五、海外移住の現状

1 移住政策の重要性

わが国は、こんどの大戦によつて国土の四六%をなくし、その面積は、世界の総面積のわずか三六六分の一になつたが、一方人口の上からみると一九五七年三月現在で九、〇七〇万人を擁し、世界総人口の二九分の一を占めることとなり国家別の人口数では実に世界第五番目に位している。この人口がこの狭い国土にひしめきあつているのが現在のわが国の状態である。しかも、国民の半分に近い人口が農村で働いていながらその生産は日本で消費する食糧のわずか六九%を満たすだけに過ぎない。つまり前に述べた狭い国土のうち食糧を生産するために耕すことのできるいわゆる耕地面積がわずかに一六%であり、農業生産はすでに限界にきており、そのため農村の青年はやむをえず農地を離れ、都会に職を求めなければならない状況である。

この状態に加えて、毎年八〇万前後のいわゆる生産年令人口が新たに労働市場に現れつつある。これはわが国の当面する最大かつ焦眉の問題である。

このような事態においこまれているわが国がこの問題を解決するためには、日本自身の経済基盤を拡大強化して産業を高度化し、人口扶養力を増大してゆかねばならぬことはいうまでもなく、さらに日本人自身が身につけた高度の技術を世界の低開発地域の開発に役立たせ、彼我相共にその利益を分つことができれば最も理想的な方策といいうるであろう。

海外移住が今日最重要施策として取り上げられなければならないゆえんはここにあるわけである。さいわい、こんどの大戦後、ラテン・アメリカ諸国ならびに新らたに独立したアジアの新興諸国家群が競つてその経済開発に努力しつつあつて、そのために日本人の技術と労働力を積極的に招致せんとする傾向にある。そこでこの好機に当り、わが国の移住政策の基本方針として、これらの好意ある受入国における経済開発に協力貢献することによつて国際協力を推進するとともに、わが国の人口問題の緩和に幾分なりとも役立てるため移住を推進するようあらゆる施策を考慮している。

そこでわが国外交政策の重要な一環として、移住先国を多元化しこれに対し、適切な移住計画を樹立し、最も合理的な方法でこの計画を推進することが必要であろう。従つて外務省としては、後述するように、あるいは国際機関に訴え、あるいは友好国と個別的に折衝するなどできる限り多くの機会をとらえて、この目的の促進に努力している。

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2 移住外交の推進

移住事業を推進するには受入国に対し、万全の外交交渉を行う必要があるので、わが移住者に対しすでに門戸が開放されている国々に対しては、受入枠の拡大および経済的援助等について、また門戸未開放の国に対してはその門戸が開放されるよう外交交渉を推進してきた結果、受入先国は拡大され、後に述べるように著しい盛況を呈するにいたつた。ことに戦後かたく門戸を閉ざしていたアルゼンティンがわが国の申出に対し、昭和三十二年一月にいたり五年間四〇〇家族の入植の枠を許可してたのは大きな朗報であつた。

なおわが国移住者の受入国に対する貢献や移住を必要とするわが国の現状等に関する全世界的な世論を喚起するため、民間関係団体等の協力をもえて、国連諸機関、国際カトリック委員会、欧州政府間移民委員会、世界人口会議等へ働きかける等あらゆる機会を利用して、世界的P・Rを行うこととしており、三十一年キューバのハヴァナで行われたユネスコ主催「移住者の文化的同化に関する会議」にオブザーヴァーを派遣して国際的世論に訴えたのに引続き、三十二年九月イタリーのアッシジにて行われる国際カトリック移住問題委員会にもわが国からオブザーヴァーを派遣することとして、展示物その他の資料を作成準備中である。

また移住者の保護、援助あるいは長期にわたる移住をはかるために関係国と移住協定を結ぶ必要があるので、三十一年八月にボリヴィアと移住協定を締結し、五年間に一、〇〇〇家族(六、〇〇〇人)を送出しうることとなつた。ドミニカとも近く移住者の保護、助成につき法的基礎を固めるため、移住協定を締結すべく、目下交渉の準備中であり、その他の関係国とも漸次協定を締結すべく努力している。

なお、昨年末から本年初頭にかけて、グァテマラ、ヴェネズエラの両国に現地調査団を派遣して、相手国政府と交渉せしめたところ、ヴェネズエラについては、同国々内法がヨーロッパの移住者のみを対象としているため、現在のところ大量の移住者を送出することはできないが、呼寄せ方式による少数家族の移住が認められた。

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3 日本人移住者受入国の現況

外交交渉のほかに民間の協力をえてわが国の移住者を受入れてくれるようになつた関係各国の現況は次の通りであるが、受入国の対日態度、政治状勢その他諸般の状勢からみて、わが国は現在ラテン・アメリカヘの移住を最も推進している。

(1) ラテン・アメリカ

 ブ ラ ジ ル

戦前からわが国移住の大宗であり、将来もまたそうであると思われる。

北ブラジル  全部計画移住であり、三十一年度には四〇八名を送出した。三十二年度にはグァマ植民地からの一五〇家族をはじめ、アマパー、アークレ、ロンドニア等から五〇〇家族の要請があるのでグァマの入植地を根拠地として多くの移住者を送り出したいと考えている。

中部ブラジル  全部計画移住であり三十一年度には一六一名送出した。三十二年度にはウナ、イツベラ、ピウン等五地区に六五家族程度送出の要請がある。

南ブラジル  計画移住と呼寄移住とがある。三十一年度には三、七八八名を送出した。三十二年度には双方ともさらに拡大の見込である外、移住振興会社の現地法人の購入した分譲地への自営移住者としても一五〇家族の要請がある。

 パラグァイ

戦前もわが国移住者が入つていたが、戦後はとくに活発に行われている。目下移住振興会社が土地を買い分譲中で、将来とも有望とみられている。

三十一年度には一四五家族、一、〇七四名送出した。三十二年度はフラム地区への四〇〇家族入国許可にもとづき一、二〇〇名程度送出の予定である。

 ドミニカ

対日感情がきわめて良く、昨年からはじめてわが国の移住が行われたが、受入条件が良いのでよい実績が上つている。三十一年度には九三家族、五六五名を送出した。三十二年度には二〇〇家族を送出いたしたい。わが国との間に移住協定を締結するように目下準備中である。

 ボリヴィア

前述のようにわが国が移住協定を締結した唯一の国であり、五年間に一、〇〇〇家族(六、〇〇〇名)の枠を取得した。本年六月までに二六五名を送出しているが三十二年度にはなお一〇〇家族を送出する予定である。

 アルゼンティン

戦前少数ずつ呼寄せで移住していた。ペロン大統領の政権下では工業優先であつたから農業者移住は実現しなかつたが、新政権になつてから農業開発にも力を入れはじめたので、在アルゼンティン大使をしてアルゼンティン政府に対し移住のわくを獲得するよう交渉せしめていたところ、受入機関側の協力もあり、三十二年一月十一日、五年間に四百家族の入植許可が決定された。

 コロンビア

戦前一〇〇家族移住し、現在いずれも成功しているが、戦後の入国は振わない。

 ヴェネズエラ

ヴェネズエラには、近く五家三十一名が呼寄で移住するが、当分はこの方式により少数ずつ優秀なものを送出したい。

 エクァドル

この国にはまだわが移住者を送出していないが、将来新規移住先国として有望と見られるので、今後交渉を進めたい。

(2) 北米合衆国

 難民救済法によるもの

一九五三年の難民救済法(主として欧州の難民の移住を主眼としたものである、)によりわが国からも一、〇〇六名が渡米した。しかしこの法律は一九五六年末失効したため、米側の審査に合格した約一、〇〇〇名が渡航不能となつている。同法が再び実施されて渡米できる日の近いことが望まれている。

 短期農業労務者(後出)

(3) 西  独

炭鉱労務者であつて、西独側の労務者需要と日本側の労務者教育目的を合致させたもので、三十一年十一月二日ボンにおいて交換された日独間の行政取極に関する口上書にもとづいて現在五九名が渡独し、今後一八〇名程度渡独する予定である。

(4) クエート

自動車修理工等の技術者であつて熟練工をという要請に応え、一五名渡航したが、まだ試験的段階である。

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4 送出実績および本年度の送出予定

戦後昭和二十七年に開始されてから三十二年六月末までの移住の実績は別表第一のとおりで、約一七、〇〇〇名である。(これは政府渡航資金の貸付を受けた者のみの数であるから、この外に呼寄その他の形式で移住した者はかなり多い。)

従来の移住者はほとんどすべて農業移住者であつたが、今後は資本と技術を伴う企業移住をも推進してゆくことが必要である。

三十一年度においては六、一五五名を送出したが、三十二年度は改装船の就航もあり、九、〇〇〇名(内訳ブラジル五、〇〇〇名、パラグァイ一、二〇〇名、ボリヴィア一、〇〇〇名、ドミニカ一、一七〇名その他六三〇)の送出を見込んでいるところ、第一・四半期における送出実績は一、八二一名に達し、同四半期における送出予定数一、四二四名を上まわつている。

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5 日本海外協会連合会および地方協会の活動

移住業務に関する実施面の一切は財団法人日本海外協会連合会(会長坪上貞二)が担当しているが、同連合会は移住事情の広報宣伝、移住者の募集、選考、選出、渡航費の貸付および回収等の業務をさらに積極的に展開するため、従来の本部組織の質的充実をはかるとともに、傘下団体である地方海外協会の増強、殊に資金的援助を大幅に引上げることに努力中である。

ブラジル、ドミニカ、ボリヴィア、および北米にもその職員を派遣して、移住者の受入、保護指導に当つていたところ、本年初頭さらにパラグァイにも職員を駐在せしめて、移住者の受入事務を担当している。

各都道府県の海外協会の数も本年になつてさらに増加し、僅か北海道、京都および福井の三道府県を残して四十三府県に設立されるに至り、今後さらに増加する見込である。

本連合会の事業の成否はその手足になつて動く地方海外協会の活動如何にかかつているので、三十一年度においては一協会当り平均十八万円の国庫補助金を交付していたものを、三十二年度においてはこれを増額して一協会当り平均八十万円を交付するまでにいたつた。

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6 日本海外移住振興株式会社事業の発展

移住事業に関して資金面の援助を担当している日本海外移住振興株式会社(社長大志摩孫四郎)は、現在、ブラジル国リオ・デ・ジャネイロ(本店)、サン・パウロ(支店)およびベレーン(支店)に同国法律に基き設立された現地法人、パラグァイ国アスンシォンに支店、アルゼンティン国ブェノスアイレスに駐在員事務所を設置していよいよ実際活動の段階に入つた。

会社は、政府および民間の出資による資本金八億円(なお昭和三十二年度予算において更に五億円の出資が計上されているが、うち一億円は財政融資の緊縮措置に伴い繰延となつている。)と米国三銀行との間に締結された移住借款契約にもとづく借入金(第一回借入一五〇万ドル、第二回借入一五〇万ドル)を資金として事業を行つており、現在までに同社が貸付けまたは投資を行つた金額は約八億円である。右事業実績の主なるものは次のとおりである。(別表第二参照)

移住用地の購入

フラム移住用地  会社は、パラグァイ国のフラムに移住用地として面積約一二、〇〇〇ヘクタールの土地を購入、これを造成の上、移住者への分譲を行つており、すでに日本から五月末現在一四八家族が入植している。同移住地には総計約三九〇家族が入植しうる予定である。

グァルアーべ移住用地  会社は移住用地として、アルゼンティン国ミシオネス州グァルアーペに面積三、一二五ヘクタールの土地を購入した。右移住地購入に伴い戦後初めての開拓移住者四〇〇家族(五年間、年八〇家族)がアルゼンティンに入植を許されることとなつたが、同移住地への入植(八〇家族)は本年末頃の予定である。

ヴァルゼアレグレ移住用地  移住用地としてブラジル国マットグロッソ州ヴァルゼアアレグレの約四〇、〇〇〇ヘクタールの土地を購入した。右移住地には一、二〇〇家族の移住者が入植しうる計画であるが、入植開始の時期は土地造成等準備のため来年度となる予定である。

派米農業労務者に対する渡航費の貸付

米国加州において就労する派米農業労務者に対し渡航費の貸し付けを行つている。現在までの被貸付者数は一、〇〇〇名である。

その他の貸付および投資

移住者または日本からの移住者を受入れる企業に対し、会社が貸付および投資を行つた件数は、現在までのところ八件であるが、今後企業移住振興の見地からこの種業務の促進が期待される。

なお、会社は、戦後移住者の半ばを占めている開拓移住者が現在緊急に必要としている共同利用農機具施設(脱穀機、精米機、製粉機等)および交通運搬機関(ジープ、トラック、小型モーター船等)等を取得するための資金貸付を近く実施することとなつている。

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7 農業労務者短期派米計画

計画実施までの経緯

米国の移民法によると、国内において同種労働につき競合の可能性ある失業者が存しない場合に限り、米国の雇用主は外国人労働者の導入を申請し、法務長官が関係各省の同意を得てこれを許可する時は右労働者を短期間米国に入国せしめ雇用することができることになつている。

米国は戦時中の労働力不足を補充するためメキシコおよび西インド諸島からこの種労働者を季節的繁忙に応じ導入したが、戦後においても農村における労働力不足は一向に緩和されず、いまだにメキシコおよび西インド諸島等から多数の農業労働者が導入されている。

一九五二年頃から加州の農場に日本人を導入する構想が日米双方において進められたが、この計画は米国労働組合の阻止運動により一時挫折した。その後一九五三年に難民救済法が制定され、同法にもとづき約一千名の日本人が主として加州の農場に導入され、その成績が優秀であつたため、再び移民法にもとづき短期日本人農業労務者を導入する動きが生れ、一九五六年春以来米国連邦政府および加州農業者団体と折衝を重ねた結果、ようやく同年七月末にいたつて、一千名の導入を米国政府が承認するにいたつた。右承認に先立ちわが方においては関係各省と相諮り、本事業の実施機関として農業労務者派米協議会を設立して送出のための国内態勢を整えてきたが、右米国政府の承認と同時に送出作業を急ぎ、同年九月二十日第一陣を送出するにいたつた。それから本年五月末日までの間に受入、輸送その他諸般の困難を克服して右一千名の送出を完了した。

第二年度計画の現状

送出数カ月の経験から第二年度においては受入側の受入手続および受入態勢をできるだけ早目に進めさせ、わが方としても選考、講習、査証、輸送等の諸問題を十分事前に解決する必要が痛感されたので、本年一月、受入側たる加州農場主団体代表とも話合つたところ、加州農場主側は本件労務者の実績を高く評価し本年度は三千名の導入を希望したが、わが方は本件の急速な拡大は米国内部における労働組合等反対気運の醸成を懸念し、本年度も一千名を派遣するにとどめることで先方を納得せしめこれに基き計画を進めてきたが、予想通り米国内における労働組合の反対に基き政府部内の意見がまとまらず、右計画は停滞した。一方、四月下旬から五月中旬にかけ米国下院法務委員会は、加州現地とワシントンにおいて、本件計画継続の可否に関する公聴会を開催した。この公聴会では農場主代表その他多数から本事業の継続発展に対し強い支持が与えられた一方、労働組合および労働省から相当強硬な反対証言が行われ、カトリック教会側からも多数の青年が長期単身で働かざるをえないとの主として人道的見地から本計画に反対する証言が行われた。右公聴会の報告は七月十日公表され、本計画の継続および一定限度内の拡充に当つては本件が国内労働者に及ぼす影響を綿密に検討し慎重に行わるべきことを勧告している。右勧告は必ずしも米国行政部門を拘束するものではないにしても、わが方においては米国政府が米国全体の利益を充分に秤量し、今後久しきにわたる日米両国友好関係の増進、強化の見地から右勧告に同調し本事業の継続に協力するにいたることを期待している。

計画の意義

本計画は米国の農業労働不足を補うことによりその経済に貢献し、日本農村の対米感情に好影響を及ぼすものである一方、日本農村の経営改善、二、三男対策等の重要問題の解決に寄与し、やがて農村の中堅となる青年に国際的な視野をもたせ、人口過剰と耕地過小のため行き悩んでいる日本農村青年に大きな光と希望を与えるものであり、政府としては日米協力関係の最も有力な一環として日米両国民の理解と協力をえる本事業を慎重にかつ強力に推進する方針である。

年度別および目的地別移住送出数

投 融 資 実 績

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8 邦人の海外渡航

終戦による連合国軍の進駐期間中の邦人の海外渡航もすべてGHQの支配下におかれたが、当時の国内事情を反映し海外渡航者は昭和二十一年八人その翌年は十二人という有様であつたがその後昭和二十五年三、二九一人、同二十六年八、七三七人と漸増した。昭和二十七年サン・フランシスコ平和条約成立とともに海外渡航邦人も逐年目覚しい増加のすう勢を示している。これを計数について見れば別表のとおり昭和二十七年度の一三、六一四人以後年ごとに三〇%以上の増加率をもつて進み、昨三十一年度は三四、七七九人に達し、本年度は四万数千人を上回る見込みである。最近数年間における渡航者の目的別内訳は永住者がトップに立ち、以下商用、文化関係、公務出張等がこれについでいる。

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