14.咸臨丸修理に関する感謝状(複製)
正使一行が搭乗したポーハタン号と比べ、咸臨丸は速力が遅かったため、先行して1860年2月10日(安政7年1月19日)浦賀を出航し(ポーハタン号は3日後横浜を出航)、洋上で落合う予定であった。しかし、ポーハタン号が連日の荒天による破損著しく、ハワイに寄港し、修理を行ったため、咸臨丸は単独航海となり、3月17日(安政7年2月26日)、サンフランシスコに到着した(ポーハタン号は、12日遅れて到着)。その後、咸臨丸も連日の荒天のため、メインマストの交換、船体外板を修繕するなどの必要が生じ、メア・アイランドの海軍造船所で修理を受けた。
展示史料は、修理を担当したカニンガム(Cunningham)提督に木村喜毅が贈った礼状の写しである。 |
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