各  説

一、わが国と各地域との間の諸問題

アジア関係

地域にとらわれず記述した方が問題の理解に資すると思われる事項は別に節を立てて述べることにした。

1 アジア諸国との経済協力

経済協力の基本態度

東南アジア諸国は食糧や工業原料の輸入源として、またわが国工業製品の輸出市場として、戦後わが国経済の安定と発展の上にますますその重要度を加えている。これら諸国の経済開発は、資本および技術の不足のため、外国の協力ないし援助を必要としているが、他方、多くの国においては戦後急激に拡まつた民族主義的風潮が支配的で、先進国の接近には用心深い態度をとつている。

莫大な賠償の責務を負い、しかも増大する人口を擁して国民の生活水準引上の課題を担うわが国としては、現段階においては資本をもつて各国の経済開発を援ける余裕が少いので、政府の行う協力施策としては諸国の希望を尊重しつつ、その欲する技術を供与することを主眼として各国の経済建設に進んで寄与するとともに、他方民間企業のこの地域との提携、協力に対しては積極的にこれを支援する方針をとつている。

なお、これら諸国に対する援助を国際的協力の下に推進するため、最近の岸総理東南アジア訪問に際し提唱されたアジア経済開発基金および技術研修センターの設置については、各国の見解を打診した。前者については、各国も深い関心を示して研究すべき旨を約し、また後者についても原則的に異存がなかつた。かくして、この問題は現在慎重に検討中である。

経済協力の方式

アジア諸国に対するわが国の経済協力は、一方において政府の手によるものと民間の商業べーシスによるものとに分たれ、他方において資本援助と技術援助に分つことができる。

わが国としてはさしあたり財政支出による資本援助を行う余裕が少ないので、政府としての経済協力は、カンボディアの例に見るように特定の場合を除いては、もつぱら技術援助に限られるが、民間企業の行う経済協力については側面からこれを支援する立場をとつており、この方針は昭和二十八年十二月の閣議決定によつて確認されている。賠償自体ないし賠償に伴う経済協力協定に基く政府の民間投資助成策が、相手国の経済開発に寄与するものであることはいうまでもない。

技 術 援 助

東南アジア諸国に対する技術援助としてはコロンボ計画がその中心であるが、そのほか、国連およびその専門機関の行う技術援助計画、米国務省国際協力局(ICA)の技術援助計画等があり、わが国としてはそのいずれについても研修生をわが国に迎えて技術訓練を受けさせるとともに、コロンボ計画および国連の計画についてはわが国の専門技術者を派遣するという形でこれら機関の行う技術援助に寄与し、協力している。

とくに、コロンボ計画は、一九五〇年一月コロンボで開催された英連邦外相会議における決議に基いて、同年五月シドニーで開催された第一回協議委員会とともに発足したものである。その目的はアジア諸民族が久しい間味わつて来た貧困と飢餓の苦しみを救い、かつ東南アジアが世界貿易に戦前より占めていた重要な役割にかんがみ、全世界の貿易量を増加せしめるためにこの地域の潜在資源の開発を促進することである。しかしこの地域には資本と技術者が欠乏しているので先進諸国からの援助によつてこの地域の開発計画のためにできるだけ多く便宜を供与しようとするものであり、一九五四年十月のオタワにおける協議委員会第六回会合までに全東南アジア諸国を含め一七ケ国の参加を見るにいたつている。この計画はあくまで二国間授受方式を基調とし、援助の供与、受入れの便宜を計り、記録に留めるものであるが、わが国も一九五四年十月参加以来一九五七年六月末までにこの計画の下に六九名の専門家を派遣し、六二名の研修生を受入れている。この技術援助を実施するために、一九五五年度以降三会計年度に計上された予算額は一億八千四百万円となつている。

このほか一九五三年以来(一九五七年六月末までに-以下同じ)、国連およびその専門機関の技術援助計画によつてわが国から東南アジア諸国に派遣された専門家は一三名、わが国が受入れた研修生は二九名、一九五二年以来米国ICAの技術援助計画によりわが国が受入れた研修生は五八三名に上り、また直接相手国政府の費用または私費による研修生として受入れたものは二一一名に達している。

これらの技術援助は、部門別に農業、漁業、中小企業関係が最も多く、さらにその他広く各分野にわたつている。

わが国としては受入体制を整備し、研修施設を充実するために一層の努力を続けている。

民間企業による経済協力

わが国民間企業が東南アジアにおいて行つている経済協力の形式は、投資(株式取得)と経営参加によるいわゆる合弁事業、設備資材の輸出(繰延払か融資を伴うのが普通である)と技術援助を含む事業提携、および単なる技術協力の三に大別し得る。

合弁事業は外貨ないし設備資材を投資し、一定割合の株式を取得して経営に参加するものであつて、従来わが国の民間企業を一方の相手方とする合弁事業の多くは、経済開発が比較的進んでいるインド、セイロン、タイ、台湾等において具体化して来た。

事業提携の一例は、昭和三十年のわが国の木下商店株式会社が現地のフィリピン・アイアン・マイン社と提携して乗出した比島ララップ鉄鉱山の開発で、これは日本側から鉄鉱山開発のための鉄鉱処理工場、貯鉱場、発電所等建設の所要資金の一部を融資し技術者を派遣したのに対し、先方が鉄鉱石の長期供給を約し、わが方よりの融資金は鉱石の値引きにより償還するというものであつた。

技術協力は東南アジア諸国において最も広く行われている経済協力方式で、一般に民間会社または個人が相手国の企業と役務契約を締結し、技術指導または技術的サーヴィスを供与し、一定の報酬を受けるものである。

右のような形でわが国の民間企業が現に東南アジアにおいて実施中の主な経済協力の内訳は、大要左の通りである。(一九五七年六月現在)

合弁事業 (タイ)錫鉱山開発二、貿易二、(インド)万年筆およびインク製造一、魔法瓶製造一、漁業二、板硝子製造一、(セイロン)シャツ製造一、漁業一、硝子瓶製造一、(マライ)鉄鉱山開発二、(ビルマ)漁業一、貿易一、(台湾)ベルト製造一、麻紡織一、塗料製造一、(香港)冷蔵倉庫一、貿易一、船舶仲介業一、(ラオス)貿易一、(インドネシア)銀行一

事業提携 (ポルトガル領ゴア)鉄鉱石開発一、(フィリピン)鉄鉱開発一、銅鉱開発二、ラワン材開発一、(インドネシア)銀行一、(マライ)鉄鉱山開発一

技術協力 (インド)積算電力計組立二、バッテリー製造一、マグネシアクリンカー焼成一、紡織機製造一、亜鉛華亜鉛末製造一、碍子製造一、電線製造一、針布製造一、綿紡績工場運営一、紡績機械部品製造一、綿紡績機械製造一、電球螢光燈製造一、ボビン製造一、魔法瓶製造一、変圧器製造一、(タイ)鉄橋架設工事一、(ビルマ)真珠貝採取および真珠養殖一、水力発電建設工事一、砂糖工場建設二、飛行場測量および設計一、(台湾)造船乃至部品製造二、機械製造一、製薬二、螢光燈製造一、(フィリピン)銅鉱開発ないし調査二、鉄鉱山調査一、変圧器製造一、(インドネシア)インキ製造一、(マライ)鉄鉱山開発一、沈船引揚一、漁業二、(ヴィエトナム)発電所設計一、漁業二、パルプ製造一、(香港)鉄鉱開発一、漁業二

すなわち現在民間企業が東南アジアにおいて実施中の経済協力は、形態別に合弁事業二四件、事業提携七件、技術協力四四件を数えている。(なお一九五七年三月末現在の海外投資許可実績に関する大蔵省統計によれば、琉球を除く東南アジアにおける証券取得総額は二九件、二、八五五、〇〇〇弗、債権取得総額は一六件、一〇、五五九、〇〇〇弗となつている。)

経済協力の補助機関

東南アジアとの経済協力を実施し推進する上に政府機関を補い扶ける機関には、アジア協会や国際学友会、国際建設技術協会、海外建設協会、日本輸出ブラント技術協会などがある。アジア協会は派遣される専門家の登録、派遣に先立つ事前教育、諸準備等を行い、また受入れた研修生の予備教育、委託先の照会、案内等諸種のあつせんを行つている。国際学友会はその宿泊、教育施設の一部を東南アジア諸国からの研修生の受入に当てている。

国際建設技術協会等の団体は、政府の補助を得て専門技術者を海外に派遣し、商業採算べースには直ちに乗り難いような基礎的建設計画について技術協力を行つている。

日本輸出入銀行の役割

日本輸出入銀行は金融上の便宜を与えることにより、本邦の外国貿易を促進するため、一般の金融機関が行う輸出入金融を補完し、または奨励することを目的として一九五〇年に設立され、わが国からの資本財の輸出を容易にし、民間企業の海外との提携を助ける上に重要な役割を果して来たが、一九五七年四月日本輸出入銀行法改正の結果、本邦から海外への技術の提供で海外輸出入市場の開拓確保または外国との経済交流の促進に寄与するものについては、わが国からの設備等の輸出が直接伴わない場合でも貸付の対象とすることとなつたほか、海外投資金融および海外事業金融の枠はいずれも大幅に拡げられ、外国政府等における開発資金の貸付も可能となりいよいよ積極的に対外経済協力の推進に寄与するものと期待されている。

日本輸出入銀行が開行以来承諾した融資総額は、一九五七年五月末現在約二千億円、このうち東南アジア関係融資分は輸出金融において一九・五%、投資金融において二一・五%を占めている。

投資保険制度の改正

世界各国の貿易競争の激化に伴い輸出市場の拡大および重要な輸入原材料の確保のため海外投資促進の要はいよいよ大きい。この点にかんがみ、昨年政府は輸出保険法の一部を改正して海外投資保険制度を新設したが、その後ラテン・アメリカ、東南アジア等において活発化して来た海外投資活動の実情を検討した結果、海外投資に伴う危険を担保する範囲を拡大し、てん補率、保険料率に所要の改善を加えるとともに、併せて投資者が海外においてあげた利益を本邦に送金し得ない場合の損失をカヴァーするために、海外投資利益保険を新設する必要が認められた。この方針に従つて現行の輸出保険法に所要の改正を加え、改正法は国会両院の可決を経て本年四月一日に公布施行された。

この結果従来の海外投資保険は海外投資元本保険と改められ、これについては第一に投資者の株式処分または被投資法人の清算の結了をまたず、被投資法人の解散と同時に保険金を支払い得るようになり、第二に保険金支払の要件中に戦争、革命、内乱のほか暴動または騒乱などこれに準ずる事態をも加えるとともに、さらに設備に関する権利、鉱業権、漁業権のように事業遂行上重要な権利を侵害された場合をも加えることとなり、またこの外保険金算定の方法に関する若干の改正、てん補率の引上(六〇%から七五%)、保険料率の引下げ(一・五%から一・二五%)も併せて実施された。

一方、海外投資元本保険に対し、新たに海外投資利益保険を創設し、これにより一定の事由により投資者が株式等の配当金を一定期間本邦に送金し得なかつた場合に受ける損失をてん補し得ることとなつた。

今後の方針

東南アジア諸国との経済協力を促進する上には二重課税防止、将来みだりに事業、施設等を国有化しないとの保証、利益送金の保証、協力関係事業の育成強化に対する関係国政府の優遇措置等について相手国の好意ある了解をとり付けることが望ましく、このため政府としても働きかけに一層の努力を払つている。

他方わが国としても相手国の事情、希望を十分に考慮し、可及的に先方の有する開発計画に沿つて経済協力を推進するよう努力すべきであり、優秀な企業や技術者が進んで海外に出うるような態勢を整える必要がある。

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2 賠償の実施状況

賠償実施の基本的考え方

現在実施されているビルマ、フィリピンの賠償実施は、支払う限度は予め決められているが、具体的な賠償の内容については、次のような基本的な考え方に基いて年度ごとに合意されることになつている。

(イ) 賠償は現金で支払うのではなく、日本人の役務および日本の生産物で支払う。

(ロ) 賠償によつて供与される役務および生産物は、求償国の経済の発展と回復のために使われなくてはならない。

(ハ) 賠償の履行によつて求償国との貿易が減少することのないように努める。

サン・フランシスコ平和条約第十四条に、日本の連合国に対する賠償は、日本人の役務によつて支払われなければならず、また賠償支払のために外国為替上の負担を日本に課すべきでないとの条項があるが、ビルマ、フィリピンはこれに満足せず、賠償のための特別の協定を行つた。しかし、サン・フランシスコ平和条約第十四条の精神は、完全にではないが、その主たる考えは現在の賠償実施の基本的な考え方の中にうけつがれているといえよう。いろいろの批判もあるであろうが、次のような点がこの考えの基礎となつている。

(イ) いわゆる現金賠償はわが国の現在の経済では困難があり、もしこれを認めるとすれば、その経済規模の維持はおろか縮小を招く。

(ロ) 資本財によつて賠償を払うことは、求償国の産業を起し、生活水準を高め、ひいては日本と求償国の通商関係を拡大する。もし、消費財によつて賠償を支払うとすれば、それは日本の求償国に対する貿易の規模を縮小するばかりでなく、求償国自身の経済の発展回復にも役立たない。

換言すれば賠償は求償国に対するわが国の義務の履行であるが、これを単なる義務の履行に終らせず、併せて求償国の経済の回復ないし発展に寄与し、引いてはわが国との経済関係の緊密化にも資するように努めるところに賠償実施の基本的考え方があるといえよう。

賠償およびこれに伴う経済協力の概要

 ビ  ル  マ

A 協定および実施方式  ビルマに対する賠償および経済協力に関する協定は、昭和三十年四月十六日に発効した。しかし実施細目の取極に手間取つたため実際に実施に入つたのは昭和三十一年初めからである。

この協定の骨子は

(a) 二億ドルの賠償と五千万ドルの経済協力を十年間に行う。

(b) 賠償および経済協力として日本人の役務および日本国生産物を提供する。

(c) 経済協力は共同事業の形式で日本国民とビルマ政府またはビルマ国民との間に行い、日本政府は右経済協力を容易にするため、あらゆる可能な措置を執る義務を有する。

右の一助として五千万ドルの内二千万ドルは日緬共同事業のために、日本政府からビルマ政府に対して、世界銀行並みの条件をもつて貸付を行う。

(d) なお、日緬平和条約第五条三項において、「日本国は、また、他のすべての賠償請求国に対する賠償の最終的解決の時に、その最終的解決の結果と賠償総額の負担に向けることが出来る日本国の経済力とに照らして、公正かつ衡平な待遇に対するビルマ連邦の要求を再検討することに同意する」ことを約束している。

(e) 実施の方式としては、まず両政府間で実施計画を作つて、供与すべき役務および生産物の内容を決める、これに基いてビルマ賠償使節団(東京に設置)が日本の業者と直接契約し、日本政府の認証を求める。その支払に当つては、日本政府に支払請求書を出し、日本政府は、これに応じて請求額を賠償勘定(東京銀行と富士銀行に設置されている)に払い込み、これによつて賠償の免責を受ける(従つて供与される役務や生産物については、責任を負わない)という仕組になつている(この方式を「直接方式」といい、政府間で現物の引渡しをやるのを「間接方式」といいならわしている)。

B 実施状況  初年度と第二年度にわたる実施計画は、契約見積総額にして二三〇億円強と協定上の年平均七二億円(二千万弗)の三年分強を計上したが、ビルマ賠償使節団が実際に調達業務を開始した三十一年一月から本年六月末現在契約認証額は、約一四五億円に達し、なお右契約に基く実際の日本政府の支払額は六月末現在八十四億四千万円(二、三〇〇万弗強)となつている。

前記成約高を品目別に見ると、バルチャン水力発電関係が五十三億円、鉄道車両および付属資材が二十九億円、小型船舶が十億円、中小プラント類が十四億円、自動車類が八億円、電気器具が十二億円、建設資材十一億円、消費財(魚罐詰)二億円、その他六億円となつている。

経済協力は、合弁事業の形で日本の役務および生産物を年平均五百万ドル出すことになつているが、ビルマが社会主義国家であり、経済の基礎ができていないため、投資対象として危険が多い上に、うま味もあまりないと考えて日本の投資家が出しぶつていたが、昨年末工業大臣を長とする、ミッションが来て、政府および民間と話合つた結果、(イ)合弁事業の資本部分を少くして出資に対する配当の割合をよくする、それでもまだ資本の収益が十分に確保し難いと認められる場合は、日本側の出資をビルマの九に対して一ぐらいに引下げる、(ロ)右の出資額を小さくすることの穴埋めとして、機械設備等を日本から延払いで輸入することとし、日本側としても合弁事業に向けられるものについては延払の条件等を特に寛大にする、というような趣旨で原則的了解ができた。目下、この線に沿つて綿紡関係の合弁事業として四万錘の工場四工場、計十六万錘の合弁事業設立計画が進められており、石川製作所-伊藤忠(一工場)、大日本紡-日棉(二工場)、東綿-倉敷紡(一工場)の三グループがビルマ政府と交渉を行つている。

前記の紡績工場以外で合弁事業計画が進行しているものに鉄鉱山開発計画があるが、この方はビルマ側が現金投資を要求しているため交渉が行悩んでいる。また、従来話合が進められていた自動車組立工場の設立計画もビルマ政府の新規投資抑制方針のため停頓しており、結局ビルマとの経済協力による合弁事業として交渉が進められているのは前記の紡績工場計画で、先方はもつぱらこの成否に関心を繋いでいる。

 フィリピン

A 協定および実施方式  フィリピンに対する賠償協定は昨年七月二十三日に発効した。

実施の方式はビルマと同様、直接方式によることが協定により規定されている。

協定の骨子は

(a) 五億五千万ドルの賠償を最初の十年間は年二千五百万ドル平均、次の十年間は年三千万ドル平均に行う。

(b) 五億五千万ドルの中五億ドルが生産財、五千万ドルが役務となつている。

(c) 五千万ドルの役務の内二千万ドルは、協定発効の最初の五年間に毎年四百万ドルずつ通常日本がフィリピンに積出す生産物の加工に当てる。その詳細取極は日比合同委員会の勧告に基き両政府が定めることとなつている。

(d) 本協定成立以前に中間賠償協定により日本政府が行つた沈船引揚約六百五十万ドル分も本協定に包含せしめることとなつている。

(e) 賠償協定とは別個に、経済開発のため総額二億五千万ドルに達する両国民間商社間の長期貸付、または類似のクレジットの設定を両国関係法令の範囲内で促進するよう政府間取極が行われた。

右は純然たる両国民間商社間の借款で、日本政府としては現在同国に行つている通常商業借款以上には何等コミットしていない。

同公文によれば商業上の基礎において正当と認められるところに応じ返済期間は長いものとし、利率は低いものとすることとなつている。

B 実施状況  フィリピン賠償の初年度計画は、昨年十一月三十日に両政府間で決定され、十二月に入つて直ちにフィリピン賠償ミッションの手で調達業務が開始された。初年度計画は、総額九十億円のうち、沈船引揚作業経費、加工役務、ミッション経費などの役務関係を除いた資本財の関係として五十億一千四百万円を年度内(七月二十二日まで)の支払枠として計上しており、公共道路、かんがい治水、水道、港湾、公共建物、農村電化、鉄道の建設に必要な資材、家内工業用諸機械および農業用機械器具が掲記されている。その後、教育・保健・厚生用の設備・材料、各種工場設備、および消防車が実施計画に追加計上された。また加工役務として罐詰が合意された。

ミッションは、昨年十一月末に最初の入札をセメントについて発表して以来、本年六月末までに四十二回にわたつて入札をおこなつた。これらの入札と実施計画とを対比すると、公共道路、かんがい治水、水道、港湾、公共建物、農村電化、鉄道拡張の各計画に掲上されている品目の全部、消防車、罐詰についてはすでに入札が終り、家内工業用機械類の一部分、農業用機器類の大部分、教育・保健・厚生用の設備材料、各種工場設備の全部が未入札として残つているだけである。

ミッションの発注も順調に進み、六月末の認証額は一五五件六十八億円に達した。その内訳は、セメント九万トン(約七億円)、鉄道貨車二百五十両(約八億円)、鋳鉄管七千トン(約五億円)、鋼材約四万トン(約二九億円)、ダンプトラック一五〇台(約四億五千万円)、機械類(約一一億円)、送電線(約二億五千万円)となつている。

フィリピン・ミッションに対する賠償特別会計からの支払額は、前記の認証契約に対応するものとして六月末までに約二十三億円弱の支払がありこの外沈船引揚関係の支払が約二十三億円強あるので、支払額の合計は六月末まで約四十七億円(一、三〇〇万ドル)となつている。

なお経済開発長期借款については、六月末フィリピン銀行団が来日して日本輸出入銀行と協議し、日本業者の比側業者に対する延払輸出の条件につき双方満足すべき了解に達したので、これで経済開発借款の取極の実施に関する基礎もでき上つたものといえよう。

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3 他の国に対する賠償交渉

インドネシアとの交渉

一九五三年までのいきさつ  スキマン内閣(マシュミ党を主力とす)は、一九五一年のサン・フランシスコ平和条約に署名し、『賠償に関する中間協定』に仮調印したが、一九五二年二月同内閣の瓦解に伴い成立したウィロポ内閣(国民党を主力とす)が前内閣の親米政策を排除する立場から、米国がイニシアチブをとつた平和条約の批准を棚上げにするとともに、『賠償に関する中間協定』をも拒否して以来、賠償問題の解決が国交正常化の前提となつた。

そこで一九五三年十月、東南アジアを歴訪した当時の岡崎外相は、アリ・サストロアミジョヨ首相と賠償問題を討議した。しかし先方は、その戦争損害額百七十二億ドルを基礎として賠償額を考慮することを主張し、わが方は一億二千五百万ドルを提案したので、結局会談は成果を収めなかつた。また同年十二月、わが国の賠償支払能力を調査するためスダルソノ亜細亜太平洋局長が来日した際は、六百五十万ドル、六十隻の沈船引揚役務協定が調印された。もつとも、同協定にわが方が一九五四年三月国会承認手続を了したのに対し、インドネシア側は未だ承認しないため、まだ発効していない。

一九五四年までの状況  賠償交渉が活発な動きを示しはじめたのは一九五四年一月倭島公使が赴任して以来である。しかし、賠償総額の点で先方は前記の尨大な戦争損害額を主張したので交渉は難航し、そのため先方は、前記沈船引揚協定の議会承認手続さえも拒む状態であつた。

その後先方は、対ビルマ賠償の解決等の状勢もあり、多少現実的な気配をみせて来たが、一九五五年七月には、アリ内閣も倒壊し、これを承継したハラハップ内閣は、総選挙までの事務管理内閣的性格のものであつたため、賠償問題の処理は将来にひきのばされ、交渉は停頓状態のまま一九五六年四月第二次アリ内閣の成立をみた。

第二次アリ内閣時代の状況  この内閣は総選挙の結果に基く三大政党連立の下に成立し、相当安定した政権と見られ、その賠償問題に対する意気込みも大きかつたので、同年七月対比賠償協定が妥結するや、政府はインドネシア賠償の解決に努力を傾倒した。従つて、インドネシア側も、初めは、フィリピンと同額の賠償を要求していたが、その後、アリ内閣も、国内政局乗り切りの関係もあり、本件の早期解決に決意し、一九五七年に入つてからは、交渉は大いに進捗し、双方の意見は具体的に接近してきた。しかし、たまたま、辺境各地の叛乱に伴い、アリ内閣はきわめて困難な立場に置かれ、ついに三月十四日、総辞職するにいたつた。

一九五七年アリ内閣総辞職より現在までの経緯  スカルノ大統領は、この政局打開のため、国民評議会を設置し、専門家よりなるビジネス・キャビネットを組織するとの大統領構想に従い、四月八日にいたり、ジュアンダ首相を首班とする新内閣を組織したが、五月八日には国民協議会設立に関する緊急法を公表して六月十四日その人選をも完了、七月十二日にその正式成立をみた。また、新内閣も、六月五日に閉会した議会において不信任措置をとられることなく、一応承認を得るかたちとなり、いわゆるスカルノ政権の体裁は完了したものと考えられる。ここにおいて、最近、スカルノ=ジュアンダの線で本件をとり上げんとする動きがみられてきた。この間わが方においても岸総理の第一次東南アジア諸国歴訪、つづいて訪米、さらに内閣改造等の諸問題があつて、賠償交渉につき、積極的な動きをとらなかつたが、内閣改造も完了した現在、本件も解決に向つて急進展することが期待される。

ヴィエトナムとの交渉

中間賠償協定の棚上げ  旧仏領インドシナ三国のうち、カンボディアは一九五四年十一月二十七日に、また、ラオスは一九五六年十二月十九日に、わが方に対し、それぞれ両国の対日賠償請求権を放棄する意図を明かにした。これに対し、ヴィエトナムについては、一九五一年のサン・フランシスコ対日平和会議において日本よりの賠償を期待している旨を明らかにし、『少くとも二十億ドルの賠償支払を要求するであろう』との声明を発表した。

しかし、ヴィエトナムは、一九五二年六月十八日にサン・フランシスコ平和条約の批准書を米国政府に寄託した後においても、しばらく、賠償問題に積極的な意思表示を行わなかつた。これがにわかに積極的な動きを示しはじめたのは沈船引揚に関する中間賠償協定の仮調印前後からのことである。

この沈船引揚中間賠償協定はヴィエトナム側の要請に応じて交渉の結果一九五三年九月、東京において案が作成され、双方代表のイニシアルを了したのであるが、その後ヴィエトナム政府は、いかなる意図によるものであるか、右の協定案に対して正式調印を行わず、一九五五年十一月にいたり、右をそのまま御破算とした上、協定で定めた二百二十五万ドルの金額は、これをそのまま他の物資に振りむけたい意向を表明し、さらに十二月十日には、役務の提供を原則とする賠償一般につき日本側と交渉したい旨を申し入れてきた。

最近の状況  ヴィエトナム側では、ゴー・ディン・ジェム総理(現在大統領)も、賠償額は『極めてモデストな額を考えており、内容としては役務のみを考えている』とのべており、外務長官も、前記十二月十日の申し入れに際して『法外なことは決して要求する積りはないから安心ありたい』と言つている。そこで、わが方としてもヴィエトナム側の意向をくみ、十二月末、ヴィエトナム側に対し、(イ)沈船引揚協定案を御破算とすることに同意するとともに(ロ)賠償一般につき交渉を行うことに同意したのであるが、ヴィエトナム側は、一九五六年一月二億五千万ドルの要求を行つてきた。賠償は役務を主体としたモデストなものであるとの先方の言明に信頼して交渉開始に同意した日本政府としては、この先方の意外に巨額な要求を前にしては、しばらく事態を静観しなければならなかつた。それにもかかわらず、政府は、一九五六年三月には東南アジア経済使節としてヴィエトナムを訪問した植村甲午郎団長を通じて、一つの提案を行い、ゴー・ディン・ジェム大統領も一応これに賛意を表したが、後日経済閣僚会議では同意をえられなかつた。わが方は、さらに、八月三十日、ダニム発電所計画(約三千万ドル)を援助するため、一部を賠償として日本国民の役務および資本財で支払い、他は経済協力とする案を提示したが、ヴィエトナム側は依然その当初の案を固執して、わが方の提案を拒否してきた。

賠償問題解決への誠意  誠意をもつて賠償問題の早期解決を図ることは、政府の確乎たる方針であり、政治的独立から経済的独立へと努力しているヴィエトナムにできるだけの支援を与える熱意を有するものである。それ故にこそ先方の要求に応じて締結した沈船引揚協定を御破算とすることにも同意して新たに全面的賠償交渉に応じてきた。先方は二償五千万ドルの当初案を主張しつづけてきたにもかかわらず、わが方は数次にわたり新しい提案を重ねて解決点の発見に努力してきた。しかし他方賠償の支払は、ヴィエトナムだけではない。ビルマ、フィリピン、インドネシアにも支払わねばならない。十分でないわが国の支払能力の中から支払うのであるから、各求償国の戦争損害を勘案して支払うのでなくては求償国間に公平ではない。ヴィエトナム側がこの事情とわが国の誠意とを混同することなく、現実的な視野に立つて交渉に当るようになれば途は自ら開けるものと期待される。

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4 特別円に関する交渉

仏印特別円問題

仏印特別円問題の発生  一九四〇年九月、日本軍が仏印に進駐した後のわが国と仏印との間の金融決済は、主として一九四一年五月六日の『日本国とインドシナ間の関税制度及びその決済の様式に関する日仏協定』およびこれに基いて横浜正金銀行とインドシナ銀行間に結ばれた銀行間諸協定によつて行われた。これらの諸協定の運用の結果、終戦時には日本側の債務として約三十三トンのイヤマーク金と『米ドル勘定』残高約四十八万ドルおよび『特別円勘定』残高約十三億円が残つた。右のうち約三十三トンのイヤマーク金は、一九五〇年一月九日付SCAP覚書によつてフランス側に引渡を了し解決していたが、『米ドル勘定』分と『特別円勘定』分については、依然未解決であつたところ、一九五三年一月二十六日フランス政府は、在京大使館を通じて、これが解決を要求してきた。これが、いわゆる仏印特別円問題である。

一九五六年二月、第一回日仏会談  これに関する日仏会談は一九五六年二月から三月にわたつて東京において開催された。この会談において『米ドル勘定』残高約四十八万ドルの支払については双方とも何ら問題がなかつたが、『特別円勘定』に関してはフランス側は、当時と現在とは、円、ピアストルの貨幣価値が変動しているので、その変動率一〇〇三%を名目残高約十三億円に掛けた金額たる約百三十億円を日本側で支払うべきであると主張した。わが方としては、このフランス側の主張を容れれば、タイ特別円問題を名目残高の支払によつて解決したわが方の立場との一貫性を失うのみならず、今後何らかの債務支払問題が生じた場合、悪影響を及ぼすであろう。また一般国際法上、日仏間の諸協定は開戦とともに失効したと解されるのみならず、桑港平和条約第十四条bによつてフランス側は戦時中の対日債権を放棄していると解される。従つてわが方は、フランス側の要求はこれを拒否し、戦前債務分として『米ドル勘定』分全額と『特別円勘定』分約九千万円を名目残高で支払うことを提案した結果、この日仏会談は結局もの別れに終つた。

フランスが国際司法裁判所へ提訴した場合の日本の立場  よつて、フランス側は、四月二十四日、もし日本側で早期解決の見込がないなら本件をへーグの国際司法裁判所に提訴することに決定した旨を在仏西村大使を通じて申入れてきた。もしフランス側が提訴した場合には、桑港平和条約第二十二条に基いてわが方に応訴の義務がある。この場合、国際司法裁判所規程第三十六条の規定によつて日仏間協定の効力問題のみならず、支払金額の問題も同裁判所で採り上げられ、その先例からみて日仏協定第二十四条(毎月決済する際の貸越残高が五百万円をこえる部分については金又は金に兌換しうる外貨で決済する旨の規定)、第二十五条(協定終了の際の貸越残高は、即時金又は金に兌換しうる外貨で決済する旨の規定)、第二十六条(円又はピアストルの金価値の変更の場合には、両貨幣の新金価値を基礎として残高を再評価する旨の規定)あるいは、一九四三年一月二十日の了解事項第十二項(事情許可にいたれば特別円勘定の資金は金又は金に兌換しえる外貨で決済する旨の規定)等は、『金約款』を定めたものであるとの判決をうけるかもしれず、もしそうなれば、名目残高約十三億円の約八十三倍(当時は一ドル=四円三十銭、現在は一ドル=三百六十円として)の金額一千億円以上を支払わなければならないこととなる惧れもあつた。

一九五七年一月第二次日仏会談による解決  そこで一九五七年一月から二月にわたり東京において開催された第二次日仏会談においては、わが方は、この際一応法理論は棚上げにして、一挙に政治的解決をはかる方向にふみきり、元来双方で問題のない『米ドル勘定』約四十八万ドルはそのまま支払うとして、『特別円勘定』については、帳簿残高総額約十三億円をラウンド・フィギュアとした十五億円を支払うことを提案した。これに対してフランス側は、百三十億円案を固執はしなかつたが、それでも当初は七十億円とか八十億円とかで折合うことを主張したのである。しかし七回にわたる会合をかさねた結果、フランス側もついに、このわが方の提案たる十五億円案を受諾するにいたつたのである。

タイ特別円問題

日、タイ協定の調印  戦時中日タイ間の貿易および貿易外のすべての決済を行う手段として日本銀行に設置されたタイ銀行名義の特別円勘定の日本側借越分十五億円、戦時中日タイ間に成立した金売却取極の未実行分(金塊にして約九屯)、および金塊未引渡分(約〇・五屯)、について、戦後タイはわが国にクレームを提起していたが、右クレームは昭和三十年春ナラディップ・タイ外相の来日の際の交渉によつて彼我の間にその解決方法について意見の一致をみ、その旨四月九日両国共同声明が発表され、右に基いて昭和三十年七月九日バンコックにおいて本協定が調印され、八月五日発効をみた。

協定の内容  本協定によれば、わが方はタイに対し

(a) 五年間にわたり五十四億円に相当するスターリング・ポンドを(初年度は十億円、その後四年間は毎年十一億円)支払う(第一条)とともに

(b) 経済協力として、合意される条件および態様に従い、投資とクレディットの形で、九十六億円までの資本財および役務を供給する(第二条)ことになつている。

現金支払い  協定第一条に規定する現金支払いの初年度分、第二年度分および第三年度分(本年五月二十八日支払い)はすでに支払い済みであり、その支払額合計は三十二億円となつている。

経済協力の実施問題  協定第二条に規定する経済協力の実施に関しては、ナラディップ外相が一昨年末より昨年年頭にかけて約一カ月滞日しわが方と交渉したが、先方は本件各経済協力は「日本側が特別円債務支払いの手段として行う九十六億円の資本財および役務の無償供与である」と主張し、わが方は「協定の文言上もまた協定成立に至るまでの交渉経緯に照らしても、本件経済協力は「投資」および「クレディット」の供与であり右はあくまで償還を前提とするものである。」と主張したため、ついに彼我の意見一致をみず、ナラディップ外相は帰国した。その後渋沢大使がバンコックに赴任し、昨年六月ナラディップ外相に対し、日タイ合弁会社に日本側が九六億円まで現物出資する案を提案したが、タイ側は右に同意しなかつた。さらに、本年二月に日本側がタイの精油所の建設のためにタイ国開発公債を担保として九十六億円をタイ政府に融資する案を提案したが、未だタイ側の同意を得るに至つていない。一方ナラディップ外相は本年五月に至り、協定第二条の経済協力を現金支払いとするよう協定を改訂することを提案してきた。

本年六月岸総理がタイ国を訪問しピブン総理と会談した際双方とも本問題を速やかに解決したき希望を表明したが、その際岸総理より、わが方としては協定改訂は不可能なる旨申入れた。その後六月末ナラディップ外相が米国よりの帰途東京に立ち寄つた際石井副総理および池田蔵相と本問題について会談したが、日本政府としては協定改訂は不可能なるにつきタィ政府の再考方を要請する旨申入れた。

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5 日韓交渉の経緯

困難な日韓交渉

昭和二十八年十月末久保田発言を契機として第三次日韓会談が決裂して以来、日韓間においては容易に正式会談を再開する機運が醸成されるに至らなかつたが、その後特に頻繁に発生した韓国による日本人漁夫の抑留は痛くわが世論を刺戟し、政府は、これが釈放を人道上の問題として早急に実現するとの方針の下に、鋭意交渉を進めた結果、昭和三十一年四月二日、当時の重光外務大臣と在京韓国代表部金公使との間で取敢えず両国間諸懸案の解決と切り離して、抑留日本人漁夫と大村、浜松の外国人収容所に収容中の韓国人刑余者の相互釈放を行うことに原則的な了解が一応成立した。

この抑留者相互釈放に関する交渉は昭和三十一年十月以降外務省中川アジア局長と金公使の間で進められ、わが方が右重光・金了解のラインにそつて専ら話合いを釈放問題に限定しようとしたのに対し、先方は釈放のための新たな附帯的条件として、久保田発言の撤回、対韓請求権の放棄等を明確にすることを要求した。韓国側はさらに十二月中旬にいたつて本来抑留者釈放と関係のない事項の討議を申入れてきたので、これに対しわが方からこれ等の問題について一応の考え方を示すとともに、抑留者釈放問題の解決の促進方を説得したが、先方は同意せず、ついに年内解決は不可能となつた。

ここにおいて中川局長は韓国側が年内解決を終始言明しながら、新たな条件を持出して交渉を遷延した事実にかんがみ、韓国側が抑留者釈放のためにあげた前記の諸条件について一々日本側意見を述べ、韓国政府の本件交渉に関する正式回答を求めた。

かくて昭和三十二年一月中旬韓国側から右回答として、

(1) 日韓全面会談再開についても、平行して打合せを行うこと。

(2) 日韓会談再開の前提として久保田発言の撤回と対韓請求権の放棄その他若干の条件を提示し、わが方の考慮を求めてきた。

この結果、(a)相互釈放を実施して両国間の空気を改善した上で、全面会談を開始すること、(b)全面会談再開後直ちに会談がデッドロックに乗り上げることを避けるため、基本問題について、予め、できるだけ双方の意見を一致させておくよう努力するという原則について合意をみ、ここに抑留者の相互釈放と日韓会談再開のための交渉が新たに開始されるにいたつた。

抑留者釈放と会談再開の交渉

本年一月末以来関係各文書の案文の修文を中心として行われ、次いで岸内閣成立を契機として三月上旬まで殆んど連日の会談によつて双方の意見は大分煮つまつたが、なお、若干の問題については、意見の調整が出来なかつた。

この間、前韓国銀行総裁金祐沢氏は駐日代表部顧問の資格で五月一日来日し、次いで韓国政府は同月十六日付で代表部首席の更迭を行い、金溶植公使を駐仏公使に転出せしめ、その後任として金祐沢大使を任命し、柳参事官を公使に昇格せしめ、対日交渉に当る陣容の一新を行つた。

右代表部の新首脳部との交渉に当つては原則として従来中川・金会談によつてすでに一致を見たところは、そのまま踏襲し、不一致点については、出来る限り岸総理の渡米までに早急解決を計るということに合意され、爾後大野外務事務次官と金大使との会談の外、中川局長、三宅、安藤両参事官と柳公使等との間に、数回にわたり事務折衝を行い、極力解決に努力したが、二、三の点について、どうしても意見の一致を見るに至らなかつた。

かくして外務省事務当局より、交渉の経過および現状を委細岸総理兼外相に報告し、裁断を請うた結果、岸総理は自ら六月十一日金大使と会談し、互譲により、大体意見の調整を見たので、右に基き三宅参事官は、同日夜より十二日払暁にかけて柳公使と会談し、漸く関係文書の案文が一応まとまつたので、柳公使は本国政府と協議の間、十二日朝右案文を携えて空路帰国した。その後、六月十三日および十五日、韓国側は前記案文に対し、それぞれ数カ所の修正方を申出で、岸総理、金大使会談および大野次官その他外務省事務当局と先方との折衝が行われた結果、大局的見地より先方の修正提案のうち、若干のものについて我方同意し、かくて、在京韓国代表部側との間に六月十五日払暁関係各文書案についてすべて意見が一致したので、岸総理出発当日である六月十六日の調印を予定して、先方は本国政府の最終的承認を求めるため請訓した。

しかるに十六日午後に至り、金大使は、韓国政府がなお、本案を審議中であり、遺憾ながら岸総理渡米前の調印は事実上不可能となつた旨通報越した。次いで、六月二十日過ぎ、柳公使は帰任したが、本国政府より、前記十五日の案文に対し、再修正すべき旨の訓令に接したとして爾来、再交渉方を非公式および公式に申出で来つたが、我方は、この上、実質的修正または実質に触れるような修正には応ぜられないとの態度を以て、再交渉に同意しなかつたところ、その後、先方は、「辞句的修正」と思うもののみについて、是非とも事務折衝を行いたいと申越したので、我方もそれならば、先方の話を聴いて見ようということで、七月二十三日から板垣アジア局長、三宅参事官と柳公使、崔参事官との間で事務的話合を再開した。

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6 中共の近状とわが国の態度

中共政権は一九四九年十月成立以来内政の整備、経済の復興につとめ、一九五四年には第一回の人民代表大会を招集して憲法を採択し政権の基礎を次第に強固にしてきた。経済的には第一次五ケ年計画をたてて、急速な建設につとめ、明年からは第二次五ケ年計画に入ろうとしている。また外交方面においてはソ連との協力を基本としながら、一九五四年ジュネーブ会議、翌年のバンドン会議等よりアジア諸国をはじめ世界各国に積極的に接触を増加して、国際的地位の向上につとめている。

このようにして中共政権はほぼその基礎を固め、国際的地位も次第に向上しつつあると認められる。しかしながら一方、中共政権内部には依然として種々の困難を蔵している。反政府分子の活動は未だあとを絶たず、チベットの改革は遂に中止せざるを得ないこととなり、また経済建設においては数年来のあまりに功を急いだ皺寄せが起つて最近においては頭打ちないし縮少の現況となつており、対外貿易も本年度計画は八・四%の減少を見込んでいる。国際関係においてもハンガリー事件以後の中共の動向には微妙なものがあり、公式的にはソ連の行動を弁護しつつも、背後に複雑な要素を含んでおり、共産圏諸国間の関係に問題を投じている。

最近問題になつている本年二月の毛沢東の人民内部の矛盾についての演説前後より国内においても活発な共産党ないし政府の批判が行われ、新しい自由の芽ばえを思わせたが、結局これらの議論も圧殺されるところとなつた。これらの諸問題は中共の将来をトするものとして充分な検討を要するところである。中共政権の実情は以上の如くであるが、わが国の立場よりこれを見れば、中共政権が事実上中国大陸を支配し、一方中華民国政府が現実に台湾および大陸沿岸島嶼の一部を統治し、各々互いに相手方の支配地域までに自己の主権を主張して相争つているところに極めて大きな困難を蔵している。この点は今後、広い国際的観点から検討されなければならない問題である。

わが国は自由諸国との協力を外交の基本方針としており、現在中華民国政府と正式国交を持ち友好関係にある。中華民国政府とわが国とは古くより密接な関係にあり、一度は不幸干戈を交えるに到つたけれども、終戦とともに再び友好的関係に入つている。自由諸国との協力を外交の基調とするわが国としては同じく自由諸国に属し、かつ世界の多数国からもまた国際連合からも中国の正統政府として認められている中華民国政府と友好関係を持つことは当然のことである。従つて、前記のように中共政権が現実に中国大陸を支配している事実は無視するものでないけれども、これに対する外交的承認は現状においてはこれを行わないとの基本的態度をとつているものである。

この点はわが国とソ連との関係とは全く異つた状態にあるのであつて、日ソ国交回復後、続いて中共と外交関係を樹立すべしという議論が、直ちに採用されえないわけである。なお、最近、中共の当局者が日本政府の態度を非友好的であると非難しているが、わが国の基本的態度は上述の如く自由民主主義に立脚しており、自由民主主義が共産主義国にとつて不満であることはある程度やむを得ないのであつて、これをもつて、特に中共に対し非友好的であるというのはあたらない。

中国をめぐる国際政治情勢については、わが国としては今後とも、国際連合と協調して国際情勢全般の推移を慎重に検討して対処する方針である。

以上は国際法ないし国際政治上の観点から見た点であるが、事実上の問題としては、わが国と中国大陸との関係は歴史的、地理的、経済的、文化的に見て密接な関係にありわが国民生活上、中国大陸との間に必要なる範囲の接触が行われることは、政府間における外交的承認の問題とは関係がないので、必要に応じてこれを行うこととしている。特に貿易については戦略物資の禁輸に関する国際的義務の枠内においては、むしろ、これを伸張せしめる必要があり、この点については諸外国においても、わが国と中国大陸との歴史的に密接な経済関係、およびわが国の貿易立国の立場に鑑み、これを充分に諒としているところである。最近中共に対する禁輸の枠を大幅に撤廃したのもこの観点から行つたものである。もちろん、現在の段階では、先に述べた状況により、政府間の公式協定や、政府代表の交換の如きは行わない方針であつて、貿易常駐機関についても、貿易に専従する純然たる民間の資格のものとして研究されているものである。

また最近見本市関係者の入国に関し、指紋を押捺するか否かが問題となつているが、指紋制度はわが国の法律により一般外国人全部に適用される制度であり、特に中共関係者を差別しているものではない。さらに見本市一般の有する特殊な国際的意にかんがみ、いずれの国の人でも見本市開催の当事者に対しては、展示商品の後始末その他出国準備のため、指紋を免除される二カ月の短期滞在期間を多少超えることを余儀なくされる場合には、その間登録および指紋の押捺を強制しないこととしている。(戦犯者問題については、第五項参照)

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