総 説
一、国際情勢の推移
昨秋、ポーランド、ハンガリーに相ついで起つた動揺は、この両国だけでなくソ連圏全体に深刻な影響を及ぼした。動乱が年末までに一応落着したので、ソ連は年明けとともに、急遽東欧諸国の団結強化にのりだした。
まず一月早々ブタペストにおいて、ソ連、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、チェッコスロヴァキア五カ国の共産党および政府代表出席のもとに秘密会談を開き、引続いてグローテヴォール首相以下の東ドイツ政府代表団をモスクワに招き、ソ連、東独首脳会談を行つた。
この東欧共産圏の団結強化には、中共も一役を買い、折からモスクワを訪問した周恩来首相は、ソ連首脳部や東ドイツ代表と会談し、次いでハンガリーのカダル首相を加えたソ連・中共・ハンガリー会談を行つた。周恩来一行はさらにポーランドのワルシャワ、ハンガリーのブタペストを訪問した後、モスクワに戻り、中ソ最終会談を行つた。
一月下旬にはザポトッキー大統領以下のチェッコスロヴァキア政府代表団がモスクワを訪れ、ソ連首脳部と会談して、ワルシャワ条約強化の決意を強調した共同声明を発表した。
東欧共産圏諸国との関係を再調整するため、一月を通じて、従来になかつたようなあわただしい動きを示した。このようにして東欧諸国の団結は一応強化された形となった。
ソ連の東欧団結再強化工作は二月以降も引続き行われ、四月までにブルガリア、ハンガリー、アルバニア首脳部との間に個別会談を了した。
一方ソ連は二月と五月に最高会議を開催し、新年度の国民経済発展計画案、外交政策、工業および建設管理機構の改革案など重要な政策を発表したが、ポーランドの政変やハンガリーの動乱がソ連自体にも深刻な影響を与えた事実は蔽いがたく、フルシチョフ第一書記の政策に批判的だつたと見られていたモロトフ、カガノヴィチ、マレンコフ氏らの党幹部は、六月、反党、分派運動を理由に中央委員会幹部会委員および党中央委員の地位を奪われ、これまではフルシチョフ派と目されていたシェピーロフ氏も、この運動に同調したかどで中央委員会幹部会員候補および党中央委員の地位を解かれた。
これを要するに本年上半期におけるソ連の対内的ないし東欧諸国に対する動きは、フルシチョフ政権の足場固めとソ連共産圏の団結強化工作に集約することができるだろう。
一方、自由陣営においては、スエズ問題の処理をめぐり一時協調を失った米国と英仏両国が、英仏の国連決議受諾、スエズ撤退を契機に再び緊密化の方向に向い、まず二月にはワシントンでアイゼンハワー米大統領とモレ仏首相の間に会談が行われた。三月にはパリでマクミラン英首相とモレ仏首相の会談が行われ、ついで、バーミューダ島においてアイゼンハワー米大統領、ダレス長官、マクミラン英首相、ロイド外相等の米英首脳会談が行われた。自由陣営においても、中東動乱でゆるんだ結束をとり戻すことが、本年初頭の当面の課題であった。
このように共にまず自己陣営内の団結強化に乗り出した自由世界と共産世界の外交戦は、ブルガーニン首相のアデナウアー西独首相に対する親書、米英仏三国に対する中東紛争解決策に関する覚書、第四次召集ソ連最高会議第六会期におけるシェピーロフ外相の平和外交演説、ノルウェー、デンマーク、西独を始めとする諸国に対して発した原子兵器、誘導弾などの新兵器装備あるいは軍事基地提供に関する警告、ジョルダンをめぐる中東の危機に関する対米英仏覚書、ブルガーニン首相のマクミラン首相に対する英ソ親善関係回復提案等、硬軟併せた一連のソ連平和攻勢を織りまぜて展開された。
これに対し西欧側においては、ソ連の外交攻勢にもかかわらず、アデナウアー西独首相の訪米、欧州共同市場およびユーラトム設立条約の調印、NATO理事会の開催など、着々として政治、経済、軍事各般にわたる整備が計られた。
この間、三月十八日からロンドンにおいて、米、英、仏、ソ、加五カ国より成る国連軍縮小委員会が開かれた。まず核兵器実験禁止制限問題が討議されたが、従来通り、西欧側の一般的軍縮協定の枠内で、管理制度を確立することを前提とする主張と、ソ連の一般協定と切離して核兵器実験禁止を即時実施すべしとの主張が対立して、妥協の線はなかなか打ち出されそうもない。
兵力、通常兵器および軍事費削減問題については、第一段階における兵力削減について原則的合意が成立したのみで、依然意見の対立があり、核兵器の禁止およびストックの廃棄問題についても同様意見が対立し、何ら具体的な結論に達していない。
軍縮の管理機構の設立と空中査察の原則についてはかなりの歩みよりが見られたが、細目について依然意見がくい違っている。
軍縮小委員会は七月末までには話合いがつかず、予定の報告をなしえないので、とりあえず中間報告を軍縮委員会に提出して、八月もなお会議を続行したが、核実験中止問題をはじめ、多くの点で折合がつかず、結局交渉は壁にぶつかつて休会となり、きびしい現実の世界の足どりをはつきりと示した。
イスラエル軍のエジプト領進撃、英仏軍のスエズにおける軍事行動開始に端を発した昨秋の中東動乱も、国際連合の迅速な活動により休戦が実現し、ついで国連警察軍が進駐し、英仏車の撤退が完了するにおよんで年末には一応落着した。
アイゼンハワー米大統領は、恒例の一般教書発表に先立ち、本年一月五日、中東に関する特別教書を議会に送り、米国は中東諸国が独立維持に必要とする経済力を育成するため協力、援助を与え、また共産圏からの武力侵略があれば被侵略国の要請に応じ米軍を使用する、との新しい政策を打出した。この新政策は、一月末には米下院を通過し、二月末には若干の修正を付して上院をも通過した。そして三月にはリチャーズ前下院外交委員会委員長が、アイゼンハワー大統領の特使として中東に派遣された。
アイゼンハワー・ドクトリンは、かつてギリシャ、トルコの共産化を防止しえたトルーマン・ドクトリンと比較されるが、当時のギリシャ、トルコ両国の事情にくらべると今日の中東の情勢は、はるかに複雑かつ微妙である。バグダット条約に加盟しているトルコ、イラン、イラクとパキスタンなど、いわゆる反共グループは、ただちにアメリカの新中東政策支持の態度を表明した。親西欧的なレバノンも支持を表明したが、バグダツト条約に反対しているエジプト、シリア、サウディ・アラビア、ジョルダンの四国はカイロで首脳者会談を開き、アイゼンハワー・ドクトリン反対を決議した。もつともサウディ・アラビアのサウド王は一月末にアメリカを訪問し、アイゼンハワー大統領以下政府要人と会談し、アメリカの新中東政策を了解するに至つたし、ジョルダンのフセイン国王もその後はつきりと反共の線を踏み切り、クーデターを敢行してナブルシ首相以下を解任し、アイゼンハワー・ドクトリンとは一応無関係の形をとりつつ、アメリカの軍事、経済援助を受けることになつた。
かくして、中近東諸国は、アイゼンハワー米大統領の新政策発表を契機として、エジプト、シリアなどの反西欧グループとサウディ・アラビア、ジョルダンなどをも含む反共グループとに分れる傾向を強くするにいたり、中東には重要かつ微妙な変化が見えだしている。
第二次大戦後の世界は、いわゆる「冷い戦争」状態に苦しめられてきたが、今日では従来の危険をはらんだ激しいものから、少くとも表面的には静かなものに変りつつあり、両陣営が平和をスローガンとしながら、それぞれ自己陣営内部の強化を着々と計つているというのが現状であるといえる。
かえりみれば、第二次大戦が終つた時、それまでは枢軸国に対する対抗上手を結んでいた自由諸国とソ連との対立が表面化し、この対立は特に枢軸国が敗戦の結果失つた勢力圏をめぐる争となつて激化した。そしてソ連の干渉による東欧諸国の共産圏への組入れ、中国およびインドシナの内乱、朝鮮における共産側の侵攻等、局部的な武力行使を含む両陣営間の対立の時期、まかり間違えば第三次大戦にもなりかねない不安定な時期が続いた。他方アジア・アフリカにおける従来の植民地に独立の気運が澎湃として起り、それが対立する両勢力の伸長の場となった。
しかし戦後十余年を経過して、世界において一応の勢力均衡が回復され、自由諸国の団結も進み、今や東西両陣営の世界におけるそれぞれの勢力範囲も概ね確定した。しかもこの間核兵器、大陸間弾道弾などが急速な進歩を遂げ、その結果、もし、一旦全面戦争が起るようなことがあれば、勝者たると敗者たるとを問わず、ともに等しく悲惨な結果を招くことを免れないこととなった。かくて自由共産両陣営間には、イデオロギーの相違から来る対立は依然としてあるが、ともに全面戦争を避けねばならぬ立場に置かれている。
このようにして、現在世界は"一応の平和"に到達したと言つてよい。この平和は不安定なものであり、局地的な動揺は絶無とは言えないから、今はいわば"不安定な平和"の時代と呼ぶべきであろう。
ここで、核兵器、大陸間弾道弾等の近代兵器によつて生み出されたこの"不安定な平和"は、これら近代兵器の急速な発達によつて、なお引続き測り知れない影響を受けつつあることが指摘されねばならない。国際政治に決定的威力をもつこれら兵器の生産競争は、遂にどの国もその保有に絶対的優位を占めることを許さなくしてしまつた。それのみならず近い将来において現在保有している国以外の諸国もこれらの兵器を保有するに至るであろう。かくて、大量殺りく兵器を独占し、または保有の優位を占めることによつて国際関係を有利に展開しようとするこれまでの試みはいずれの国も今後は諦めなければならなくなつた。いわゆるアトミック・スティルメイトは国際政治の構造を変えたのである。新段階に入つた国際政治の課題は、どの国にとつても勝利を保証する決定的な手段でなくなり、しかもどの国にとつても共通の敵であるこの怪物兵器による惨害が全人類に振りかかるような事態を避けるため如何なる努力を払うかということであり、この共通した悲願に結ばれて、世界のすべての国が、これら兵器に対する防禦方法発見の努力を続けながら、同時に世界平和確立のため、せめて不安定ながらも平和の続くこの時代を護るため、真摯にして積極的な共同行動を採ることに向うのではなかろうか。