三 わが国と各国との間の諸問題

核兵器実験問題に対するわが国の態度

1 ソ連の実験に対するわが国の態度

(1) 一九五八年十一月から二年一〇カ月にわたって守られてきた米、英、ソ三国による核兵器実験の自発的停止の状態は、一九六一年八月三十日ソ連政府が突如行なった核兵器実験再開の声明で打ち破られた。ソ連は、同年九月からそれを実施に移したが、これに続いて、米国もまた地下の核兵器実験を再開し、一九六二年三月二日には、大気圏内の核実験の再開を発表した(「わが外交の近況」第六号一一三ぺージおよび一七一ぺージ参照)。よって、池田総理大臣は、三月二日ケネディ米大統領に対し、その決定を取りやめるよう要望したが、三月十日には、つぎのような趣旨の書簡をフルシチョフ首相へ送った(資料参照)。

日本国民は、軍事目的のための核エネルギーのいかなる利用も、絶対に容認しないものであり、日本国政府は、一九六二年三月二日に米国が行なった大気圏内実験の再開に関する決定に対しては、直ちに抗議を行ない、その中止を要請した。

一九五八年十月以来約三年間にわたって保たれた核兵器実験停止の状態は、一九六一年九月ソ連が一方的に突然大規模な実験を再開することによって破られたが、日本国政府は、現在核兵器の開発を行なっているすべての国が一刻も早く核兵器実験の停止に合意することを念願しており、米国政府は、効果的な禁止条約が締結されれば、実験は行なわない旨を声明している。今やこの問題は、フルシチョフ首相の決断にかかっており、十八カ国軍縮会議が開かれるにあたって、同首相が、実効的な査察および管理をともなう核兵器実験停止協定の締結のために最善の努力を払うことを強く要請する。

(2) これに対し、フルシチョフ首相は四月六日、池田総理大臣に要旨つぎのような返簡を送ってきた。

(イ) 核兵器を発明、活用し、ソ連よりもずっと多くの実験を行なって、この分野での競争を押しつけ、その実験停止協定の成立をさまたげてきたのは米国とその同盟国であり、その実験停止や完全禁止または廃棄を主張してきたのはソ連であるのは明らかである。従って、核実験停止協定の成否を、ソ連の出方にかけることはあたらない。現に、ソ連は、全面かつ完全な軍縮を提唱し、その計画は、十八カ国軍縮委員会に提出されているが、西側諸国は、そのような協定の成立の引延しを策している

(ロ) 核兵器実験に対する管理は、各国が行なう探知手段だけで十分であり、特別な国際査察を必要としない。このよう管理は、米国にスパイ網を置く権利を与えるものである。

(ハ) 核兵器実験停止協定が締結されなければ実験を再開するという米国の言明は、最後通告的な印象を与えるものである。

(ニ) ソ連の行なった核兵器実験は、西欧列強の核兵器軍備拡大に対抗してやむをえずとられた措置であり、米、英の核実験再開は、ソ連が自国の安全と平和を維持するために必要な対抗措置をとらせるものである。

(3) このような四月六日付のフルシチョフ首相の書簡に対し、池田総理大臣は、四月二十日フルシチョフ首相に書簡を送り、同首相の見解に対し、つぎのように述べた(資料参照)。

核兵器実験停止協定の成立を妨げているのは、国際管理制度を主張している米英側であるというフルシチョフ首相の言明には、同意できない。有効な核実験の停止が実施されるためには、国際管理制度が必要であり、このような見解は、東西両陣営のいずれにも属さない諸国を含めて、世界の与論となっている。また、国際管理は、国際スパイを意味するものだという主張も、納得できない。ソ連が、有効で公正な国際管理制度を発見するための具体的検討に同意し、そのような管理をともなう核兵器実験停止協定の締結に努力することを要望する。

(4) 右のような四月二十日付の池田総理大臣の書簡に対し、フルシチョフ・ソ連首相は、六月十四日池田総理大臣に書簡を送り、核兵器実験の停止に対する国際管理についてのソ連の従来の主張を繰返して述べたほか、要旨つぎのように回答してきた。

(イ) 米英両国は、日本国民をふくむ諸国民の意思をふみにじって大気圏内の核爆発を再開したが、日本政府が行なった両国への申入れは、抗議ではなく、その行動を正当化するものである。

(ロ) 日本政府は、核兵器実験停止交渉行詰りの責任をソ連に転嫁しようとしているが、実際は、米英に責任があることは明らかである。

(ハ) ソ連は、十八カ国軍縮委員会での中立八カ国の提案を歓迎し、今後これを交渉の基礎として検討する用意があることを明らかにしており、問題の解決は、米英の態度にかかっている。

(ニ) 日本の世論が太平洋上で開始された核実験に関して示している不安は、理解できる。ソ連は、核兵器ばかりでなく、あらゆる軍備をなくすため今後も努力するつもりである。

(5) 一九六二年七月二十二日、ソ連政府は、核爆発実験の再開を決定したので、山田駐ソ大使は、ソ連のソボレフ外務次官と会見して、口上書を手渡した。この中では、つぎのような日本政府の態度が述べられている。

ソ連が、日本国民の念願を無視して、核兵器実験の実施を決定したことは、深く遺憾とするものである。

ソ連は、この決定は、米国の実験によって誘発されたものであると述べているが、一九五八年以来二年一〇カ月にわたって守られていた実験停止の状態を破り、実験競争の悪循環を再発させたのはソ連であり、ソ連の責任は重大である。

ソ連政府が、単に言葉の上だけではなく、行為の上でも、世界平和を達成するための措置をとるよう、実験実施の決定を撤回し、それと同時に、査察をともなう有効な核兵器実験停止協定締結のために進んで協力し、建設的な努力を行なうことを期待する。

(6) その後、七月二十二日の日本側の申入れにもかかわらず、同年八月五日、ソ連は、大型核爆発の実験を行なったことが確認されたので、大平外務大臣は、八月七日スズダレフ駐日ソ連臨時代理大使を招いて、つぎのように申入れた。

ソ連が、日本政府の抗議を無視して、大型核爆発の実験を行なったことは、はなはだ遺憾である。ソ連は、さきに核兵器実験の自発的停止の状態を破り、ふたたび核兵器実験競争の口火を切ったが、このような競争の悪循環を断ち切るため、直ちに現在の実験を中止するよう強く要求する。また、実験の実施によって日本国および国民が損害、損失を蒙った場合は、完全な補償を要求する権利を留保する。

(7) 前述のような七月二十六日付および八月七日付の日本側の申入れに対し、スズダレフ臨時代理大使は、八月三十日大平大臣に、要旨つぎのような口上書を手渡した。

ソ連の核実験は、米国の行なっている核実験に対する対抗措置として、やむをえず行なわれたものである。

一九五八年以降の実験停止の状態は、同年夏の米英の大規模な実験ののちに行なわれたものであり、また、米国は、一九五九年十二月以降は、新しい実験を始めるのに適当な時機を選ぼうとしているのに過ぎなかった。また、この間、米国の軍事同盟国であるフランスは、アフリカで核爆発実験を継続していた。

日本政府は、一九五七年の国連第十一回総会で、核兵器実験の通告をさせる提案を行ない、実験の合法化を目指している米国の利益に奉仕した。また、国連第十三回総会では、実験の即時停止を呼びかけた中立諸国の決議案に対し、単にジュネーヴの核実験停止会議の成功を希望する決議案を出して、中立諸国の決議を失敗させた。さらに、米国の実験に対しては、控え目な形式的な声明を行なうにとどめ、これを正当化している。

日本政府が、その態度を再検討し、核実験の停止、核兵器の廃棄および全面完全軍縮に関する国際協定の達成を積極的に促進するよう期待する。

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2 米国の実験に対するわが国の態度

(1) 一九六一年八月三十日ソ連政府は、一九五八年十一月から守られてきた核兵器実験停止の状態を突如破って、実験の再開を声明し、続いてそれを実施に移した。これに対し、ケネディ米国大統領は、同年九月五日、ソ連の行動の結果、米国は、自国と自由世界に対する責任を果すため、研究施設および地下での核兵器実験の再開を決定するのやむなきにいたったと声明し、同年九月十五日に実験を実施した(「わが外交の近況」第六号一一三ぺージ参照)。

(2) 一九六二年二月八日、米英両国政府は、たがいに米国のネヴァダおよび英領のクリスマス島を提供して、核兵器実験の準備を進めることを決定した、と共同で声明したので、外務省は、同年二月九日、情報文化局長談を発表し、これに遺憾の意を表わすとともに、管理をともなった軍縮ならび核兵器実験禁止協定が一日も早く成立し、核兵器実験の必要がなくなることを希望した。

(3) 一九六二年三月二日、ケネディ大統領は、三月十四日から開始される十八カ国軍縮会議で核兵器実験停止に関する国際協定が成立しない場合には、大気圏内核兵器実験を再開することに決定したと発表した。同大統領は、池田総理大臣あて親書で、この決定を行なうことになった理由を事前に通報してきた。これに対して、池田総理は三月二日ケネディ大統領に親書を送り、実験再開の決定に対し遺憾の意を表わし、決定のとりやめを要請した(資料参照)。また、小坂外務大臣は、三月五日ライシャウアー駐日米大使を招いて、この問題に関する口上書を手渡した。日本政府は、その中で、米国の核兵器実験再開に対する日本国民の深い危惧を重ねて表明して、これに抗議し、米国政府が、核兵器実験停止に関する日本国民の熱意にこたえて、これをとりやめるよう再考するとともに、実効的な管理および査察の措置をともなう核兵器実験停止協定の締結に努力するよう要望し、また、日本政府は、実験により、日本国および日本国民が損害を蒙った場合の補償の権利を留保した。さらに、ネヴァダ実験場での米英共同の実験実施にも、併せて抗議した。なお、これに関連して、三月十日、池田総理大臣は、ソ連のフルシチョフ首相にも書簡を送った(別項六三ぺージ参照)。

(4) 続いて、同年四月四日、米国原子力委員会と国防省は、核兵器実験準備のため四月十五日以降クリスマス島周辺に危険区域を設定する、と発表したので、四月九日外務省は、在日米大使館に対し、口上書を送り、核兵器実験の中止および核兵器実験停止協定への努力を重ねて要望し、さらに公海上に広範な区域を無期限に設定して、事実上他国の船舶、航空機の航行を不可能にすることは、公海自由の原則にそわないばかりでなく、漁業を始め経済的損失をもたらすものであることを指摘し、これによって日本国および日本国民が蒙る損害、損失に対する補償の権利を改めて留保した。

(5) つぎに、同年四月九日、米国原子力委員会と国防省は、核兵器実験準備のため四月三十日以降ジョンストン島周辺を危険区域と指定し、あわせてさきに指定したクリスマス島周辺の危険区域を一部拡張する、と発表したので、同年四月十三日外務省は、在日米大使館に口上書を送り、前項(4)の四月九日付の口上書と同じ趣旨を述べて、わが方の態度を明らかにした。

(6) 同年四月二十六日、米国原子力委員会は、太平洋で一連の大気圏内核兵器実験を実施すると発表したので、四月二十六日小坂外務大臣は、在日米大使館のレオンハート公使を招いて口上書を手渡し、核兵器実験の反対、有効な管理をともなう核兵器実験停止協定締結への願望、損害補償要求の権利の留保などのわが方の態度を改めて述べ、核兵器の実験に対し、厳重に抗議した。

米国は、一九六二年四月四日から同七月十一月まで南太平洋上の英領クリスマス島で、また、同年七月八日から同十一月三日まで、同じく南太平洋上の米領ジョンストン島で、それぞれ核兵器実験を実施した。

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3 英国の実験に対するわが国の態度

一九六二年二月八日、米英両国政府は、たがいに米国のネヴァダおよび英領のクリスマス島を提供して、核兵器実験の準備を進めることを決定した、と共同で声明したので、外務省は、前述のように情報文化局長談を発表した(別項六七ページ参照)。

また、英国原子力公社は、英国が同年三月一日にネヴァダで地下核実験を行なったと発表した。よって、小坂外務大臣は、三月五日モーランド駐日英国大使を招き、前記英国の核実験を遺憾として、これに抗議し、あわせて、英国が、実効的な管理および査察をともなう核兵器実験停止条約成立のため、最善の努力を払うよう要請した。

これに対し、モーランド大使は、三月十二日小坂外務大臣を訪問して、口上書を手渡したが、この中で、英国は、英国が行なう核兵器実験は、軍事上、科学上のやむをえない理由から、自由世界の安全のために行なわれるものであることを述べ、また、日本政府が熱望している核兵器実験停止協定の締結は、ソ連の引延し戦術によって妨げられているが、英国は、従来と同様今後もその実現に努力する意向である、と回答した。

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4 フランスの実験に対するわが国の態度

(1) フランスは、一九六二年五月一日アルジェリア(当時はフランス領)のサハラで地下の核兵器実験を行ったことが判明したので、政府は同年五月八日、萩原駐フランス大使を通じ、フランス政府に対し、遺憾の意を表明し、日本政府は人類の生存と福祉のための人道的要請として、核兵器実験の停止が一日も早く実現されることを望んでおり、フランス政府がこれ以上核兵器実験を行なわないよう要請した。

(2) フランスは、一九六三年三月十八日、アルジェリアのサハラ砂漠にあるイネッケル仏軍基地で地下の核兵器実験を行なったことが明らかとなったので、同年三月二十一日在フランス大使館北原参事官は政府の訓令に基づいて、リュセ・フランス外務省政務総局長に対し、フランスがサハラで地下核兵器実験を行なったことに対し遺憾の意を表わし、わが国は人道的見地から、効果的な管理をともなう核兵器実験の停止協定が一日も早く締結されることを希望するものであり、フランス政府が一切の核兵器実験を行わないよう、要請した。これに対し、リュセ総局長は、日本政府の立場は十分承知していると答え、政府首脳にも直ちに伝達することを約束した。

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5 十八カ国軍縮委員会委員国に対する要請

(1) 上述のように、わが国は従来から、いかなる国による、いかなる態様による核兵器実験に対しても、常にその停止を要請し、その実施に抗議してきたが、この問題を基本的に解決するためには、有効な核兵器実験の停止協定を締結することが必要である、と考えていた。

ところが、従来のこの問題に関する米英ソ三国会談は行詰り、これに代って、十八カ国軍縮委員会が、一九六二年三月十四日からこの問題を審議することになったので(別項三二ぺージ参照)、同委員会の開会を前にして、同委員会の委員国である一八カ国に対し、前述のような停止協定を成立させるため、最善の努力を払うよう要請する申入れを行なった。

(2) また、その後、十八カ国軍縮委員会では、核兵器実験停止のための有効な国際管理の要否をめぐる米ソの根本的対立は解消せず、一九六二年四月十六日には、中立八カ国案が提出されたが、なんら具体的成果をあげないまま、米国は、大気圏内の核実験の実施を再開するにいたった(別項六七ページおよび六八ページ参照)。このような情勢の中で、わが国は、同委員会の審議に参加している一七カ国(委員国であるフランスは、不参加)に対し、実験停止協定成立のため最善の努力を払うよう申入れを行ない、その旨同年五月七日に発表した。わが国は、この申入れの中で、有効な核兵器実験の停止成立のためには、公正な国際機関による現地査察を含む国際管理の原則が確保されることが不可欠であると述べ、さらに、米国に対しては、核兵器実験を一日も早く中止するよう、ソ連に対しては、米国の実験再開を口実とし重ねて実験を再開することによって核兵器実験競争の悪循環を続けないよう、それぞれあわせて強く要請した。

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