1860年(万延元年)、日米修好通商条約批准書交換のため、アメリカに派遣された幕府の使節団に、勝麟太郎(海舟)を艦長とする咸臨丸が護衛艦として随行した。2月10日(安政7年1月19日)浦賀を出航した咸臨丸は、アメリカ人水夫の助けを得ながらも日章旗を掲げて初めて太平洋を横断し、3月17日(同年2月26日)にサンフランシスコに入港。現地の造船所などを視察した後、再び太平洋を横断し、6月23日(万延元年5月5日)、浦賀に帰着した。
展示史料は、提督として咸臨丸に乗り込んだ軍艦奉行の木村喜毅(摂津守)が、1859年(安政6年)12月、同船に搭乗する吏員の氏名を外国奉行に通知したものの写し。当時、軍艦操練所教授方頭取であった勝の名前がみられる。
(『続通信全覧』修好門「新見豊前守等米国渡航本条約書交換一件 三」所収)
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