資源保存措置の強化のための附表修正に関する問題
一九六〇年の国際捕鯨委員会第十二回会合において、(イ)南氷洋におけるざとう鯨の捕獲を一九六一年以降三年間にわたって第四区(豪州の南西水域)においては全面禁止する、また、第五区(豪州の南東水域)においてはざとう鯨の漁期を一九六一年以降の三年間従来の四日間から三日間に短縮する、(ロ)しろながす鯨の解禁日を二月一日から二月十四日に繰り下げる、との附表修正が採択された。
しかし、わが国を初めとする南氷洋捕鯨出漁五カ国は、これらの附表修正に対して、いずれも異議の申立を行なったので、これら附表修正は、実質的に効力を生じなかった。その後、一九六二年南氷洋捕鯨国別割当取極が署名され、わが国の捕獲量が確保されたので、わが国は一九六二年十一月、他の国の異議申立がすべて撤回されることを条件として、その異議申立を撤回する旨を国際捕鯨委員会事務局に通告した。ついで英国、オランダおよびソ連も同様に異議申立を撤回する意向を明らかにした。ところが、ノールウェーはざとう鯨に関しては異議申立撤回の意向を示したが、ざとう鯨漁期に間に合わず、また、しろながす鯨に関しては異議申立を撤回しない旨明らかにしたため、結局、ざとう鯨、しろながす鯨の双方と前記の附表修正は関係五カ国を拘束するにいたらなかった。