9.日米修好通商条約(重要文化財)
ハリスは、日米約定締結後さらに修好通商条約の締結を求め、これに対し当時老中首座であった堀田正睦は井上清直、岩瀬忠震(肥後守)を全権委員に任命して交渉させ、両者の間で条約の内容が確定された。しかし、多くの大名が本条約の調印にあたって天皇の勅許を得るべきとの意見を表したため、勅許を求めたが失敗し、その間に大老に就任した井伊直弼は、未勅許のまま1858年7月29日(安政5年6月19日)調印を断行した。本条約の主要点は、アメリカ公使の江戸駐在、江戸・大坂の開市、神奈川ほか4港の開港、自由貿易、片務的領事裁判の承認(治外法権)、日本の関税についても条約で定める(「関税自主権の喪失」)等であった。幕府はアメリカに続き、イギリス、フランス、ロシア、オランダの諸国とも同様の条約を結んだ(安政の五ケ国条約)。 |
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