二 国際連合における活動その他の国際協力
国際連合第十七回総会の審議
国際連合第十七回総会は、一九六二年九月十八日に開会し、同年十二月二十日にその議事を終了して閉会した。
この総会を通じて見られた国連の動向とわが国の立場については、前章において一般的にふれたとおりである。ここでは、総会におけるわが国の活動を概観する。
国連第十七回総会に臨むわが国代表団の構成は、つぎのとおりであった。
政府代表 大平正芳 外務大臣
〃 岡崎勝男 国連常駐代表
〃 福島慎太郎 ジャパン・タイムズ社長
〃 松井明 国連代表部大使
〃 鶴岡千仭 外務大臣官房審議官
〃 牛場信彦 駐カナダ大使
顧 問 高橋覚 外務省国連局長
代表代理 星文七 国連代表部参事官
〃 根本驥 外務省国連局参事官
〃 須之部量三 外務省条約局参事官
〃 横田弘 国連代表部参事官
〃 久保田キヌ 立教大学助教授
大平外務大臣は、九月二十一日の総会本会議において一般討論を行ない、国連憲章の目的と原則を尊重し、国連の活動にできるかぎりの協力を行なうことはわが国外交の一貫した基本方針であり、わが国は今後とも世界平和維持機構としての国連がますますその基礎を強固にし、十分目的を達しうるようあらゆる努力をつくし、協力を措しまない覚悟であると述べたのち、現在、世界が当面する種々の重要問題について要旨つぎのとおり、わが国の見解を表明した。
(1) わが国は、国際緊張の緩和を求めるに最も急なものではあるが、その実現はあくまでも国連憲章の原則、とりわけ民族自決、人権尊重の原則に従い、平和的手段によって行なわれなければならないことを強調したい。
(2) 軍縮問題に関し、ジュネーヴの十八カ国軍縮委員会がこれを包括的に討議していることは心強い。わが国は、軍縮の目標達成のためには、まず管理が可能であり、実行が可能である措置から実施し、これによって国際信頼感を回復したうえで、さらにその範囲を拡大してゆくというやり方をとることが現実的であり、かつ建設的である、と考える。
(3) 核兵器の実験停止の問題については、わが国は、これまでも、効果的な核兵器の実験停止に関する協定を他の軍縮措置に優先してすみやかに成立させるよう希望してきたが、この際改めてその必要性を強調したい。この点に関し、特に、今日の世界平和が核戦力の微妙なバランスの上に立っているという事実を指摘したい。わが国としては、全人類の運命が核保有国である大国の手に握られているので、これら大国がその責任の重大さを自覚し、世界の平和と安全のため、目前の国家的利害を離れた大局的見地に立って核兵器の実験停止協定をすみやかに締結するようつとめることを強く希望したい。
(4) 植民地問題に関しては、わが国は、植民地主義がいかなる民族により、またいかなる民族を対象として行なわれても、それは依然として悪であることを確認するものである。従属諸民族が自由を獲得することは時代の要請であり、このことは、すでに国連憲章が規定し、予想したところであり、さらに植民地の独立宣言が確認したところである。
ただわが国は、独立を希望する諸民族の側でいたずらに性急に走ることなく、着実穏健に独立達成への道を進むよう希望するものであるが、植民地主義を排除しようとする諸民族のまじめな念願を悪用して、自国の勢力伸張を図ろうとするような試みに対しては十分警戒をする必要があることを付言したい。
(5) 国連の財政問題に関しては、国連緊急軍の経費やコンゴーの経費の負担を一部の加盟国が拒否したことにより、国連の財政は危機に陥ったが、この危機が国連公債の発行によってともかくも緩和の見込みが立つにいたったことは喜ばしい。わが国としても、国連協力の立場から、さきに、この国連公債五〇〇万ドル引受けの用意あることを通報している。
これに関し、国際司法裁判所は、国連緊急軍の経費およびコンゴーの経費は憲章第十七条にいう国連の義務費であるとの勧告的意見を出したが、わが国はこの国際司法裁判所の見解を全面的に支持するものであって、さらに今次総会中、この勧告的意見に従って積極的方策が講ぜられることを信ずるものである。
(6) 経済社会の分野での国連の責任は、まことに重大なものがある。
第十六回総会は、一九六〇年代を「国連開発の十年」とするとの決議を採択したが、わが国は、「開発の十年」の間に低開発諸国の経済的自立体制が一段と強化され、世界経済の調和ある発展に資することを期待したい。
「開発の十年」の間を通じて、アフリカの新興独立諸国をはじめとし、低開発諸国に対する国際援助の必要が増大することは当然である。わが国としては、特に地理的にも近く、また、わが国と密接な経済関係を持っているアジア諸国からの要請には、格別の考慮を払うこととしたい。
「開発の十年」の目標達成に、貿易上の諸問題は重大な関連がある。この点から、すでに経済社会理事会は国連貿易開発会議の招集を決定し、その準備の手続を進めているが、これは、きわめて画期的なことである。貿易の分野では、現在すでにガットをはじめとするいろいろの機関が大きな役割を果しつつあるが、国連貿易開発会議が活動するに当っては、これら既存の諸機関の行なっている活動および今後の努力を最大限に活用することが必要であると考える。
(7) 宇宙空間の平和利用問題に関しては、わが国は、従来から宇宙空間の利用が国際的協力のもとに、平和的に、公開と秩序の原則に基づいて促進されるべきであると強調してきた。わが国としては、宇宙空間の開発が人類の平和と福祉向上のためにのみ行なわれることを希望するものであるが、この点について、できる限りすみやかに国際的合意が成立することを要望してやまない。
国連においての中国代表権問題は、第十六回総会にひき続き、第十七回総会でも実質審議に付されたが、その審議の概要はつぎのとおりであった。
一九六二年九月十七日、ソ連は、「国連での中華人民共和国の合法的権利の回復」と題する議題の採択を要請した。九月二十四日、これが正式に議題として採択された後、ソ連は十月十九日、この問題に関し「蒋介石政権の代表を国連のすべての機関から排除し、中華人民共和国政府の代表が国連のすべての機関で中国の席を占めるよう勧奨する」という趣旨の決議案を提出した。
この議題の審議は、右ソ連決議案を討議の基礎として十月二十二日から総会の本会議で行なわれ、十月二十九日まで一般討論を続行したが、その間四六カ国が発言した。各国発言中、(イ) 前記ソ連決議案を明確に支持し、国府に代り中共に代表権を与えるべしとの意見、(ロ) 中印国境問題に関する中共の態度からみて、中共は平和愛好国として国連に席を占める資格ありや否や疑義ありとする意見のほか、(ハ) 中共に代表権を認めることに賛成しつつも、国府を国連から排除することには反対するなど、多くの意見が開陳された。
十月二十九日、わが岡崎代表は、この問題について発言し、中国代表権問題はその性質上、極東ならびに世界の平和と安全に大きな影響を持つ重要問題であり、その解決は国連憲章の目的および原則に従い、平和手段によりかつ極東と世界の安全に寄与するような方法で行なわれなければならない、というわが国の立場を表明した。
十月三十日、総会本会議は前記ソ連決議案を表決に付し、賛成四二、反対五六(わが国を含む)、棄権一二でこれを否決した。この表決の結果を、前回の第十六回総会でのソ連の同様の決議案に対する表決ぶりと比較すると、賛成は六票、反対は八票ずつそれぞれ増加し、棄権は八票減少している(「わが外交の近況」第六号一七ページ以下参照)。
国連第十六回総会は、従来の十カ国軍縮委員会の委員国(米、英、フランス、カナダおよびイタリアの西側五カ国とソ連、チェッコ、ポーランド、ルーマニアおよびブルガリアの東側五カ国)に新たにインド、ビルマ、アラブ連合、ナイジェリア、エティオピア、メキシコ、ブラジルおよびスウェーデンのいわゆる中立八カ国を委員国とする十八カ国軍縮委員会を設けたが、同委員会は、一九六二年三月十四日ジュネーヴで開かれ、これにはフランスを除く十七カ国代表が参加した。同軍縮委員会は、本会議のもとにその下部機関として、全体委員会および核兵器実験停止問題小委員会を設置し、開会から六月十四日まで、および七月十六日から九月七日までそれぞれ会合し、全面完全軍縮、部分的措置および核兵器実験停止の各問題を審議した。
この間、同軍縮委員会は、五月三十一日および九月七日、国連軍縮委員会に対しそれぞれ第一次、第二次の中間報告を提出したが、全面完全軍縮問題および部分的措置問題に関する審議の大要は、つぎのとおりであった。
(1) 全面完全軍縮問題については、一九六二年三月十五日ソ連から提出された「全面完全軍縮条約」案、および四月十八日米国から提出された「平和な世界においての全面完全軍縮条約の基本条項」案の両案を基礎として、本会議において審議された。その結果、軍縮条約の前文案(軍縮の必要性を謳ったもの)について、また同条約第一部(第一条-第三条=基本的「条約義務」)、および第二部(「第一段階」)の一部(第四条=第一段階の基本的義務および期限)の草案の骨子について、それぞれ米ソ間に一応の原則的合意が成立した。これらは、いずれも軍縮条約の形式面に関するものにすぎないが、他方、その実質面についても米ソ双方から各種重要修正案が提出されるなどの進展があった。
(2) 全面完全軍縮の達成に資する部分的措置の問題については、最初、全体委員会で戦争宣伝禁止の問題が審議され、五月二十五日、米ソ両国から共同提案された「戦争宣伝禁止に関する宣言」案が全会一致で採択された。その数日後、同案を本会議で正式に採択しようとした時、ソ連が突然国内立法化義務を折り込むことなどを内容とした修正案を持ち出したため、西側諸国の拒否するところとなり、同宣言案は流産に終った。
他方、国連第十七回総会は、十八カ国軍縮委員会から提出された「全面完全軍縮問題」に関する報告を議題として採択し、第一委員会でこれを審議した。
同審議では、東西双方から従来の主張が繰り返えされたほか、加盟国の多くから、十八カ国軍縮委員会の各当事国が同交渉を成功に導びくため払っている努力に対し謝意が表明され、さらに一層の努力が要望された。結局、十一月二十一日の総会本会議で、アラブ連合など三三カ国提出の「十八カ国軍縮委員会に対し、建設的妥協の精神をもって有効な管理を伴なう全面完全軍縮に関する交渉を早急に再開するよう要請するとともに、各種部分的措置に対し緊急の注意が払われるべき旨勧告する」との決議案が、八四対○、棄権一で採択された。
また、同軍縮問題の議題の下でブラジルなどラテン・アメリカ四カ国からラテン・アメリカを核非武装化する趣旨の決議案が提出されたが、これに関する同地域関係諸国の協議が整わなかったため、同案の審議および表決は第十八回総会まで持ち越された。インドネシアもアジア核非武装地帯に関する決議案を考慮しているむね伝えられたが、第十七回総会では上程されるに至らなかった。
わが岡崎代表は、十一月十九日、第一委員会で演説し、まず、軍縮は、均衡がとれ、かつ厳格な国際管理をともなわなければならないこと、しかもこれは核兵器実験停止など可能な分野から実施し、漸次その範囲を広め、もって全面完全軍縮の究極的目標を達成すべきであると指摘し、本総会がジュネーヴの軍縮委員会に対し新らしい決意をもって交渉を再開することを要請するよう、希望した。ついで、ラテン・アメリカの核非武装地帯設置に関する決議案に言及し、およそ核非武装地帯設置の構想を現実的に考えるためには、(イ)核非武装地帯となるべき地域に現に核保有国の間の対立が存在しないこと、(ロ)当該地域の核保有国を含むすべての関係諸国の合意が得られること、の二条件が不可欠である。しかも、同地帯を設置することにより世界の全般的な力の均衡をくつがえすようなことがあってはならない旨を強調し、この問題は、全面完全軍縮の一環として他の軍縮措置との均衡を考えつつ検討されるべきである、と述べた。(大平外務大臣の一般討論の中での発言は、別項二四ページおよび資料一〇ページ以下参照。)
前記国連総会決議の要請に応え、十八カ国軍縮委員会は、十一月二十六日に再開され、十二月二十日まで審議を続けた。同会期中、ソ連は、同国の軍縮案について、第十七回総会一般討論においてグロムイコ外相が提示した各種の修正点を確認し、また米国は、第一段階の兵器削減などに関する軍縮条約第五条草案、および偶発戦争の危険防止に関するワーキング・ペーパーを提出するなどの動きはあった。しかし、討議は、主として核兵器実験停止問題に集中したため、軍縮問題については、何らの実質的進展をみなかった。
十八カ国軍縮委員会は、一九六三年二月十二日、会議を再開した。ソ連は、同日および二月二十日、それぞれ「戦略核兵器の運搬手段の配備のための外国領土使用の放棄に関する宣言案」、および「NATO・ワルシャワ両条約当事国間の不可侵条約案」を提出し、これら両案の優先審議を要求した。これに対し、西側および中立諸国は、核兵器実験停止問題に第一の優先権を与えるよう主張し、結局、核兵器実験停止問題、ソ連の右二提案を含む部分的措置問題、および全面完全軍縮問題のそれぞれを、交互に本会議で審議することとなった。
これらの審議では、東西双方とも従来からの主張を繰り返えし、格別の進展をみなかったが、四月五日になって、ソ連は、米ソ両国政府間に直通の通信連絡線を設けるという趣旨の米国の提案を受諾し、これに関する交渉を直ちに行なう用意があるむねを明らかにした。ソ連が受諾した米国の提案は、従来から米国が重視してきた偶発戦争の危険を防止する措置の一環として一九六二年四月の米国の軍縮案中に一般的かたちで規定され、さらに同年十二月の米国のワーキング・ぺーパーで具体化されたものである。
(1) 非核クラブ問題に関する事務総長の照会とわが国の回答
国連第十六回総会で採択された非核クラブに関する決議一六六四(XVI)に基づき、国連事務総長は、一九六二年一月二日付の書簡で、核非保有国が核兵器を製造ないし獲得することを差し控え、かつ将来他国のために自国領土内に核兵器を受け入れることを拒否する特別の約束を取り決めることを同意する場合の条件について、各国政府の見解を同年三月十五日までに回答を提出するよう要請した。
わが国はこれに対し、同年三月十五日付で回答を提出したが、その内容は、つぎのとおりである。
核兵器ははかり知れない破壊力を持ち、人類全体に脅威を与えるものであるから、この脅威が一日も早く取り除かれることが望ましいことはいうまでもない。
このような見地から、日本国政府は、周知のとおり、従来から一貫してあらゆる核兵器の実験に強く反対し、関係諸国が有効な国際管理をともなう核兵器実験停止協定をすみやかに締結するよう主張してきた。
ひるがえって世界の現状を見ると、ある核保有国は、昨年一方的に核兵器実験を再開し、また大型核爆弾の威力を誇示した。
そもそも、核軍縮措置実施の第一義的責任は現に核兵器を所有する国の側にあり、これら諸国の積極的努力がなくては、いかなる核軍縮の措置も効果的なものとなりえないことは明らかである。従って、核非保有国の核軍縮に対する努力が、核保有国のこの問題の解決に対する熱意をそこなうものであってはならない。また、核軍縮の措置は、各国の安全保障を十分考慮しながら進められなければならない。
このような観点から、日本国政府は、核非保有国が核兵器を製造ないし獲得することを差し控え、かつ将来他国のために自国領土内に核兵器を受け入れることを拒否する特別の約束を取り決めるためには、つぎの条件が必要であると考える。
(イ) この問題が、有効な国際管理をともなう軍縮措置と均衡をとりつつ取り上げられること。
(ロ) 核兵器保有国の間に、有効な国際管理をともなう核兵器実験停止協定、および核兵器の製造、貯蔵および使用禁止のための協定の締結について、実質的な前進が遂げられること。
(ハ) このような特別の約束が全世界的な規模で同時に実施され、かつその実施にあたって、有効な国際管理が確保される保証が成立すること。
(2) 核兵器使用禁止条約締結のための会議召集問題に関する事務総長の照会とわが国の回答
国連第十六回総会で採択された決議一六五三(XVI)に基づき、事務総長は、一九六二年一月二日付で、戦争目的のための核兵器の使用禁止に関する条約締結のための特別会議開催の可能性についての見解を同年七月一日までに提出するよう各国政府に要請した。
これに対し、わが国は、七月一日付で回答を提出したが、その内容は、つぎのとおりである。
日本国政府は、核軍縮の具体的措置が一日も早く実現することを希望するものであるが、核兵器使用禁止の問題は、軍縮の他の諸措置と密接な関係を持っており、例えば、核兵器の生産禁止および貯蔵の漸進的削減などが、有効な国際管理のもとでの全面完全軍縮の具体的措置で裏付けられなくては実効性を確保できないと考える。
従って、日本国政府としては、十八カ国軍縮委員会が、核兵器使用禁止の問題を全面完全軍縮の一環として取り上げることを最も適当と考えており、軍縮の具体的措置についてはもちろんのこと、核兵器実験停止問題についてすらまだ関係国間になんらの合意も成立していない状況のもとでは、全面完全軍縮と切り離して核兵器使用禁止協定締結のための特別会議を召集しても、実効をあげることは困難と考える。
第十七回総会は、六二カ国政府からのこの問題に関する回答をとりまとめた事務総長報告を議題として採択し、これを、第一委員会で審議したが、十二月十四日の総会本会議で、エティオピアなど二一カ国が提出した「事務総長に対し、各国政府との本件協議を継続し、その結果を第十八回総会に報告するよう要請する」という趣旨の決議案を、三三対〇、棄権二五(日本を含む)で採択した。
核兵器実験停止問題は、一九六二年の初め従来行なわれてきた米英ソ三カ国会議が行詰ったため、新たに設けられた十八カ国軍縮委員会でとりあげられることとなり、同委員会は、同年三月十四日からジュネーブで審議を開始した(「わが外交の近況」第六号二四ぺージ以下参照)。
この会議では、核兵器実験停止のためには、(イ)有効な国際管理が不可欠であると主張する米英などの西側諸国と、(ロ)国際管理の考え方を否認し、国別探知組織により相互に監視すれば足りると主張する東側諸国とが、真向から対立し、会議は冒頭から膠着状態に陥った。こうした状態の中で、同年四月十六日、いわゆる中立八カ国は、東西の主張の対立を解消するための妥協案として共同覚書を提出し、中立国の科学者からなる国際委員会を設立して核兵器実験の停止ぶりを監視させ、これと同時に、必要の場合には、ある国で疑わしい地殻震動が生じた場合は、その国の招請に応じ、現地査察を行なうことを提案した。
米英およびソ連はいずれも、この提案を交渉の一つの基礎とすることに同意した。しかし、右覚書にいう国際委員会による現地査察の招請を義務的とみるか否かの解釈について、米英とソ連の見解が対立したので、八カ国共同覚書も問題解決のため具体的成果をあげることができなかった。
同年八月に至り、米英両国は、前記八カ国共同覚書を十分考慮に入れ、現地査察を含む国際管理の原則に立脚したものとして「あらゆる環境における核兵器実験を停止するための全面的核兵器実験停止条約案」、ならびに「地下を除き、大気圏内・外および水中での核兵器実験を停止するための部分的核兵器実験停止条約案」を提出し、これら両案を基礎として核兵器実験を停止するようソ連側に提案した。これに対し、ソ連は直ちに、米英の全面的核兵器実験停止条約案は現地査察を含んでいるから受諾不可能であるとし、また、部分的核兵器実験停止条約案は地下実験を合法化するものであるから、これもまた受諾不可能であると反論、逆にソ連は、あくまで核兵器実験の全面的停止を要求するものであるとして、大気圏内・外および水中での核兵器実験を即時停止し、同時に地下実験については最終的協定が成立するまでの間、各国がこれを差控える旨の暫定取極を結ぶか、または、前記中立八カ国覚書を基礎として交渉を継続することを、反対提案した。
十八カ国軍縮委員会は、その後もこの問題に関する審議を継続したが、結局、米英とソ連との間の国際管理の原則をめぐる前述のような対立は解消せず、何ら実質的成果をあげることはできなかった。このため、同委員会は、同年九月十八日から開会される国連第十七回総会においてのこの問題に関する審議ぶりを見たうえで、追って会議を再開することとして、九月七日、一旦休会に入った。
国連第十七回総会は、十月十日から十一月六日まで、核兵器実験停止問題について審議した。しかし、同審議では、(イ)地下実験について義務的現地査察を含む国際管理の原則を不可欠とする米英の立場と、(ロ)このような現地査察を条件としないでもあらゆる核兵器の実験は停止できるとするソ連の立場とは、依然対立したままであった。一方、この対立状態の中で、中立諸国は、一九六三年一月一日までにあらゆる核兵器実験を停止するよう要望した。
わが、岡崎代表は十月十六日発言し、核兵器実験停止問題を軍縮一般の問題と切り離し、核兵器実験を効果的に禁止する協定を早急に締結するよう訴え、地下実験については、わが国は、国際管理の原則があくまで必要であり、単なる自発的停止の約束のみでは地下実験を禁止するのに不十分と考える旨を強調した(別項二四ページ参照)。
この問題は十一月五日まで、総会で審議されたが、結局、総会は、二つの決議を採択して、十一月五日この問題に関する審議を終了した。これらの決議は、十八カ国軍縮委員会に対し、それぞれつぎのように要請したものであるが、その基調は、中立諸国の要望を基礎とし、それに米英の主張を盛り込んだものである。なお、わが国は、これら二決議の採択に当っては、いずれにも賛成の投票をした。
(1) 一九六三年一月一日までにすべての核兵器実験を停止する協定を締結するよう努力し、これが成功しなかった場合には地下をのぞく他の環境での実験を直ちに停止し、地下実験については八カ国共同覚書を基礎とし、その他の提案をも考慮に入れて国際科学委員会による効果的探知識別措置をともなう暫定取極を結ぶよう要請する。
(2) 米英の提案による有効な国際管理をともなう全面的核兵器実験停止協定の締結を要請する。
これら二つの総会決議により要請をうけた十八カ国軍縮委員会は、十一月二十六日から会議を再開した。再開された会議では、ソ連は地下核兵器実験の探知手段として封印された無人観測装置(ブラック・ボックス)の採用を提案し注目されたが、米英は無人観測装置の設置は現地査察にとって代るものではなく、ソ連側がまず現地査察を認めることが必要であると主張し、同委員会での交渉はなんら具体的成果を挙げないうちに、同年十二月二十日、再び休会に入った。
その後一九六二年末、ケネディ米大統領とフルシチョフ・ソ連首相との間に交換された書簡の中で、フルシチョフ首相は、年間二回ないし三回の現地査察を受け入れる用意があることを表明し、それと同時に、地殻震動探知手段として無人観測装置を各核保有国領域内に三カ所ずつ設置することを提案した。このソ連側提案に対し、ケネディ大統領はフルシチョフ首相に対し、現地査察の回数として年間八回ないし一〇回を必要とするという米国の立場を繰り返し、また無人観測装置設置の数も三カ所では余りにも少な過ぎる旨を回答した。
この書簡交換にともなう細目協議のため、米ソ両国代表は一九六三年一月十四日からニューヨークで、さらに同年一月二十二日からは英国をも加えワシントンで非公式会談を続けたが、現地査察の回数および無人観測装置設置箇所の数について、米ソ間で意見の調整を見るには至らなかった。
一九六三年二月十二日、十八カ国軍縮委員会は会議を再開し、核兵器実験停止問題に関する審議を継続した。再開された会議では、核兵器実験管理組織の基本となる要素として、自国民が運営する探知所網、無人観測装置、および現地査察の三手段を採用することについて、米ソ両国とも異存がない旨を明らかにした。しかし、ソ連は、あくまで現地査察は年間二回乃至三回に限られるべきであるという態度を変えなかった。その後、米英側は、現地査察を七回、無人観測装置設置個所を七個所にまで減らすことに同意する用意がある旨を明らかにした。しかし、現在に至るまで、米ソ両国はその対立を解消するまでにいたっていない。
「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」は、一九五五年十二月国連第十回総会決議により設置され、わが国を含む一五カ国が委員国となっているが、科学的な立場から放射線の人体に対する影響に関し調査を行ない、一九五八年にその第一次総合報告を国連第十三回総会に提出した。同総会は、右報告を高く評価し、同委員会がさらに調査を継続するよう決議した。よって委員会はその後も調査を行ない、一九六二年三月に第二次総合報告を完成し、これを一九六二年の国連第十七回総会に提出した。その間一九六一年九月には米ソの核実験再開があり、第二次総合報告の重要性が強調されるに至った。わが国は委員国として、常に積極的な貢献を行なってきているが、特に第二次総合報告作成の完成段階である一九六一年八、九月および六二年三月の会合では、日本代表は、同委員会の副委員長として活躍した。
第二次総合報告は、一九六二年九月国連事務局から公表された。科学委員会は同報告の結論で、核実験による放射能量増加を含め世界的な放射能量増加がもたらす現在および将来の人類に対する危険性を強調し、さらに「核爆発による全世界の放射能汚染の有害な影響の発生を防ぐ効果的な方法は存在しないから、核実験の完全な停止を達成することが人類の現在および将来の世代の利益であろう。」と述べて、核兵器実験停止の必要を主張している。これらの結論を含め、本報告では、わが国の意見がかなりよく反映されている。
国連第十七回総会では、一九六二年十一月二十日、わが国とカナダが発案した四三カ国共同決議案(米英ソ仏は提案国として参加しなかった)が採択された。この表決では、ソ連その他共産圏諸国は決議第II部に反対して、棄権した。
この決議の第I部では、科学委員会に対し今後も事業を継続することを要請しており、また、第2部では、第十六回総会の決議による要請に基づいて世界気象機関が作成した大気中の放射能測定および通報計画を科学委員会とも協議のうえ、早く実施するよう同機関に要請している。ソ連は決議第II部で述べている業務は世界気象機関の管轄外であるとして反対した。
なお、科学委員会は一九六三年一月の会合で今後の事業計画の作成などを行なった。
一九五九年に設置された宇宙空間平和利用委員会は、役員選挙、表決方法などに関する東西間の意見の不一致から会合を開くにいたらなかったが、一九六一年十一月になってようやく第一回会合を開いた。これを契機に東西間の話合いが行なわれ、今後の委員会のあり方などについて合意が成立し、同年十二月これに関する決議が国連第十六回総会で採択された。この委員会は二八カ国からなり、わが国も委員国となっている。
この決議に従い、委員会は一九六二年三月二日ニューヨークで会合して、一般的討議を行ない、その後五月から六月にかけてジュネーヴで、法律小委員会と科学技術小委員会を開催して詳細な討議を行なった。同年九月、委員会は再び会合し、右両小委員会の報告をもとに委員会報告を作成し、これを国連第十七回総会に提出した。総会は、委員会報告を審議したうえ、十二月、これに関する決議を採択した。
以上の期間を通じて、法律面では米ソ間に根本的立場の相違があったため何らの合意には達しなかったが、わが国をはじめ他の委員国の意見を反映し、米ソは徐々にその相違を狭ばめつつあり、現在事態は全般的に前向きに発展していると見てよいであろう。他方、科学技術面の国際協力については米ソの協調もあり、国連内でも比較的容易に合意が成立しつつある。
法律問題に関しては、米国は当初から、不時着した宇宙飛しよう体とその乗員の救助・返還問題、および宇宙飛しよう体事故による損害賠償責任の問題などは解決も容易であり、また直ちに起こる可能性もありとして、これら個々の具体的問題の解決を優先させようとした。しかし、ソ連は、個別的具体的問題より先に宇宙活動の基本原則が確立されなければならないと主張し、他国の平和的宇宙活動を阻害するような実験の禁止、偵察衛星の禁止、国家のみが宇宙活動を行ないうること、などの基本原則を提示した。
これに対しわが国は、好ましくない既成事実が積重ねられる前に平和的、公開的かつ秩序正しい宇宙活動のための基本原則を早期に確立する必要があるという立場をとり、「その基本原則は、人類の福祉、すべての国の利益および平和利用の確保を目的とするものであることを要し、従って冷戦上の考慮からは隔離されなければならない。」と、主張した。(大平外務大臣の一般討論の中での発言は、別項二六ページおよび資料一〇ページ以下参照。)
その後、米国も若干の基本原則を定めてもよいとの考えをもつようになり、国連第十七回総会で基本原則についての米国案を提出した。この米国案は、ソ連案と共通ないし類似した点も多く、両国共通の話合いの基礎を作ったという意味で有意義な進展といえよう。しかし、結局委員会では法律問題に関しては合意を見るに至らず、国連第十七回総会の決議では、委員会が法律問題に関し勧告をまだ行なっていないことを遺憾とするとともに、委員会に対し、基本原則問題、宇宙飛しよう体事故に対する責任、宇宙飛行士と飛しよう体への救助とその返還、およびその他の法律問題に関する作業を継続するよう要請した。この要請に基づき、一九六三年四月、法律小委員会は第二会期を開いて検討したが、いまだ、合意には達していない。
科学技術面に関しては、一九六二年二月、米国の人間衛星初飛行の成功に引続いて行なわれた米ソ首脳間の書簡往復をきっかけに技術面での両国間の協力に関して合意が成立したこともあり、委員会および科学技術小委員会での話合いは、おおむね協調的ふんいきの中で進められた。同年九月の委員会第二会期では、(1)平和的宇宙空間調査研究などに関する情報の交換、(2)国際計画(たとえば太陽活動極小期国際観測年、通信衛星、気象衛星、ユネスコによる宇宙関係科学技術者の教育訓練など)の奨励、(3)国際赤道帯観測ロケット発射施設、の三項目について合意が成立し、国連第十七回総会はこれを承認した。
南アフリカ共和国政府の人種隔離(アパルトヘイト)政策に起因する人種紛争問題は、一九五二年の国連第七回総会以来、毎総会で審議され、その都度総会は、南アフリカ共和国政府に対し、その人種政策を再考するよう要請する決議を採択してきた。しかし、南アフリカ政府は、このような総会の決議を無視し続け、本問題を国連において審議することは同国に対する内政干渉であると主張し、第十六回総会を除き、本問題の審議に参加することを拒否してきた。
このような南アフリカ政府の態度に対し、各国の感情は、年々硬化の一途をたどり、とくに、A・A(アジア・アフリカ)諸国の南アフリカ政府に対する反感がますますたかまっていたので、同国政府は、一九六二年六月、共産主義弾圧法および治安、集会、非合法団体犯罪などに関する諸法律の一部を改正することを目的としたいわゆる「サボタージュ」法と呼ばれる法律を制定したために、A・A諸国の感情を一層刺戟した。
A・A諸国は、第十七回総会では、従来よりさらに一歩を進めた態度で本間題審議に臨むため、一九六二年八月、会議を開催した。その結果、この問題を議題として採択を要請することを決定し、従来別個の議題として総会で審議されてきた「南アフリカでのインドおよびインド・パキスタン系住民の待遇問題」をもこの議題に含めることとした。わが国は、この問題が、人権および基本的自由に関する問題であり、総会がこれを審議し、勧告を行なう権限を持っているとの立場から、アジア・アフリカを主体とする四八カ国とともに、この議題の採択要請に参加した。
第十七回総会でのこの問題の審議は、十月八日から特別政治委員会で行なわれ、いずれの国も、南アフリカ政府が過去の度重なる総会決議にもかかわらず依然その人種差別の政策を継続し、さらに圧制を加えているとして遺憾の意を表明したが、特に、A・Aおよびソ連圏諸国の大部分は、激しくこれを非難し、南アフリカに対して政治、外交、経済上の制裁を加えるべきこと、また、南アフリカを国連から除名すること、を考慮するよう強調した。
わが国は、従来から、基本的には人種差別政策に反対であるが、南アフリカ政府にその政策を放棄させる最善の方法は、国連全加盟国の支持により南アフリカ政府に対し道義的圧力をかけ、その反省を促がすことであり、経済、外交関係の断絶、国連からの除名などの制裁措置は、現実の問題として実行不可能でもあり、実効を期することができないばかりでなく、問題の真の解決に資することにはならない、という立場を堅持してきた。
わが福島代表は、十月二十五日特別政治委員会で、「生れた人種によって人は区別されない」という原則に基づいて創設された国連の着実な発展を計るためには、すべての加盟国がこの原則を守るべきであると述べた後、南アフリカに対し、専制制度が失敗した歴史的教訓を記憶するよう訴え、さらに、南アフリカ政府の度重なる国連の権威の無視に対し警告し、南アフリカ政府が人種による差別をしないで人権と基本的自由を促進する積極的義務を担うよう、強調した。
総会では、アジア・アフリカ三四カ国が、「すべての国に対し、南アフリカとの経済、外交関係断絶の措置をとるよう要請し、安保理事会が南アフリカの国連加盟国としての資格を検討するよう要請し、安保理事会に対し、南アフリカ政府に関係諸決議を履行させるための制裁を含む適当な措置をとるよう要請し、さらに、この問題を常に審議するため、南アフリカ政府の人種隔離政策に関する特別委員会を設置する」という趣旨の条項を含む決議案を提出した。この決議案は、十一月六日の本会議で、賛成六七、反対一六、棄権二三で採択された。
わが国は、前述のような基本的な立場から、A・A起草小委員会の委員国として、同決議案を作成する過程で、その内容が行きすぎたものにならないよう努力し、とくに、制裁条項を削除するよう主張した。しかし、わが方の意向が容れられるにいたらなかったので、表決に当っては反対した。
なお、総会議長は一九六三年二月、南アフリカの人種隔離政策に関する特別委員会の構成国として、アルジェリア、コスタリカ、マラヤ、ガーナ、ギニア、ハイティ、ハンガリー、ネパール、ナイジェリア、フィリピンおよびソマリアの十一カ国を指名し、同特別委員会は、同年四月二日に第一回の会合を開いた。
国連第十五回総会は、その決議一五一四(XV)で、その形態および発現のいかんをとわず、あらゆる植民地主義を急速かつ無条件に終結させるための植民地独立付与宣言を採択したが、次いで第一六回総会では、決議一六五四(XVI)で、右植民地独立付与宣言を速やかに履行するための特別委員会を設置した。総会議長は、一九六二年一月、同委員会の構成国として、オーストラリア、カンボディア、エティオピア、インド、イタリア、マダガスカル、マリ、ポーランド、シリア、タンガニイカ、テュニジア、ソ連、英国、米国、ウルグァイ、ヴェネズエラおよびユーゴーの一七カ国を指名し、いわゆる一七カ国特別委員会が発足した。同委員会は、一九六二年二月から九月までの間、主としてアフリカの各地域での植民地独立付与宣言の履行状況を審議し、十月、これら各地域に関する委員会の示唆・勧告を、その結論とともに総会に報告した。(総会は、右報告のうち、その一部を第一六回総会第二次再開会期で、他の大部分を第一七回総会で審議した。)
第十七回総会は、一九六二年九月二十五日から十二月十八日まで右報告を審議し、その決議案については、これを植民地独立付与宣言履行問題の一般事項に関するものと、特定地域の問題に適用するものとに分類して審議した。
一般事項に関する決議案は、A・A(アジア・アフリカ)三四カ国により提出されたものであるが、そのなかには独立期限に関する条項が含まれており、これを忌避する米国が分割投票の動議を出したので、同年十二月十七日、分割投票に付された結果、右独立期限に関する部分は削除された。次いで本会議は、独立期限の部分を削除したA・A三四カ国の決議案を表決に付し、一〇一(わが国を含む)対〇、棄権四(オランダ、南アフリカ、英国、フランス)の記録的多数によって採択した(決議一八一〇(XVII)。同決議の要旨はつぎのとおりである。
「関係国に対し、植民地住民の自由または願望を抑圧するために行使しつつある武力その他の抑圧政策を停止し、住民活動の自由を保証し、かつ、即時に住民に独立を許容することを要請するとともに、十七カ国特別委員会を二十四カ国特別委員会に拡大し、拡大された特別委員会に対し、植民地独立宣言の完全な履行に最適な方法を研究し、すべての植民地に関する示唆・勧告とともにその結果を総会に報告することを要請する。」
特定地域に関する地域別決議案は、本問題に関する議題の下において審議されたものと、他の議題の下において審議され、または、他の議題の下にありながら本問題と併行的に審議されたものとに区分される。本問題に関する議題下において審議された決議案としては、ザンジバル、ケニア、英国の高等弁務官三地域(バストランド、ベチュアナランド、スワジランド)、ニアサランドおよび北ローデシアに関するものであった。本会議は、十二月十七日および十八日の両日、これら決議案を審議し、北ローデシアに関する決議案を表決に付さないむねの英国代表の動議を採択したのち、他の決議案を表決に付し、これら決議案を大体において圧倒的多数で採択した。採択されたこれら地域別決議案の内容は、それぞれの地域の事情を反映して、相互の間に幾多の相異点をもってはいるが、いずれも当該地域の主権および自決の権利は当該地域住民の固有の権利であることを明らかにし、その施政国に対し、当該地域の住民に速やかな独立を許与するため必要な措置を即時実施することを要請している。
わが国としては、植民地独立付与宣言履行問題の審議に当り、民族自決、人種平等、後進民族の向上につながる本問題の重要性にかんがみ、すでに第十五回および第十六回総会で、植民地独立付与宣言および同宣言履行特別委員会の設置に関する各決議の採択に協力し、できるかぎり右宣言の速やかな履行を希望してきた。他方、いたずらに理想に走り、または政治的な意図に基づいて、これを自国の利益追求に利用しようとする性急なまたは不当な提案については、これに賛成することは、植民地住民の真の幸福と願望を無視し、または問題の平和的、建設的解決を阻害するなど、憲章の精神に反することとなるので、この種の提案に対しては極力その主張を抑え、またはその内容の穏健化をはかり、もしくはその表決に当たり棄権した。すなわち、一般事項に関するA・A決議案については、その起草に当り、わが方は、A・Aグループ内に設けられた起草小委員会の委員国として、これに参画し、できるかぎり多数の加盟国により、その支持を受けられるような決議案を作成するために努力した。特に、一部委員国は、これらの決議案のうちに各地域のいずれにも一律に適用する独立期限の設定を含ませることを強く主張したが、これに対し、わが方代表は、見解を同じくする他の委員国とともに強くこれに反対した。結局、A・A会議は、この両者の妥協の所産としてその表現をいちじるしく緩和した独立期限を含めた決議案を総会に提出したが、わが方は、これに満足することなく、さらに本会議で、独立期限の規定の削除を要望し、またはその削除のための分割投票に賛成し、右部分を削除した決議案の成立に協力した。(大平外務大臣の一般討論の中での発言は、別項二五ぺージ、資料一〇ページ以下参照。)
地域別決議案の表決に当っては、独立の時期が漸次熟して、施政国と原住民指導者の間に円満な了解が成り立ち、権利の移譲または自治への移行が平和のうちに行なわれる機運にあるザンジバルおよびケニアに関する決議案については、時宜に適した決議案と認めて、これに賛成した。また、現に施政国と現住民の間でその将来に関する協議を進め、またはこれを検討中の英高等弁務官三地域およびニアサランドに関する決議案については、この際国連でその決議によって問題の解決をはかるよりも、むしろ当事者間の協議に委ねる方が、問題の平和的解決により大きく資するものと考えて、これに棄権した。
なお、一九六三年一月十四日、総会議長は、前記の植民地独立付与宣言履行問題のうち一般事項に関する決議に基づき、特別委員会の追加メンバーとして、ブルガリア、チリ、デンマーク、イラン、イラク、象牙海岸およびシエラ・レオーネの七カ国を指名した。拡大された委員会(二十四カ国特別委員会)は、一九六三年二月二十日、第一回の会合を開いて委員長を選出し、新たな活動を開始した。
わが国は、一九六〇年から一九六二年までの三年間、国連経済社会理事会(ECOSOC)の理事国として国連の経済社会面での活動に積極的に協力を続けてきたが、一九六三年から始まる新らしい理事国の任期(三年間)にも引き続き立候補するという方針を決定した。
経済社会理事会は一八の理事国からなっており、一九六二年末には英国、ソ連、デンマーク、ブラジル、ポーランドおよび日本の六理事国の任期が終了するので、新しい理事国の選挙は、国連の第十七回総会で選挙されることとなっていた。任期を終了する国のうち、英国とソ連は安全保障理事会の常任理事国として、事実上常に再選されており、また、ブラジルの後任にはアルゼンティン、デンマークの後任にはオーストリア、ポーランドの後任にはチェッコスロヴァキアが、いずれもそれぞれの地域を代表する統一候補として立候補した。これに対して、日本の後任には、わが国が再立候補したほか、ビルマ、パキスタン、ネパールが立候補し、当初から激しい選挙工作が展開され、その帰すうは、予断を許さなかった。(なお、パキスタンおよびネパールはその後立候補を辞退し、結局、最後には日本とビルマで争われることとなった。)
選挙は一九六二年十月十七日、総会本会議で行なわれたが、その結果、わが国は、第一回目の投票で、三分の二の多数を上まわる七六票を獲得し、経済社会理事会理事国に再選された。これにより、わが国は、国連の経済社会活動に再び積極的に寄与し得ることとなったが、これは、同理事会におけるわが国の業績が広く国際的に認められ、かつ、わが国に対する国際的信頼が一層高まってきた証左であると考えられる。
なお、英国およびソ連はそれぞれ、八五票、八三票を獲得して再選され、アルゼンティン、オーストリア、チェッコスロヴァキアがそれぞれ、八九票、八八票、七八票を獲得して当選した。
(1) 国際司法裁判所の勧告的意見受諾と二十一カ国委員会の設置
一九六一年の国連第十六回総会は、コンゴーおよびスエズ派遣の国連軍経費の法的性格について国際司法裁判所の勧告的意見を求めた。これに対し同裁判所は一九六二年七月、このような経費は国連憲章第十七条二項にいう「この機構の経費」であるむねの勧告的意見を下し、同経費が義務的なものとして全加盟国に割り当てられるべきものであることを明らかにした。(大平外務大臣の一般討論の中での発言は、別項二五ぺージおよび資料一〇ページ以下参照。)
国連第十七回総会は、(イ)前記国際司法裁判所の勧告的意見を受諾するむねの決議を、賛成七六(日本を含む)、反対一七(ソ連圏諸国、フランス、一部アラブ諸国)、棄権八(ベルギーなど)で採択し、(ロ)平和維持活動経費の分担方式を検討するため二一カ国(安全保障理事会常任理事国、および地理的配分の原則に従って総会議長が指名した国とされ、わが国もこれに指名された。)からなる委員会を設置し、さらに、(ハ)一九六三年前半期に特別総会を召集して、二十一カ国委員会報告を基礎として、平和維持経費分担方式の問題を審議すること、を決定した。
二十一カ国委員会は、一九六三年一月から三月までニューヨーク国連本部で開かれた。同委員会では、(イ)本件経費分担は安全保障理事会が決定し、当該事件の責任国が経費を負担すべきであるとするソ連圏諸国、(ロ)先進国および安全保障理事会の常任理事国が経費の大部分を負担すべきであるとするラテン・アメリカおよびアジア・アフリカの諸国、(ハ)これまで自国一国が過重負担してきたことでもあり、今後差し当っては各国が通常国連分担率どおり分担すべきであるとする米国、(ニ)妥協案成立のためには低開発国に対する減免措置はある程度止むをえないとする西欧諸国、などの意見が対立して、何ら結論がでなかったので、単に前記の諸意見を列記した報告書を採択したに留まり、問題はすべて、一九六三年五月十四日から開催された特別総会に持ち越された。
(2) 国連公債の引受け
国連第十六回総会は、総額二億ドルまでの国連公債の発行を定めたが、一九六三年三月二十五日までに引受けの意向を表明した国は、合計五八カ国で、引受け(または引受けを予定している)額の合計は、一億四、四六〇万三、九三七ドルである。そのうち現在までに実際に買取られた額は、四三カ国、合計一億二、九八八万八、六八〇ドルである。
わが国は、一九六二年七月十三日、国連協力の立場から、わが国の国連分担率を上廻る五〇〇万ドルの国連公債を引受けることとし、一九六三年三月二十五日、国連代表部岡崎大使は、ウ・タン事務総長を訪問し、前記金額の国連公債証書を買取った。
主要な公債引受け国とその引受け額は、つぎのとおりである。わが国は、引受額で第七番目となっている。
(但し、最高一億ドルまで、米国以外の国の引受け額合計分だけ引受ける権限を会議から与えられている。)
米 国 五、九六七二、八四〇ドル
英 国 一、二〇〇万ドル
西 独 一、○○○万ドル
イタリア 八九六万ドル
カナダ 六二四万ドル
スウェーデン 五八○万ドル
日 本 五〇〇万ドル
オーストラリア 四〇〇万ドル
デンマーク 二五〇万ドル
オランダ 二〇二万ドル
インド 二○○万ドル
スイス 一九〇万ドル
国連総会においては、経済問題は、第二委員会の討議に付されているが、第十七回総会では、合計二一の決議が採択された。
第二委員会の冒頭に行なわれた経済問題一般討論において、わが牛場代表は、要旨つぎのような発言を行なった。
国連開発の十年の目標達成のため具体的計画の実施を図るさいには、いたずらに高きを求めることなく、既存の国連各機関の総力の結集および利用に努めるべきである。国連貿易開発会議を開催することには反対しないが、開催準備には十分慎重を期することが望ましい。低開発国の経済開発を図るさいには、工業と農業との均衡のとれた発展を確保し、また各国にもっとも適した種類の工業の開発に努めるのが適当であり、このためには、健全かつ合理的な長期開発計画を国別に作成する必要がある。(大平外務大臣の一般討論の中での発言は、別項二五ページおよび資料一〇ぺージ以下参照。)
本総会で採択された決議の中には、人口成長と経済開発との関係の調査を国連事務局に要請する決議、国連活動の地域分散と地域経済委員会の役割強化に関する具体策の推進を事務総長に要請する決議などが含まれていた。
今回の第十七回総会では、低開発国の一次産品および製品、半製品の輸出拡大を目的とする国連貿易開発会議を開催する決議が採択された。この問題に関しては、前回の第十六回総会では、低開発国側がこの種の国連会議開催の提案を行なった際、先進国側がこぞって異議を唱え、結局、開催の是非について加盟各国の意向を照会するよう事務総長に依頼する趣旨の決議採択に止まったことと比べれば、一年間の事態の進展には急速なものがあった。先進国側、とくに米国はすでに、一九六二年七月の第三十四回経済社会理事会で、慎重な準備を経て開催し、議題を低開発国の貿易問題に限定することを条件として、こうした会議を開催することに賛成するという動きを示し、これが先進国側の動向を支配するようになった。低開発国側も、当初は、「九六三年六月までの会議開催」を固執したが、結局、先進国側に歩みより、「おそくとも一九六四年早々まで」とすることに妥協した。わが方は、一九六三年中の開催は、準備に十分な余裕がないため、時期尚早とみられたので、低開発国側が時期の点で妥協に応じるよう終始説得に努めた。(大平外務大臣の一般討論の中での発言は、別項二五ページおよび資料一〇ページ以下、また平場代表の発言は別項四六ページ参照。)
この会議の開催に関する第一回の準備委員会は、一九六三年一月二十二日から二月五日まで、ニューヨークで開催され、貿易開発会議の仮議題について一応の合意に達した。そのおもな内容は、つぎのとおりである。
(1) 低開発国と先進国、および低開発国相互間の貿易拡大。低開発国の長期開発計画の貿易促進効果
(2) 低開発国の一次産品(農産物と鉱産物)に対する先進国の関税、数量制限、その他の貿易障害の撤廃。国際商品協定の拡充および一次産品の補償融資措置の検討
(3) 低開発国の製品、半製品に対する先進国の関税、数量制限、その他の貿易障害の漸進的撤廃
(4) 低開発国の貿易外収支の改善
(5) 地域経済取決めの低開発国貿易に及ぼす効果
(6) 貿易と援助との関係
(7) 国際貿易に関する既存国際機構の活動の評価と改善
第二回の準備委員会は、一九六三年五月二十一日から六月二十八日まで、ジュネーヴで開催され、右の仮議題毎に予備討議を行なった結果、多くの具体的提案、示唆、あるいは問題点が提出され、一九六四年三月二十三日から一二週間にわたって開催される本会議に付託されることとなった。こうして、準備作業は実質的にはほぼ終了した。
従って、わが国がいまだ自由化していない低開発国の輸出関心品目(農産物および鉱産物の一部)については、自由化あるいは関税・国内税の軽減・撤廃への圧力が、一層強くなるものと覚悟しなければならない。貿易開発会議がとり上げる諸問題は、部分的にはガット貿易拡大第三委員会(別項、二五一ページ参照)が討議中の事項と内容的に共通するものも少くないが、低開発国側には一次産品輸出拡大のための国連実行計画を採択させたいとの意向がつよく、その上、低開発国の製品、半製品輸出には先進国に何らかの特恵待遇を要求していることはガットとの関連から特に注目を要する。
一般に、低開発国は、ガットの行き方につよい不満をいだく向きが多く、これが、あらたに国際貿易機関(ITO)の設立を希望する提案ともなって、きたる貿易開発会議に提出されることも予想されていることにも注目しなければならない。また、右のガットの第三委員会、あるいは大臣会議で、低開発国貿易問題解決の方向が打ち出されず、低開発国側の諸要求がみたされないままで貿易開発会議が開かれた場合には、低開発国側の会議に対する意気込みと具体的要求の強さの度合は、一層尖鋭化するであろう。したがって、わが国としては、こうした動きを十分注視しながら、両方の場における態度を首尾一貫させつつ、立場を同じくする先進諸国と協調して、低開発国貿易問題に何らかの解決を見出すよう国内的にも、国際的にも出来るだけの協力を行なって行く必要があろう。
軍縮問題は、本来政治的性格のものであるため、その経済的社会的影響に関する論議も、国連の場では従来主として政治問題を担当する第一委員会で一般的な形で行なわれていたのにすぎなかった。しかし、一九五九年の第十四回総会で「全面完全軍縮に関する決議」が採択されてから、国連下部機関でも随時とり上げられるようになり、ついで一九六〇年の第十五回総会で、「軍縮の経済的社会的影響につき、事務総長が専門家の援助をえて研究するよう勧告し、その結果を一九六二年の経済社会理事会および総会へ回付するよう要請する」という趣旨の決議が採択され、ようやく本格的に論議されるようになった。
右決議によって、事務総長は、先進国、低開発国、共産圏の各グループから任命した一〇名の専門家グループを招集して問題の検討を依頼したが、同専門家グループは、一九六二年二月に、「軍縮の経済的社会的影響」と題する報告書を事務総長に提出した。この報告書は二部からなり、第一部は問題の一般的解明に当てられ、第二部にはこの問題に関する主要国政府からの回答が掲載されているが、第一部では、軍縮がひとたび合意されれば全面的、完全かつ急速(二-三年)に達成されるという前提に立ち、
(イ) 世界の軍事支出は、年間一、二〇〇億ドルと世界総生産の八~九パーセント、低開発国国民所得の三分の二を占め、その約八五パーセントが七カ国によって占められている、と述べたあと、
(ロ) 軍縮により生じた余剰資源は、国内的には個人消費の増大、生産設備の拡大ないし近代化、資本形成の促進、社会投資の拡大などによって、また、国際的には低開発国の経済開発投資に振り向けることによって吸収しうる、
(ハ) しかも、資源転換過程で起ると懸念される過渡期的な摩擦(失業や遊休設備の発生あるいは低開発国産品に対する需要の減退など)は、適切な国内的、国際的施策をもって解決しうる、
とのかなり楽観的な見解を表明している。
一九六二年夏の第三十四回経済社会理事会以降は、この報告書をめぐって討議が続けられている。各国の主張をみると、右報告書の結論を評価しつつも、かなりニュアンスの相違がみられる。すなわち、
(イ) ソ連は、米国をはじめ資本主議諸国における軍事支出が経済成長に悪影響を与えつつあることを指摘するとともに、全面完全軍縮の意義を強調し、「国連は、軍縮の経済的社会的影響の討議から一歩前進して、軍縮にともなう余剰資源をとくに低開発国の経済、社会開発に貢献しうるような具体的計画に振向ける方策を軍縮協定の締結をまつことなく直ちに検討すべきである」として、「軍縮の経済計画」を提唱している。
(ロ) これに対し、西側先進国は、軍縮の経済的影響がほとんど無視しうる点を強調しながらも(米国)、軍縮の具体的な経済的社会的影響の研究ないしその結論はその前提となる軍縮措置についての交渉が進捗しないかぎりあくまで仮定のものでしかないとして(英国、わが国など)、現時点でこの問題の研究を(たとえばソ連提案のような形にまで)具体化することには総じて消極的態度を表明している。
(ハ) また、低開発諸国は、ソ連提案にはさして興味をみせず、むしろ先進国が軍縮実施後も同程度の有効需要を維持できるかどうかに関心を寄せ、また、余剰資源をできるだけ低開発国援助に振向けるべきであることを強調している。また、一部(インド、ユーゴーなど)には、国連の各地域経済委員会や専門機関の分野で研究活動を推進すべし、と主張する向きもみられる。
こうした状況を反映して、第三十四回経済社会理事会および国連第十七回総会で採択された決議では、(1)前記専門家グループの報告書を軍縮委員会に参考資料として伝達する、(2)各国が同報告の配布、翻訳に努め、とくに主要軍事国がこの問題の研究を推進するよう要請する(以上理事会決議)、(3)事務総長および低開発国政府は、効果的な国際管理による全面完全軍縮協定の発足によって余剰資源が放出される際、軍縮の経済計画の一環として促進しうるような健全な開発計画を策定実施するように努力し、事務総長がこの問題について、できれば来る第十八回総会に対し暫定報告を提出するよう要請する(総会決議)、旨が決定されたのに止まっている。
以上のとおり、「軍縮の経済的社会的影響」に関する論議には、その本来的な性格から依然として政治的配慮が大きくからんでおり、現状では今後研究をさらに具体化するとしてもおのずから限界があるとみられる。
過去数年来、国連で、天然資源に対する恒久的主権の問題が論議の的となっている。これは、元来、民族自決権の一環として低開発国側から提起されたものである。これら諸国は、資源保有国は、このような資源の処理を自由に決定する権利を有し、国有化とその際の紛争解決および補償支払いの程度は国内法に委ねられるべきであると主張してきている。
こうした極端な主張は、わが国をも含む、国外の天然資源開発に投資を行なっている先進国側として到底応ずることができないものであり、現行の国際法にも反するものであるとして、つよい反対があった。
このようにして、国連第十七回総会でこの問題が討議された結果、両者の意見を妥協させる内容の決議が多数で採択された。
その内容は、(イ)天然資源の恒久主権に関する諸国民および国家の権利は、その国の国家発展と国民の福祉のために行使されなければならない、(ロ)国有化は、公益、国の安全保障などを勘案して行うべきであり、国内法および国際法にしたがって妥当な補償が支払われなければならない。補償に関する紛争のさいは、国内的裁判手続があれば、これをつくすこととするが、主権国家、あるいはその他の当事者の合意があれば、紛争の解決を調停または国際審判に付託しなければならない、などの諸点を含んでいる。